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1996春の旅(1)ベトナムとカンボジアの旅へ 大阪前泊 [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

1996年の旅の順序が逆になってしまいました。前回アップしたヨーロッパ鉄道の旅の前3月にベトナムとカンボジアへ行ってきました(W社のツアー)。北海道の3月は春といってもまだ寒く、空港行のバスを震えながら待ち、危うく風邪をひきそうに・・・。

日程は大阪前泊(1)~ハノイ(1)~ハロン湾(1)~ハノイ(1)~フエ(2)~ダナン(1)~ホーチミン(1)~プノンペン(1)~シュムリアップ(3)~プノンペンとホーチミン経由で帰国(12泊14日)
3/6(水) 千歳→関空→大阪

北海道からはベトナム航空の便に間に合わないとのことで、旅行代理店で予約してくれた大阪梅田駅前の新阪急ホテルに前泊しました。


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1996春の旅(2)関空~ハノイ [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

3/7(木)関空11:30→ホーチミン14:45→ハノイ18:30

 10::00に関空で集合したツアーの参加者の中に、今朝ホテルの朝食室で同じテーブルになった方がいました。お話はしなかったので、お互いにびっくり!帯広から参加された60代の女性です。そのほかにも広尾から60代くらいのご夫婦と合わせて4名が北海道からの参加です。北海道はまだ寒いからどこか暖かいところに行きたくてね~というのが一致(笑)

 さてベトナム航空の飛行機は初めてです。機内の壁やシートの模様をよく見るとAir Franceの文字。エール・フランスの中古を購入したのでしょう。古い飛行機を改装もせずにそのまま使っているの・・・少々怖くなりました。隣席に神戸から参加された年配の女性ですが、大きなリュックを背負って、重そうです。なんでも昨年の震災に合われて、その時から大事なものはリュックに入れて、持ち運ぶことにしたそうです。家も失い、お独りで信頼できる方もいらっしゃらないのはお気の毒に思いましたが、リュックひとつで、思い立ったら旅に出ることができるという自由さが羨ましくもあり・・・。

 ベトナムとは2時間の時差がありますので、、実質5時間15分の飛行機の旅を終えホーチミン・シティに到着。飛行場の周りにはまだ米軍の使っていたトーチカがいくつも残されていました。入国審査の列に並びましたが、係りの人は兵士さん?今までの入国審査では見たこともない厳しい表情です。ベトナム戦争が終結してから21年経ちましたが、まだまだ民主化とは程遠い共産主義の国であることを再認識しつつ、それぞれ自分のスーツケースを、隣接の国内線ターミナルに運び、荷物検査の高い台に皆で協力しながら、よいしょと載せて(係員は何もしてくれません)ハノイ行に搭乗しました。

北ベトナムの古都ハノイの空港に到着。ターミナルは古く、ターンテーブルもありません。お迎えのバスもぼろいけれど、これでも新しいほうですとのこと、郷に入れば郷に従えです。運転手さんのほかに二十歳くらいの青年が助手として同乗しました。彼はこのバスに寝泊まりして、清掃などもするのだそうです。バスはハノイの北にあるタイ湖(西湖)の畔にあるタンロイホテルへ。湖の眺めの美しい大きなリゾートホテルです。夕食はホテルのレストランで。早速ベトナム料理、揚げ春巻きにヌックマムにつけて、ほか。

↓この日は写真をのんびり撮る暇も雰囲気もなかったみたいなので、翌日の街角での一枚。卵などの物売りのおばさんたち。

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タグ:ハノイ

1996春の旅(3)ハノイ~ハロン湾 [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

3/8(金)

 この日はハノイの観光の後、バスでハロン湾へ移動するというスケジュールです。1泊分の荷物を持って、9:00にホテルを出発。歴史博物館へ。

↓博物館前で。写真には写っていませんが後方の屋根の上に八角形のドームがあります。

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☆国立ベトナム歴史博物館

ハノイにはフランス統治時代の建物が残っていますが、ここはフランス領事館のあった場所にベトナムの伝統建築様式とフランスの西洋式建築様式が融合した、いわゆるインドシナ様式の建築で、1932年に建てられました。ベトナムの古代から始まり独立国家になった現在までの歴史をたどることができます。

↓ベトナム軍と元軍の「バクダンの戦い」(1228年)の様子を描いた大きな絵画(写っているのは一部です)。

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↓この愛嬌のある亀さんが背負った石碑には中国の明を打ち破ったレ・ロイ王の功績を讃える碑文が刻まれています。

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↓ 博物館の庭のプルメリアの樹(ハノイは北なのでまだ咲いてません)

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↓Netから拝借した現在の博物館の建物。基本的には変わっていませんが外壁の色は濃いイエローに塗られています。

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次は文廟へ。ハノイで最も古い大学のあったところです。エリート中のエリートが学んだとあって、ここは学問の神様的人気のスポットらしく多くの観光客や地元の人たちで賑わっていました。ここの石碑は82あり、15~18世紀の間に行われた3年に一度の科挙試験の合格者の名前が彫られています。全部違う顔をした亀さんが石碑を背負っています。

昼食は中華料理@パラダイスレストランで。食後例のバスで一路海の桂林と呼ばれる風光明媚なハロン湾へ。高速道路ではないので、一般の人たちがぞろぞろ歩く道路を警笛をずーっと鳴らしながら走ります。小さな町を幾つか通り抜けましたが、信号というものもほとんどないためか、事故も多いみたいで、その現場も目撃。そうこうしているうちにこのバスも急停車の場面!ブレーキの利きが悪くて危ういところでした。ハラハラドキドキのドライブもようやく暗くなってから、ハロン湾に到着。150K~200Kの道を数時間かけて走ったことになります。今夜の宿はブンダオホテル、海辺ですが、周囲は明かりもなく辺鄙な漁村(現在はリゾート地)でした。

↓ホテルの部屋は海水浴客が多いみたいで、ファミリー向けの広い部屋。

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1996春の旅(4)ハロン湾~ハノイ [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

3/9(土)

 朝8:30ホテルを出発し、バスで船着き場へ。

↓右は連絡船、左が私たちの貸切ボートです。

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ハー・ロン(龍が下りるの意)湾はかって、外敵の侵入に悩まされていたこの地に龍が降り立ち、敵を打ち破った際に岩が砕けたという伝説が残っています。大小数千の奇岩が海から突き出した光景は神秘的です。

↓天候は曇りでしたが、波はなく穏やかな海でした。奇岩の並ぶ「海の桂林」とも称され1994年に世界遺産になった風景を楽しみました。

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↓どこらともなく小舟が追いかけてきます。

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↓ 魚は船倉に泳がせてありますが、売買の時には船上に並べます。貸切船のコックさんや添乗員さんが品定めをして昼食のために購入します。船は何艘も寄ってきますので、値切ったりします。海老、烏賊、しゃこなど。

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↓この船は白い珊瑚の貝を売りに来ました。まだ小学高学年くらいの少年です。学校にも行けない状態と聞いて、ほとんどの人がお土産に買いました。ただまだこの貝は生きていて呼吸しますので、ホテルに着くたびに洗面所に運び、水を与えて濡らしては持ち運びました。今考えると不思議なのは、手荷物検査には引っかからなかったこと。現在では無理でしょうね。

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↓ハンモックに乗った小さな女の子。家族で船で生活しています。水上生活者はほとんど学校に行けないとか・・・。

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近くの島に上陸して鍾乳洞を見学している間に船の厨房で料理された魚介類のランチをいただきました。白いテーブルクロスのかかった大きなテーブルとイスが用意され、海老、烏賊、しゃこなど。優雅にいただきました。素材は新鮮ですが、特に美味しいという訳でもなくて・・・。釣りをしませんかと小さな釣竿と餌を売りに来る船も現れて、300円くらいなのでトライしてみましたが、駄目でした。

↓観光客向け?の赤い帆のヨットも浮かぶハロン湾

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 再びバスに乗って、ハノイに戻りました。途中幼稚園のトイレをお借りしたり、ベトナムの味噌の名産地の街を通過して、19:00にハノイのホテルに到着。着替えて夕食へ。一昨日の夜よりごちそうが並びました。当時は食べ物の写真を撮る習慣がなく、メモも残っていませんので、具体的にどんなものを食べたのか思い出せなくて、少々残念です。ベトナムは朝からフォーを食べて、全般的に美味しいものが多かったです。シンガポール、バンコク、香港に続いて4回目の東南アジアでしたが、アジアンフードがますます好きになりました。


タグ:ハロン湾
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1996春の旅(5)ハノイ~フエ [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

3/10(日)ハノイ15:00→フエ16:30

フエ/センチュリー・リバーサイドホテル2泊

 9:00にホテルを出発して、一昨日に続いてのハノイの観光です。バスでホーチミン廟ほかを回りました。

↓ホーチミン廟の前は日曜日でしたから、観光客や修学旅行の生徒たちに交じって地元のお参りの人たちも多く、長い行列です。兵士のようなガードマンの監視も厳しいところでした。

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 ホーチミンはベトナム革命の指導者であり、初代のベトナム共和国の主席をつとめ、国民から絶大な人気を集めました。革命によって権力を握った共産党指導者スターリンや毛沢東が独裁的になって反対派を粛清する例が多いのに対し、ホー・チ・ミンは、腐敗や汚職に無縁で、禁欲的で無私な指導者であり、自らが個人崇拝の対象になることも嫌っていたということです。ですが、火葬にしてほしいという遺言も無視され永久保存されて、ホーチミン廟に安置されているのです。

↓ようやく辿り着いた総大理石造りのホーチミン廟の前で

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 すっかり神格化されたホーチミンの遺体はものものしい警戒のもと、ガラス越しに見学しました。そしてホーチミン博物館や一柱寺へ。

↓ホーチミン博物館ホール

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廟や博物館の建てられた広大なエリアには土産物店やトイレもあります。ところがここのトイレは非常にお粗末なもので、仕切の壁もなく、皆並んで、水の流れる溝に大小の排泄物を落とす仕組みなのです。総大理石の立派な建物を観た後でしたから、あまりの落差に仰天しました。庶民をないがしろにしているこの国の共産党のあり方に怒りを覚えました。サイゴン陥落から20年たって、ようやくドイモイ政策という経済改革も実を結びつつあったころでしたが、同じ戦後20年とはいえ日本の敗戦後の復興が奇跡のように思えました。

 ハノイの繁華街にあるホアンキン湖の公園では靴磨きの少年たちがいました。日本語はできないので怪しげな英語ですが、なかでも酷い身なりの少年がいたので、この子に磨いてもらおうとしたら、親分のような少年がこの子は駄目だといって追い払ってしまったのです。しかも料金は1ドルと言ったのに、払うときになって、左右両方だから2ドルって(片方だけ磨くはずないでしょ!)。しつこいので2ドル払って、集合場所へ向かったら、さきほどの追い払われた少年が涙目で立っていました。この子にも2ドルあげました。靴磨きの道具の入ったブリキの缶を抱えて、仲間外れにされていた哀れな少年の姿は忘れられません。

昼食は日本食堂らんでお弁当をいただき、バスで空港へ。午後3時ごろのベトナム航空で古都フエに飛びました。ハノイではおんぼろバスの中にいた蚊に刺されたこと、ホテルの電気のコンセントを少し濡れた手で触ったらビーッと肩まで感電したこと、悲惨な公衆トイレ、靴磨きの浮浪児たち・・・と、嫌なことが多く(今思えば貴重な体験でしたが)、これからどうなるのかしら~。

 フエのホテルはフォン川沿いに建つセンチュリーリバーサイドホテル。部屋は広いのですが、少しトイレ臭がして?すごく臭った部屋もあったそうです。一応バスタブ付きですがお湯が出ません。訊くと電気温水器のスイッチは入れたばかりなんですって・・・。私はシングルで間に合いましたが、小さな電気温水器なので、ツインの方たちはお湯が足りなかったようです。

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大きなホテルなので館内に陶器の店があり、小さい安南染付の水煙草入れを買いました。撮影は2015.9(i Phone)。戸棚の奥から出してみたら、金属の部分が腐食していました。竹の棒はキセルです。大きさといい携帯用に使っていたものでしょう。

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当時骨董品が流出して問題になっていましたので、この陶器は貴重なアンティークではないという証明書を書いてもらいました。日本円で3000円くらいでした。飛行機で移動するとき手荷物に入れて、検査の時この証明書を見せるのです。実際どこの空港かは忘れましたが、何百円かの壺を露店で買って、スーツケースに入れてしまって、空港で呼び出されたツアーのお仲間が居ました。夕食はホテルのレストランで。以前夫がW社のツアーでギリシアへ行ったときにご一緒だったM夫妻が参加されてました。夫が私の悪妻ぶりを暴露していましたので、気取る必要なし(笑)。話が弾みました。


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1996春の旅(6)フエ [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

3/11(月) 

 9:00にホテルを出発。フエはベトナム最後の王朝阮朝(1802~1945)の主都でした。フォン川を挟んでグエン朝ゆかりの建物が点在しています。「フエの建造物群」として1993年に世界遺産に登録。

まずフエ市内から南へ7Kくらい。阮朝4代目皇帝トゥドゥック王廟へ。1864~67までの3年間で建立。広々とした別荘風の造りです。

↓門を入ると大きな池があります。

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↓池に釣殿。下は内部から観たところですが、絵葉書です。

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↓皇帝の墓と両側に2つの塔

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 トゥドゥック王廟からさらに南の12代皇帝カイデン王廟へ。小高い斜面を登ると、なにやら子供たちの姿。歓迎?の押し売り合戦が始まりました。そのしつこさは4年前に行ったエジプトのバクシーシ軍団に匹敵!そのせいか、ここの写真はあまり撮っていません。

カイデン王廟は1920から1931まで13年かけて造営。西欧風なのはフランスの統治下にあったからです。

↓王廟入口で

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↓肝心のカンデン廟の写真がないので、NETの画像を拝借しました。

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↓前庭には等身大の彫像が並んでいましたが、こちらは象と馬。

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昼食はクラブガーデンでベトナム料理をいただき、次はフエの街に戻る途中にあるティエンムー寺へ。1601年に建てられたティエンムー寺には高さ21Mほどの7層8角形の美しい塔があります。↓とても気に入ったのはなんとなくロマネスク風だったからでしょうか。各層には仏像が祀られています(内部は見学不可)

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境内には修行僧の人たちがゆったりと働いていました。↓ブラシツリーの木

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 さて、ベトナム最後の王朝阮朝の栄華がしのばれる王宮へ。王宮門~太和殿~顕臨閣と回りました。

↓王宮門は2代目のミンマン帝期に創建され、カイディン帝期に再建。石畳の上に二層式の中国風の建物。3つある入口の中央は王の専用です。

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↓門をくぐり太和殿へ。

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↓ 紫禁城を真似たという太和殿で。大きな平屋建てで内部は皇帝の座る金張りの玉座。あいにく雨が降ってきました。

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王宮の前の広場には小鳥を売るおばさんたち。小鳥を買っても日本に連れて帰れないからと断ると、どうも様子が違います。ガイドさんに訊くと小鳥を買ってから、逃がすと幸運が舞いこむというベトナムの言い伝え?があるみたいでした。放たれた小鳥たちはしばらくすると、おばさんたちの元に帰ってきます。私たちは日本人だから、そういう迷信はありませんとお断り(笑)しました。

 フエ博物館見学の後はドンバ市場へ。↓市場の大きな駐車場にはバスが何台も停まっていて、ベトナム戦争を描いたアメリカ映画の秀作「ディア・ハンター」にでてくるバスと同じものを見つけて目が点。ベトナムに来てみたかったのは映画の影響も大きかったのです。

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↓コンクリートの2階建てのショッピングセンターでベトナムの帽子を購入2ドル(刺しゅう入り)

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↓ショッピングセンターの周りには売店が軒を連ねています。フォーの屋台なども。

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南に下るにつれて気温も上がり、花が咲き、果物も豊富になって、人々の暮らしも活気がみられます。ベトナムで食べた忘れられない味といえば「ミルク・フルーツ」と呼ばれるヴースア(上の写真の左の緑色のもの)。リンゴくらいの大きさですが、中身は柔らかくジューシーな白く甘い果汁がやみつきになる美味しさ。収穫時期は2~4月ごろなので、丁度旬だったのですね。あれ以来食べたことはありません・・・。夕食はホテルのレストランで。


タグ:フエ
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1996春の旅(7)フエ~ダナン [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

3/12(火)フエ→ホイアン→ダナン

ダナン/バクダンホテル1泊

 ↓フエのホテルからフォン川の眺め。向こう岸の左緑のエリアが王宮、右にドン・バ市場が見えます。

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 9:00にホテルを出発。バスでベトナム戦争時に基地の街だったダナンへ。途中白砂の中州の漁村ランコーに立ち寄り、ハイヴァン峠を越えて、そのままダナンを通過し、ホイアンの観光をしました。ハイヴァン峠を越えると、いままでの雨や曇りが嘘のように晴れ上がった天気に代わりました。この峠は南北に長いベトナムの分岐点で、気候も人の気質もガラリと変わると言われています。

 ホイアンはダナンの南東30K、16~17世紀には阮朝の交易地として栄えた港湾都市です。日本人町もつくられ最盛期には1,000人以上が住んでいたそうです。昼食を街のレストランでとった後は徒歩で街を散策。

↓来遠橋(日本橋)1593年建造の屋根つきの橋。橋の途中には小さな寺があり、この橋の両側に日本人と中国人が分かれて住んでいたと言われています。(絵葉書)

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↓ 橋から続くチャンフー通りの街並み。京都の町家に似た造りの間口が狭く奥に長い家も多く、お土産屋さんに寄ったり

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↓街角の犬たち。痩せ細った犬が多いのには理由があったのです(涙)

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↓トゥポン川の畔のカフェ

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↓懐かしいような川辺の風景

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 ダナンに入り、チャム彫刻博物館を見学しました。ダナンの西に忘れられた王国チャンパのミーソン遺跡が残っています。このツアーではミーソンへは行きませんでしたが、出土された彫像はダナンの博物館で観ることができます。(撮影禁止なので、絵葉書です)チャンパの調査・研究はフランス極東学院の研究者アンリ・パルマンティエにより20世紀初頭に基礎が築かれ、遺物の多くはここに集められています。一部の秀作はフランスに持ち去られ、現在はパリのギメ美術館に収蔵されています。そのチャンパ王国(チャム族)は2世紀から15世紀までの間、ベトナムの中部から南部まで領土として栄えました。インドと中国の2つの文化と芸術の交流点でもあり、独自の文化を築きましたが、15世紀にベトナム族に滅ぼされた後は長い間忘れられ、歴史から消えていきました。

☆チャンパ彫刻博物館

↓チケット代わりにいただいた絵葉書には「踊るアプサラ」10世紀末(後期チャキュウ様式)

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↓女神像 (9-10世紀ドン・ジュオン様式)高さ114CMブロンズ

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↓レリーフ(9-10世紀 ドン・ジュオン様式)高さ70CM 砂岩

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↓「ベールのダンス」の浮彫 (8-9世紀ミーソン様式) 高さ26CM 砂岩

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↓ミーソンの遺跡は山中でもあり悪路のため、行けませんでした。

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参考までに。↓ギメ美術館刊行のカタログ

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↓ここまで南下するとプルメリアの白い花が咲いていました。

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夕刻になってダナンのホテルに到着。ハン川の畔のその名もバクダンホテル!ベトナム戦争をいやでも思い出す名前ですが、日本語の爆弾とは無関係です(笑)。独りではもったいないほど広いスィートルームでした。部屋に落ち着いて間もなくウエルカム・フルーツも可愛い娘さんが届けてくれて、にっこり。

↓部屋のベランダから夕方のハン川の眺め

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ホテルのレストランで夕食。食事時はツアーで一緒だった方たちと色々なお話をしますが、特に印象に残ったのは北陸の金沢と富山から参加された80代の男性二人でした。お二人は戦友で、太平洋戦争(第二次大戦)の時兵役でベトナムに来ていて、戦後捕虜となり北ベトナムの収容所に居たそうです。その収容所を訪ね、そこで日本に帰国できずに亡くなった戦友たちの慰霊をする目的があったそうです。どうりでハロン湾のツアーには参加されず、地名は忘れましたが貸切のタクシーでどこかへ行くという話をちらりと聞いていました。日本軍には当時フランスの植民地だったベトナムを解放する(日本の侵略ともいう)という大義名分のもとに進駐したのです。捕虜収容所の建物は病院になっていたそうで、お墓にもお参りできてほっとされていました。

大戦前はフランスや日本の2重の搾取にあい、戦後の独立運動からアメリカの介入、そして悲惨なベトナム戦争・・・。平和になった現在でも戦争の爪痕(枯葉剤や地雷など)は残っています。ツアーのバスが通る道路の端で地雷探査機を使う人たちを見て、さすがに呑気な私たち観光客もざわめきました。映画やニュースでしか知らなかったベトナムの現実をただのツーリストとはいえ、いろいろ考えさせられた旅の日々。ベトナム戦争の時はアメリカ軍最大の基地のあったダナンの夜は寝苦しかった・・・。


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1996春の旅(8)ダナン~ホーチミン [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

3/13(水)ダナン9:15→ホーチミン(ベトナム航空)

 ダナンからは朝の飛行機でホーチミンへ飛びましたが、出発がかなり遅れた記憶があります。ホーチミンへは昼近くに到着。ホテルにチェックインして荷物を預けてから、市内の中華レストランで昼食をとり、午後から観光をしました。

ホーチミン・シティは1975年の解放前まではサイゴンと呼ばれていました。フランス統治時代に南ベトナムの都市として発展、「プチ・パリ」と呼ばれたコロニアル様式の建物や教会などの美しい街並みのサイゴン時代の面影を残しています。ただ現在は経済も発展途上にあり、活気があるのと同時に、どことなく落ち着かない、騒がしい都市の顔です。今まで巡った街とはかなり違う印象でした。バイクや自転車も多く、白いアオザイ姿の女子高校生が相乗りして、バスの横を通り過ぎて行きます。華僑の多く住むチャイナタウンのチョロン地区の市場を見学しました。

↓ベンタイン市場(絵葉書)。南ベトナムはさすがに3月とはいえ北海道の夏と言ってもいいくらいです。部屋ばきのスリッパではホテル内を歩けませんし、いちいちウォーキングシューズに履き替えるのも面倒です。踵のあるサンダルですと素足でもOKですから、市場でサンダルを調達2ドルでした。

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↓市場の外側にもお店が多く並んでいます。

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↓天后寺は螺旋状の巨大なお線香が天井からいくつも吊り下げられて、珍しい光景でした。奥の仏壇です。

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南ベトナム最大の仏教の寺である栄厳寺~サイゴン大聖堂(聖母マリア教会)を見学。教会の前には戦争で手足を失った人たちが物乞いをしていました。いやでも幼いころ目にした傷痍軍人の姿を思い出されました。日本のように傷痍年金が出てるのかどうか・・・。

教会の隣には大きな中央郵便局の建物があり、内部を見学しました。19世紀末のフランス統治時代に建てられ、ホーチミンシティの貴重な文化財となっています。両側に窓口が並び、天井が半円形で素敵です。郵便局に用事で来る人より、観光客の方が多いところです。

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 半日観光が終わり、サイゴン川の畔のホテルへ戻りました。今夜の宿のフローティングホテルはその名前の通り、水上に浮かぶ客船をイメージしたホテルでした。↓ホテルの全景(絵葉書)

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 揺れは感じませんでしたが、なんとなく船に乗っているような気分でした。夕食は市内のレストランで久しぶりのフレンチ@Le Mekong ル・メコン。インドシナ風のフランス料理はなかなかいけてました。内装もコロニアル風で、マルグリット・デュラスの「ラ・マン」を思い出したり・・・。サイゴンの光と影、喧噪の描写が特に印象深かったのです。


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1996春の旅(9)ホーチミン~プノンペン [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

3/14(木)ホーチミン13:45→プノンペン14:20

プノンペン/ソフィテル・カンボジアーナホテル 1泊

 ↓ホーチミンのホテルの朝。デッキ風なカフェで。

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 ホテルを9:00に出発して、午後のカンボジアへのフライトまで、半日ホーチミンの観光をしました。まずは統一会堂(旧大統領官邸)へ。南ベトナム政権時代に建てられた官邸の見学でしたが、ほとんど記憶にありませんが、唯一の例外はやはり1975年4月30日のサイゴン陥落の日。下の写真の私の立っている向こうのレズアン大通りから解放軍がやってきたのです。戦車が官邸の鉄柵を突破し、無血でベトナム戦争は終わったのです。

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↓ 来賓室の漆絵

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 次は旧大統領官邸を背にレズアン大通りを行くと、突き当りの公園内にあるのがホーチミン歴史博物館です。南ベトナムの芸術品や文化遺産も展示されています。

↓ホーチミン歴史博物館(絵葉書)

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↓仏像の展示室で

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ホテルに戻り、スーツケースとお弁当をピックアップして空港へ向かいました。途中の道に犬料理の食堂が何軒か並んでいました。旧正月には一般家庭でも犬を食べる習慣がある国です。道々見かけた痩せた犬たちはワンとも吠えず悲しそうに見えました。うちには当時5歳のシベリアンハスキーが居て(13歳で死去)可愛がっていたので・・・(涙)

空港の待合室で添乗員さんが作ってくれたお握りをいただいて、搭乗。国際線とはいえ車では3~4時間で着く距離です。あっという間に、カンボジアのプノンペンに到着しました。入国審査の手続きが面倒で、時間がかかりました。東京の大学生も何人かいて、お喋り。卒業旅行で東南アジア周遊の旅とか。

 カンボジアはベトナムより暑く、街路樹の並木に桜のような花が咲いて、とても綺麗でした。もう少しすると真っ赤な火焔木が咲くので、また来てくださいねとガイドさん。まずはプノンぺン市内の観光です。バスで「ペン夫人の丘」へ。丘の上にはワットプノン(丘の寺の意)という仏教寺院(14世紀建立)があり見学しました。寺院への階段下には内戦で手足を失った人たち(子供も)が物乞いをしていました。

↓ワット・プノンにて

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カンボジアの内戦がどんなものであったかはここでは詳しく記しませんが、プノンペンに着いた早々、ベトナム戦争に続いての悲惨なカンボジアの内戦の傷跡を目にすることになりました。この日はワットプノン見学の後はホテルに入り休憩後、市内のCHK CENTERにて中華の夕食。カンボジアはベトナムより食事は劣ると言われたのですが、野菜たっぷりの鍋物や揚げ物など火を通したものが多かったのですが、ベトナムとは異なったスパイシーさが意外に美味でした。ホテルは当時のプノンペンでは最高クラス。部屋は広く快適、従業員の優しい笑顔も好印象でした。


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1996春の旅(10)プノンペン~シュムリアップ [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

3/15(金)プノンペン16:00→シュムリアップ16:40

シュムリアップ/バンティアスレイホテル3泊

 8:30にホテルを出発。夕刻のシュムリアップ行の便まで、プノンペンの市内観光をしました。まずは国立博物館へ。明日から訪れるアンコールワットの遺跡から発掘された彫刻や仏像を時代を追って観ることができました。博物館の建物はクメール様式の暗い紅色の壁に屋根の先端から伸びる蛇(?)の装飾がなんとも印象的でした。

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↓王宮前広場

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↓独立記念塔

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王宮隣の銀の寺(シルバーパゴダ)へ。回廊の壁画とエメラルドの仏像が有名です。

↓叙事詩「ラーマーヤナ」の壁画

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↓別名「エメラルド寺院」の翡翠で造られた仏像(絵葉書)

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宗教を否定していたポルポトによっても手を出すことができなかった、カンボジアのシンボルです。カンボジア各地の寺院はクメール・ルージュによって破壊されたものも多いなかで、エメラルド寺院は文化遺産を破壊していないという他国へのアッピールだったのです。

 次の訪問地ポルポト収容所は一枚も写真は残っていません。とてもとてもカメラを向けられるところではありませんでした。観光気分はゼロ・・・というより、同じ時代に生きた人たちのあまりにも悲惨な運命に胸がつぶれそうでした。日本にいると、ニュースではベトナムもカンボジアも遠い国の出来事でした。特にカンボジアはジャーナリストの入国が危険だったと思います。善良な国民が何処からの手も差し伸べられず、見捨てられた内戦の実情は、ある程度落ち着いてジャーナリストが赴くようになってから詳しく報道されました。国民の1/3が犠牲になったという大虐殺の歴史・・・ポルポト収容所は現在トゥール・スレン虐殺博物館という名前に代わっています。 

 昼食は市内の金満堂で。食後はプノンペン最大の市場セントラルマーケットへ。ここでツアーのメンバー(シニアの男性)が行方不明という一大事が起きてしまいました。ほとんどの人がマーケットの中に入っていましたから、初めは迷子と思ったのですが・・・見つからないので、現地の旅行代理店からバイクで社員が駆けつけ、あちこち見かけた人はいないか聞き込み。それによるとシクロ(自転車の人力タクシー)に乗って行ってしまったとのこと!集合時間から1時間たっても戻ってきません。まだポルポト派の残党がいたころですから、もしかすると誘拐されたのかもとか悪いことが頭をよぎります。飛行機の時間が迫ってきましたので、後は代理店の方に頼んで、私たちは先にシュムリアップに行くことになりました。そして搭乗の直前になり、汗びっしょりでしたが無事ご本人が到着!お話に寄りますと、市場の前で買い物が嫌いだから立っていたら、シクロがいたので30分回ってと言ったらしいのですが、3時間と聞き間違え?どんどん遠くまで走り、降りたいとゼスチャーしたらトイレに連れて行かれたり、時計を見せて飛行機のゼスチャーでようやく分かってもらえたとか。シクロの人は全然悪い人ではなかった、自分が悪かったとおっしゃってました。シニアの男性と言っても白髪で、珍しく長い顎鬚のおじいちゃんは中国の長老といった感じ、日本人には見えません。某地方都市の動物園の元園長さんで市の名士だと同行の方から伺いましたが、謙虚で純真なところのある方で皆さんにご迷惑をおかけしたと平謝りでしたが、好奇心いっぱいの私たちメンバーは「どこまで行ったの?」とかいろいろ質問攻め(笑)

 カンボジア航空でシュムリアップへ。搭乗のとき気が付いたのですが、座席番号は記入されてなくて、フリーでした。1時間弱で到着し、ホテルへ。当時はまだホテルの数も限られていて、団体を受け入れるホテルはさらに少ないようでした。私は蚊に刺されやすいのでこの時の旅では必需品の蚊取り線香を持参していました。蚊取り線香をたいてから就寝したのですが、夜中に「きゅっきゅっ」という苦しげな鳴き声で目が覚めました。部屋の中に何かが(小動物)居るのは確かですが、正体が分かりません。寝入ってしまってから現れて齧られたらどうしましょう…恐ろしいと思えど真夜中ですから、添乗員さんを起こすのもためらわれ、うとうと・・・。


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1996春の旅(11)シュムリアップ(アンコール遺跡群) [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

3/16(土)

  ほんの2時間程度の睡眠でしたが、早朝5時には起床。5時半からのアンコールワットの朝焼けツアーに参加しました。この日は雲一つない晴れた空になり、アンコールワットの寺院の後ろから昇る朝日が綺麗でした。ただ残念なことに、この時期は乾期なので、寺院前の池には水がなく、絶好のビューポイントというわけではありません。

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 夜が明けた参道には早くも物売りの子供たちの姿。アンコールワットの回廊の浮彫レリーフの拓本画(かなり粗雑なものですが)が100円くらいで売っていました。

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↓絵葉書売りの少年

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 寺院にはまだ入れませんので、いったんホテルに戻り朝食と休憩になりました。このとき添乗員さんに昨夜の奇妙な鳴き声の件を話し、一緒に部屋へ。入った途端目に入ったのがヤモリが急いで隠れるところ!正体が分かりました。他の部屋にも1ペアずつのヤモリが棲んでいるとか・・・。では他の部屋に変えてもらっても同じです。人に危害を加えることもないので、今夜から蚊取り線香は焚かないようにしましょうと一件落着。とはいえ、ヤモリは北海道では見たことがなかったので、気持ち悪かったです。

 10時頃から、アンコール・トムの観光へ。朝観たアンコール・ワットの北に位置するアンコール・トム(大きい町という意味)はジャヤヴァルマン7世(在位1181~1215)によって建立されたクメールが最も繁栄したアンコール王朝最初の都城(周囲12K)です。

↓南大門の阿修羅と神々が大蛇ナーガを引き合っている像のある橋(一部はパリのギメに収蔵されたため模刻)の見事なこと!

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↓ 城門を抜けると中心に建つのがバイヨン寺院です。

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「バイヨンの微笑み」と称えられる四面仏顔塔(観音菩薩像)の素晴らしい迫力。神々の世界を地上に具現化したといわれる、クメールの美!全部で54面あるそうですがかなり摩耗したものも。

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↓バイヨン寺院の壁レリーフ。象に乗った王様?の行進場面。

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睡眠不足と暑さのため、このあたりでかなり疲労感があり、象のテラス~王宮跡などの写真は撮るエネルギーもなかった?ようです。

 バスで市内のレストランでのランチの後、ホテルに戻り休憩になりました。やれやれとベットで1~2時間のお昼寝をして、少し元気になりました。午後3時からはまた観光へ。朝は入れなかったアンコール・ワットの見学です。

↓アンコールワットの全体写真(絵葉書)

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12世紀前半にスリャヴァルマン(在位1113~1145)によって30年の歳月をかけて建立されたアンコール遺跡群最大の大伽藍です。ヒンズー教のヴィシュヌ神を祀る寺院であるとともに王を神格化して祀る墳墓寺院として、西方浄土を拝するように西向きに建てられています。樹海に浮かぶように建てられたアンコールの遺跡群の中でも濠に囲まれ、境内の中は3重の回廊が廻らされています。カメラ禁止だったのか、写真は残っていませんが回廊の壁レリーフはそれぞれ見事なもので、なかでも「乳海撹拌の図」は壮大なテーマを扱った素晴らしいものでした。第二回廊まで登りましたが、急な階段を登る第三回廊は見上げただけで眩暈がしてパス。

↓回廊(第一)とレリーフ(NETから拝借)

Angkor_Wat_-_064_Suryavarman_Gallery_(8580585213).jpg

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アンコールワット第三回廊女神像.jpg

 回廊で偶然アンコールワットの研究で有名な石澤良昭(当時上智大教授)先生をお見かけしましたし、西参道の修復に早稲田の学生さんたちがボランティアで汗を流す姿もあり、日本人として誇らしい気持ちになりました。また一方では内戦の爪痕が・・・地雷で手足を無くした小さな少女が車のついた木箱に乗せられて物乞いをしています。母親が連れてきて、置いてどこかに行ってしまいました。何故神様はこんな残酷なことを・・・なのに何の恨みも怒りもみせない、つぶらな瞳の女の子は天使に違いありません(戦いを暴力を告発する)。

 ホテルに戻り、夕食後はホテルの屋上でアプサラダンスを観ました。ひとり1000円の追加料金で私たちツアーの貸切だったのですが、音楽を聴きつけて何人かの宿泊者が入ってきました。それが気に障るかたもいて、「追い出せ~!」と言って一悶着。減るものでもなし・・・うんざりでした。

夜は疲れとヤモリの鳴き声も聴こえず、熟睡。


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1996春の旅(12)シュムリアップ(アンコール遺跡群)(13&14)帰国 [1996春ベトナム・カンボジアの旅]

3/17(日)

 午前9時にホテルを出発。この日の観光は大回りルートということで、まず昔の火葬場プレ・ループへ。リージェンドラヴァルマン2世(在位944~968)の時代に建立されたヒンズー教の寺院で、境内には名前の由来にもなった石漕(死者を荼毘に付した)が残っています。到着すると朝から待ち構えていた子供たちの物売りに遭遇。商品は家庭での手作業で作られた竹笛で、竹の皮の筒に入っています。軽いので購入しました。

↓石漕の前で(竹笛を手に)

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↓物売りの子供たちのはにかんだ笑顔が可愛い。

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↓狛犬?

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 そしてニャック・ポアンへ。「絡み合う蛇」の意味のある遺跡で、中央池の中心に観世音菩薩の祀られた御堂があり、池はもともと医療目的で設計され、菩薩が化身した神馬伝説も残る人口の池です。(写真はWebから拝借)

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↓祠で水に触れて、ご利益を願いました。

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 次はプリヤ・カン寺院を訪れました。ジャヤバルマン7世が1191年に建立、亡き父に贈った菩提寺です。往時には10万もの人々が住んでいたという大寺院(大乗仏教)ですが、現在は荒廃が進み、崩れるままになっている個所も目立ちました。

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 いったん昼食のため市内に戻り、ボーワレストランへ。とにかく暑くて汗をかいたので、食後はホテルに戻り、着替&休憩。午後2:40再び観光へでかけました。午後は小回りルートです。まず、バンティアイクデイへ。12世紀にジャヤヴァルマン7世によって建立された数々の遺跡群のなかでは砂岩の風化の激しいところでした。

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 そしてタ・プローム寺院へ。ここはカシュガルの樹が遺跡に覆いかぶさるように根を伸ばし、その熱帯の植物の逞しさに驚きでした。勿論心配なのは遺跡の保存状態です。当時は内戦の影響もあり、まだ手つかずの状態でしたが、現在はどうなっているでしょうか・・・。

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↓タ・プロームの観光を終えて、近くの村はずれ

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↓子供たちが楽器演奏とダンスで、お小遣い稼ぎです。まだ幼い女の子がけなげに踊る姿に胸打たれました。

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 夕陽を見るためにプノン・バケン(バケン山)へ。山上の寺院への急階段を登ると素晴らしい風景が目の前に広がりました。

↓プノン・バケン寺院

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↓僧侶の姿がよりエキゾチックです。背景にアンコールワットを遠望。

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↓上手く撮れませんでしたが落日

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 夕食はホテルのレストランで。アンコールビールで乾杯。このアンコールビール、初めは日本のビールと違う味で違和感がありましたが、毎日飲むうちに慣れたのか?美味しくなってきて、名残惜しい気持ちでした。

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3/18(月)

 午前7時にホテルを出発。空港で通訳のサムナンさんとお別れしました。詳しくは訊きませんでしたが、彼は戦争で近親者を亡くし、日本語を勉強中の苦学生とのこと。正直日本語はまだ未熟でしたが、気の優しい青年でした。日本で勉強したいと言ってましたが、その後希望がかなえられたでしょうか。

 さて、カンボジア航空でプノンペンへ。乗り換えに時間があり、市内ドライブした後、ベトナム航空でホーチミンへ。市内のレストランで、久しぶりのベトナム料理でランチ。そして真夜中の出発便まで、市内のレックスホテルへチェックイン。夕食までホテルでのんびり過ごしました。素敵なホテルでお茶したり、夕食もここのレストランで、最後の晩餐。何を食べたのか忘れましたが、豪華なベトナム料理を堪能しました。

↓レックスホテルの部屋で。親しくなったかたと記念写真。

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 夕食後23:35発のベトナム航空にて関西空港へ。

3/19(火)

 早朝、6時頃関空着。乗り換えて札幌に戻りました。まだまだ早春の寒い札幌、細かいことは忘れましたが、オーバーコートは関空か千歳に預けて行ったのでしょう。温かいスタイルで、変わらずに雪の積もる我が家に戻りました。

↓アンコールワットで買い求めた回廊レリーフの拓本画「アプサラのダンス」。窓からの光が反射して斜め撮り。

IMG_0006.JPG

 最後になって、旅や書きかけの記事が保存ミスで消えてしまったりで、やる気を失い・・・長くかかってしまいました。ベトナムもカンボジアも紛争や内戦の爪痕がまだ残っているころでした。地雷がまだ残っているので、勝手に観光コースから離れたりできませんでした。両国ともようやく平和になったとはいえ日本から見るとまだまだ貧しい暮らしを余儀なくされています。そのなかで子供たちの明るい笑顔(学校が少なく午前午後の2部制)が頼もしく見えました。機械化されていない懐かしいような農村や牧畜風景など、貴重な遺跡群にも増して印象深い旅になりました。(終)


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