1991初夏の旅(6)フィレンツエ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]
5/18(土)フィレンツェ終日自由行動
この日は一日中独りで行動しました。そのせいかどうか記憶にないのですが写真が見当たりません。美術館はほとんどカメラ禁止だったこともあり、サイトから拝借または当時買い求めた絵葉書をアップします。
ドゥオーモは昨日観ていましたので、後方から斜めに入るセルヴィ通りをたどってオスぺダーレ・デリ・インノチェンティ(孤児養育院)へ。サン・テッシマ・アンヌンツィアータ(受胎告知)広場に面してブルネルスキの設計の建物がたっています。そのアーケードに並ぶ柱の上部におむつにくるまれた幼児のレリーフ(彩色陶板)・・・フィレンツェの輝かしいルネッサンス(人間復興)のシンボルという想いで眺めました。
入口から奥に進みますと中庭。そして階段を上って2階の☆孤児養育院付属の美術館へ。ここの目玉はギルランダイオの代表作「東方三博士の礼拝」で、本来はオスペダーレの付属教会の主祭壇のために制作されたもの。修復したばかりでギルランダイオのひとつの特徴的な鮮やかな赤が印象的でした。
↓現在はボッティチェリの作とされている「聖母子と天使たち」(当時は確かフィリッポ・リッピとあったけれど)
ここからすぐに☆アカデミア美術館があります。
↓ミケランジェロの「ダヴィデ」のオリジナルは大人気。私の写真は酷いものですが、本物の輝きに圧倒されました。ゴリアテを倒そうとしている正義の味方の若きダヴィデ像です。この何年か後にダヴィデの足を傷つけた事件があり、柵で囲まれたらしいのですが、このときは目の前ぎりぎりに刻まれた石の足も観ることができました。
↓入口の近くに並べてあった未完成の大理石(絵葉書)
隣室の絵画部門も見学後、次はここもごく近くにある☆サン・マルコ修道院の美術館へ。ここの画僧だったベアート・アンジェリコによって飾られた修道院はそっくりそのまま美術館といった趣でした。静かな回廊から展示室へ。
↓ アンジェリコ「最後の審判」105×210
↓ 修道院食堂の壁に描かれたギルランダイオ「最後の晩餐」(420×780)フレスコ。背中を見せているユダの足元に猫が一匹。
フィレンツエのギルランダイオの実物をあちこちで見ることができました。当たり前ですが画集よりもずーっと素晴らしい~!
サンロレンツオ教会のあたりには市場が立って賑やかですが、私はまっすぐ☆メディチ家礼拝堂へ。ここではミケランジェロの「昼と夜」や「曙と黄昏」などの鑑賞をしました。狭い空間に多勢の見物客ですから、そのうち気分が悪くなって早々と退散。まだマニエリスムも知らない頃で、先ほどのダヴィデ像に比べると寝そべったたるんだ感じの彫刻にも興味が持てませんでした。
昼食は北京飯店という中華屋さんでスープやエビのチリ炒めなど。久しぶりの白飯でしたが不味いぃ。お口直しに共和国広場の素敵なカフェでカプチーノ。ボーイさんの洗練された物腰、イタリアの美青年でしたが5000リラ!日本円で1000円くらい。
お茶タイムのあとはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会へ。昼休みだったのか?閉まっていて入れません。夫にスエードのジャンバーや自分用にヴェッキオ橋で指輪など買い込んで(このときは再訪問はできないかもと思っていたので)散財。
夕食は昨夜と同じレストランで、リゾットや仔牛肉のフィレンツェ風など。時差ボケもなくぐっすり眠れるようになりました。
☆イタリアの美術館
(7)オスペダーレ・デリ・イノチェンティ付属美術館
(8)アカデミア美術館
(9)サン・マルコ美術館
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