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1992春の旅(9&10)アスワン&アスワン~カイロ [1992春エジプトの旅]

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 この日は昨夜から続いた下痢のため、まったくベットから起き上がれなくなりました。おまけに発熱という最悪の状態です。ついに今日の観光はパスして部屋で休養することになりました。もともと10代に虫垂炎から腹膜炎をおこし、20代後半には胆のう摘出手術を受けた病弱な身です。疲労と慣れない食べ物にやられてしまったのです。

 実に残念でした。この日はエジプトツアーの中でも欠かせない貴重な遺跡のアブシンベル神殿だったからです。写真は長女が撮ってきてくれました。

↓ アブシンベル神殿。ラメセス2世がレ=ハラクティ、アモン、プタハ諸神と自分自身に捧げた大神殿と妃ネフェルタリのためにハトホル神に献じた小神殿があります。アスワン・ハイ・ダムの建造(1960~71)によって人造湖に水没する危険から、ユネスコが中心になって、安全地に解体、移動、再建されました。

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↓フィラエ島のイシス神殿。

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 部屋の掃除に来たルームサービスの若い女性はヌビア人でした。アスワンから南のスーダンまで(上ヌビアと下ヌビア)居住している民族ですが、古代エジプト時代はエジプトの支配下にあったようです。エジプト関連の本に一番美しい黒人とありましたが、この女性のスタイル良さは抜群で、ついジロジロ見てしまいました。変なおばさんと思われたかも(苦笑)。ヌビアの一部もダムの人造湖に沈んだのですが、ユネスコが中心となり水没地域の遺跡の調査と保存工事が1960~70に実施されました。

 この日は一日何も食べずにいましたが、夜になって添乗員さんがお粥をもってきてくれました。少しずついただいて異常がないので、ようやく安心しました。添乗員さんは若い男性でしたが、気が利く方で有難かったです。

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 熱も下がり、ぐっすり眠れました。朝食も消化の良いものを少しいただいて、アスワンを出発。同好の方に梅干をいただいたのですが、これが美味しくてお腹にもやさしいのが分かり、以後の旅は梅干を必ず持参することになりました。カイロまでは飛行機で戻りました。ホテルはエジプトに着いたときに泊まったラメシス・ヒルトンホテルでした。

 カイロでは早速エジプト博物館へ。

↓ エジプト博物館前で。後ろの池に見える草はパピルスです。

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↓ 一番人気はツタンカーメンの部屋。ミイラの納められた棺や黄金のマスク、副葬品など。

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 2時間くらいでは見きれないほどの収蔵品でした。まだ地下に眠っているものも膨大にあるそうです。途中トイレに入ったのですが、係員の女性か観光客かわかりませんが、いきなり床に小さな絨毯をひいて、お祈りを始めたのにはびっくりしました。

 夕食はホテルの近くにある日本食のレストランですき焼き。白菜の代わりにキャベツが入ってました。レストランの女将さんは小池百合子さん(当時はTVのキャスター)の母上で、百合子さんにそっくりでした。

 夜は部屋のバルコニーからカイロの町とナイル川の夜景を眺め「エジプトよ、さようなら~」

 

 

 


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