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1999春の旅(11)アレッポ~(エブラ&ハマー)~ホムス [1999春シリア・ヨルダンの旅]

4/24(土)

 この日はまず、アレッポのスークの見学とショピングを愉しみました。シリアの人々の日常に触れることができ、スークのアラビアチックな異空間もとても印象深いモノでした。

↓スークの石積の天井に小さな明り取り窓が幻想的。

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↓ロバも通行してます

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 休日の翌日だったこともあり、人出はそう多くなく、シャッターを下ろしている店もちらほらでしたが、

↓肉屋さんらしき店先に不思議なモノが・・・ガイドさんに訊くと羊のひずめとか。スープとかシチューに使うのでしょうか?

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↓こちらは串焼き屋さん。炭火で焼いてました。

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↓臓物屋さん?右に選挙?のポスター。シリアは軍事国家なので、アサド大統領(父)をはじめ強面の軍人さんのポスターが目につきます。

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↓ オリーブの漬物や香辛料を売る食料品屋さん。ユダヤ系らしく左上に貼ってあるポスターも普通の人。

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↓八百屋やさん。中東料理は前菜の種類も多く野菜も美味しかったです。

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↓スークの雑貨屋さんのおじさん。ここでオリーブ石鹸を10個ほど購入しました。当時日本ではソニープラザでしか売ってませんでしたし、値段も500円以上してましたから、1/5~1/10くらいでゲット。友人たちへのお土産に喜ばれました。

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 ツアーの全員がオリーブ石鹸を購入しましたから、おじさんも大忙し。長い棒状のものをカットするので時間もかかりました。

↓スークの近くの古い民家。2階に木製の張り出し部屋がついています。

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 アレッポの街歩きをもう少ししたかったのですが、急かされるようにバスに乗り南下。古代都市国家エブラの遺跡を見学しました。といっても建造物らしきは残っていません。緑の小麦畑や野原に囲まれた丘の上の廃墟に爽やかな風が吹き、崩れた石の陰にポピーやアザミが咲いていました。

★エブラ遺跡   アレッポの南西、数十キロのTell Mardikh(テル・マルディーフ)という丘に位置し、BC3000年後半とBC2000年前半の2つの時期に重要な都市国家でした。その名前はシュメール語の資料などで知られていたのですが、1964年からのイタリアの発掘調査によってTell Mardikhが古代のエブラであることが判明。1975年には文書庫から大量の楔形文字の粘土板が発掘され、大きな注目を浴びました。旧約聖書の「創世記」につながる言葉も記され、ここにアブラハムが一時居留していたかもなど、憶測されています。

↓エブラ遺跡の丘

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↓文書庫は雨などを防ぐためカバーで覆われています。

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エブラがヒッタイトの王により破壊されたのはBC1650年から1600年とされ、その時の焼き討ちで粘土板が焼かれたため強固になり、良好な状態での発見につながったそうです。

↓遺跡の石も焼かれた跡が黒く残っていました。

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 次はまた南下しハマーの町に入りました。ハマーに来るまでは大水車の回るのどかな町としか知らなかった無知な私でした。1982年アサド政権(現在のアサド大統領の父)のもとで蜂起したムスリム同胞団の鎮圧を目的とした焦土作戦で多くの一般市民が巻き添えになった「ハマーの虐殺」のあったところだったのです。古都として知られていた歴史あるハマーの町は大部分失われたと聞きました。怨念は残らないものかな~と気がかりだったのですが、まさかこの訪問時から十年少しで、ここを反政府軍の拠点とした「シリア内戦」が始まるとは・・・。

↓オロンテス河畔の4つの水車のあるテラス・レストランFour Noviaで昼食をとりました。

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ハマーではどこも観光せずに食後はまたバスに乗り、十字軍の砦、イスラム時代は要塞として使われたクラック・デュ・シュバリエへ。

★クラック・デュ・シュバリエ(カラート・アル・ホスン)はシリアの世界遺産(2006年登録)です。1142年から1171年まで、十字軍の聖ヨハネ騎士団の拠点として、ホムスの西40Kの標高650Mの峰に築城。1271年にマルムーク朝の王の計略にはまり、城を明け渡してしまいました。その後礼拝堂はモスクに変えられ、対十字軍の前線基地として使われました。十字軍撤退後はマルムーク朝の副王の居城となり、20世紀になってフランスの文化財保護の関係者が訪れた時は農民500人が住みついていたそうです。それらを移住させ本格的に修復。歴史的にも重要なロマネスク様式の名城として知られています。

↓南方向上空より(Google earth)

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↓教会はゴシック様式です

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↓内部の見学が済み、城壁の周りを散策しました。

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 この日はホムスのサフィールホテルに1泊しました。一人旅の女性3人が同じ番号の部屋というので、どうしたのかしら?とドアを開けてびっくり3部屋に分かれた個室と大きな食堂のスィートルームでした。3人でじゃんけんして負けたので、お姫様タイプの部屋を逃しました。私は侍女の部屋(笑)でしたが、それでも広い~。

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 夕食はホテル内のレストランで。旅もそろそろ終わりに近くなりました。食後もスィート組の3人は行き来が簡単なので、おしゃべり・・・あれこれ。


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