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1990初夏の旅 [1990初夏オセアニアの旅(オーストラリア)]

1990.6 

オーストラリア、ゴールドコーストとシドニー5泊7日 カンタス航空(JAL共同便)/独り参加JTBツアー

ゴールドコースト2泊&シドニー3泊

オセアニアは冬のオフシーズン、朝夕はかなり冷えた。北海道の季節の良いときに寒いところへの旅は×。

(1)初めてのカンガルーマークのカンタス航空夜便でオーストラリア大陸へ。成田からの離陸間際に荷物棚に向けてシューシューと消毒液を噴射したのが、いかにも黴菌を寄せ付けないぞというデモ・パフォーマンス(笑)
初体験の赤道越え、そして早朝のブリスベーンに到着。ようやくオープンしてもらったレストランで、朝食兼休憩をとった後、簡単なブリスベーンの市内観光。そして動物園のオープンと同時に入場。オーストラリア大陸独自の動物たちとの触れ合い。コアラを抱っこしたり、カンガルー農園での餌づけなど楽しかった。コアラの赤ちゃんを抱っこしたとき、予想に反してかなりズシリと重く、落っことしそうになった。コアラも驚いてTシャツの私の胃の付近に爪を立てて小さなひっかき傷。痛い!これが意外に治りが遅かった。

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バスでゴールドコーストに移動。海岸近くの大型ホテルに宿泊したが、夕食はフリーということで、ツアーデスクで紹介してくれた近くのカジュアルなレストランへ。独り参加は私だけで、カップル、親子、友人同士ばかりなので、少々淋しかった。ステーキはアメリカよりはずーっとまし、ガーリックトーストも美味しかった。愛想も良い(気は利かないが)賑やかなお店だった。

(2)この日は終日フリーなので、現地ツアーのパンフレットで検討した結果。ホテル送迎つきのクルーズで○○島(名前?)へ。参加してびっくり、日本人は私一人(みんなどこへ行ったの~)。大型の遊覧船ではトゥデイをトゥダイと発音するフレンドリーなオーストラリア人がほとんど。現地人の多分アボリジニの血をひくと思われるガイドさんが、英語もろくにしゃべれない私に親切にしてくれて有難かった。英国式に10時には紅茶とクッキーのおやつ。小島の浮かぶ内海風景や船尾につながった水上スキーを楽しむ人を眺めたりしているうちに、○○島へ。島ではバーベキューのランチ。出発まで時間があり浜辺を散策していると、日本人の若い女性ふたりに出会った。そして、たまたま近くに客待ちしていたセスナ機に一緒に乗ることになった。セスナ機と言っても遊覧用で水上離着陸できる小さな機体だったが、上空から見たゴールドコーストやサンクチュアリの緑と湖水の風景はなかなかのものだった。パイロットさんがふざけてアクロバット飛行したのは怖かったが・・・。

夕食はツアーデスクで予約してもらった高級海鮮レストランへロブスターを食べに行った。水槽から魚を選ぶシステムで独りでも1匹!半分はお刺身(まだ動いていた!)、半分は鉄板焼きにしてもらった。味は日本で食べるよりやや大味な感じがしたが・・・。

(3)シドニーへ移動。当時は日本はバブル期だったので、歌手の千昌夫が所有するという高級ホテルなど眺めながら私たちはセカンドクラスのホテルへ。この日はランチまではオペラハウスやハーバーなどの市内観光で、そのあとはフリーになったので、独りで行動した。フェリーに乗って対岸の動物園へ。到着後はロープウエイで動物園へ行く仕組みになっていて、上から動物たちを眺められるのが面白かった。日本のような厳重な管理を感じさせない自然な雰囲気が好ましく、見物客もまばらな広大な動物園を歩いた。

夕食はホテルの裏通りを5分ほど歩いた寿司屋で。古い演歌が流れる店だったが、海外で食べる寿司としては悪くない。北海道のレベルと比べてはいけませぬ。

初めてのシドニーの夜だったが、大問題が発生!なんとバスルームのドアのノブが故障していて、開かなくなってしまった。裸で朝まで過ごすのかとボー然となったが、こうなりゃなんでもするわとガチャガチャバンバン大奮闘~そしてようやく開いた!この時の恐怖体験はのちのちまで響いた。教訓:バスルーム内の電話がある無いの確認。無い場合はドアは開けておく。

(4)一夜明けてまたもや大失敗。持参の時計が狂ったのかと思い込んで、ホテルの室内の時計に合わせてしまったため1時間前にブルーマウン・テンツアー出発のロビーへ。添乗員とのすれ違いもあって結局このツアーをパスしてしまった。

オーストラリア博物館の見学に変更。ビデオ室などでアボリジニ美術の詳しい説明があり、そのオセアニアの大地と結びついた信仰から生まれた芸術に感動した。この後、街のギャラリーでみつけた木片に描かれたドット模様に魚の飾り板を購入。土産物にしてはちょっと高額だったが・・・。

ホテルに戻る途中に名も知らない大木の続く並木道とそれに続く煉瓦造りの美しい英国風教会の佇まいが気に入って、夕刻まで過ごした。独りで教会の中のステンドグラスから差し込む夕日を眺めていると、ここへは誰かが連れてきてくれたような不思議な感じ・・・。

夕食はホテル最上階のレストランでフランス料理。なかなか美味しかった。隣席は同じツアーのシニアのご夫婦だったのでおしゃべり。独りでもいろいろなところへ行って、レストランにもきちんとお洒落して来られてと感心されて、悪い気はしなかった(笑)

(5)この日も一日中フリーで過ごした。当時のハーバーにはショップやレストランもそれほど多くなかった(この15年後にこのハーバー近くからクルーズに出発したのだが、見違えるほど賑やかになっていた)。フィッシュアンドチップスを食べたり、高架を走る電車に乗ったり、ビクトリア朝様式のエリザベスベイハウスの見学など歩き回った。

シドニー最後の夜は中華料理でツアーの人たちと賑やかに食事を楽しんだ。一緒に行動した時間が短かったせいか、同じ札幌在住の人が多かった割に今になってはほとんど記憶にない。

(6)帰国便は夕方成田に到着。羽田発の最終便に間に合わず、成田後泊だった。

フリーの時間の多かったツアーを独り参加でもそれなりに楽しめたのが自信につながった。これから海外の旅を楽しむためには英会話が必須と思い、帰国後は英会話教室に通うことになった。


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