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1998春の旅(2)ミラノ(ベルガモ) [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/16(月)

 簡素な朝食でしたが、カプチーノが美味しくておかわり、習いたての「アンコーラ、ぺルファボーレ」を使ってみました(もちろんOK 笑)。この日は日帰り観光でベルガモへ。ミラノから1時間弱の列車の旅。何度もイタリアに来られているO先生やY子さんにおんぶにだっこの気楽さで、お喋りしているうちにベルガモ駅です。ベルガモの見どころはチッタ・アルタと呼ばれる丘の上の旧市街にあり、ケーブルカーで登ります。

↓ヴェッキア広場で

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隣接するドゥオーモ広場にはドゥオーモ、サンタ・マリア・マッジョーレ教会、コッレオーニ礼拝堂と洗礼堂が並んでいて圧倒されます。

↓コッレオーニ礼拝堂/1476年、ヴェネツィア共和国に仕えていた傭兵隊長バルトロメオ・コッレオーニが自分の墓として建てたもの(設計アマデオ)。正面の装飾壁に使われた白と薔薇色の大理石が華麗。

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↓洗礼堂/八角形のお堂、オリジナルは1340年ですが、19世紀に再建したもの。見学不可。

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17世紀の豪華なドゥオーモはパスして、裏通りを抜けてサンタ・マリア・マッジョーレ教会の正面へ。

↓ドゥオーモからのサンタ・マリア・マッジョーレ教会(後陣)

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↓こちらはサンタ・マリア・マッジョーレ教会の裏口(ドゥオーモ広場側)

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↓教会正面の写真がありませんのでWikiから拝借しました。

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☆Santa Maria Maggioreサンタ・マリア・マッジョーレ教会

 ロマネスク様式(12世紀後半)の教会ですが、さきほどのコッレオーニ礼拝堂と隣接していることもあり、かなり複雑な建築になっています。正面は先ほどのドゥオーモ広場の裏側にあたり、張り出したポーチが付いています。内部もまたとりとめもなく複雑なため、ほとんど記憶に残っていません。ベルガモはイタリアオペラの作曲家ドニゼッティの故郷でもあり、彼のお墓所もこの教会にあります。

↓ドニゼッティの墓碑(絵葉書)

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 ランチまでまだ時間があり、O先生ご指定のレストランに13:00集合することにして、丘を降りた下町にあるカッラーラ・アカデミー美術館へ向かいました。時間もなく(12:30から昼休み)、おまけに同行してくれた友人がタクシーにカメラを忘れ、ポリスまで紛失届けに行ったりして(いい加減な対応でした)、あわただしい鑑賞になってしまいました。

☆Pinacoteca dell'Accademia Carraraカッラーラ・アカデミー美術館

 18世紀の新古典主義様式の館に設けられた絵画館には国際ゴシック様式から18世紀のヴェネツィア絵画までが主に展示されています。地方の美術館は昼休みには閉館するところが多く、ここも時間になって、追い出されてしまいました。2階建ての古い館での展示室は知名度の高い割に広くもなく、木の床がギシギシで立派でもないのですが、なんたってクリヴェッリ、マンテーニャ、ピサネッロが揃って見られると云うのですから文句などありませぬ。

↓ピサネッロPisanello「リオネッロ・デステ」(1441) 28×19

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ピサネッロは全作品が約10点と少ないので、ヴェローナの二つの聖堂のフレスコ画も含め、ほとんど見学が済んでいます。彼は肖像メダルの作家でもあったので、ここの「リオネッロ・デステ」の肖像画もメダル風に真横から描かれています。モデルについてはここでは詳しくは言及しませんが、フェラーラのエステ家の何代目かの当主だそう。賢そうなプロフィールです。
クリヴェッリとマンテーニャのヴェネチア派の聖母子やロンバルディア派のベルゴニョーネ「授乳の聖母」などを鑑賞し、絵葉書を買うのもせかされての退出でした。

↓Carllo Crivelli「聖母子」1480頃 45×33

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↓Andrea Mantegna「聖母子」(1470頃)43×31

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↓Sandro Botticelli「ジュリアーノ・デ・メディチ」のヴァリアント?

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 バスで友人たちの待つ駅前の通りを2.3ブロック行ったところの☆☆のレストランCavourへ。、オペラ仲間との賑やかな贅沢ランチでした。フランス風の洗練されたイタリアンは上品なお味。日本人のコック見習いの方が挨拶にみえました。1ヶ月に一度くらいの割合で日本のお客さんが見えるとのことでした。 将来は日本に帰ってイタリアンのレストランを 開くのが夢と語る青年は長女と同じ年齢でした(1998年当時26歳)。友人がカメラをタクシーに置き忘れたという話をしましたら、タクシーの運転手さんに知り合いがいるからと、電話してくれました。タクシーのお仲間に訊いてもらったりして・・・結局見つからなかったのですが、ご親切に感謝でした。

 ミラノに戻り、当夜はムーティのコンサートがあったのですが、チケットを事前に手に入れることができなくて、私はあきらめてホテルに残りました。何人かはスカラ座の前でダフ屋からチケットを買って聴いてきました。ダフ屋からチケットを買っていると地元の婦人に買わないようにと注意されたとのこと。スカラ座のチケット販売は不透明な部分があり、チケット屋の大量買い占め?でしょうか、この後スカラ座に行ったときは何度か不愉快な思いをしました。

 さて、明日は1泊泊まりでレッコに行きますので、準備をして就寝。


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1998春の旅(3)ミラノ~レッコ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/17(火)ミラノ12:15→レッコ12:54

レッコ(マルグラーテ)/ホテル・イル・グリーゾ1泊

 スーツケースをホテルに預け(きちんとしたトランクルームでなくて裏庭の片隅に)、雨が降ったらスーツケースの中身が濡れないかしらと心配しながら、出かけました。昼ごろの列車の出発まで時間があり、スフォルツァ城へ。7年前にツアーで来たことがあり、博物館は簡単な見学のみだったのですが、今回は外部だけの見学。次回来ることがあれば中世の彫刻などゆっくり観たいものです。

 *スフォルツァ城は煉瓦造りの元は14世紀の要塞だった建造物。15世紀に当時のミラノ公フランチェスコ・スフォルツァが本拠地の城として改装。その後は様々な動乱の時代を経て1893年から修復に入り、元の姿に戻されてきました。城内には大きく3部門に分かれた博物館があり、初期キリスト教の彫刻からの古美術部門や絵画館、装飾部門など、一級品のコレクションを有しています*

↓スフォルツァ城・城壁内部の中庭にて

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 そして、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が観たいという友人2人と徒歩でサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会(ルネッサンス期の建立)へ。7年前には修復中だったフレスコ画も完成して話題になっていたこともあり、私も再見したかったのですが、予約していなかったので待ち時間があり、断念。教会と回廊の見学だけしました。

↓アーモンドの花が満開の回廊から眺めた後陣(15世紀に増築)。壁はレンガと大理石の装飾。

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 ミラノ中央駅から列車でレッコへ。レッコ駅からはタクシーで数分の湖畔の宿に入りました。このホテルはO先生が「地球の歩き方」を見て、料理が評判の宿らしいとのことで予約してありました。早速レストランでランチです。ディナーが楽しみなので、パスタ一皿で我慢して、湖畔の町の散策に出かけました。レッコの街までは1.5Kくらい。ホテルの建つマルグラーテはレッコの街の対岸にあり、コモ湖の一部(人の字の右下)にかかる長い橋を渡ってレッコへ。

↓湖畔を散歩。背景の白い岩肌をみせているのはサン・マルティーノ山(雪をかぶっているのではありません)。

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↓ホテルのベランダからの眺め。左の岩山が先ほどのサン・マルティーノ山、右がレゼゴーネ山。

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 白い岩山が夕日に映えてピンクに染まります。前年巡ったドロミテの山々を思い出しました。さて、ディナーの時間になりました。お洒落をして集合、暮れゆく湖を眺めながら極上のイタリアワインと美味しいお料理の数々に大満足でした。


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1998春の旅(4)レッコ~ミラノ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/18(水)レッコ14:47→ミラノ15:30

↓レッコ遠望(絵葉書)

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 コモ湖畔でのんびり滞在を愉しんだのですが、ひとつ残念なことがありました。ここまで来てチヴァーテのサン・ピエトロ・アル・モンテ修道院訪問がかなわなかったことです。宿泊したマルグラーテからチヴァーテまで4Kほどの距離ですが、かなりハードな山登りの必要があるという情報でした。グループ行動から離れる懸念と今夜のオペラに間に合わなかったら困りますので、諦めました。ランチをレッコの街で済ませ、午後の汽車でミラノに戻りました。

 ミラノは3度めでしたが、イタリア・オペラの殿堂として名高いスカラ座は外観だけ見ていただけでした。今回初めて中に入り、緊張しました。友人たちは何人か着物を召して、しかも年齢無視(ばらしてごめんなさい)の振り袖姿でした。でも仲間内のひいき目ではなく、20歳は若く見えて、とても綺麗でした。彼女たちの和服、日本美はスカラ座をより華やかに引き立てていたと思います。当時まだNETでお知り合いになる前のBowlesさまも2階のバルコンから着物姿の友人たちに気づかれていたとのことです。

♪~ムソルグスキー『ホヴァン・シチーナ』

 指揮:アレクサンダー・ポリアニチェンコ  演出:フェードル・フェドロスキー

フォヴァンスキー公:パータ・ブルフウラドッセ  アンドレイ:ユーリ・マルジン  ゴリツェン公:コンスタンチン・プリュニコフ  マルファ:ラリッサ・デアドコーヴァ  スザンナ:イリナ・ミケヴィッチータ

 マリンスキー劇場客演公演

 初めてのスカラ座のオペラでしたが、長旅の疲れと緊張、そのうえほとんど予習もしないままに来てしまったものですから、途中で曝睡状態。ムソルグスキーの音楽特有のあのロシアの鐘の音も心地よく響いて・・・そんなわけでほとんど憶えていないのです。最後の火をつけての集団自害の場面にはびっくり!!そして目が覚めました。ロシアにも宗教改革があったことをこのオペラを観て初めて知りました。それにしても、オペラを楽しむためには、まず体調に気を配る必要があることを思い知らされました。

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↓スカラ座の前で。終演後はスカラ座隣のレストランで、飲んで食べて・・・ミラノの夜は更けました。

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1998春の旅(5)ミラノ~ボローニャ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/19(木)ミラノ10:05→ボローニャ12:30

ボローニャ/グランドホテル・バリオー二

 ミラノのホテルから中央駅までは至近距離ですが、重いスーツケースを運ぶのは大変なので、タクシー移動でした。タクシー運転手さんにとっては嫌~なお客さんでしたでしょう。列車で1時間半のボローニャへ。

↓列車で。

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 ホテルは滅多に泊まることのない5☆です。何故ここを選んだかと言いますと、この夜のオペラのチケットが取れないので、コンシェルジュに頼むためなのです。その甲斐あって8枚揃いました~!ランチはホテル近くのDa Nelloで。ボローニャは食通の街としても知られているので、手打ちのクリーム・パスタ(ポルチーニだったかしら?)の美味しかったこと!

 昨夜のミラノでの失敗から学び、オペラの前は仮眠をとり、ロビーに集合まで部屋で過ごしました。そうそう、ミラノ以外はすべてシングルルームでした。

↓目をつぶってしまいましたがホテルのロビーで。

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♪~ヴェルディ『ドン・カルロ』

指揮:エリアフ・インバル  演出:ロベルト・ポラスキー

フィリッポ二世:カルロ・コロンバーラ  ドン・カルロ:ラ・スコーラ  ロドリーゴ:パオロ・コーニ
  エリザベッタ:ダニエラ・デッシー  エボリ妃:ルチアーノ・デンティーノ

私の席は3階のバルコン。この日は日本人のツアーも他にあり、そのなかの東京芸大出身の歌手のHさんと隣席になりました。おばさんたちと一緒ですが少しも嫌がらず爽やかな好青年。偶然にも前年暮、その方も一員だったクリスマス・オラトリオを札幌で聴いていました。素晴らしい声で、印象に残っていた後方のバスパートの方ね・・・と、いうわけで一気に親しみがわき、話がはずみました。

プラティアには指揮の若杉弘氏の姿も・・・この年の夏の琵琶湖ホールのオープンに招聘した『ドン・カルロ』の視察のためだったようです。
さて、肝心の舞台ですが、エボリ公妃のディンティーノの歌が際立って良かったです。ザルツでのボロディナといい、メゾ・ソプラノの優秀な歌唱に接し、次第にメッゾ贔屓になっていきました。
ヴェルディのオペラでは『ファルスタッフ』と並んでお気に入りの双璧。演出はロドリーゴの同性愛的な友情という感じ。アフターオペラはそのことで話が盛り上がりました。

参考映像/直前の1998年1月にオペラ教室で

テバルド(エリザベットの小姓)・・・・・・・ ベッシイ・ノーデン(ソプラノ)
エリザベッタ・・・・・・・・・・・・・・・・ ミレルラ・フレーニ(ソプラノ)
ドン・カルロ(スペインの王子)・・・・・・・ プラシド・ドミンゴ(テノール)
レルマ伯爵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ジョン・ギルモア
修道僧・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ジュリアン・ロビンス(ソプラノ)
ロドリーゴ(ポーサ侯爵)・・・・・・・・・・・・・・・ ルイ・キリコ(バス)
フイリッポ二世(スペイン王)・・・・・・・・ ニコライ・ギャロウ(ソプラノ)
エボリ公女・・・・・・・・・・・・・・・・・・ グレース・バンブリー(バス)
王の使者・・・・・・・・・・・・・・・・ チャールズ・アンソニー(バリトン)
天の声・・・・・・・・・・・・・・・・・ マーヴイマ・マーテイン(ソプラノ)
宗教裁判長(大審問官)・・・・・・・・・ フエルッチョ・フルラネット(バス)
・・ ベレント・ヴァイルル(演技)
ボルサ(廷臣)・・・・・・・・・・・・・・・ レミー・コラッツア(テノール)
 
メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団
指揮:ジェームス・レヴァイン
演出:フランコ・ゼッフィレッリ

 前日より体調も良くなり、油断しました。夜遅くのワインやボローニャ・フードの食べ過ぎがたたって、その夜は胃痛で眠れぬまま朝を迎えました。皆さんに迷惑かけたらどうしましょう・・・涙























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1998春の旅(6)ボローニャ~フィレンツェ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/20(金)ボローニャ12:38→フィレンツェ13:32

フィレンツェ/ホテル・ウニコルノ 2泊

 こういうときはドクターと一緒なのは心強いです。朝になりO先生にお薬をいただいて、まもなく胃痛はおさまりましたが、体に力が入りません。大事を取って昼ごろの出発までベットに横になっていました。そしてなんとか快くなり、観光された後ロビーに戻ってきた皆さんとフィレンツェへ向かいました。ボローニャでは結局ほとんど観光できなくて(涙)。そのうえ残念だったのはフィレンツェではオペラのチケットは手配できず、予定していた『オルフェオ』は観ることができません。しかしBowlesさんはチケットをゲットできてご覧になられたそうです。当時はお互いに名前も顔も知らない頃、フィレンツェの街でもすれ違っていたかも知れませんね。

 フィレンツェのホテル・ウニコルノはマダムが日本人でした。どこへ行くのも便利なロケーションで、すっかり元気になった私は2回目のフィレンツェをあちこち歩き回りました。まずはドゥオーモとその背後にある付属の博物館へ。

☆大聖堂付属美術館Museo dell'Opera del Duomo   ここには14~15世紀に洗礼堂、大聖堂及びジョットの鐘楼を飾っていた彫像のオリジナルが移転されています。ミケランジェロの未完の「ピエタ」をはじめ、ドナッテッロの「マグダラのマリア」「聖ヨハネ」、ロッピアのレリーフなどが展示されています。中での白眉は「聖歌隊席用欄干」の浮彫りです。楽器を奏で、合唱する少年たちの無垢な表情~讃美歌が聴こえそうです。

ルカ・デッラ・ロッピア「Cantoria Particolare聖歌隊席用欄干」(1431~38)(絵葉書)

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↓ミケランジェロ「ピエタ」

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↓大聖堂近くで

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そして、シニョーリア広場へ。

☆ヴェッキオ館(市庁舎)Palazzo Vecchio  イタリアにおける中世の公共建築物として最も貴重なものであり、内部空間は様々な芸術家によって装飾されています。原型はコンパクトな並行六面体の3階建て、その上部は屋上には狭間付きの高い張り出しの回廊。塔は1310に完成した高さ94Mの狭間つき。全体の写真がないので、Palazzo VecchioのHPから拝借しました。

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入口から入ると中庭になっていて、修復中だったのですが、プレハブのような切符売り場があって入場できました。

↓「500人の大広間」では討論会?TVカメラで収録中でした。ですからここにあるミケランジェロの「勝利の神」や両サイドの壁画も記憶にないのが残念です。

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↓フランチェスコ1世のスタジオの装飾はトンド(円形)の「トレドのエレオノーラ」(絵葉書)ブロンズィーノと思ったらAlessandro Alloriの作とのこと。なおトレドのエレオノーラはコジモ1世の妻です。

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 他にも16世紀の大改造のときに指揮を執ったヴァザーリの豪奢な装飾で埋められた「公爵の書斎」やギルランダイオの古代ローマの人物像を描いた「百合の間」など。彫刻ではドナッテッロの「ユーディットとオロフェルネス」がダントツ素晴らしいです。当時は「立派な建物だから~」くらいのノリで入館したので、内部の1度では見切れないほどの装飾やコレクションに驚きました。何年か後に再訪したのですが、改装のためか見学不可でした。

 夕食はホテル近くのレストラン「イル・ラティー二」で。初めてビステッカ アラ フィオレンティーナを賞味。「なんて美味しいの!」と大感激。デザートは小さな苺にレモンソースがけ(これはこの後の旅でも探しても見当たらず)も忘れられません。友人たち8人の賑やかなディナーでした。

↓ホテル・ウニコルノの部屋。ダブルベット、木の床、割合広くて良い部屋でした。

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1998春の旅(7)フィレンツェ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/21(土)

 この日はオペラもないので、目いっぱいフィレンツェの街を独りで歩き回りました。まずはホテルからアルノ川にかかるカッライア橋を渡り、カルミネ教会へ。7年前には修復中だったブランカッチ礼拝堂のマザッチオとマゾリーノのフレスコ画がお目当てでした。でも昼過ぎにならないとオープンしなかったのか、まだ修復中だったのか、記憶が途切れていますが観ることは敵わず、教会だけ覗いて。。。

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 次の目的はやはり7年前のツアーでは見学しなかったピッティ宮殿にある美術館へ。

☆パラティーナ美術館  メディチ家のライバルだったピッティ家の宮殿は1458年に着工したのですが、完成前にピッティ家の当主が失脚したので100年近くも未完のままでした。16世紀の中ごろになってメディチ家のコジモ1世による増築と17世紀の大改修によって現在の姿になりました。その後はイタリア国王の居城にもなり、膨大なコレクションを所有していました。1919年に政府に寄贈され美術館になりました。 ラファエロとティツィアーノの名品揃いのコレクションに加えてフィレンツェで活躍した画家たちのフィリッポ・リッピ、ロッソ・フィオレンティーノ、アンドレア・デラ・サルトらがそろい踏み。ほかにはカラヴァッジョやジェンテレスキ父娘、ティントレットなども。下の写真はすべて絵葉書です。

↓ラファエロ「ヴェールの婦人」(1516頃)85×64  モデルはローマのパン屋の娘でラファエロの恋人。暖かな眼差しの庶民的な娘さんに、抑えた色調の衣裳の描写も素晴らしい~。

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↓ジョルジョーネ「三世代の男/合唱」1500頃 62×77 かってはG・ベッリーニやロットの作と考えられていましたが、近年の修復によりジョルジョーネに帰せられたようです。

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↓ティツィアーノ「ラ・ヴッラ/婦人の肖像」1536 100×75  モデルは不明ですが、ウフィッツィやウィーンにある名画のモデルと同一人物。魅力的な美人に豪奢な宝石の髪飾りやドレスの描写も素晴らしい。

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↓アンドレア・デル・サルト「洗礼者ヨハネ」94×68  デル・サルトは16世紀前半にフィレンツェで活躍。彼の画風は弟子であるポントルモやロッソ・フィオレンティーノに受け継がれ、マニエリスムにつながっていきます。

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↓アルテミシア・ジェンテレスキ「ユデットとその侍女」114×93.5  父のオラツィオと共にカラヴァッジョの強い影響を受けた女流画家。この作品は旧約聖書を題材にユデットと自分自身を重ね合わせたとみられています。

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実はこの美術館に来るまで彼女の作品は観たことがなかったので、もう一点の「ユデットとホロフェルネス」と合わせて、強い印象を持ちました。この翌年でしたか、彼女の壮烈な生涯を描いた映画が公開されました。映画の出来はやや興味本位に流れた感があり?でしたが・・・。

↓NETで見つけた映画「アルテミシア」ポスター

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 ランチの後はいったんホテルに戻り休憩して、午後遅くにウフィッツィ美術館へ。7年前にツアーで来て以来ですが、イタリアの美術館でもトップのここウフィッツィの人気はあのころの比ではありません。特に午前中はツアー客が多いので、大混雑。まだ予約システムもないころでしたから、夕方閉館前を狙って入りました。

☆ウフィッツィ美術館(2)  

 1991年以来の再訪です。まずは1200年代のジョットとドウッチョの部屋から初期ルネッサンスの部屋まで。

↓マザッチョとマゾリーノ「聖アンナ・メッテルツァ」1424頃 175×103

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聖母子と右上の天使はマザッチョ、聖アンナと他の天使たちはマゾリーノが描いた共作。聖アンナの右手と左手がこの一見静止した画面に動きを与え、聖母子を守護する立場を強調しています。この展示室にはほかにもピエロ・デッラ・フランチェスカやウッチェロなどがあり、フィレンツェの誇るルネッサンス絵画はこれから始まるというわくわく感でいっぱいになります。そしてリッピ親子の部屋へ。

↓フィリッポ・リッピ「聖母子と2天使」1465頃 95×63.5

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聖母のモデルはリッピが駆け落ちまでして恋を貫いた修道女のルクレツィアとされています。額縁で飾られた風景画を背景に、聖母の魅惑的な横顔、自然な表情の幼子と天使たち。後のボッティチェッリやダ・ヴィンチにも影響を与えた名画です。そして、これまたフィレンツェで活躍した画家ボッティチェッリの世界最大の作品コレクションが5室に渡って続きます。

↓サンドロ・ボッティチェッリ「ザクロの聖母」1487頃 トンド143.5

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幼児イエスの持つザクロは受難のシンボル。6人の天使たちの持つ百合や薔薇は聖母マリアの純潔と慈悲を表しています。トンドに配置された聖母子や6天使の見事な構図や色調の格調の高さに脱帽です。この部屋にはボッティチェッリの大作「春」「ヴィーナスの誕生」のほかに、15世紀後半のネーデルランドの画家ヒューホ・ヴァン・デル・グースの「ポルティナーリの祭壇画も展示されています。次はダ・ヴィンチの部屋~また閉まっていたトリブーナ(8角形のギャラリー)を通り過ぎ、ミケランジェッロのある部屋へ。

↓ミケランジェロ「トンド・ドーニ」1506~8頃 トンド120 

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フィレンツェに現存するミケランジェロ唯一の絵画作品。フィレンツェの商人ドーニ家のために、円形画として描かれたもの。1506年にローマで古代彫刻のラオコーン像が発見された(ミケランジェロも発見現場に駆け付けた)後に描かれたことは聖ヨゼフの後方の裸の若者のポーズをこの像からとっていることから推定されています。聖家族の3人の姿は螺旋状に絡み合っていて、冷たい色調と共に強い印象を受けました。マニエリスムの先駆的作品。最後は1600-1700年代のコレクションから

↓カラヴァッジョ「イサクの犠牲」1592-1604 104×135

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アブラハムは神の言いつけにより息子アブラハムを犠牲に捧げようとした、その時に天使が現れた場面を、旧約の場面よりもさらに劇的な構成と光と影に浮かび上がる表現で描いて見せました。作品の製作年も来歴も明らかでない作品ですが、ぴか一の傑作には間違いありません。

↓ギャラリーから

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↓共和国広場

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 夕食までいったん宿に戻りましたが、今日の美術行脚がハードだったのか、疲れで背中が痛くなり、痛みどめを服用。食欲もないので、油系のイタリアンはパス。当時フィレンツェにあった「竹亭」という和食屋で、同情して付き合ってくれた友人と二人で食事。お陰様で淡白な和食をいただき、なんとか痛みも治まりました。感謝です。


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1998春の旅(8)フィレンツェ~ローマ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/22(日) フィレンツェ10:55~ローマ12:55

ローマ/チェントロホテル2泊

 海外旅行で体調を崩したケースは多いのですが、このときも初めてのオペラ仲間との旅だったからでしょう。皆さんに心配おかけしてはいけないと思う気持ちもあり、心身ともに厳しいモノでした。でも、この日は昨夜の胃に優しい和食とよく眠れたこともあって、元気になれました。この朝は最終地であるローマに列車移動する前にサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の見学をしました。

↓絵葉書ですが夜のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会(ゴシック13~14世紀)

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☆サンタ・マリア・ノヴェッラ教会&緑の回廊(初)  7年前ツアーのフリータイムの時訪れたのですが、クローズされていたので、今回は楽しみでした。教会はゴシック様式のようですが、ファサードは大理石を使い半円アーチが連なった優美なもの。正面は閉ざされていますので、教会右の墓地の入り口から入ります。

↓マザッチョ「三位一体、聖母、聖ヨハネ、寄進者夫妻」1426~28頃 667×317  教会内に入ってすぐ目の前にマザッチョの代表的大作。遠近法を建築空間の再現に正確に適用した絵画史上最初の作品。

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1568年に一度塗りつぶされていて、1861年に再発見。現在の場所に戻された1952年に下部の石棺メメント・モリが発見されました。

↓ブルネッレスキ「キリストの十字架像」 主祭壇左のゴンディ家の礼拝堂に飾られています

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↓ジョヴァンニ・デッラ・ロッピア作の洗礼盤

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他にもギルランダイオの壁画連作など。教会というより美術館の趣のあるフィレンツェきっての名教会です。さらにファサードから左にある修道院の回廊(キオストロ・ヴェルデ)も見逃せません。

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↓ウッチェロ「ノアの洪水」と「ノアの泥酔」

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ウッチェロ Paolo Uccello(1397~1475)15世紀イタリアの画家。フィレンツエでモニュメンタルな壁画を製作。幾何学や遠近法を用いた空間表現に特徴があります。また写実を超えた奇想と想像力あふれる画境を開拓。ウッチェロの想像力にしばし感嘆。暗い空、溺れる人物の空間処理は驚くほどの斬新さです。戸外に面した回廊に描かれたため、風雨にさらされ傷みの激しいのがとても惜しいです。

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 そして列車で2時間のローマに向かいました。ローマのホテルはローマ歌劇場至近距離のホテルでした。

♪~ヴェルディ「ナブッコ」 16:30開演

指揮:ダニエル・オーレン 演出:ファビオ・スパルボーリ

ナブッコ:レオ・ヌッチ  イズマエーレ:ナザレノ・アンティノーリ
ザッカリア:フェルッチョ・フルラネット アビガイッレ:ゲーナ・ディミトローヴァ  フェネーナ:フランチェスカ・フランチ

せっかく朝は体調も良くなってきていたのに、ローマのホテルの部屋は暖房が効かず(私の部屋のは故障?)、オペラまで仮眠したかったのですが・・・かえって気管の弱い私は咳がひどくなって最悪でした。そのせいもあり、記憶もおぼろですし、ろくに予習もしていなくて・・・だが、オーレンの熱のこもった指揮、「金色の翼~」の合唱の素晴らしさとそのアンコールは感動的でした。オーレンはそのころ頭にユダヤの小さな黒い帽子を乗っけていました。オペラ入門したばかりで歌手の知識もなかった頃でしたが、ヌッチやF・フラリネット、ディミトローヴァと、当時の一流の歌手たちだったのですね(汗)

参考映像:ヴェルディ(1813~1901) <ナブッコ>

Nabuccoナブッコ(バビロニアの王)・・・・・・・・・・ レナート・ブルゾン(バリトン)アビガイツレ(ナブッコの娘として育てられた奴隷の娘)・・・・・・・・・ ゲーナ・デミトローヴァ(ソプラノ)ザッカーリア(ヘブライの大祭司)・・・・・・・パータ・ブルチュラーツエ(バス)イズマエーレ(イエルサルムの王の甥)・・・・ブルーノ・ベッカーリア(テノール)フェネーナ・・・・・・・・・・・・・ラフェル・ピエロッテイ(メッゾ・ソプラノ)ベルの祭司長・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ マリオ・ルベーリ(バス)アブダッロ(バビロニアの王の忠臣)・・・・・エルネスト・ガヴァツイ(テノール)アンナ(ザッカーリアの姉)・・・・・・・・・フランチェスカ・ガルビ(ソプラノ)ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団合唱指揮:ジュリオ・ベルトラ指揮:ロベルト・デ・シモーネ収録:1986年12月21日 ミラノ・スカラ座
 

 歌劇場隣のホテルだったので、私の部屋の窓から楽屋口が見えました。唯一顔を覚えたレオ・ヌッチが見えないかと、監視していたのですが無駄に終わりました。暖房故障の部屋は満室のため変えてもらえず、翌日修理をしてもらったものの、まだ寒い~。結局あきらめて。。。

 オペラのはねた後、タクシーでローマの下町の雰囲気の残るエリアで賑やかに夕食をしました。すごく流行っているお店で、パスタやいろいろなお皿を皆で取り分けていただきました。当時のヨーロッパでシェアして食事をするのはマナー違反?だったのかもしれませんが・・・。ワインも美味しく、この時の旅ではフィレンツェのビステッカとここの食事がベストでした。ワインを飲んで体も温まり、なんとか眠ることができました。


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1998春の旅(9,10,11)ローマ&帰国 [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/23(月)

 旅もこの日が最後です。朝食を済ませて、早速ローマ観光へ出かけました。主に美術館巡りですから独りでと思ったのですが、フィレンツェで和食をご一緒してもらったKさんに、同行を申し込まれ断ることはできません。二人でホテル近くのナツィオナーレ大通りからバスでヴァティカン博物館へ。

↓入口の螺旋階段で

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☆ヴァティカン博物館(2) 前回のツアーでは回れなかった絵画館に行きたかったのですが、人の流れに沿ってしまうとはずれてしまい、結局は後戻りできず・・・諦めました。まずは何度見ても感嘆!の古代彫刻の並ぶピオ・クレメンティーノ美術館へ。ウフィツィのミケランジェロ「トンド・ドーニ」を見てきたばかりでしたので、まずラオコーンの見学から~トルソやジュピター、石棺なども。

↓「ヴェルヴェデーレのアポロ」の前で

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「ラファエロの間」からシスティーナ礼拝堂の間にもいくつか見どころがあります。ツアーでは寄りませんので、今回初めて「ニコラウス礼拝堂」のフラ・アンジェリコの壁画(聖ラウランティスや聖ステパノの生涯)を観て、ボルジアの居室(生憎クローズでした)を確認できました。システィーナ礼拝堂は見物客がわんさかのうえ、以前のようにベンチに空きもありませんから立ちっぱなし・・・。システィーナの修復なった「最後の審判」と側壁及び祭壇前の15世紀末のトスカーナの画家たちによる壁画を鑑賞。なかではボッティチェリのモーゼの物語から、プルーストの「失われたとき」にでてくる美しいチッポラ(モーゼの妻)↓を近くで眺めて

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ここから近道の秘密?の階段(誰も歩いていない)を降りて、サン・ピエトロ大聖堂へ。

☆サン・ピエトロ大聖堂(2) 今回はバロック様式のベルリー二の祭壇をじっくり再見。ミケランジェロの「ピエタ」は右奥の壁際に移動して、立派なガラス張りの大理石の展示室のなかです。照明が煌々と明るすぎるほど。暗くて一生懸命目を凝らして眺めた昔の展示が懐かしくなってしまいました。教会のなかというより美術館でみているような気分で違和感。

↓堂内にて(友人のカメラの日付けが?)

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 そしてまたバスで来た時と同じルートを戻り、ナヴォーナ広場へ。広場に面したトラットリアで簡単なランチをとった後、近くのサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会へ。この教会自体は特に見所はありませんが、礼拝堂にはカラヴァッジョの重要な作品があります。がらんとした教会の奥の礼拝堂に人が固まっていて、すぐにそこが目的の礼拝堂と分かりました。堂内は暗いので、コインを入れて鑑賞します。「聖マタイと天使」「聖マタイの召命」「聖マタイの殉教」の3つの大作。特に好きなのは「聖マタイの召命」、窓からの光が斜めに射し、浮かびだされたキリストの横顔の聖なる人としての表情が素晴らしいです。この時は小銭を照明に使い果たして、自動販売機の絵葉書を買えませんでした。この後はパンテオンの広場を通過してドーリア・パンフィーリ美術館へ。途中サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会にも寄りました。

サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会の内部。途中でショッピングしたのか記憶にありませんが、ここでは絵葉書が買えました。教会は古代ローマのミネルヴァ神殿の遺構を基に築かれたそうですが、改築が重ねられ現在の教会は19世紀に改造されたもの。

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↓ミケランジェロ「あがないの主、イエス・キリスト」の彫刻。腰布がとってつけたような不自然さなので後補かも。

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↓フィリッピーノ・リッピフレスコ画「聖トマス・アクィナス」

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ここから東方向に行くとドーリア・パンフィーリ宮殿(15世紀築)です。大階段を登って美術館へ。豪壮な宮殿の一部が美術館ですが、かなり歩く範囲が広く、ハードな美術行脚になりました。そのせいか以後のローマ訪問では再訪していません。

☆ドーリア・パンフィーリ美術館 ローマの貴族パンフィーリ家のコレクションと豪華な室内装飾も見学できます。この美術館の目玉はカラヴァッジョから直接購入したという初期の傑作2点です。大事な宝ものは一番奥の部屋に展示されていますから余計に遠い~!。「エジプトへの逃避途上の休息」と「悔恨のマグダラのマリア」、画家の劇的な明暗の表現はまだ強くはないのですが、その分、穏やかで叙情性のある画面が好ましく、両方とも人気があります。

↓カラヴァッジョ「エジプトへの逃避途上の休息」 1594~96頃 135.5×166.5

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子を抱く疲れてうつむく若いマリアの表情も美しいのですが、この画面での主役は背を向けてたつ少年の奏楽の天使。父ヨゼフが神妙な面持ちで捧げ持つ楽譜には、旧約聖書『雅歌』をテクストとした曲が書かれているそうです。全体に穏やかな印象の画面のなかに一陣の風が吹き、天使の腰にまかれた白布を揺らしています。

↓カラヴァッジョ「悔恨のマグダラのマリア」1594~96頃 122.5×98.5

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まことに美しい絵画です。頬に光る涙の雫は脇に置かれたガラスの香油瓶や宝石と呼応し、色彩の上品な調和も見事。この時のカラヴァッジョはまだ20代、彼のこの後の破滅的な人生に想いをめぐらさずにはいられません。

  他はティツァーノの「ヘロデア」、ラファエッロの「二人の肖像」など。教皇も輩出した名門パンフィ-リ家の宮殿の部屋をいくつか見学。天井が高く、おびただしい数の部屋に、古く重々しい調度品が飾られています。

↓ティツィアーノ「サロメ」 1515頃

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脚も棒のようになって疲れ果て、ここからはタクシーでホテルに戻りました。休息の後ロビーで皆と待ち合わせ、旅の最後のディナーのため、ヴァチカンの近くのアトランテ・スター・ホテルへ。

↓ホテルの絵葉書です。グリーンに光る窓の左角がレストラン。サン・ピエトロ大聖堂の夜景を眺めながらの贅沢ディナーでした。

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3/24(火)ローマ7:05→アムステルダム 9:40/12:30→

3/25(水)千歳7:15

 初めて、O先生たちグループのオペラの旅に参加させていただきました。航空券、ホテル、オペラのチケット、レストランの予約などすべてお世話になりました。お陰様で趣味に徹した楽しい旅ができました。そのうえ昨年のオペラ・ツアーに比較すると半額くらいの費用でリーズナブル!でした。ありがとうございました。

帰札してからまもなく、次女も無事卒業式を終えて、引っ越し荷物と共に我が家に戻り、社会人としての第一歩を踏み出しました。(終)


 


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1998秋の旅(1)札幌~パリ [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/14(水) 千歳→アムステルダム→パリ

パリ/ル・メリディアン・パリ・エトワール1泊

 地元のカルチャー教室で美術史の講座(主にキリスト教美術)を受けるようになってから、数年経ちました。同時にヨーロッパを何度か巡っているうちに、いつからとはなく中世美術の特にロマネスク期の美術に魅かれるようになっていました。そのころ目に留まったのがW社のツアー「フランス中部ロマネスク探訪の旅」です。早速申込み、ついでに帰途はパリに寄り道してオペラを観ることにして、W社には現地発着ツアーとしてもらいました。往復はそのころKLMの直行便のあったアムス経由のパリ便とパリでの2泊のホテル、バスチーユオペラのチケットもG社で手配できました。始めは一人参加で申込みしたのですが、春のイタリアオペラツアーでもご一緒したKさんも参加されることになりました(ホテルはそれぞれ別の部屋)。

スケジュールはパリ(1)~ポワチエ(1)~ペリグー(2)~トゥルーズ(2)~アルビ(2)~ル・ピュイ(1)~クレモンフェラン(2)~パリ(2)の13泊15日です。

MAP


 アムステルダム経由でパリに到着。タクシーで凱旋門近くのホテルへ。私たちより先に到着しているはずのツアーの方々は飛行機が遅れてまだでした。チェックインの時、W社のツアーと一緒ですと言ったのですが、通じなくて慌てました。添乗員さんも私たちが後なので、自分たちがチェックインするときに札幌組の2人のことを説明しようと思っていたのでしょう。個人名での予約ではないとはいえ、「あなたたちの名前で予約はない」の一点張り。大型のホテルはこれだから困ります。以後現地参加ツアーにするときは必ず旅行会社からもらった説明書を携帯することにしています。ツアーの予約も日本の旅行代理店の名前でなく、現地の手配会社の名前で予約している場合が多いのです。ようやく部屋に入り、個人では滅多に泊まることのない5☆のパリのホテル、部屋はさすがに広々。添乗員さんも挨拶に見えて、いよいよ明日からフランスの地方(初めて!)を巡る旅が始まります。


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1998秋の旅(2)パリ~ポワチエ [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/15(木)パリ→オルレアン→サン・サヴァン・シュル・ガルタンプ→ポワチエ

ポワチエ/ロイヤルポワトー・デェ・フランス 1泊

 せっかくのパリの高級ホテル滞在でしたが、ホントに泊まるだけ。朝食後はあわただしく8時にバスで出発しました。4年ぶりのパリの街並みを眺めながら、バスは南下してオルレアンの街に入りました。オルレアンはジャンヌダルクゆかりの地です。サント・クロア大聖堂やマルトロア広場にも彼女の銅像が立っています。

↓大聖堂内のジャンヌ・ダルク像。崇拝の対象となった「オルレアンの乙女」です。

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↓大聖堂の正面(絵葉書)

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大聖堂の隣にはオルレアン美術館があり、わずかなフリーの時間を利用して入館。思いがけずベラスケスの「聖トマス」を観ることができました。
 聖トマスを題材にした絵画彫刻などはほとんどがイエスの傷口を触って確かめる疑り深さまるだしのトマスなのですが、このオルレアンのは思慮深さのみられるトマスの肖像画です。帰国後、何年か経過してからですが、思いがけずこの作品についての記述に触れた評論を読むことができました。
それによると長い間ムリリョの作品として知られていたとか・・・。(ロベルト・ロンギ「芸術論叢」)ロンギの論文「カラヴァッジョとベラスケス、あるいはイタリアス-ペインの関係」(1927)でこの聖トマスを取り上げています。

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↓大聖堂の前はオテル・グロロ(市庁舎)ですが内部の見学は無し。

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あいにく時々小雨の降る天候でしたが、ジャンヌ・ダルクの面影の残る街を散策。

↓オテル・グロロの裏通り

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↓マルトロア広場。木組みの家がジャンヌ・ダルクの記念館になっています。

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このとき広場で大勢の高校生がデモをしていました。後程知ったのですが、このリセのデモはフランス全土に広がって、50万人が参加したという大規模なものでした。教育現場の改善を要求してのデモとのことでしたが、受験戦争の激しい日本より恵まれているのに・・・日本の高校生が大人し過ぎなのかも。

ランチはオルレアンの街はずれのレストランLa Vieille Aubergeにて。メニューはカニ風味の前菜、仔牛のロースト、サラダ、アイスクリーム。隣席にバスのドライバーさんが座ったので、ほんの片言のフランス語でお話し。アルジェリアから移住された40代くらいの男性で、生粋のフランス人でないので、ひどいフランス語でも気楽でした。そのうえ上手だとか言って褒めてもらったり・・・ふふふ。シニアの多いツアーなので、あまり歩かないようにバスをギリギリまで、しかも道に迷わずに駐車してくれたり、とにかく真面目で優秀な運転手さんでした。

 オルレアンからサン・サヴァン・シュル・ガルタンプまで、200K以上は走りようやく到着。

↓ガルタンプ川にかかる石橋

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↓川向こうに見えたサン・サヴァン教会

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ツアーのバスはガルタンプ川の手前で止まり、橋を渡って村に入りました。右にはサン・サヴァン教会の研究でここの壁画を世界に知らしめた吉川逸治先生の逗留されたホテル(現在は廃業)が見えました。

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左の小道を行くと教会の前の広場はすぐ近く。すれ違う村の人たちはニコニコ笑顔で迎えてくれました。

☆サン・サヴァン教会Eglise Abbatiale St-Savin
カロリング朝の9世紀からという古い歴史があるももの、その後ノルマンの破壊を受けたこともあり、17世紀まで改築を重ねられて様式は複雑になっています。
教会の建物は黄みがかった灰色の石造り、高い尖塔も重厚な雰囲気です。私にとっては初めて訪れたロマネスク教会でした。予想していたシンプルで楚々とした教会ではなく威厳のある感じでちょっぴりがっかりでしたが、ここはなんといっても壁画で有名なので、期待に胸膨らませ内部へ。
雨は止みましたがどんよりとした曇りの天気で、堂内も薄暗く、高い天井の壁画はますます見え難い状態、双眼鏡やオペラグラスも持っていなかったので途中でギブアップ。また、全部を鑑賞する充分な時間もないのはスケジュールに追われるツアーの宿命。仕方ありません。

↓9つの梁間を持つ長い身廊(絵葉書)

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↓旧約聖書の主題からの半円ヴォールトの天井に描かれた壁画

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↓上の写真では中央部分の「ノアの方舟」(絵葉書)のドラマティックな描写に目を奪われました。ロマネスクの彫刻や壁画では「新約」より「旧約」の場面が多いように思います。旧約に疎い私にはこの時は解説なしには半分も読み取ることはできませんでした。

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↓同じく身廊天井の「エノクの昇天」(絵葉書)

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↓トリビューン(上階廊)に描かれた「十字架降下」(絵葉書)

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クリプトやトリビューンも見学不可ですし、特に「ヨハネの黙示録」をテーマの玄関廊は難解さもあり、ほとんど観てないのも同然でした。↓は再訪を期して古本屋さんから購入した吉川先生の著書です。

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私のようなロマネスク初心者にはサン・サヴァン教会は勿体なかったなというのが本音でした。バスはポワティエへの途中、ショーヴィニーを眺望するビューポイントで写真ストップ。時間がなかったらしく、ショーヴィニーのサン・ピエール教会には寄りませんでした。ここもポワトゥ・ロマネスク巡りには欠かせない重要な教会ですから、友人のKさんも納得できない様子でしたが、仕方ありません。

↓ショーヴィニー遠望

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 秋の日は暮れるのも早く、夕方6時頃ポワティエ郊外のホテルに入りました。夕食はホテル内のレストランで。鶏レバーのゼリー寄せ、白身魚に野菜、チーズ、ミルクライスプディングでした。

↓ホテルの部屋

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1998秋の旅(3)ポワティエ~ペリグー [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/16(金)ポワティエ→ペリグー

ペリグー/シャトー・ド・レイナ2泊

 ツアーの参加者は15名でしたが、そのうち北海道からが5名、私と友人のKさんのほかに3名(札幌在住)。いつもは多い東京組は5名、その他の大阪、福岡など5名の構成でした。平均年齢の高いのがW社のツアーですから、当時55歳だった私は「若い~!」とか言われていい気分(笑)

さて、この日はポワティエの市内観光です。ポワティエはフランスの古都といわれ、ポワトゥー・ロマネスクの名教会が数多く残っている憧れの地です。

☆ノートル・ダム・ラ・グランド教会Ancienne Collegiale Notre-Dame le Grande

 ポワトゥー地方に点在するロマネスク教会の中でも白眉と言える教会の華麗なファサードの前に、言葉を失いました。左右の円塔に守られたかのような正面の壁面に大きく3段に分かれ埋め尽くされた浮彫の物語や人物像。丁度ファサード左側を洗浄中でした。レザ-光線で汚れを落としているとのことでしたが、洗浄の前と後では白と黒ほどに違っていて、ピカピカよりも多少は自然な汚れがついているほうが古色の趣がありますが。でも以前は多分手作業の洗浄だったのでしょうから、比べると細かいところも綺麗になってパーフェクトなのでしょうね。
↓上段の壁面
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中央扉口
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↓上の写真の扉口上部左に不思議な浮彫が見えました(下の絵葉書では受胎告知の右)
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  不思議な木の枝の帽子を被っている男です。これは「エッサイの木」をこのスペースにはめるため、また典礼劇では実際にこの姿で登場したと思われる・・・他には無い独創性がここの魅力です。キリストの家系図としての「エッサイの木」は一般的には人物の身体から木が生えるスタイルなのです。エミール・マールによると典礼劇から彫刻家がヒントを得たとされるここの彫刻群。教会の典礼劇が次第に外の世界に放たれ、演劇としての発展を見ることになるのでしょう。
↓「キリストの降誕」(絵葉書)
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↓内部は色彩豊かな柱が並ぶ三廊式(絵葉書)
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↓教会の横の広場で
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そして、同じく洗浄中のゴシックのサン・ピェール大聖堂。洗浄前後の違いがよくわかります。ここは内部に入らず
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すぐ近くのサン・ジャン洗礼堂へ。
☆サン・ジャン洗礼堂Baptistère Saint-Jean
フランスで最古の洗礼堂は4世紀に古代ローマの建築物を再利用して建てられました。扉口から階段を数段降りるとナルテックス(10世紀)。左右に半円形の祭室のある中央部分に8角形の埋め込み洗礼盤(というより漕/プール)が設けられています。初期キリスト教時代は全身沐浴方式の洗礼を行っていたのです。内部はカメラ禁止。
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内陣への壁に12世紀から14世紀に描かれたというフレスコ画。そのなかで忘れられないのは下の飛翔する天使。ロマネスク期特有の黄土色も鮮やかですし、オリエンタルな影響もうかがえます。日本の奈良時代の飛天やシリアのパルミラ博物館で観た浮き彫りの天使など。遥かなるシルクロードが目に浮かびます。 教会建築の中でもロマネスクやより古い聖堂に興味を惹かれるのようになった原点ともいえるサン・ジャン聖堂でした。
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↓外観(絵葉書)
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 そして旧市街をかなり歩いて聖イレーヌの墓のあるサン・ティレール・ル・グラン教会へ。
☆サン・ティレール・ル・グラン教会église Saint-Hilaire

どういう訳かこの教会の印象ははなはだ薄く、写真も残っていません。この教会は聖イレール(4世紀の司教)の墓の上に建てられ、そのため内陣は2メートルほど上がっています。ファサードも特徴はありませんし、内部も5廊式で何となく取り留めのない空間でした。現在の教会がほぼ完成したのは1049年。オリジナルの周歩廊の内陣の規模は大きく、巡礼教会として繁栄した当時を想像させます。手元に残るのはたった一枚の絵葉書。

↓動物と男(11世紀)の柱頭彫刻

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 ランチはティレール教会の近くのレストランその名もSAINT HILAIREにて。元修道院だったという地下でいただいたのは魚のスープ、豚肉のソテー、ヌガーのアイスクリームでした。↓レストランの絵葉書

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旧市街の裁判所も見学しました。↓裁判所を背景にここにもジャンヌ・ダルクの像。裁判所は元ポワトゥー伯のアキテーヌ宮殿だったところ。

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↓裁判所はゴシック後期フアンボア様式

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ここでジャンヌ・ダルクの審問があり、映画「ジャンヌ・ダルク」(リュック・ベンソン)のあの処女かどうかを調べるシーンを思い出しました。実際ここでロケしたのかは不明ですが。日本で公開されたのは英語版だったので違和感がありました。英仏合作で1999年公開。

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 ポワティエからペリグーまで3時間ほど。バスは南へひた走りペリグーの街へ。ペリグー大聖堂を見学してから、少し付近を散歩

☆サン・フロン大聖堂Cathedrale Sant-front

一見するとパリのサクレ・クール寺院のようなクーポラが目に入り、ロマネスク教会としては違和感があります。かといってビザンティンの古風さからも遠く、まあはっきりいって気にいらなかったわけです。帰国後調べたところでは19世紀に建築家のポール・アバティによってドームの崩壊の危険があり、改修されました。しかし、問題はドームの強度を強めるだけではなく、他の部分も手を加えたため、過度の修復と現在の評価は高くありません。ロマネスク期にビザンティン様式を取り入れて建てられた由緒あるペリゴール地方の大教会です。写真もありませんのでGoogleから拝借します。1998ペリグー.jpg

↓街のお菓子屋さんのショーウィンドウにはペリグーの名産栗のチョコやケーキなど。

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そして今夜の宿のシャトゥホテルへ。シャトゥ・ホテルは初めてで、大層楽しみでしたが、実際宿泊したのはシャトゥと同じ敷地に建つ別棟・・・。シャトゥはスイート・ルームなどデラックスなお部屋とレストランだけのようでした。

↓ シャトウ・ホテルで

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夕食はホテルのレストランで。サーモンのマリネ、魚のパイ包み、チョコレートケーキでした。ワインももちろん戴いてほろ酔い・・・ペリグーは連泊なのでゆったり気分でした。


 


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1998秋の旅(4)ペリグー(ラスコーⅡ&ロカマドール) [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/17(土)

 今日はファゴラとトリュフの産地として有名なペリゴール地方のの観光です。朝食のため別館の宿泊棟からシャトウの朝食室へ。霧が立ち込めて、まだすっかり夜は明けていません。敷地にカタクリに似た花が群生しています。日本では春に咲きますが、フランスでは秋に咲くのかしら?

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 さて、バスでモンティニャックの町に入り、添乗員さんが(i)でラスコーの洞窟の入場券を購入。9時オープンの一番乗りでラスコーⅡの見学をしました。現地ガイドさんは日本語は話せませんので、英語を添乗員さんが要約して説明してくれます。旧石器時代の洞窟壁画は土地の少年たちによって1940年に偶然発見されました。岩壁に描かれた多彩画の保存状態は良好で大小の動物や人間などが生き生きと描かれています。ただ人々の吐く二酸化炭素で劣化が進み閉鎖。ラスコーⅡはそのオリジナルに忠実に再現されて、1983年から観光客に公開されています。使われた木炭の年代の測定では紀元前15516プラスマイナス900年というのですから、気の遠くなるほどの大昔から続く人間の歴史、力強く生きてきた証しのようなもの。思いかけず(笑)感動しました。多分狩猟の収穫を祈って描かれたものなのでしょう。↓絵葉書とチケットです。

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この近辺はラスコーの洞窟を観た目で観察すると、居心地良さそうな?洞窟らしき岩場があちこちに見られます。フランス国内でもナチュラルな景観が残るドルドーニュ川とその渓谷の美しさに溜息でした。時は秋、山深くなるにつれて木々も色付きを増してきます。

 さて、次はラスコーから西のロカマドゥールへ。キリスト教の巡礼聖地として栄えてきた、フランスでも有数の観光地です。眺めの良い上の町からの景観を楽しみ、ランチはHostellere Bellevueにて済ませました。昼食はトマトスープとローカルフードのカスレと呼ばれる肉類と白いんげん豆の煮込み、アイスクリームでした。↓カスレ(絵葉書)はこってり濃厚な味ですが、お天気もあまり良くなく寒い日でしたので、あつあつを美味しくいただきました。

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↓上の町からの素晴らしい眺め

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↓こちらは絵葉書

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そして、バスに乗って下の町へ。ゲートPorte du Figuler(13世紀)からは徒歩で土産物屋の並ぶ狭い通り、途中からエレベーターに乗って崖の上の聖地に到達。↓

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ここからは階段でロカマドゥールのサン・ミッシェル礼拝堂とサン・ソヴェール教会の見学をしました。

☆サン・ミッシェル礼拝堂とサン・ソヴェール教会(ロカマドゥール)Chapelle St-Michel&Basillque St-Sauveur(Rocamadour)

崖の岩山に向かって左がロマネスク様式のサン・ミッシェル礼拝堂。外壁にフレスコ画が描かれています。

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内部は見学しませんでした。右のサン・ソヴェール教会(11~13世紀)に入ります。↓扉口はゴシック

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内部は三廊式ですが19世紀には上階が加えられ、大きな巡礼教会にふさわしい改築がなされたようです。見物客も多く、良く見ないまま大聖堂(15世紀)へ。そのせいかこの2つの教会の位置関係がよくわかりません。建立当時はフランボイヤン様式でしたが、宗教戦争とフランス革命により荒廃し、19世紀になって再建されました。ここの有名な黒い聖母(12世紀)を拝見。堂内は暗いうえ、祭壇が遠いので絵葉書を購入しました。全身は黒く見えますが、元は銀でペインティングされた木の彫刻でした。蝋燭の煙などで煤け黒くなったと思われます。

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いつもは信者でもないので聖像を拝むことはないのですが、ここでは自然に手があわさりました。それほどこの黒い聖母子はオーラが漂っています。暗く古い堂内に鎮座する黒い聖母子の姿は理屈抜きに、神聖な存在感がありました。この後、オーヴェルニュ地方でいくつかの黒い聖母の彫刻を観ることができたました。「黒い聖母」にまつわる話については後程アップさせていただきます。

聖アマドゥールが隠棲したことで、この地に教会が建てられたものの、時の流れと共にあまりにも荒らされることの多かったロカマドゥール。聖アマドゥールにちなむものは何も残されていません。伝説では聖アマドゥールの手になると言われているかって銀箔に覆われていた聖母子像だけが巡礼聖地のシンボルと言えるでしょう。

↓下の街並み&帰途はお土産屋さんでショッピング。黒トリュフの瓶詰など購入。

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 ペリグーに戻りましたが、かなり長いドライブでした。地図で確かめましたが100K以上はあります。夕食は昨夜と同じホテルのレストランで。鴨のフォアグラ、魚のオーブン焼きリゾット添え、鴨料理、ペリゴール風アップルパイ。ペリゴール名物のフォアゴラでしたが、あまり美味しくなかったです。ここでアクシデントがありました。ドライブで食事に立ち寄ったという日本人の若いご夫婦が近くで食事していたのですが、奥さんが気分が悪くなって倒れてしまったのです。ホテルのマダムが大慌てで日本語が分からないからと助けを求めてきました。添乗員さんが駆けつけてお世話して、まもなく回復。疲労が原因だったのでしょうね。私も疲れが出るころです。気をつけなくちゃ~。

↓部屋に戻り早めに就寝

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1998秋の旅(5)ペリグー~トゥールーズ [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/18(日)ペリグー→サルラ→カオール→トゥールーズ

トゥールーズ/ホリディ・イン・クラウンプラザ2泊

 2泊したシャトゥホテルを8時に出発して、サルラ=ラ=カネダへ。略してサルラにはロマネスクの教会はありませんが中世の城壁がほぼ完全な姿で残る美しい町です。旧市街に残る中世の街並みを散策しました。ドルドーニュ地方ではミシュランのグリーンガイドでもロカマドゥールと同等の3☆のおすすめマークがついています。

カロリング朝からの歴史の残るサルラは13世紀から14世紀の初めにはローマ教皇直接支配の司教座都市となり、黄金時代を迎えました。18世紀のフランス革命で司教座消滅になり、その優位さを保てなくなってからは衰退しましたが、1962年のフランスの景観保護政策の第一号となり、中世の街並を保存復元。現在も変わらない姿で観ることができます。旧市街は城壁の門からほぼ数百メートルで通過できる小さなエリアですが、迷路のような狭い通りも多く、どこをどう歩いたのか・・・。

↓16世紀のメゾン(Maison de la Boétie)イタリア・ルネッサンス様式

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↓店の軒先の吊り下げ看板がさまざまで面白い。サラマンダー(火蜥蜴)は薬屋さんの看板だったかしら?

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↓12世紀末の「死者の塔Lanterne des Morts」の近くで

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↓サルラの最も美しいエリアで。

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他はサン・サセルド教会やペニタン・ブルー礼拝堂も見学しました。

↓サルラはフォワゴラの名産地なので広場には鵞鳥さんたちの銅像

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ワインで有名なベルジュラックにも近いので酒屋さんも多いサルラです。重いのを覚悟で白1本購入。そしてまたバスに乗って南下60Kほどのカオールへ。

 カオールはU字形に湾曲したロット川に囲まれた、ケルトからの古い歴史のある街です。サン・ティアゴ巡礼のロマネスクの教会や中世の石橋のあることでも観光名所になっています。

↓ロット川左岸にかかるヴァラントレ橋(14世紀)

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ランチはサン・テティエンヌ大聖堂の近くのレストランLa Taverneで。ミックスサラダ、チキンのカレー風味、フルーツサラダでした。カオール産の赤ワインのヴァン・ノワールは有名だとのことで、グラスで1杯賞味。コクがあって、なかなか美味。昼間からほろ酔い気分で、教会の見学ということになってしまいました(汗)。

☆サンテティエンヌ大聖堂Cathédrale St-étienne 創建は1100年頃で、ル・ピュイから始まる巡礼路の道筋にあります。14世紀には西の正面が増改築されたものの、オリジナルのロマネスクもまだ多く残っています。

↓南からの外観/2つのドームがビザンティン的でオリエンタルな印象。フランス南西部アキテーヌ地方にはドームを架けた教会堂がいくつか残っています。

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↓内部/単廊式、写真も少なく内部はあまり憶えていませんが、側廊を持たず、身廊のドーム天井が特徴です。

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 ↓ここで見るべきロマネスクは北側扉口のタンパンの「キリストの昇天」。マンドラのキリスト、それを支える天使たち。下から見上げる驚く聖母や聖人達は動きのあるダイナミックな彫刻。美術史家のエミール・マールによるとシリア型(ラブラ写本)の「昇天」図とのこと。そして奥行きのある扉口の側柱と側柱の間にびっちり彫られたロゼッタ花模様がオリエンタルな美しさを見せています。

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 カオールからさらに南下して100Kほど走り、ラングドック地方の大都市でありバラ色の煉瓦の街トゥールーズへ。トゥールーズの宿は街の中心キャピトール広場のすぐ近くに建つ4☆のホテル。

↓部屋も広く、もちろんバスタブ完備

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夕食はホテルのレストランで。前菜、ローストビーフ、アップルパイ、赤ワイン、コーヒーのメニューでした。この旅はバスの移動がかなり長く、今日も200K以上は走り、疲れました。



 


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1998秋の旅(6)トゥールーズ(モワサック&ミディ運河クルーズ) [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/19(月)

 雨のそぼ降るオルレアンから始まった旅も今日で6日目です。オルレアン以後は天候に恵まれ、この日も青空の広がる秋らしい爽やかさでした。朝食後、トゥールーズから北西へほぼ70Kのモワサックへ。ガロンヌ川を渡り、サン・ピエール修道院付属教会に到着。ここは今回の旅でもハイライトのひとつ、ロマネスク初心者の私でもわくわくするような憧れの教会です。教会の西側に(i)があり、その横から聖堂北側の回廊に入りました。

☆サン・ピエール修道院付属教会Ancienne Abbatiale St-Pierre

 起源は古い(伝説では6世紀とも言われる)のですが、現在のものは1180年の奉献(ただし身廊西部の4柱間のみが現存)。7~8世紀のイスラムの侵略や9世紀のノルマン人来襲などで荒廃した教会は11世紀になってから教会の再建にかかり、聖堂西側の鐘塔つきナルテックスは1120~25のもので、扉口は12世紀末に南側に移されています。「カタリ派」の撲滅に力を貸して地盤を強固にしたものの、百年戦争やフランス革命で被害を受け、回廊も売られたのですが、国に買い取られ管理されています。

回廊は76のアーケードを方形に並べ、大理石の単柱と双柱を交互に配し、旧約や新約聖書からの説話場面、動植物(幻想的なものも多い)などの柱頭彫刻が素晴らしい。

↓回廊中庭に杉の大木

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↓柱頭彫刻 クリスマの実物は初めて

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↓「獅子の穴のダニエル」

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 素晴らしいと見とれていて、いつのまにかツアーの人たちが居なくなっていてびっくり!「皆さんは何処へ~」。回廊からは直接教会に通じて無いので、あたふた・・・ご用心。

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やっとこ追い付いて教会へ。ここは内部よりもファサードに多数の興味深い浮き彫りがあります。↓中央柱の予言者エルミアが思慮深い横顔を見せて、長身のボディをちょっとひねり気味に立っています。古代ローマのヘレニズムからより一層自由に精神性を深めた表現にうっとり。。。

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↓壮麗な「黙示録」のタンパンはベアトゥス写本から

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 ↓入り口左側面に「アブラハムの懐」の浮き彫り(絵葉書参照)があり、その時は意味がわからず、帰ってきてから確かめたところ、ルカの福音書の金持ちと貧しいラザロの話に由来した図像と判明。このテーマはロマネスク独自のものなのかは不明だが、最近訪れた伊のオトラントのモザイク(12世紀)やアルルのサン・トロフィーム教会のファサードにもあったと記憶しています。

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↓上の対面の右側壁には「エジプトへの逃避」など。

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他には淫乱(これはすさまじい)やお金への執着を戒める浮き彫りが強いインパクトで迫ってきます。石に刻まれた詩とうたわれたここの彫刻群を鑑賞するにはとても時間が足りませんでした。再訪を願いつつ、またバスに乗りガロンヌ川の船着き場へ。ここからミディ運河のランチクルーズになりました。ケターリングの人たちが遅れ、すでに調理したものを船に運んできてテーブルセットして、ようやく出航。メニューはミックスサラダ、サーモンのマヨネーズ添え、ローストポーク、チーズ、ノルウェイ風オムレツのデザート、ワイン、コーヒーでした。

↓いくつもの水門を通過しました。係員さんが水門を開けて、次の水門まで自転車で走ったり、大掛かりな機関車を使ったものまで、いろいろ。

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↓絵葉書です

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昼食の時間も含めてかなり長い時を船で過ごしましたので、美しい川辺の風景にもやや飽きてきました。添乗員さんに明日の予定を尋ねたところ、トゥールーズの教会などは行くのですが、オーギュスタン美術館は入館しないとのこと・・・それは困ります。友人と私だけでなく何人かが、ここを早く切り上げて美術館に行きたいと駄々コネ(笑)。幸いベテランの添乗員さんはこの美術館の価値を良くご存知で、早めに下船してすべりこみで入館できました。ホテルからも徒歩10分くらい。

☆オーギュスタン美術館 

 ↓建物は以前の修道院時代のように、中庭にはハーブなどの植物が手入れ良く植えられています。

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ロマネスク美術に興味を持ち始めたころでしたが、ロマネスク彫刻の傑作がこれほど一堂に観られる美術館はそうありません。何度か訪れたルーブルの中世彫刻の部門でさえ、ここよりは質量ともに見劣りします。そして他の大抵は稚拙な素朴さのあるものと違い、華やかな雰囲気がただよっています。
 ↓ 足を交差させて獅子と羊をペットのように抱き、踊る乙女たち。

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他にも義理の娘サロメの頬に手をあて言い寄る?ヘロデとの場面の彫刻、キリストの捕縛など。変わった主題ではエジプトのマリアなど・・・閉館まで時間が迫っていたのでやや物足りない思いでした。ぜひとも再訪したい美術館のひとつです。追記:2011夏再訪(モワサックも)

夕食はホテルのレストランで。ポテトのパイ包み、鴨の茸ソース、フローティングアイランドというデザート、ビール、コーヒー。昨日と同じレストランなので、フリーで他へ行かれた方も何人か…友人と、パリで美味しいもの食べようねと我慢しました。



 


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1998秋の旅(7)トゥールーズ~アルビ [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/20(火)

アルビ/ホテル・サン・アントワーヌ2泊

 トゥールーズはサンティアゴ巡礼路のなかでも美しい大教会の建つ古都です。朝食後は街の中心にあるカピトール広場へ。といってもホテルの玄関を出るとすぐ右がその広場です。朝夕のお散歩も楽しめた最高のロケーションでした。トゥールーズはこの1998年の夏にサッカーのワールドカップが開催され、日本人の応援団の行儀の良さ(ゴミもすべて持ち帰る)を絶賛されていたとかで、街の人たちの好意の目が注がれていると解釈して、勝手にいい気分(笑)

広場に面して堂々と建つ18世紀建立の市庁舎を見学。確か大広間にあったと記憶していますが、カタリ派の処刑図が・・・。トゥールーズは古くからユダヤもイスラムもカタリ派もローマカトリックも共存していた自由で文化的な街だったのですが、トゥールーズ伯にも保護されていたカタリ派が異端とされ、12世紀初めに結成されたアルビジョア十字軍によって攻められ陥落。今まで独立していたトゥールーズも王権の傘下に入ることになったのです。そういう歴史をガイドさんの案内で聴きながら、宗教上の非寛容の問題だけでなく、政治的(領土獲得)な野望が絡むと、これほどまでに人間は残酷になるのかと背筋が寒くなりました。

↓市庁舎の2階から眺めた広場にはまたもや高校生のデモが・・・解散した後通りがかりましたが、空き瓶などゴミの山でした。

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↓市庁舎の前で

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↓トゥールーズの街を歩いて、徒歩数分のサン・セルナン教会へ。

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☆サン・セルナン教会 Abbatiale de St-Sernin  ラングドック地方の中心トゥールーズはフランスからピレネーを越えてサン・ティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の最後の中継地。初代司教聖セルナンに捧げられた聖堂です。3世紀の聖セルナンについては色々な伝説がありますが、ローマの神々への偶像崇拝を拒否して殉教し、トゥールーズの守護聖人になったそうです。(図像では荒々しい牡牛が持物)

現在の教会は1060頃に起工された煉瓦造り、5廊式の長さ115m幅64mのロマネスク様式の大教会。巡礼地に建つ他の教会に大きな影響を与えました。

↓青空に赤レンガが美しい後陣外観/私のカメラではこれが限界

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↓こちらは絵葉書です/内陣の周歩廊と放射線状の祭室、トランセプトに袖廊、すくっと伸びた多層の鐘塔と躍動感のある姿はパーフェクト!

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内部の写真はほとんど失敗したのか?カメラ禁止だったのか?残っていません。11世紀の白大理石の祭壇は間近で見れるようになっていて、触ることもできましたが、その奥につながる周歩廊はこの時見学不可・・・残念。

↓南扉口(ミェジュヴィル扉口)

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↓タンパンには最古の昇天図といわれる「キリストの昇天」、それに両脇の柱に彫られていて、下から見上げると不思議なことに長い衣の聖ペテロやヤコブの姿が仏像のように見えました。
オリエントのほかに古代ローマ、スペインの影響もみえる重層的な大規模の教会とのことだが、聖セルナンにまつわる彫刻も現存せず、いささか物足りない思いも・・・。

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↓ここからジャコバン修道院聖堂(13世紀末)へ。

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↓ゴシックの華やかな天井

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↓2廊式の堂内

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 ランチはガロンヌ川の畔のLe Brasserie des Beaux Artsにて。クラッシクな内装の素敵なレストラン。特別に生牡蠣を注文できるというので、白ワインと共にいただきました。フランスの生牡蠣初体験だったので、もう感激的な旨さ!他のメニューはビーフ・コンソメ、鶏の薄切りステーキ、アイスクリーム、コーヒー。

 これでトゥールーズの観光も終了。バスは約2時間走って、アルビへ。ホテルは旧市街から1本道路を渡った静かなエリアにあります。夕食まで2~3時間フリータイムでしたが、疲労感があり、大事をとってベットで横になっていました。

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 そして元気になって夕食へ。ホテルのレストランでは暮れゆく庭を眺めながら、雰囲気もお味も良かったです。メニューは野菜スープ、ポロ葱入りフランドル風タルト、鱒のフィレ、サラダ、林檎のタルト、白ワイン、コーヒーでした。


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