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1995秋の旅(3)ウィーン [1995秋ヨーロッパ次女と二人旅(3)]

9/3(日)

 朝は雨、午後近くに晴れてきましたが、9月初めとは思えない気温の低い日でした。この日の午前中は英語の半日ツアーで市内観光。オペラ座前が集合場所で、ウィーンの森を散歩とお茶タイム。そしてシェーンブルク宮殿の観光というルートでした。

↓シェーンブルク宮殿の庭園

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 マリー・テレジアのイエローの外壁が美しい宮殿。内部も見学しましたが記憶が薄れてます。

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 観光バスツアーは終わり市内に戻り解散。オペラ座の近くのレストランで、ウィーン名物のヴィーナーシュニッツェルのランチ。ビールも美味しくいただきました。観光客より地元のお客さんも多いお店で、隣の男性グループが賑やかでした。

↓レストランの前で

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↓モーツアルト像の前で

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 私たち母娘のウィーンでの第一の目的は「ウィーン美術史美術館」です。午後からはここで過ごしました。

☆ウィーン美術史美術館(初)

 1891年に公開美術館として開館。絵画、彫刻、工芸、古代美術など。元来は15世紀に遡るパプスブルク家の蒐集で、特にティロルのフェルディナント大侯とプラハの皇帝ルドルフ二世のコレクションが基礎になっています。前者はチェリーニの塩壺、ラファッエロの「牧場の聖母子」。後者はデューラーとP・ブリューゲル(父)の大コレクションに由来するものです。

ウィ-ン美術史美術館はヨーロッパ、いや世界でも超有名な美術館ですから、広大な内部に膨大なコレクション、もう目がまわりそうでした。初回は主に絵画部門だけを見学。3時間×2日=6時間かかりました。回った順番はすでに記憶にはなく、また初回では超有名な作品がどうしても印象に残ります。ということで、トップはやはり

↓ピーテル・ブリューゲル(父)の「バベルの塔」(1563)114×155 前年訪れたロッテルダムのボイマンスのものに比べると、縦、横ともサイズは2倍くらいあり、画面左下に塔建造を指導したニムロデ王の一団が描かれています。

ブリューゲル1.jpeg

エイク以来のネーデルランド絵画史上最後の巨匠といわれるブリューゲル。作品は油彩、テンペラ画は40数枚が現存していますが、ここウィーン美術史美術館のコレクションが一番充実しています。「農民の婚宴」「農民の踊り」「雪中の狩人」など、農民の祝祭風景や日々の営みの描写に惹かれました。

同名の長男ピーテルと次男のヤンも画家として活躍しました。ピーテル(子)のほうは父の模写が多いのですが、ヤンは森の風景、花などを輝く色彩で描き「ビロードのブリューゲル」と呼ばれ、ルーベンスとの共同制作「花輪の聖母子」もあります。

↓ヤン・ブリューゲルの「青い花瓶の花」(1608)66×50.5

ヤン・ブリューゲル1.jpeg

↓アルチンボルド「火/四大元素」(1566)66.5×51  Giuseppe Arcimboldoはミラノ出身のマニエリスムの画家。果物や道具などを組み合わせて人物像を表す奇抜な静物画を描いて有名です。なかでもウィーン美術史美術館のこの一枚は強烈。耳は金羊毛皮勲章、大砲や銃器なども描かれ、反戦的なメッセージもあります。ルドルフ二世により宮廷伯に任じられ活躍。

アルチンボルド1.jpeg

 特に楽しみだったフェルメールの「絵画の寓意」は午後からの西日がまともにあたる展示、ガラスが反射して鑑賞するには最悪の状態でした。ルーベンス、クラナハやデューラーなど。半分ほど巡ったあとは

 ↓館内の素敵なカフェでケーキ(初ザッハートルテ)とコーヒーで休憩。

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 帰る途中アルベルティーナ素描館にも寄ってみましたが、終日は開けていないようで、閉まっていました。

ウィーン6.jpeg

 どうしても日本食が食べたいという娘とオペラ座近くの和食屋で夕食。和食屋さんではオペラ観劇前の日本人がお蕎麦など食べていましたが、夕食にお蕎麦しか食べられないなんて可哀そう~と思ったりして…全然オペラに関心がなかった頃でしたから(笑)。地下鉄でホテルに戻りましたが、パリのメトロに比べると、治安は格段に良いウィーンでした。明日からは4泊の小旅行に出かけますので、荷造りなどして就寝。


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