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1996春の旅(5)ハノイ~フエ [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

3/10(日)ハノイ15:00→フエ16:30

フエ/センチュリー・リバーサイドホテル2泊

 9:00にホテルを出発して、一昨日に続いてのハノイの観光です。バスでホーチミン廟ほかを回りました。

↓ホーチミン廟の前は日曜日でしたから、観光客や修学旅行の生徒たちに交じって地元のお参りの人たちも多く、長い行列です。兵士のようなガードマンの監視も厳しいところでした。

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 ホーチミンはベトナム革命の指導者であり、初代のベトナム共和国の主席をつとめ、国民から絶大な人気を集めました。革命によって権力を握った共産党指導者スターリンや毛沢東が独裁的になって反対派を粛清する例が多いのに対し、ホー・チ・ミンは、腐敗や汚職に無縁で、禁欲的で無私な指導者であり、自らが個人崇拝の対象になることも嫌っていたということです。ですが、火葬にしてほしいという遺言も無視され永久保存されて、ホーチミン廟に安置されているのです。

↓ようやく辿り着いた総大理石造りのホーチミン廟の前で

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 すっかり神格化されたホーチミンの遺体はものものしい警戒のもと、ガラス越しに見学しました。そしてホーチミン博物館や一柱寺へ。

↓ホーチミン博物館ホール

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廟や博物館の建てられた広大なエリアには土産物店やトイレもあります。ところがここのトイレは非常にお粗末なもので、仕切の壁もなく、皆並んで、水の流れる溝に大小の排泄物を落とす仕組みなのです。総大理石の立派な建物を観た後でしたから、あまりの落差に仰天しました。庶民をないがしろにしているこの国の共産党のあり方に怒りを覚えました。サイゴン陥落から20年たって、ようやくドイモイ政策という経済改革も実を結びつつあったころでしたが、同じ戦後20年とはいえ日本の敗戦後の復興が奇跡のように思えました。

 ハノイの繁華街にあるホアンキン湖の公園では靴磨きの少年たちがいました。日本語はできないので怪しげな英語ですが、なかでも酷い身なりの少年がいたので、この子に磨いてもらおうとしたら、親分のような少年がこの子は駄目だといって追い払ってしまったのです。しかも料金は1ドルと言ったのに、払うときになって、左右両方だから2ドルって(片方だけ磨くはずないでしょ!)。しつこいので2ドル払って、集合場所へ向かったら、さきほどの追い払われた少年が涙目で立っていました。この子にも2ドルあげました。靴磨きの道具の入ったブリキの缶を抱えて、仲間外れにされていた哀れな少年の姿は忘れられません。

昼食は日本食堂らんでお弁当をいただき、バスで空港へ。午後3時ごろのベトナム航空で古都フエに飛びました。ハノイではおんぼろバスの中にいた蚊に刺されたこと、ホテルの電気のコンセントを少し濡れた手で触ったらビーッと肩まで感電したこと、悲惨な公衆トイレ、靴磨きの浮浪児たち・・・と、嫌なことが多く(今思えば貴重な体験でしたが)、これからどうなるのかしら~。

 フエのホテルはフォン川沿いに建つセンチュリーリバーサイドホテル。部屋は広いのですが、少しトイレ臭がして?すごく臭った部屋もあったそうです。一応バスタブ付きですがお湯が出ません。訊くと電気温水器のスイッチは入れたばかりなんですって・・・。私はシングルで間に合いましたが、小さな電気温水器なので、ツインの方たちはお湯が足りなかったようです。

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大きなホテルなので館内に陶器の店があり、小さい安南染付の水煙草入れを買いました。撮影は2015.9(i Phone)。戸棚の奥から出してみたら、金属の部分が腐食していました。竹の棒はキセルです。大きさといい携帯用に使っていたものでしょう。

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当時骨董品が流出して問題になっていましたので、この陶器は貴重なアンティークではないという証明書を書いてもらいました。日本円で3000円くらいでした。飛行機で移動するとき手荷物に入れて、検査の時この証明書を見せるのです。実際どこの空港かは忘れましたが、何百円かの壺を露店で買って、スーツケースに入れてしまって、空港で呼び出されたツアーのお仲間が居ました。夕食はホテルのレストランで。以前夫がW社のツアーでギリシアへ行ったときにご一緒だったM夫妻が参加されてました。夫が私の悪妻ぶりを暴露していましたので、気取る必要なし(笑)。話が弾みました。


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