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1993春の旅(1)札幌~ベルリン [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]

 2年前のイタリアルネッサンスツアーから始まった西欧美術への関心はますます強くなり、カルチャー教室での新しい友人にも恵まれ、美術愛好家への道を一直線です。子育て終了後の空の巣症候群などにも「何のお話?」みたいな感じでした。

 さて1年前のエジプト&パリから帰った時は「来年行けたらヨーロッパへ行こうね」と娘たちとの確実な約束を避けていたのですが・・・敵もさるもの、なんとなく丸め込まれた感じですが、翌年は長女も就職していることですし、高校3年になる次女は夏までに推薦入試を勝ち取るからとの力強いお言葉。それならと、娘たちの春休みに母娘3人でヨーロッパの美術館めぐりに出かけることになりました。

 ☆スケジュール

札幌→羽田/成田→フランクフルト乗り換え→ベルリン(2)→アムステルダム(2)→パリ(4)→ロンドン(4)→フランクフルト乗り換え→成田→札幌(12泊14日)

↓MAP

 

 飛行機のチケットとホテルの予約だけ旅行代理店で済ませました。航空券はヨーロッパ内のフライトが多かったせいか(その頃は格安航空会社もなく)総費用の半分という高額なものになってしまいました。

3/12  千歳8:20→羽田9:50....成田14:05→フランクフルト18:15/19:30→ベルリン20:35

 成田からの国際線はルフトハンザ航空。空席がほとんどで、私は娘たちと別れて後方に移動しましたが、どこにしようかと迷うほどがら空き。席の仕切りを倒して横になってリラックスしていました。娘たちはFAさんに「コックピット見る?」と誘われて、操縦席へ行ったそうです。機長さんも優しく、とても親切にしていただいたそうですが、まるで子ども扱いだったとか(笑)。中学生と高校生くらいにしかみえなかったのでしょう。乗客を飛行中に操縦席に入れることなど今なら考えられないことですが・・・のんびりした時代でした。

 フランクフルトではベルリン行きのフライトが30分ほど遅れ、ゲートで結局1時間ほど待ちました。まだベルリンの壁が崩れてから3年余りしかたっていない頃でしたから、ベルリン行きの乗客たちは目の鋭い人が多く、その人たちからジロジロ穴の開くほど見られたのが強く印象に残っています。のほほんとした母娘がロマンチック街道ならいざしらず、ベルリンに何しに行くのかと思ってるみたいでした。

 さて、ベルリン・テーゲル空港には夜も更けて10時過ぎに到着。荷物受取のターンテーブル近くの両替屋さんはもう閉まっています。日本円をマルクに変えなければタクシーにも乗れませんから困りました。結局ずいぶん歩いてコの字型の空港の端にようやく1カ所見つけ、無事マルクをゲット。タクシーでホテルへ。

 タクシーから見えるベルリンの街は暗く、パリに比べると武骨な建物に落書きだらけ。ドイツ語も全然できない私たち…正直選択を間違えたかもと後悔しました。ホテルはベルリンの繁華街クーダムに近いマークホテル。部屋はドアを開けると右にバスルーム(バスタブ付き)、奥に2室あり、広いファミリータイプ。質素ですが清潔でぐっすり眠れました。


タグ:ベルリン
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1993春の旅(2-1)ベルリン [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]

3/12

 夜明けにガラガラ、ゴーゴーというごみ収集車の音で目覚めました。初めてのドイツの朝食はパンもソーセージやハム類もとても美味しく、食いしん坊の私たちは大満足でした。

 さて、ベルリンに2泊といっても実質は今日一日しか時間がありません。街の観光は後回しにして、近くのクーダム駅から地下鉄でダーレムへ。切符売り場で係りの人の勧めるままに切符を購入。電車は郊外にでると地上を走ります。電車で向かいに座っていた老婦人が次女が爪の逆剥けが痛いと言ってるのを聞いて、ご親切に小さな鋏を貸してくれました。言葉は通じなくても、遠方からの観光客を大事にしてくれるお気持ちが嬉しかったです。

 ダーレムの駅に着いて駅員さんに切符を渡そうとすると受け取らないで何とかというので、一日フリー切符だと判明(汗)駅前には案内の矢印が見えましたがすべてドイツ語です。近辺は私たちの目的のダーレム美術館のほかにも博物館なども多いようで、どれがどれだか分かりません。次女がギャラリーみたいなこと書いてあるというので、そちらに向かって歩きました。迷いながらようやく到着。

↓実際はこのミュージアムの裏側が絵画館だったのですが

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 入館しても係員は英語のできない人が多く、博物館の展示室を幾つも通過して、なんとか絵画館の棟に辿り着きました。当時のベルリンはこのギャラリーを含めて詳しい情報があまりなく、薄いガイドブックをたよりに出発したため、訪問してみて相当に充実したコレクションの数々に展示室を移動しながら「あら~!あれもこれも」と驚くばかりでした。いうまでもなくベルリンの美術館のたどった運命は過酷なものでした。ヒトラーの美術品迫害、大戦の戦火、そして東西の分裂という災難…それを乗り越えてきた収蔵品を古い建物の板敷の床を踏みつつ鑑賞しました。

☆ダーレム美術館(初)コレクションは現在ベルリン絵画ギャラリーへ移動しています

↓私達が気に入って、勝手に「ダーレムの少女」と名前をつけたPetrus Christusクリストゥス(1410/15~73)の「婦人の肖像」(絵葉書)

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冷たい生硬な感覚がピシっと引き締まった画面を作りあげて印象的な作品です。クリストゥスはファン・エイクの死後、工房の後継者としてブルージュで活躍した画家です。古都ブルージュの繁栄が終焉を迎えたのは、この肖像画の描かれた約40年後。寂しげに未来をみつめる少女です。

他はファン・エイクの「教会の聖母」「ジョバンニ・アルノフィーニの肖像」をはじめ、ウェイデン、グース、メムリンク、ブリューゲルなどの初期ネーデルランド絵画も充実しています。

 そして、Lucas Cranach クラナハ(1472~1553) の部屋。ドイツ・ルネサンスの画家には1室が与えられていて「青春の泉」を中心に左右に「ヴィーナス」と「アモール」、他は「エジプトの逃避」や「ルクレティア」など。クラナハをこれほどまとめて観たのはもちろん初めてでしたから、母娘3人で手を握らんばかり(笑)クラナハの描く女性の不思議な色気は現代的なセンスに近いものがあると思いました。

↓Rembrandt Harmensz.van Rijnレンブラント(1606~1669)の「ベレー帽をかぶった自画像」と「十戒の板を打ち壊そうとするモーセ」

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レンブラント専用の部屋に「スザンナの水浴」「橋のある風景」など名作揃い。レンブラントのほかの17世紀のフランドル、オランダ絵画も素晴らしいコレクションです。フランス・ハルスの「マレ・バッべ(気違い女)」の大胆な筆致!

 そしてJan Vermeer フェルメール(1632~1675)の「真珠の首飾りをつける婦人」と「ワインのグラス」の2点。なにしろ現存作がわずかに35点ほどという寡作の画家です。昨年のルーブルに続いて貴重なコレクションに巡り合えました。

↓念願のフェルメールの前で長女が記念撮影

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↓フェルメール「ワインのグラス」

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↓ Peer Paiul Rubensルーベンス(1577~1640)の「アンドロメダ」

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 ほかにも印象深い作品が多数で、書ききれません。回っている途中で前首相だった海部俊樹さん(いつもの水玉のネクタイの)をお見かけしました。ダーレムの近くに日本大使館があったので、見学に来られたと思うのですが、随行員の方たちに促されるまで熱心にご覧でした。

 ダーレム美術館の後は地下鉄移動。降りた駅からはずいぶん歩きました。道を尋ねながらようやくシャルロッテンブルク宮殿へ。この時は宮殿内にロココ絵画の名品が所蔵されていることも知りませんでした。道路をへだてて建つエジプト美術館が目的だったため、宮殿は外観を眺めただけで時間もなく入館しませんでした。

↓ 後方がシャルロッテンブルク宮殿です。次女と。

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 ベルリンのエジプト博物館には古代エジプトのアマルナ美術の傑作「ネフェルティティ王妃の胸像」があります。前年の1992年春、一連のイスラム原理主義によるテロの頻発する前に、ネフェルティティの住んでいた土地(テル・エル・アマルナ、ここで発掘された)を訪れていたこともあって、王妃の彫刻を観たかったのです。

☆エジプト博物館(初)コレクションは現在は博物館島の新博物館に移動しています

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 ドームの下が螺旋階段の吹き抜けになっていて、下から見上げると2階部分にネフェルティティの像が暗い部屋にスポットライトを浴びて浮かんでいました。3000年前のものとは信じられない造形と色彩美。

↓ ようやく会えました「ネフェルティティ王妃の胸像」と手を握って仲良しの「夫婦の像」

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↓ エジプト博物館前で

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見学後、宮殿の見えるレストランで昼食。ドイツは食事があまり美味しくないとの前評判でしたが、ここの牛肉とキャベツのトマト煮は特に娘たちに好評でした。

~続きます。


 


1993春の旅(2-2)ベルリン [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]

~続きです。

 初めてのドイツにベルリンを選んだのはやはり、ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一されたことが大きかったので、ランチの後はブランデンブルグ門へ向かいました。門の周辺には壁の欠片(かけら)を売っているショップや、ロシア人たちの露店などが営業中。

↓ブランデンブルグ門西側から

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↓門をくぐり抜けて東側へ。

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 東側に並んだ建物はまだ整備されていないところが多く、門に向って左サイドの現在は高級ホテルになっているビルはショーウィンドーのガラスも壊れたままになっていました。この後急ピッチで再興が進み、10年後の2003年に再訪した時は西側と変わらない華やかな広場になっていました。余談ですが、テレビが普及する前の小中学生だった頃、海外ニュースは映画館で(今でいえば予告編の時間帯)見ることが多くかったのですが、なかでも強烈な印象だったのがベルリンの映像でした。東側から壁を乗り越えようとする人を撃って殺してしまう場面です。子供心になんて理不尽な!と怒りと哀しみで震えました。そんな記憶もベルリンに来させたひとつの原因だったかも知れません。壁の欠片を記念に買うと露店に駆け寄る娘たち・・・戦後の平和な日本に生まれ育った有難味をつくづく感じました。今思えばあのころは東西の緊張も解けて、これからは時間はかかっても民主的なより良い世界が開かれていくという希望がありましたね。

 さて、ブランデンブルグ広場からまっすぐウンター・デン・リンデン大通りを歩き、博物館島へ。シュプレー川沿いに見えたいくつかの美術館や博物館はまだ閉鎖中のところも多く、壁には弾痕もまだ残ったままの建物も。そのなかでペルガモン博物館は堂々と正面をシュプレー川に向かって建っていました。

↓ペルガモン博物館

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 正面玄関を入りますと「ゼウスの大祭壇」、日本語のオーディオガイドもありました。展示物のスケールの大きさに驚きながら、イシュタール門やミレトスの市場門など見学しました。

↓ペルガモン王国「ゼウスの祭壇」BC2 大理石大祭壇と周囲の神話に彩られた浮彫。絵葉書です。

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↓北フリーズの女神

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↓古代都市バビロンのイシュタール門は彩釉煉瓦による浮彫の巨大な門(BC1)。ネブカドネザル2世によって再興されたバビロンの城砦の内壁にあった市門。ドイツのバビロン発掘(1899~1917)によって持ち帰り復元。絵葉書(部分)。

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 ペルガモン博物館の壮大なコレクションに圧倒され、感動の見学体験でした。この後は近くの地下鉄を目指して歩いているうちに戦前のアメリカ映画「グランド・ホテル」の舞台になったという現在はウエスティン・グランドホテルの前を通りがかり覗いたり(ロビーのど真ん中に大きな階段が見えました)・・・実は10年後にここに泊まりました。

↓ ネットで見つけた「グランド・ホテル」に主演したグレタ・ガルボの写真。相手役はジョン・バリモア。日本公開は1933とのこと。帰国後、旧いDVDが500円で売られていたので購入しましたが、まだ観ていません。手元に置いてあるといつでも見られると思ってしまって・・・汗。

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 結局疲れて、この付近からタクシーでホテルに戻りました。夕食はホテル近くのドイツ料理店で。レストランの名前は忘れましたが、かなり流行っていた老舗だったのですが、現在は無くなったみたいです。お勧めの肉料理(煮込み)を娘たちがいただきました。私は違うものをとコールドミートを選んで失敗しましたが、名残惜しい気持ちで、楽しいベルリンの夜を過ごしました。


1993春の旅(3)ベルリン~アムステルダム [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]

3/14(日)ベルリン11:00→フランクフルト12:10/12:55→アムステルダム14:00

  ベルリンに着いたときは違和感がありましたが、昨日一日でずいぶん印象が変わりました。戦前のベルリンが輝いていた時代からナチの台頭する戦禍の時代、そしてこれから新しく統一された街に変貌するベルリンを期待を込めて、また来る日を願ってお別れ・・・。

↓ホテルの前で(マイネケ通り)。この通りには1階がレストラン、上階はホテルというスタイルのプチホテル(ドイツ語ではなんというのでしょうか?)が並んでいました。

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 フランクフルトを経由してアムステルダムに到着。アムステルダムも初訪問でした。ホテルまでタクシー移動しましたが、アムステルダムの特徴ある細長く破風を持つ家並みが予想を超えて、延々と運河沿いに続くのに感嘆しつつホテルへ。宿は国立美術館からも近い運河に面した中級クラスのパルクホテル。建物は古く、エレベーターも旧式で少々怖い感じでしたが、部屋はベットが3つ並んだ大きい部屋。レセプションの傍らにロッカー式になった貴重品預かりや目の前の運河からボートツアーにも乗船できるという便利なロケーションも◎でした。

↓ 荷物を置いて、早速徒歩数分のゴッホ・美術館へ。閉館まで過ごしました。

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☆ファン・ゴッホ・美術館(初)

「炎の画家」と呼ばれる後期印象派のVincent Van Goghゴッホ(1853~1890)。オランダ生まれのゴッホが37歳で自らの命を絶つまでの数々の傑作が、ここオランダの誇る美術館(1973年開館)に収蔵されています。メインフロアは2Fで製作の年代別に順に鑑賞できるようになっています。初期ヌエネン時代の「農夫の家庭」(1885)は後の色彩豊かな「ひまわり」などの作品とは違って暗いモノクロに近い色調ですが、ゴッホの心象風景でしょうか、画家の温かいまなざしも感じ印象的。

↓パリ時代の「グレーのフェルト帽をかぶった自画像」(1887)&アルル時代の「アイリス」(1889)

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↓「アルルのゴッホの家」(1888)

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↓オーヴェール時代の最後の作品「カラスのいる麦畑」(1890)

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 油彩200点のほかデッサンや手紙、親交のあったゴーギャンの作品なども展示されています。母娘3人は夢中になって館内を巡り、もう閉館です~の声に追い出されるように退出しました。

 ↓写真の後に見える塔のある建物がホテルです。

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 夕食は記憶にないので、多分ホテル内のレストランで済ませたのでしょう。古い建物のせいか外の騒音がかなりするとは思いながら、あまり熟睡できずに朝を迎えました。


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1993春の旅(4)アムステルダム [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]

3/15(月)

 この日はあいにくの月曜日。美術館は休館日ということで、一日町の観光をすることになりました。まずホテルの目の前からボートで運河めぐり。

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↓運河に架かる橋が連なって

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↓2時間ほどのボートツアーで市内観光をした後はランチ。そして西教会までトラムで行き、アンネ・フランクの家へ。絵葉書

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 ナチスの目を逃れて1942~1944までアンネとその家族が隠れ住んでいた部屋が残されています。本棚の裏の階段や初恋の人と語らった物干し場への狭い階段なども。アンネの写真も多数。賢そうなまっすぐな眼差しの少女。日記を読んだのは中学生のとき、映画は高校生の頃でした。日記の書かれた思春期のアンネと自分とは同じような年代だったこともあり、それは衝撃的でした。日記の背後にあるナチの犯した罪、同じ人間なのにこれほどの冷酷はいったいどこから来たのかと・・・。人生で一番多忙の時期を経て、こうしてアムステルダムにいる自分といつまでも十代の少女のアンネ。涙がこぼれました。

↓映画「アンネの日記」(1959)のポスター。ミリー・パーキンスが可愛かったです。

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 ↓アムステルダム中央駅。赤レンガのネオ・ルネッサンス様式。東京駅のモデルにもなったそうです。

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 娘たちは別行動で、友達に頼まれたハードロックカフェのTシャツを探して街歩きしてましたが、1本道を間違えて「飾り窓」の小路に迷い込んだそうで、下着姿の女性たちを目撃して、大慌てで帰ってきました。そのころの「地球の歩き方」に危険だから入り込まないようにとあり、売り飛ばされることも…なんて書いてあったのですから、「もお~ここは日本でないのよ!気をつけなきゃ~」とお説教。

↓ 娘たちには馬に念仏?

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↓ 夕食はホテル裏のレストランでイタリアン。パスタが柔らかすぎでしたがまあまあ。入口で。

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 この夜は寒く、疲れもあり持病の咳に悩まされ、あまり熟睡できませんでした。翌朝窓の上部がきちんと閉まってなかったのが判明。風邪をひいてしまったのです。


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1993春の旅(5)アムステルダム~パリ [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]

3/16(火)アムステルダム19:00→パリ20:05

 この日から風邪が悪化していったのですが、念願のアムステルダム博物館はなんとか見学できました。自転車の人たちが猛烈なスピードで博物館の建物の下を通り抜けて行きます。自転車優先道路が網の目のように配置されているアムステルダムらしい風景です。

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☆アムステルダム国立博物館(初)

 オランダで最大規模のアムステルダム国立博物館は17世紀のオランダ絵画黄金時代の画家たちを中心にデルフト陶器、宝飾品など幅広いコレクションを誇っています。

 1階でチケットを買い階段を登ると、ステンドグラスの美しいショップがあります。そこから振り返る方向にギャラリーがあり、奥の突き当りにレンブラントの「夜警」が見えました。

↓レンブラント「夜警(フランス・バ二ング・コック隊長とウィルム・ファン・ロイテンブルフ副官率いる市民隊)」1642/アムステルダム市の新しい市警備隊本部に飾るため注文された集団肖像画。画面がニスのため暗くなったため「夜警」と通称されるようになったそう。画面の構成はさすがにレンブラント、黄金色の制服の副官と左2列目の少女が暗い画面の中で浮かび上がるように描かれて、ドラマチック。

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↓レンブラント「自画像」1629/この自画像は自分の顔にあたる光を研究する目的で描かれたとみられています。レンブラントは生涯を通じて油彩はもとよりデッサンや版画に自分を描き続けましたが、この作品が一番若い(私の知っている中では)レンブラントです。

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↓レンブラント「夜の聖家族」/17世紀当時のオランダの一般家庭の情景に聖家族を融合した作品。揺りかごのなかで眠る幼子の描写はレンブラントがいつも観察していたわが子であったに違いないですね。

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 Frans Halsハルス(1581/85~1666)の素晴らしさに開眼(おおげさですが 笑)したのもこのときのことでした。ハルスはオランダ絵画黄金時代の最初期を代表する肖像画家。ユトレヒト・カラヴァッジョ派の影響を受け、明るい色彩と大胆な筆使い。1620以降から晩年に描かれた風俗画は特に自由な技法を駆使した傑作が多く、近くで観察した筆使いと離れて観た時の印象は本当にアメージング!↓は「庭の夫婦」1622

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 そしてここでの超目玉がフェルメールです。パリのルーブル、ベルリンのダーレムと続いてアムステルダムでの鑑賞は実に恵まれたものでした。小さな展示室でしたが、作品も小型ですからサイズ的にも親密感が持てて最適でした。しかも私たち母娘のほぼ独占状態。長女は特にフェルメールオタクなので、何度もこの部屋にやってきて、係員のおばさんに笑われたそう。

アムステルダムには↓の「青衣の女」1664頃

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のほか「恋文」1670頃、「牛乳を注ぐ女」1658-60頃、「デルフトの小道」1660頃、の計4点があります。他にも注目の作品は多数ですが、翌年再訪してますので、次回にまわしましょう。

 ホテルの部屋は追加料金を払って、夕方までキープ。美術館の後は出発までベットに横になって休養しました。そしてパリに向けて出発しました。

 パリのホテルは凱旋門から徒歩10分くらいの中型ホテル(プルマン・ウィンザーホテル)。3人部屋は広かったのですが、1台が補助ベットだったので、娘たちが互いに譲らず結局じゃんけん。ここで4泊するのでほっとしたのか夜中に発熱・・・。


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1993春の旅(6&7) [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]

3/17(水)

 昨夜からの熱が朝になっても下がらず、この日は一日中ホテルで過ごしました。娘たちは朝から夕方までオルセー美術館やパリの町観光へ。食欲はありませんが3食ともルームサービスしてもらって(おかゆが食べたかった・・・)休養に努め、ようやく快方に向かいました。

3/18(木)

 朝になり、熱も下がりましたので、独りでゆっくり遅めにホテルを出て☆オルセー美術館(2)へ。ここは昨年に続いての再訪です。昨春と同じ3月でしたので、この日もイタリアからの高校の修学旅行生が多く、行列してようやく入場。昨年見逃ししていたシスレーやピサロ、好きなルドンやルソーなど堪能しました。

 体調が悪かったせいだったのかどうか今もって謎ですが、↓ゴッホの「オーヴェールの聖堂」の前に立ったとき、あの教会のガラスの青に目が釘づけになり、引き込まれそうになってめまいがしました。かなり強いめまいでしたから、倒れる寸前でした。このゴッホの魂のこもった作品の前に、弱った身を引きずるようにやってきた私・・・あのとき目にした深いブルーは長く記憶に残りました。その後、あの絵の前に立つことまためまいが起きそうで、ちらっと見るにとどめています。

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 カフェを抜けたところにあるデッサン画のための照明を落とした展示室は行く度に必ず寄るところです。ドガやロートレック、ルドンのパステル画がお目当てです。↓Odilon Redonルドンの「仏陀」「コキューユ/貝」など、ここで初めてルドンのファンになりました。ルドンはパリのプティ・パレ(2006訪問)やオランダのクレラー=ミュラー(1994訪問にもいくつか収蔵されています。

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  ランチは美術館内のレストランで。昨年来た時とは変わっていたのが、日本語のメニューができたこと!あの意地悪おばさんもいなかったのでホッ。そして、はっきりとした記憶がないのですが、娘たちとはここで待ち合わせをして一緒に昼食をとったようです。

↓オルセー美術館の前で

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 先ほどは倒れそうになったことですし、美術館巡りはオルセーだけにしてホテルに戻りました。夕食は凱旋門近くの中華料理店へ。昨年来たお店がなくなった?のか発見できず、裏通りのやや高級な中華レストランに入店。そのころは珍しかったニューヴェル・キジューヌ系の中華でした。私はいまいち食欲がないため評価できませんでしたが、娘たちはチャーハンがないと文句言いながら美味しそうにパクパク。この時の旅では一番贅沢な食事でした。

↓ 夕食の前、ホテルの部屋で

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1993春の旅(8)パリ [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]

3/19(金)

 朝から体調が悪かったのですが、熱は微熱程度ですしせっかくパリに来て寝てもいられません。ホテルからタクシーでマルモッタン美術館へ。ブローニュの森の近く、高級住宅地16区にある邸宅がモネの美術館です。タクシーでミュゼ・マルモッタンといっても発音が悪いのか通じません。仕方なくモネ、モネと連発。ああモネね・・・ウイウイ。

☆マルモッタン美術館(初)

 まず、直行したのがモネのお部屋といいたいところですが、入り口右側のミ二ュアチュールの展示室でウロウロ。(今はモネよりこちらのほうに興味ありですが・・・)広くもない美術館で迷ってしまった母娘3人組でした。
モネは「印象-日の出」、「雪のなかの蒸気機関車」「サン・ラザール駅、ヨーロッパ橋」など。ここやオルセーで初めて知ったのがモリゾやカサットの女流画家たち。柔らかな筆致の中に生活者としての、母としての確かな眼が感じられます。
カイユボットの「パリの通り、雨」(シカゴの習作)なども良かったです。 

↓モネ「印象・日の出」48×63/第一回印象派展に出品。「印象派」という用語はこの絵から生み出されたそうです。(絵葉書)

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モネ雪のなかの蒸気機関車」59×78
故郷の鉄道駅(今は廃線)を懐かしく思い出しました。睡蓮の絵より好き。(絵葉書)

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モリゾ「Au Bal 舞踏会で」
黒い髪と瞳の美しい貴婦人。優雅ななかにストーリーを秘めた作品です。(絵葉書

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↓マルモッタン美術館の前で

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 この後、サンジェルマン・デ・プレに行き、和食のランチ。久しぶりの日本の味に少し食欲も出て、私はお茶漬けを食べました。夕食のために巻き寿司もテイクアウトしてホテルに戻りました。ところが背中が痛くなってきて、それが次第に激痛になり、熱も上昇。明日はロンドンに移動しなければなりませんから、カードの保険会社に電話して、近くのお医者さんに診察を頼みました。まもなくやってきたフランス人の医者さんはこの近くで開業している方でした。太い注射をお尻に打たれました。お薬は長女が処方箋を持って、近くの薬局でもらってきてくれました。これで安心したのか注射も効いたらしく、深い眠りに・・・。


 


1993春の旅(9)パリ~ロンドン [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]

3/20(土)パリ12:10~ロンドン12:20(時差1時間)

 昨夜のフランス人医師の往診のおかげで、なんとか熱も下がりました。荷物をまとめてチェックアウトし、CDG空港へ。1993年当時はまだ英仏海峡のトンネルが開通する前(1994年ユーロスター開業)でした。ロンドンの宿はサウスケンジントン駅の近く、V&A美術館の向かい側のレンブラント・ホテルでした。この時の旅では一番の高級ホテル。優雅なインテリアですが部屋は狭くベットは2台並んでいますが補助ベットなしなので、とても3人は無理です。もう一室増やしてもらって、風邪ひきの私が1室使うということになりました。夜、私が咳き込むので娘たちもほっとした様子。お財布的に厳しいけれど・・・。ロンドンは次女が中学生の時ホームスティで3週間ほど滞在していたことがありますが、私と長女は初訪問でした。次女の案内でロンドンに4泊するのが楽しみでした。

 昼ごはんは飛行機内で簡単に済ませてましたから、ひと休みした後はすぐナショナル・ギャラリーへ。サウスケンジントン駅までの道に迷い、散歩中の老紳士にサブウエィステーションの場所を聞きましたが・・・「えっ?ああチューブね」とのお答え。ロンドンの地下鉄に乗るとき、びっくりしたのが切符の高額なことでした。3人ですとそれほど遠くなかったらタクシーでもOKと思いました。

 ☆ロンドン・ナショナル・ギャラリー(初)

 ヨーロッパ本土に較べ、イギリスのルネッサンスは100年遅かったこともあり、その焦り?も多少はあったでしょうか、大英帝国の繁栄をバックにイタリアルネッサンスを初めとした膨大な絵画の蒐集、またその素晴らしい審美眼には脱帽です。

昨年のパリそして今回の ベルリン~アムステルダムとここまで鑑賞してきたたファン・エイクやフェルメールなどの素晴らしい北方絵画。それがここでも、最上級の傑作に出会えました。次いでクリヴェッリ、トゥーラ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ウッチェロなど・・・書けばキリのない名作ぞろいです。ホテルに戻る体力を何とか残しながら、前半終了。後半は翌日と思いながらも足が止まらず体力限界まで巡りました。

 今になってはどういう順番で鑑賞したのかはっきりしないのですが、前半は初期ルネッサンスエリアのセインズベリー館から入りました。初回の訪問で強い印象に残ったのはやはりというべきでしょうか、北方ルネッサンスの

↓ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィー二夫妻」1434/ベルリンの肖像画にも描かれた新婚のイタリア商人ジョバンニ・アルノルフィー二夫妻の立像肖像画。2人の結婚の証人として立ち会った画家自身が凸面鏡のなかに描きこまれてるほか、室内には結婚のさまざまな象徴表現など、技巧をこらしたエイクの代表作。イタリア盛期ルネッサンスの100年も前に描かれたとは信じがたく、その当時の15世紀の人々の驚きはいかばかりだったでしょう。

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 イタリアルネッサンスではダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」、ボッティチェリの「ヴィーナスとマルス」など。

↓北方絵画ではクラナハの「ヴィーナスに訴えるキューピッド」1530頃/キュービッドがミツバチの巣を手にしてヴィーナスに救いを求めています。この絵には人生の楽しみは痛みがつきものという教訓が込められているそうです。

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↓フェルメールの「ヴァージナルの前に立つ婦人」と「ヴァージナルの前に座る婦人」(2点とも1673~75)があります。左の「ヴァージナルの前に立つ婦人」は後期の代表作として知られていますが、対画として描かれたらしい右の「ヴァージナルの前に座る婦人」は画家特有の光の描写がいまいち固い・・・。

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↓ ここではあまりメジャーではない画家の作品にも眼を惹かれました。Geertgen tot Sint Jansヘールトヘン・トット・シント・ヤンス(15世紀ネーデルランドの画家)の「キリストの降誕」です。(絵葉書)/ 卵形の上品顔のマリア、天使達の可愛らしさ。夜景の表現も素晴らしい小品(34×25)です。

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 ヴァン・ダイク、ルーベンス、レンブラント、ベラスケスなど見逃せない傑作が次から次に現れます。疲れ果ててホテルに戻りました。夕食はホテル内のレストランでブッフェ形式のローストビーフなどいただきました。食欲も戻り私の風邪は回復に向かったのですが、長女にうつってしまいました。翌日から寝込んでしまったのです。


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1993春の旅(10)ロンドン [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]

3/21(日)

 私の風邪が治ってやれやれと思う間もなく長女が風邪をひいてしまいました。熱はあまりないのですが、この日は一日ホテルで休養することになりました。私と次女は午前中は別行動になり、私はテムズ川の遊覧船でビックベンの乗り場からロンドンタワーまで行きました。

↓船から写したタワー・ブリッジ

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 ロンドンタワーは正式には「女王陛下の宮殿にして要塞」(Her Majesty's Royal Palace and Fortress)と呼ばれるように、現在も儀礼的な武器などの保管庫、礼拝所などとして使用されている。その景観から「ホワイト・タワー」とも呼ばれ、世界最大級のカット・ダイヤモンドはここで保管されている。(Wikipediaより)。

またここは牢獄でもあったので、処刑された人々も多いのです。中学生のころ観た映画「リチャード3世」でもエドワード4世の幼い息子二人がこの塔に幽閉され殺される場面がありましたし、リチャード8世の妃アン・ブーリン、クロムウエル、ジェーン・グレイなど血なまぐさい歴史の数々。

↓映画「リチャード3世」のポスター。日本公開は1956年だったそうです。リチャード3世は最近遺骨が発見されたり話題になりましたね。この映画は忘れられない別の思い出もあります。当時、私たち中学生は大人同伴でないと映画館に入ってはいけなかったのですが、この映画は故郷T町の映画館にはかからず、1時間ほど汽車に乗って友人とM市に行きました。多忙な親には言えず内緒で。ところが親と来ていたクラスメートに見られて、先生にチクられたのです。満席で立ちっぱなしで観た映画は素晴らしかったけれど、苦い思い出・・・。余談でした(汗)

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 ロンドン塔には怖いお話ばかりではありません。華やかな王家の宝冠、宝石クラウン・ジュエルの展示室もあります。世界一大きいダイヤモンド「カリナン」をはじめ、王冠を飾るエメラルドやルビーの巨大なこと!ただ立ち止まってはいけませんと、なんども係員が言うので白けました。現在は動く通路ができたそうです。

↓ビーフィーター(護衛兵)さんと記念写真

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 敷地内にある食堂で簡単なランチをとったあと地下鉄でトラファルガー広場へ。次女とナショナル・ギャラリー前で待ち合わせ、お茶してから昨日と違う正面の本館入口から入りました。

☆ロンドン・ナショナル・ギャラリー(2)

 今となってはおぼろげな記憶になってしまいましたが、ホルバインの「大使たち」、レンブラントの「水浴する女」、ベラスケスの「鏡を見るヴィーナス」などの名画が次々に現れ、昨日に続いて感嘆のため息・・・。

 買い求めてきた絵葉書から何枚かピックアップしてみました。どれも好きな作品です。

↓ルーベンスの「スザンナ・ルンデン」1622頃/モデルは再婚した妻エレーヌ・フールマンの姉。ルーベンスは宗教画や歴史画の大作も立派ですが、こういう肖像画や晩年の風景画の方が好ましいです。

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↓ホッペマの「ミデルハルニスの並木道」1689/17世紀オランダの風景画の中で最も有名な作品の一つ。この絵の中に入り込んで歩きたいと思うほど魅力的。

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↓ドガの「フェルナンド・サーカスのララ嬢」1879/ドガの斬新奇抜な構図の素晴らしさ。カメラワークのような目線に感服した一枚。

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↓ゴッホの「ひまわり(14本)」1888/アルル時代に描かれたひまわり6点のうちの1点。

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 まだまだ観たかったのですが、頭も目も飽和状態になり、切り上げてホテルに戻りました。今思えば風邪が治ったばかりなのに、無理をしたものです。それだけ若かったってことですね~。

 夕食は近くのちょっとお洒落なフレンチ・レストランで。イギリスは美味しくないと思っていたせいか、良い意味で裏切られて、ご機嫌な食事でした。この夜は長女も一緒に食事に出ることができました。


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1993春の旅(11)ロンドン [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]

3/22(月)

 ↓この日は母娘3人が久しぶりにそろって、大英博物館へ行きました。雨は止みましたが寒い日でした。

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☆大英博物館(初)

 ここを訪れる前年にエジプトへ行きました。しばらくはエジプト熱に浮かれていましたから、エジプト関連の収蔵品は世界一(カイロを除いて)といわれる大英博物館ははずせません。
入り口横の大展示室はエジプト美術のセクションになっています。大ファラオの「ラムセスの胸像」(BC1270頃)高さ267mの巨像を唖然と見上げ、

↓ロゼッタストーン/1799ナポレオンのエジプト遠征の際、アレキサンドリア近くで発見されました。謎の古代エジプト文字解読につながった3種類の文字(象形文字、民衆文字、ギリシア文字)が刻まれています。1801英仏戦争後フランスからイギリスに引き渡されたロゼッタ・ストーンですが、1822解読に成功したのはフランス人の学者シャンポリオンでした。

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ほかはパピルスの絵、ステラ、壁画、ミイラなどを見学。よくぞ、こんなにエジプトから運んだものだわ~と、感心半分、やり過ぎでしょと憤慨半分といったところ。
ブックショップではイヤリングをした猫の置物を買いました。↓エジプトの猫の写真は大英博物館のHPから拝借

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  他の部門では、古代ギリシアのエルギンマーブルと呼ばれるパルテノン神殿の彫刻群(大英博物館のHPから拝借)

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↓アッシリアの浮彫(大英博物館のHPから拝借)BC668~678宮殿などの壁面下部をおおう石板の浮彫。地元産のアラバスター(雪花石膏)が素材。ほかにはライオンの狩猟場面の石板も素晴らしい躍動感。

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 これらはまぎれもない人類の遺産そのものでしょう。このときエジプトはコプト教の遺物を見逃してましたので、再訪したいと思っていましたが、それを果たしたのは2013・・・20年後のことでした。 

 見学が終わり館内のレストランでランチ。午後からはまだ体調がよくない長女はホテルに戻り、私はピカデリーサーカス~リージェントストリートの散策とショッピング。そのころ流行っていたリバティプリントで有名なリバティの本店でベット用品などのお買い物。このとき買い求めたキルトのベットカバーは次女が翌年東京進学のとき持って行って以来ですからあれから20年・・・まだ破れもせず現役のようです。さすがですね~。

 夕食は近所の中華レストランで。確かホテルの紹介&予約もしてもらったと思います。今まで海外で食べた中華料理のなかでは最高!でした。ホテルとナイツブリッジのハロッズの間は1K以上はありますが、レストランやショップが多く楽しいところでした。


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1993春の旅(12,13&14)ロンドン&帰国 [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]

3/23(火)

 とうとう今日が旅の最後の日になりました。ロンドンにはまだ訪れたい美術館、博物館はありますが、多少は飽きてきたのかもしれません。この辺でいいかな~という気分になり、3人でハロッズへお出かけしました。でもここで買ったものの記憶はありませんので、ウィンドショッピングだけだったのでしょうか。。。この後は娘たちはホテルの向かい側に建つ自然史博物館へ。私は右隣のヴィクトリア&アルバート博物館と結局はミュージアム巡り(笑)

 ☆ヴィクトリア&アルバート博術館(初)

ヴィクトリア女王の夫君アルバート公の収集品をもとに設立された博物館です。事前に調べることもなく、ホテルの前だからと気軽に入館して驚きました。各国の古美術から現代アートまで多岐にわたる膨大なコレクションです。写真は一枚もありませんので、多分当時はカメラ禁止だったのかも。また私自身美術品をカメラに収めたいという欲求もなく・・・ブログを作成するとは夢にも思わず(笑)

 入口のホールから右隣のイタリアの大きな彫刻の展示室で目立ったのはやはり↓ベルリーニの「ネプチューンとトリトン」写真は再々訪した2013のもの。展示場所も変わっていました。

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 他にはイタリアルネッサンスの絵画や彫刻の部屋もありましたが、ほとんど記憶にありません。まだカルロ・クリヴェッリにも気がついていないころでした。後になってここにもあることを知ったのですが、部屋自体がクローズの時期もあって2013にようやく観ることができました。

この美術館で印象深かったのはウィリアム・モーリスの食堂でした。当時は大きな館内の突き当りのあまり人も来ないような場所にありました。深いグリーンの壁が美しく、静寂の中に身を置いて、人はこうして日常の美を大切に生きることが大事なことなどと感慨深く。。。ところが再訪した2009には大きなカフェの一部になっていたのです。う~ん勿体ない、汚れないのかしら?この時はラファエロのカルトーンを見つけることもできず残念でした。

 夕食はカレーが食べたいという娘たちの希望で近くのカレー屋さんへ。ここは札幌のインド人が経営するカレー屋さんと味も変わらずまあまあでした。イギリスは中国やインドを植民地化していたこともあり、両国の料理の水準は高いです。

↓ホテルの前で

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3/24(水)ロンドン13:00→フランクフルト15:30/17:00→

3/25(木)→成田12:15....羽田15:55→千歳17:25

 順調なフライトで無事札幌の我が家に戻ってきました。「お父さん、ちょびちゃん(ハスキー犬)お留守番ありがとう~!」。まもなく娘たちそれぞれの春休みも終わりました。長女の就職も次女の推薦入学も夏までに何とか決まりました。娘たちと3人そろっての海外の旅はこれが初めてで最後になりました。私と長女は風邪で体調を崩したりのトラブルもありましたが、一生の思い出に残る旅になりました。アルバムや資料の整理のために古い旅行もブログに残すことを思いつきましたが、年々衰える記憶力に焦るこの頃です。(終)


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1994春の旅(1)札幌~ロンドン [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

 1994年の春は娘たちも就職、進学とそれぞれの道を歩み始めました。実質的に子育ては終了したわけです。その記念に念願の独りでヨーロッパの美術館を巡ることになりました。

また、初めて一人旅で美術館巡りをしようと計画したきっかけは某カルチャー教室での美術史の講座の先生の影響も大きかったのです。北大の英米文学の教授だった高久真一先生は美学の専門家ではありませんが、西洋美術に造詣が深く、『キリスト教名画の楽しみ方』(日本キリスト教団出版局)の著者でもあります。講座ではご自分で独りで美術館を回られ、撮影されたスライドに、多方面からのアプローチによる解説も楽しく、すっかり虜になりました。今思えば高久先生は私の人生を変えた師でもあったわけです。記念すべき最初の一人旅はやはり先生のお薦めのオランダ、ベルギーにロンドンとパリを加えたコースになりました。夫も快く私の趣味の旅に送り出してくれました。こうして、感謝とともに解放感いっぱいの旅が始まりました。

<スケジュール>は

ロンドン(5)~アムステルダム(2)~デン・ハーグ(1)~アントワープ(1)~ブリュージュ(2)~ブリュッセル(1)~パリ(4)

↓MAP 

 

東京で独り暮らしの次女を成田に呼んで、夕食を共にして1泊。そしていよいよ16泊18日の旅が始まりました。航空券とホテルはHISの札幌支店で手配してもらいました。

5/7(土)成田11:00→ロンドン15:30(ヴァージン・アトランティック航空)

 今はあるかどうかわかりませんが、ヴァージンの準ビジネスクラスに乗りました。座席はビジネス、食事はエコノミーでした。ただ現在のビジネスクラスとは違って座席が180度倒れるわけではありませんが。空席がほとんどで、通路側にカーテンも!横になってのんびりの空の旅でした。

 ホテルはストランド・パラスホテルに5泊しました。このホテルを選んだのはナショナル・ギャラリーやミュージカルの劇場が近いというだけで、後にオペラのために何度も利用することになろうとは・・・。大型のホテルなので地上階に4つレストランやカフェがあり、この日の夕食はトマトスープ、エビのフライなど。味は最低に近く不味すぎ(涙)。部屋は下のほうの階で6畳ほどと狭く、窓から見える中庭もコンクリで薄汚く、がっかりでした。ただバスタブが付いていて、清潔な室内。立地条件も◎でした。

ホテルにツアーデスクがあり、明日のバスツアーを予約して、領収書兼参加確認書をいただいて部屋に戻りました。ところが翌日大慌て・・・。


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1994春の旅(2)ロンドンから一日ツアー [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/8(日)

 昨夕、予約していたバスツアーは「オックスフォード、ストラッドフォード、ウィリック城巡り一日ツアー」(42.5£)という日本語ガイドつきです。ホテルまで迎えに来てくれるとのことで、ロビーで待っていましたら、ガイドさんが迎えに来てくれたのですが、さてバスに乗ろうとしたら例の領収書が必要とのこと・・・すでに乗られていた皆さんをお待たせして、部屋まで取りに行くという失態をやらかしてしまいました。まあ、何事も経験ということで(汗)、バスはほぼ満員で、英語と日本語のツアーなので、日本人も多く参加していました。

 まずはオックスフォードへ。皇太子さまや雅子さまも通われていたオックスフォード大学はカレッジ別に教会や寮があり、いくつか見学しました。

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 次はシェクスピアの故郷ストラッドフォード・アポン・エイボンへ。シェクスピアの妻アン・ハサウェイの実家が残っています。15世紀半ばに建てられた家で、ストラトフォード・アポン・エイボンの中心から約1.5キロほどのところにあります。

↓Anne Hathaway's cottage(絵葉書)

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↓お庭で

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 また、エイボン川の畔の町ストラッドフォード・アポン・エイボンにはシェクスピアの生家も建っています。幼少期まで過ごしたといわれる家で、内部も見学しました。建物は↓1769年のエッチングが残っていますが、忠実に再現または改築されたようです。

シェイクスピアの生家 ​(絵葉書)

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↓ 現在のシェクスピアの生家(NETより拝借)

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またこの町にはロイヤルシェイクスピアカンパニーがあります。1875年に設立されたシェイクスピア記念劇場を前身に持つ劇団で、これまで数多くの有名な舞台俳優や映画俳優を輩出してきた劇団として有名です。オペラを観るようになってから、ここの出身のオペラ演出家の舞台を観たことがあり、短い時間の観光でしたがストラッドフォード・アポン・エイボンの町を思い出しました。

 この近辺はコッツウォルズ地方といい、「羊の丘」という意味の地域です。コッツウォルズストーンと呼ばれる、はちみつ色の可愛らしい建物群が特徴的な村々と田園風景が美しく、車窓からの眺めを楽しみました。陽の光によって色が変わるはちみつ色の家々…イギリスで人気の高い観光地です。

 ↓ランチを挟んで、ウィリック城も訪れました。写真は残っていませんのでNETから。

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中世の古城はロンドン塔に似た怖い話も残っていて、お城の塔に登ったのですが、ガイドさんに脅かされたのもありますが、不気味でした。場内の居室の見学では豪華な音楽室が印象に残っています。

 見学を終えてロンドンに帰りました。ロイヤルアルバートホール前で解散。中年のイギリス女性のガイドさんは最後は声がかすれる程熱のこもった仕事ぶりでした(拍手&チップ)。バスツアーで仲良しになった若い女性は大学の仏文科を卒業後、パリの旅行関係の仕事をされていたのですが、契約社員なので退職して、日本に帰る前に英語の勉強をするためにロンドンに来られたとのことでした。バスの走る時間は結構長かったのですが、彼女とおしゃべりが弾んで楽しい時間でした。

夕食はホテル内の昨夜とは違うレストランで。野菜スープ、前菜、ラムの炭焼き、デザート。昨夕と比べるとぐんと美味でした。こちらの方が高かったけれど・・・。


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1994春の旅(3)ロンドン [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/9(月)

 前日は一日バスツアーに参加してロンドンから離れ、イギリスのカントリーサイドの観光をしました。個人旅行で一人旅は初めてでしたから、英語に慣れる意味でも良かったかも。さて、この日は本来の目的に戻り、宿泊したストランドパレスホテルから徒歩数分のコートールド美術館へ。入り口の看板なども見つけられず、迷って テムズ川に架かる橋まで行ってしまいました。

☆コートールド美術館(初)

 ストラッドのサマセット・ハウス内に設けられている美術館。正式名称はロンドン大学附属コートールド美術研究所 の美術館といいます。美術史と美術の保存の研究では世界的に良く知られています。実際この研究所からは著名な美術史家や画商、アートジャーナリストなどを輩出しています。余談ですが、当時放送大学に在籍して「美術史と美術理論」の講座をとっていて、初めてここの美術研究所の存在を知りました。
20年以上も前の訪問なので、大部分の記憶が薄れていますが、印象派と後期印象派の部屋は見ごたえがありました。

セザンヌやゴッホのほかはスーラの「白粉をはたく若い女」(下)。スーラ唯一の肖像画であり、モデルは画家の恋人とのこと。スーラの点描法はまじかに見ると、気が遠くなりそうな緻密さです。画家の作品に対する愛着とともに、自分の理念を追求する姿勢は並大抵でないことを、肌で感じ取ることができます。32歳という若さで亡くなったスーラの名画にはロンドン、オランダ、パリとこのときの旅で次々に出会うことができました。

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 マネ「フォリー=ベルジェール劇場のバー」(上)はこの美術館の目玉でしょう。華やかな社交場の雰囲気、人々のざわめきが聞こえてくるようです。中央女性の人体構成からみた姿勢に無理があると、指摘されることが多いのですが、凛としたポーズはとても魅力的。

↓セザンヌの「キューピッド像のある静物」1895

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ほかはルノワール、ゴッホ、ロートレックなど。

 館内のカフェでサンドイッチのランチを済ませ、宿泊したホテルの前からバスに乗車。トラファルガー広場から南下して2Kくらいのテート・ギャラリーへ。テームズ川に面して建つ威風堂々たる建物。大英帝国風の偉そうな感じだな~と大階段を登って行きました。入館フリーなので、まあいいか・・・。

☆テート・ギャラリー(初)
当時ここのコレクションだった現代アートはテート・モダンに移りましたので、現在はテート・ブリテンと呼ばれています。
ここでのお目当てはラファエル前派と呼ばれる19世紀のイギリス・ロマン主義の絵画です。
何点かはパリのオルセーなどでも観たことはありますが、なんたってこちらが本場ですから、ほぼ一直線で展示室に向かいました。暗い赤い色の壁に飾られてミレイJohn Everett Millaisの「オフィーリア」(下)、狂気のうちに川に浮かんで逝った「ハムレット」のオフィーリアの白い顔。緑の藻や背景の木々も美しく、一瞬のうちに悲劇の物語の世界に引き込まれました。

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↓Dante Gabriel Rossettiロセッティの「ベアータ・ベアトリクス」1863-70/ラファエル前派の画家ロセッティの代表作。1862年に亡くなった妻がモデル。ファム・ファタルを題材の作より、こちらの方が好きです。

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 ここにはターナー専用の別棟がありますが、あいにく建物を修復中でクローズでした。それでも主な作品は本館に展示されていて、↓「ノラム城、日の出」や「吹雪・アルプスを越えるハンニバルとその軍勢」などの大作を鑑賞できました。迫力ある吹雪や嵐の描写にドラマを組み合わせたものが特に想像力をかきたてられ好きです。

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 他の展示室のなかで異彩をはなつのはの照明を落としたWilliam Blakeブレイクの部屋です。一連の色刷り版画のシリーズはブレイクの最高傑作とされています。
↓「アダムを創造するエロヒム」1804-05 ペン・水彩・紙

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「哀れみ」「ニュートン」「ネブカドネザル」なども、一度観たら忘れられません。
詩人でもあったブレイクのイメージは神秘的。その独自性を理解するには、文学や哲学からのアプローチが必要なのでは・・・。テイト・ギャラリーを訪れてからブレイクのことが気になりながら、そのままになっていましたが、某カルチャー教室でブレイクの文学の方面からのアプローチの講義を受けたことがあります。講師はE・H・エリオット研究で有名な北大名誉教授の本田錦一郎先生でした。(2007.1死去)学究肌の愛すべきお人柄の先生でした。ご冥福をお祈りいたします。ブレイクを観るたびに先生を思い出しています。

詳しいことは忘れましたが、モダンアートも特別展があり、天井の高いギャラリーで大型の彫刻やインスタレーションなど。現代美術鑑賞に慣れていない私にとっては珍しいモノばかりでした。

夜はコンシェルジェに紹介してもらって「ミスサイゴン・観劇ツアー」(ディナー含め50£)に参加しました。近くのレストランに集合して、アジアンの夕食(スープ、野菜たっぷりの春巻き風、コーヒー)。そのあとドルリーレーン劇場でミュージカルの「ミス・サイゴン」を観ました。参加者は数名。イギリスの地方から参加したおばあさんは席が悪いと言って文句たらたら・・・1階の中段正面でしたが。初めてのロンドンのミュージカルを見てうっとり。ヒロインは若くて可愛い中国系のミュージカルスターでした。

帰り道は劇場の集まるエリアにしては暗かったのですが、急ぎ足で徒歩数分のホテルに戻りました。


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