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1988春の旅 [1988春アジアの旅(シンガポール)]

1988.3 シンガポール4泊5日間 (シンガポール航空/次女とJTBのツアー)

齢45にして初の海外旅行体験だった。次女の中学入学お祝いの旅。このころはバブル景気の華やかなりし頃で、我が家も多少はその恩恵に預かり、海外旅行ブームにのっかることになった。

(1)成田からは夜の出発。バティックのドレス姿の美しいシンガポール航空のスチァーデスさんたち。機内食もまだ美味しかったころだった。わくわくしながら、初めての外国へ。

ホテルはオーチャード大通りの大型中級ホテル。真夜中に到着。シンガポールは大都会だが緑が多く、コロニアル風の建物も多く残って美しい町並み。煙草のポイ捨てやゴミを捨てると罰金を取られるというので、町並みは清潔なはずと納得。
   
(2)翌日は半日市内観光 マーライオンなど見学の後、飲茶のランチ。午後からはフリーになり娘とふたりで 、リンタクに乗ってまだ改築前だったラッフルズホテルへ。サマセット・モームが逗留して『月と6ペンス』を執筆したことで有名。プールのある庭園のテラスでお茶。確か翌年改築されたはずだ。古いけれど映画に出てきそうな趣のある木造の洋館ホテル。実際、改築前のこのホテルを舞台にした村上龍監督の映画「ラッフルズホテル」(1989年公開)のロケがあったらしい。(映画は観ていない)バーを覗いてみたら、どことなく物憂げな大人の男たちが幾人かたむろしていた。煙草の煙が立ちこめ、天井には木製のプロペラ型の換気扇がゆるゆると回っていた。もう1軒のやはりコロニアル様式の建物のグット・ウッドパークホテルにも行ってみたが、宿泊していないと入れないセレブな雰囲気で気遅れしてパス。

夕食はホテル近くのレストランへ。蛇使いのショーがあったが、蛇が大嫌いなので食事だけ済ませ、始まる前にそそくさと退散した。

(3)この日もフリーで行動。行きはロープウェイ、帰りはフェリーでセントーサ島の観光。ここでは博物館に入館した。お恥ずかしいことにここへ来るまでまったく無知だったが、第二次大戦のとき日本軍がシンガポールを占領していたのだ。戦争の資料、日本の将軍たちの蝋人形、当時の学校の教科書(日本語)など展示されていた。中国や韓国を侵略したことはある程度知っていたが、ここまで領土を広げて大日本帝国なんていって威張っていたのかと呆れる。と同時に申し訳なさで胸がいっぱいになった。娘にも良い平和教育になったと思う。
    
夕方までオーチャード大通りでショッピングや両替(インド人の生地屋さんで)など。夕食は疲れてテイクアウトで済ませた。大根餅が美味しかった。

(4)タクシーをチャーターして、森の中の動物園や蘭園などを周った。日本の動物園と違って象にも乗せてくれるサービスがあったが、娘は怖がって乗ろうとしない。気が小さいんだから~。
夕食は海岸通の海鮮レストランで。海老の串焼きなど食べた。海を眺めながらホテルに戻った。あ~明日はもう帰る日だね~と旅好き親子は切ない気分・・・。

5)帰国の日は乗換えが国内線に間に合わず、成田後泊になった。成田近辺のホテルもまだ少なく、空港からやや離れた成田市内のホリディ・インに泊まった。

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