1995秋の旅(6&7)プラハ~ブダペスト [1995秋ヨーロッパ次女と二人旅(3)]
9/6(水)
プラハのホテルを7:30に出発して、ハンガリーの首都ブダペストへ向かいました。ところが途中通過のスロバキアに入ったところで、バスのドライバーさんが体調不良で、運転を続けることができなくなりました。代わりの運転手さんがウィーンから来るまで、ここで待つことになりました。携帯電話がなかなか繋がらなかったり・・・非番だからと断られたり・・・ドタバタして、ようやく代わりの運転手さんが来たのがなんと!数時間後になってしまったのです。このトラブルで一番いらいらしたのは私たち日本人だったかも。運転手さんは青い顔をして横になってはいますが、救急車を呼ぶほどでもないのですが、他の方たちはまず病人の心配、そして少しも怒らず平常心で待ち続けます。これには感心しきりでした。ドライブインのところでストップしたので、食べるものやトイレの心配のなかったのが幸いでしたが、ほとほと疲れました。
ようやく出発したのですが、ハンガリーの入国審査ではブラジル人と日本人のパスポート・チェックに時間がかかり、パスポートが戻ってきません。30分も待ったりしているうちに日が暮れてきました。ブラジルからの中年の女性はここでは憤慨していました。「私たちと日本人のどこが問題だっていうの!」って。彼女たちは教員をしているそうで、教え子の子供たちにお土産をいっぱい買っていました。パスポート・コントロールで一番問題なしだったのはやはりというべきか米国人。自慢してましたね~「これで世界中どこでもOK」 とか言って。
ブダペストのホテルに着いたのは夜9:30にもなっていました。ホテルのレストランで遅い夕食。プラハからブダペストは地図上では数百キロの距離ですが、通常の倍以上かかっての移動でした。疲労困憊で就寝。メルキュール・コロナホテル2泊。
9/7(木)
前日の疲れも熟睡したので回復したようです。嫌なことは忘れて、プラハに続いて中欧のハンガリーの首都ブダペスト観光を楽しみました。ブダペストの街を南北に流れるドナウ川が西ブダ側と東のペスト側に分けています。ブダ側は丘陵地帯で、王宮の丘には中世の面影の残りる建物や街並み、そして素晴らしい眺望が広がります。ご存知のようにハンガリーはパプスブルク王朝の支配を200年受け、独立戦争の敗北から国は疲弊。大戦後はソ連の社会主義体制に組み込まれ、屈辱と波乱に満ちた歴史をたどってきました。1989年のソビエト体制変革までにも徐々に自由化を進めて行ったハンガリーの役割は大きかったですし、スムーズに民主的な政治に移行できたのは誇りでしょう。
↓王宮の丘からの眺め。ドナウの向こうに国会議事堂が見えました。
↓鎖橋の方面
↓聖マーチャーシュ教会/原形は13世紀ゴシック様式で建てられましたが、16世紀のトルコ占領時にはモスクに改装されていた時もあったそうです。17世紀後半のトルコ撤退後はバロックに様式で修復。また後にはゴシック様式で改築。
↓漁夫の砦/教会の背後は城壁のテラスになっていて、白い石造りの丸い塔や回廊が並んでいます。
ドナウ川を渡ってペスト側の観光は国会議事堂と英雄広場へ。
↓英雄広場で記念撮影。
ここでは衛兵の交代セレモニーの見学をしましたが、私が気になったのは広場に向かって左に建つブダペスト国立西洋美術館・・・でもここには寄りませんでしたので、このとき現地ガイドさんに英雄広場に来る交通手段をききました。Mラインのステーションがあるからとのこと。てっきり地下鉄と思いこんでしまったのです。
ランチはハンガリースタイルの素敵な内装のレストランで、郷土料理のメニューもグヤーシュなど美味。雰囲気も良くて、ツアーのメンバーとも打ち解けて楽しいお食事でした。フレンドリーで何かにつけてサンキューを忘れない笑顔のアメリカ人の中年のご夫婦。共働きだそうですが夏休みはヨーロッパ巡りが楽しみだそうです。アメリカ人は長期の休暇はリゾートへ行く人が多いので、ご本人たちも少数派かもと笑ってらっしゃいました。
さてランチの後はお待ちかねのフリータイム。ブダペストは治安も問題なさそうなので、娘とは別行動で、私は西洋美術館を目指して、近くの地下鉄の駅へ。ところが地図にもあるM○○ラインのしるしを辿っていくと地上に出てしまいます。「あれれ?」困って迷っている私に、何人かが声をかけてくれて親切でした。そのなかで英語のできる女性の方のアウトブスという言葉でようやく分かりました。Mラインはバス路線でステーションはバス停だったのです。ということでようやく目指す美術館に着いたのは閉館の1時間前でした。下の写真は朝、英雄広場から撮ったもので、観光バスがズラリと並んでいます。午後遅くに来たときは衛兵の交代セレモニーもないためか、閑散としていました。
焦って入館しイタリア絵画の展示室にまっしぐら~。お目当ての絵画は
↓カルロ・クリヴェッリ「玉座の聖母子」(1476)106.5×56 アスコリ・ピチエーノのサン・ドミニコ聖堂旧蔵。「殉教者聖ぺトルス多翼祭壇画」の中央パネル。全部で5枚のパネルはブダペストとロンドンに分散。数ある玉座の聖母子のひとつです。茶色系の落ち着いた色調で、全般にエレガントな雰囲気をたたえ、聖母の眼差しがクリヴェッリの特徴の怜悧で気品ある美しさ。幼子イエスは梨を持つ。台座に署名あり。
参考書の「西洋絵画作品名辞典」にこの作品が、ブダペストにあると知ってから、楽しみにしていました。当時はあまり知られていませんでしたから、このチャンスに観ることができて本当に嬉しかったです。他にも記憶に残った作品をご紹介します。(画像は美術館のHPから)
↓ゴヤ「刀とぎ屋」(1808-12)68×150.5
↓グレコ「受胎告知」(1600頃)91×66.5
↓クラナハ「ヨハネの首を持つサロメ」(1530頃)87×58
もう閉館まじかなのに、次女が来館。急いで見どころを案内して回りました。係員が近くに現代アートの美術館もあるのでぜひ行ってみてと勧められたのですが、もう明日発つので・・・。バスのドライバーさんの事件があったので、半日ロス。ブダペストはたったの一日しか時間のなかったのは本当に残念でした。日本でこういうことがあったら、返金の対象になると思うのですが、そういう話は一切なくて、なんとなく割り切れませんでした。
夜は大きなハンガリー酒場で民族舞踊や歌などを聴きながら、皆で食事&記念撮影をしました。それぞれの国民性が如実にあらわれていて面白い写真です。うちイスラエルのお医者さん夫婦はこの日患者さんの具合が悪くなったと急遽帰国。フランス人のご夫婦は別のレストランに行ったので写真に写ってません。一番グループになじまなかったのはフランス人夫婦で「お高く留まってる」みたいな感じという人もいて。最後の夜だし・・・(笑)
↓集合写真(私たち以外は全員外国人だからクレームはでないでしょう)。前列左、足を組んでる4人は明るくかっこいいイタリア人たち、右にユダヤ人のちびっこ夫婦、その右端がフレンドリーなアメリカ人夫婦。後列もアメリカ、韓国、日本、イスラエル、ブラジル、南ア連邦からの参加者たち。
最後はご夫婦の方たちのダンスもあって、それがとてもオリジナリティにあふれた面白さ。可笑しくって娘と涙が出るほど笑いました。これまでは一概に国民性って言えないなと思っていましたが、この時はそれぞれがナショナリティにあふれた存在なのだと強く認識させられた体験になりました。皆いろいろな国で生まれて育って、いろいろな人生を背負って生きてきたけれど・・・ここでは皆明るく楽しい宵を過ごしています・・・なんかいいな~。旅はいいな~。ホッコリとした気持ちで迎えのバスに乗りホテルに戻りました。
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