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1991初夏の旅(1)ローマへ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

 20年に渡る共働きから解放されて、長年の夢だったヨーロッパへ行くことになりました。きっかけは札幌に進出してまもなくの某旅行代理店の新聞広告からでした。少し前からキリスト教美術史に興味があり、美術書を購入したり、カルチャー教室に通ったことで、実物を観たいという気持ちが強くなったのです。

ツアーの日程は13泊15日(ローマ2~シエナ2~フィレンツエ3~ラベンナ1~ヴェネツィア2~ヴェローナ1~ミラノ2)ローマ以北の主にルネッサンス美術を鑑賞しながら、街から街へバスで移動しました。

↓MAP

 

5/13(月)成田11:55→ローマ19:40

はっきりした記憶はないのですが、多分成田で前泊した後、成田からアリタリア航空でモスクワ経由でローマへ。モスクワでは1~2時間ほど給油のため?滑走路で待機しましたが、ターミナルビルにも入れず、窓からの写真も禁止。旧ソヴィエト連邦の体制がまだ残っている感じでした。ローマのフィミチーノ・レオナルド・ダ・ヴィンチ空港から市内へ。現在からは考えられないほど街自体が古く暗い印象が強かったです。

ローマ/プラザホテル2泊

さて、ホテルにチェックイン。鍵を渡され指定された部屋へ行きドアを開けました。ところが室内はスーツケースに物が散乱してて、ぎょっ!!!慌ててドアを閉めて、フロントに戻りました。添乗員さんが丁度居てくれたので、スムーズに他の部屋を割り当てられてほっ・・・しかしのっけからイタリアらしい?ルーズさの洗礼をうけました(笑)。部屋は6畳ほどと狭いけれど、バスルームは部屋より広く、大きな猫足のバスタブつき。このホテルは昔修道院だったそうです。大臣がここに住んでいるので、ホテルの前にはいつもパトカーが停まっていて、治安上も心配がないとのことでした。立地も最高、スペイン広場からコンドッティ通りを歩いて数分。


タグ:ローマ
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1991初夏の旅(2)ローマ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/14(火)

 昨夜は長旅の疲れがあるのに、よじ登るような高いベット、大きな旧いクローゼットと、暗くやや不気味な部屋のせいであまりよく眠れませんでした。朝食は恐ろしく天井の高い大きな部屋で、コーヒー、パン程度の質素な食事で、少々がっかりでした。

 いよいよ初ローマの半日観光です。サン・ピエトロ・イン・ビンコリ教会でミケランジェロのモーゼ像やガラス箱に展示されている聖ピエトロの鎖などを見学。教会内の暗い写真ですが↓48歳でした・・・。

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 この後、徒歩でコロッセオへ。猫が多かったことしか覚えていないのは、説明はなく素通りしただけだったから?バスの車窓からベネチア広場やサンタンジェロ城を眺め、バチカン博物館へ。古代彫刻、地図のガッレリア、ラファエルの間(「アテネの学堂」の本物を前に感激!)を抜けて、システィーナ礼拝堂へ。ミケランジェロの壁画「最後の審判」は修復中(この5年後に完成予定でした)。天井画「創世記」は修復したばかりで鮮やかな色彩。ボッテチェリやキルランダイオなどのの壁画は観る暇もなく、サン・ピエトロ寺院へ移動。ミケランジェロの「ピエタ」はこの時すでにガラスケースに入って居ました。堂内も暗く、マリア様の表情が良く見えません。これは画集のほうが鮮明で綺麗だと、残念に思いました。カソリック総本山の威厳に圧倒され、世界中の信者や観光客の集まる多勢の見物人の中で、再び訪れてじっくり観たいと思いました。

 団体行動の上迷子になりそうなほどの巨大なバチカン、ついて歩くのがようやくでした。ランチはホテルやスペイン広場からも近いレストランで。初めての本物の(笑)イタリアンでしたが、スパゲティは固め、思っていたより薄味で美味しかったです。

 午後からは自由行動になり、同じ独り参加のAさん(映画ファン)と話が合い、フェリーニの「甘い生活」のワンシーンを想い出し、スペイン広場から徒歩でヴェネト通りへ。カフェでお茶をしていたらにわか雨。

 これからショッピングのAさんとは別れ、「地球の歩き方」を参考にタクシーでトラステヴェレ地区へ。サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会の広場に着きました。今考えても不思議な気がします。何故、初ローマの自由時間にここを選んだのか・・・。ロマネスクのロの字も知らないくらいの頃でした。無意識にバロックの豪奢な教会よりこういうロマネスクの聖堂が好みだったのですね。玄関廊のさりげなくも、古めかしい佇まいが印象的でした。内部のモザイク「マリアの生涯」は修復中で、残念でした。雨も上がったので、バス停のある通りを目指しましたが、迷ってしまい、結局はまたTAXIでスペイン広場まで戻りました。一方通行が多く、かなり遠回りになりましたが、少し英語の話せる運転手さんが、一生懸命そのことを説明してくれたので納得でした。

 夕食もランチと同じレストランで。舌平目のムニエルも美味しく、ワインもかなり飲みました。この夜は熟睡。

この「イタリア・ルネッサンスの旅」から始まった美術館めぐりの旅(HPからコピー)。

イタリアの美術館(1)

★ローマ/ヴァチカン宮博物館

最初のヨーロッパ旅行がイタリア。そのツアーの第一日目がローマでしたので、記念すべき
初美術館がここでした。エントランスにはエレベーターがあり中にベンチもありました。
まだ40代だった若い?私が乗ったのはルール違反でしたね。

初回はやはり感動の連続でした。特にラファエロの「アテネの学堂」

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古代ローマ彫刻のネロの黄金宮殿で発掘されたという「ラオコーン」↓

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上の2点にシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画が初回のベスト3。
ツアーでしたから、絵画ギャラリーはパスでした。

 ロマネスク教会巡りの旅のも当時はまだ意識しては居ませんでしたが、この旅が出発点になりました。

イタリア(ローマ&ラッツオ)ロマネスク

(1)S.Maria in Trastevere  サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂(ローマ)

 

 

 

 

 

 

 
 

 


タグ:ローマ

1991初夏の旅(3)ローマ~オルビエート~アッシジ~シエナ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/15(水)

 ローマからウンブリア州のオルビエートへ。フニクラに乗って上の町の観光をしました。ドゥオモのファサードのモザイクは一部修復中でしたが、青空に輝いてとても美しい姿でした。内部のシニョレッリの壁画のあるチャペルは修復中でした。これが見たいために再訪したのはほぼ20年後でしたが、当初観たときの素朴さとは別のような聖堂内部の様子に驚きました。オルビエートに限らず何処も行くたびに観光化され華やかな雰囲気に変貌していきます。イタリアは特に人気のある国なので・・・。バスの窓からは丘の上の教会や塔、野原のアマポーラの群生など、うっとり~。朝は寒かったけれど、次第に気温が上がってきました。

トスカーナの風景(絵葉書)↓

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 次の訪問地はアッシジですが、丘の麓のプチホテルのレストランで昼食をとりました。デザートに丸ごとひとつ出された梨がボーノでした。

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 アッシジのサンタ・キアラ教会への通り↓。通りごとに違う旗が掲げられて、静かな街でした。

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アッシジの街角で↓

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 聖フランチェスコ教会では日本人の田川神父さまに案内していただきました。ここではジョットの「聖フランチェスコの生涯」連作や

↓ロレンツエッティの「夕日のマドンナ」など鑑賞。カメラは禁止。

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夕日の聖フランチェスコ教会(絵葉書)↓

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 この後はペルージアを遠くに眺め、トラジメノ湖を通り過ぎてシエナに入りました。シエナは郊外のホテル・エクゼクティブに宿泊。ローマと違って新しい快適なホテルでした。広いツインルームで気持ち良く、安眠。そうそう夕食はホテルからバスで5分くらいのレストランで。パスタのトルテリーニが美味で、ライトアップされたシエナの旧市街の眺めが素敵でした。

 


1991初夏の旅(4)シエナ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/16(木)

 この日は朝から雨の寒い日でした。シエナの半日市内観光は聖ドミニコ教会の広場からスタート↓

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聖ドミニコ教会は内部見学しました。今ではほとんど記憶にないのですが、ガイド本に寄りますと13~15世紀にかけて建立されたゴシック様式の教会で、ソドマの傑作とされるフレスコ画があるそうです。この近くだったでしょうか?2世紀から近代までの建物を巧く組み合わせたモンテ・デ・パスキ銀行↓があり、見学しました。写真は中庭です。

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 この時期、十代だった娘たちはF1レースに夢中でした。この町出身のレーサーの実家がシエナではかなり有名なお菓子屋さんなので、そこでお土産にシエナ名物のパン・フォルテを買ってきてと頼まれました。当時はグーグルマップもなく、ガイドさんのお話もそぞろにお菓子屋さん探し。。。すると偶然近くにあったので、無事ゲットできました。

 聖クリストファー教会のロマンティックな裏庭からトロメイ広場、雌狼の像など、フィレンツエとの戦いなどの話を聞きながら、キジ宮音楽アカデミー、ピッコロミニ宮を見学。そしてドゥオーモへ。黒と白のストライプの外壁が美しく、内部の床大理石のモザイクやピッコロミニ図書館の三美神の彫刻などが印象に残っています。下の写真はドゥオーモの傍で乳母車の傍らで見守る感心なワンちゃん。我が家の悪戯っ子愛犬とはだいぶ違います。

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 ランチはカンポ広場への細い坂道のレストランで。ここのパスタ(タリアテッリのマッシュルーム添え)が美味しかったので、10年後に再訪したとき探したのですが、見つけることができず残念でした。

 午後は自由行動になり、Museo civico市立美術館へ。ここのブック・ショップで一枚の絵ハガキが目にとまりました。それがトスカーナ地方のロマネスク教会のひとつと知ったのはまだ後年のこと。魅かれるままにその絵ハガキを購入してきました。

↓シモーネ・マルティーニ「騎馬のグイドリッチョ・ダ・フォリアーノ」@世界地図の間

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 ドゥオーモ博物館でドゥッチオのマエスタを鑑賞し、カンポ広場でお茶したり散策を楽しみ、迎えに来たツアーバスで郊外のホテルに戻りました。まる一日シエナの観光で接した名画や彫刻の数々、中世の風情の残る街並み。イタリアの古都に圧倒されました。夕食はホテルのレストランで。食事も美味しく、少しずつ打ち解けてきた旅のお仲間と楽しいひと時でした。

 イタリアの美術館

(2)シエナ市立美術館Museo civico  カンポ広場に面した現在は市庁舎になっているプッブリコ宮の一画にあり、初回は前述のシーモーネ・マルティーネの「騎馬のグイドリッチョ・ダ・フォリアーノ」と「荘厳の聖母」↓が印象に残っています。2001に再訪。

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マルティーニSimone Martini(伊)14世紀シエナ派の代表的画家。ドゥッチョの装飾性と華麗な色彩の継承とともにフランス・ゴシックの影響を受け写実的な表現がみられる。

(3)ドゥオーモ付属美術館 ここでの必見はドゥッチョの間に飾られた「マエスタ 荘厳の聖母」祭壇衝立。1308~1311ごろ大聖堂のために制作され、祭壇に飾られていたが、18世紀になって背面に描かれたキリストの受難の物語などが解体されという。

ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ Ducco di Buoninsegna 13世紀シエナ派の画家 ビザンティン美術とフランス・ゴシック美術のの影響が見られ、続くシエナ絵画に受け継がれていく。

 

 

 

 


タグ:シエナ
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1991初夏の旅(5)シエナ~サンジミニアーノ~フィレンツエ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/17(金) 

シエナより塔の町サンジミニアーノへ。

↓ バスから見えてきた風景(絵葉書)

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サンジョバンニ門の手前でバスを降り井戸のあるチステルナ広場からドゥオーモへ。内部はなにがあったのか忘れましたが、外回廊にあった ↓野ざらしのギルランダイヨ「受胎告知」が気になりました。

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↓ 市立博物館から見たチステルナ広場です

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↓ お天気が良くなって上機嫌(笑)市立博物館の屋上からのトスカーナの眺め。

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 サンジミニアーノ市立博物館の見学。展示品で一番印象的だったのはフィリッピーノ・リッピの2枚に分かれた「受胎告知」。疲れた表情のマリア様・・・。

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 そして一路バスはひた走りフィレンツエへ。峠から大聖堂が見えたとき、歓声があがりました。私だけでなく、皆の憧れのフィレンツエでした。まずはミケランジェロ広場で写真ストップ。お天気も良く、何度も写真で観た花の都フィレンツエの街並みが目の前に広がって・・・。おおげさでなく、ちょっぴりうるうるしちゃいました。

↓ 持参のカメラの調子が悪く、使い捨てカメラで撮りました

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 この当時は昼食にアルコールは考えられない堅実な?主婦でしたが、フィレンツエに着いたころから、ワインを飲むようになリました。旅は非日常の世界だからと言い訳(笑)

 ランチの後はサンタクローチェ教会へ。ここではバルディ礼拝堂のジョットの聖フランチェスコ伝のフレスコ画、特に聖フランチェスコの臨終に聖痕を確かめに来たヴァチカンからの使者と、聖人の死を悼み悲しむ弟子達との対比は、ルネッサンス・リアリズムの画家ジョットの人間重視の姿勢、イタリア・ルネッサンスの先駆者として登場したジョットの傑作です。
まだまだ美術愛好者として未熟(今もですが)な私が、大袈裟で無く震えるほど感動したという懐かしい作品です。

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↓ サンタ・クローチェ教会の前で

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 次は今日のハイライト、ウフィッツイ美術館へ。マルティーニの「受胎告知」とドゥッチョの「玉座の聖母子と6天使」のシエナ派絵画からピエロ・デッラ・フランチェスカの「ウルビーノ公夫妻の対面肖像画」そしてボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」と「春」にご対面。でも画集とは異なり、ガラス張りになっていて(なんと!1カ月前から 涙)、感動はいまいちでした。レオナルドの「受胎告知」のほうが好み。天使の羽がにょきっと生えたリアルな表現が傑出しています。ラファエッロ、ミケランジェロ、カラヴァッジョやレンブラントもあり、これもあれもと鑑賞するも飽和状態・・・。これは一度の訪問では到底無理と悟りました。

その上、 ドゥオーモや洗礼堂なども一通り見学して、ようやく今夜の宿へ。フィレンツエのホテルはヴェッキオ橋の近くのホテル・アウグストゥスでした。この7年後に再訪したときは、かなり高級なデザイナーズホテルになっていました。昔の素朴な佇まいが懐かしい・・・。

↓ お部屋も小さな木のベット、質素でしたが居こごち良かったです

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夕食はヴェッキオ橋を渡ったところのレストラン(BIBO)で。タリアテッリのツナあえ、お魚のグリルホウレンソウ添えなど美味しくいただきました。

イタリアの美術館

(4)サンジミニアーノ市立博物館

(5)ウフィッツイ美術館Galleria degli Uffizi

おおげさかも知れませんが、「ナポリを見て死ね」という言葉より「ウフィツイを見て死ね」といった方が私にはぴったりです。ですから、初めてここを訪れた時の感激は今思い出しても相当なものでした。ツアーで一巡しただけではとても満足とはいえません。ただ、参加したツアーはルネッサンスの美術を主体にしたものでしたので、イタリアが初めての美術鑑賞初心者にとっては最適であったことは確かです。その頃は最近ほど混んでいませんでしたから、翌日の自由時間にはまたここへ来てしまいました。午後遅く入館すると待たずに入れました。綺羅星のごとくに並ぶ名画の数々、次々と目の前に現れるのですから驚きでした。私にとっては、ほとんどが初めてお目にかかる本物。まじかに眺めて、興奮の連続(笑)すっかり、美術館巡りにはまってしまいました。

↓ ボッティチェッリ「春プリマべーラ」 地元の美術の講座で解説など聞いたのは後のこと。足元に咲く野の花が日本画のよう。高台寺の黒塗りの蒔絵を思い出したりしてました。

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↓シモーネ・マルティーニ「受胎告知」

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↓ レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」

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1991初夏の旅(6)フィレンツエ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/18(土)フィレンツェ終日自由行動

 この日は一日中独りで行動しました。そのせいかどうか記憶にないのですが写真が見当たりません。美術館はほとんどカメラ禁止だったこともあり、サイトから拝借または当時買い求めた絵葉書をアップします。

 ドゥオーモは昨日観ていましたので、後方から斜めに入るセルヴィ通りをたどってオスぺダーレ・デリ・インノチェンティ(孤児養育院)へ。サン・テッシマ・アンヌンツィアータ(受胎告知)広場に面してブルネルスキの設計の建物がたっています。そのアーケードに並ぶ柱の上部におむつにくるまれた幼児のレリーフ(彩色陶板)・・・フィレンツェの輝かしいルネッサンス(人間復興)のシンボルという想いで眺めました。

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 入口から奥に進みますと中庭。そして階段を上って2階の☆孤児養育院付属の美術館へ。ここの目玉はギルランダイオの代表作「東方三博士の礼拝」で、本来はオスペダーレの付属教会の主祭壇のために制作されたもの。修復したばかりでギルランダイオのひとつの特徴的な鮮やかな赤が印象的でした。

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 ↓現在はボッティチェリの作とされている「聖母子と天使たち」(当時は確かフィリッポ・リッピとあったけれど)

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 ここからすぐに☆アカデミア美術館があります。

↓ミケランジェロの「ダヴィデ」のオリジナルは大人気。私の写真は酷いものですが、本物の輝きに圧倒されました。ゴリアテを倒そうとしている正義の味方の若きダヴィデ像です。この何年か後にダヴィデの足を傷つけた事件があり、柵で囲まれたらしいのですが、このときは目の前ぎりぎりに刻まれた石の足も観ることができました。

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 ↓入口の近くに並べてあった未完成の大理石(絵葉書)

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隣室の絵画部門も見学後、次はここもごく近くにある☆サン・マルコ修道院の美術館へ。ここの画僧だったベアート・アンジェリコによって飾られた修道院はそっくりそのまま美術館といった趣でした。静かな回廊から展示室へ。

↓ アンジェリコ「最後の審判」105×210

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↓ 修道院食堂の壁に描かれたギルランダイオ「最後の晩餐」(420×780)フレスコ。背中を見せているユダの足元に猫が一匹。

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 フィレンツエのギルランダイオの実物をあちこちで見ることができました。当たり前ですが画集よりもずーっと素晴らしい~!

 サンロレンツオ教会のあたりには市場が立って賑やかですが、私はまっすぐ☆メディチ家礼拝堂へ。ここではミケランジェロの「昼と夜」や「曙と黄昏」などの鑑賞をしました。狭い空間に多勢の見物客ですから、そのうち気分が悪くなって早々と退散。まだマニエリスムも知らない頃で、先ほどのダヴィデ像に比べると寝そべったたるんだ感じの彫刻にも興味が持てませんでした。

 昼食は北京飯店という中華屋さんでスープやエビのチリ炒めなど。久しぶりの白飯でしたが不味いぃ。お口直しに共和国広場の素敵なカフェでカプチーノ。ボーイさんの洗練された物腰、イタリアの美青年でしたが5000リラ!日本円で1000円くらい。

 お茶タイムのあとはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会へ。昼休みだったのか?閉まっていて入れません。夫にスエードのジャンバーや自分用にヴェッキオ橋で指輪など買い込んで(このときは再訪問はできないかもと思っていたので)散財。

夕食は昨夜と同じレストランで、リゾットや仔牛肉のフィレンツェ風など。時差ボケもなくぐっすり眠れるようになりました。

☆イタリアの美術館

(7)オスペダーレ・デリ・イノチェンティ付属美術館

(8)アカデミア美術館

(9)サン・マルコ美術館

 

 

 


1991初夏の旅(7)フィレンツエ(ピサとルッカ) [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/19(日)

 この日の出発はゆっくりめ。朝の散歩に行かれた方も多かったようですが、怠けものの私は部屋で過ごしました。シニア客の評判の良い旅行代理店W社なので、スケジュールにも余裕がありました。フィレンツェに3泊できたのは後の美術館めぐりの原点になったと言っても過言ではないでしょう。

 ツアーのバスはパノラマ道路を西へ走り、斜塔で有名なピサへ向かいました。

↓ ピサの大聖堂   まだロマネスクのロの字も知らない頃なので、きちんとした写真も残っていません。このときの日記にはレースの縁飾りのようで綺麗だったと書いていました。ガリレオ・ガリレイのランプ、チマブエ「キリスト像」、ピサーノの説教壇など見学。

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↓ 斜塔

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↓ 洗礼堂

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 ランチはフリーだったので、仲良しになったAさんとふたりで、広場の近くのレストランへ。8500リラの定食はサラダとパスタだけで、まだ48歳の若かった?私はもう一皿パスタを追加…イタリア語で説明されたのですが、ちんぷんかんぷん。同じシーフードのスパゲッティが来ちゃって・・・汗。

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 次はルッカの街へ。

↓ ドゥオーモの前はTVのカメラが並び、信者の人の波…新しい司教様が来られた日でした。その歓迎のための旗が民家の窓に飾られてました。今なら分かる(笑)ロマネスク・ピサ様式のドゥオーモです。

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↓ ルッカの街を散策。プッチーニの生家が残っていて(1階は管理人の住まい)、上階が博物館になっています。蝶々夫人の古いポスターなども飾られていました。このころはオペラのオの字も知らない頃でしたから、ガイドさんの説明も上の空、退屈でした(笑)。

↓ただし、旧市街の散策は楽しかったです。特に城壁の上の散歩道。でもほんの少ししか歩かなかったので、心残り。爽やかな5月の空、時々風に舞う柳の綿毛・・・。

 

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 フィレンツェに戻り、夕食はLe Sagristiaというレストランへ。事前に渡されたメニューではヒラメのはずが肉に変更されたとかで、ワインが飲み放題になりました。旅の間にどんどんお酒に強くなる私・・・。

☆イタリア・ロマネスク(トスカーナ)

ピサの大聖堂と洗礼堂、斜塔

ルッカのドウオーモと聖ミケーレ教会

 


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1991初夏の旅(8)フィレンツェ~ボローニャ~ラベンナ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/20(月)

ラベンナ/Jolly Hotel 1泊

 フィレンツェの出発は11時とのことで、それまで自由行動になりました。アルノ川を渡ってピッティ宮殿にある美術館へ。ところが今日は月曜日でお休みでした。

↓ ピッティ宮殿の前で犬の散歩をしている男性は当時のイタリアではあまり見かけないジャージースタイルでした。夫も犬好きなので、旅に出ると犬の写真を撮ってきて、お土産替わりに見せたりします。ただ犬は動くので上手に取れないことが多いです。

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 諦めて、近くのサン・スピリト教会へ。教会の扉口の前に物乞いの人がいました。中に入りましたが、朝のミサが行われて居て、フレスコ画を観ようとしたら、神父様にノンと怒られてしまって・・・しゅん。この後はサンタマリア・カルミネ教会へ。修復中?だったのか、マザッチョのフレスコ画は観られず、ここで時間切れ。フィレンツェを離れるのが辛かったです。このときはこの後4回も来るなんて想像できなかったですから。。。

↓サン・スピリト教会(ルネッサンス初期の建築)

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 ツアーのバスはフィレンツェからアッペネンニーノ山脈を越え食通の街ボローニャへ。マジョーレ広場、市庁舎、ネプチューンの噴水、聖ペトロニオ教会(日時計がある)、市場など見学。

↓ ボローニャはポルティコと呼ばれる柱廊がアーケードになっています。大きな町らしく洗練されたブティックも並んでいます。こういうのが札幌にもあると雪が積もらなくていいのにと羨ましかったです。写真ではごみが散らかってますね。このころは公衆トイレ(広場の地下にありました)など汚れているところ多かったです。

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↓ 市場のチーズ専門店の前で。

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 そして、ラベンナの郊外にある☆サンタ・ポリナーレ・イン・クラッセ教会に到着。円塔は修復中でしたが、教会の「キリストの変容」のモザイクは窓からの光が差し込んで、衝撃的なほど美しく晴れやかに見えました。

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 教会の横のレストランでランチをとって外に出ると、修学旅行中の高校生たち(聞くと17歳で次女と同じ年齢)が明るく騒いでいました。

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 ラベンナの街に入り、駅前のホテルに荷物を置いた後は、自由行動になりました。独りで☆サン・ビターレ教会でユスティアヌス帝やテオドーラ妃のモザイクなど鑑賞。フランス、ドイツ及び宗教関係の見学者が多く、日本人の観光客で宿泊するのは珍しいころでした。

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 ↓ ダンテの墓への通り

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 イタリアリラの現金が少なくなり、銀行で両替しようと行ってみましたが、閉まっています。困っていたら、丁度出てきた銀行の方が、親切に両替屋さんに連れて行ってくれました。それがハンサムな青年で2~300mの距離ですが、一緒に歩いてドキドキ(笑)それをツアーの人たちに目撃されてしまって・・・恥ずかしいやら、言い訳やらで大変でした。

そして、帰り道ばったり会ったAさんとポポロ広場でお茶してお喋り。時々黒人の物売りが来たりしますが、しつこくもなく、なんとなくおっとりした風情の街に「ラベンナは良いところだね~」とホテルへ。

宿泊したジョリーホテルはこの旅で初めてバスなしで狭い部屋でしたが、夕食をとったホテル内のレストランが◎なので、好印象。野菜のスープ、キングサーモンのムニエル、ティラミス。

☆イタリア・ロマネスク(主にビザンティン)

ラヴェンナのサンタ・ポリナーレ・イン・クラッセ教会とサン・ビターレ教会及び洗礼堂

 

 

 

 

 

 

 

 


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1991初夏の旅(9)ラベンナ~フェラーラ~ベニス [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/21(火)

ベニス/Splendid Suisse Hotel 2泊

 ラベンナからベニスに行く途中フェラーラに立ち寄りました。まずエステ家の居城だったエステンセ城の見学。この城にまつわる怖いお話を聞きましたが、詳細はすでに忘れています。

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  共和国広場~サボナローラ像を見てから、☆フェラーラ大聖堂へ。教会内部の記憶はまったくありませんが、左わきの階段を上った小さな付属美術館で、驚くべき作品に出合いました。それはフェッラーラ派の創始者と言われるコジモ・トゥーラ(1430~95)のテンペラ画でした。このフェラーラ大聖堂のオルガンの扉絵として描かれた2枚の絵画はそれまで観てきたラファエルやボッテチェリの優雅なルネッサンス絵画とはあまりにも違っていました。日本ではまだ知られていない(というより私が知らない)個性的な画家がイタリアには他にも多くいるのだと思うとわくわくしてきました。

↓「聖ゲオルギウスと龍」349×305(1469)

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↓「受胎告知」349×305

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トゥーラの作品は数が少ないのですが、一目見ただけでトゥーラと分かります。この流れでピエロ・デッラ・フランチェスコやクリヴェッリを追いかけるようになったのかもしれません。

この小さな美術館は無料でしたが、絵葉書売りのおばさんが独りいるだけでした。無愛想に「無料なんだから、寄付して!」というので「絵葉書買ったから良いんじゃないの~」とツアーのおばさんたちも負けてません(笑)。

 そしてバスは一路ベニスを目指しました。列車の走っている鉄道と並行した道路から、湾の向こうに徐々に見えてくるベニスの風景は峠からのフィレンツェと並び劇的なパノラマでした。塩野七生の「海の都の物語」ではヴェネチア共和国の成り立ちから始まります。私は帰国してから読んだのですが、訪れる前に読むべきでしたね。

ローマ広場から何人かに分かれて水上タクシーでホテルへ。大運河の水はあまりきれいには見えず、少し臭いが・・・。

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↓ リアルト橋のたもとでTAXIを降り、徒歩でホテルに入りました。

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ホテルはサンマルコ広場にも近く便利な場所にあり、部屋も狭いながら細いカナルに面して、バルコニーつき。ベニスの家々の赤瓦の屋根が続く眺めの良い部屋でした。かなり近くで教会の鐘が聴こえました。サン・マルコ教会のだったのでしょうか?雰囲気満点でした。

ランチはフェニーチェ劇場の近くの小さなレストランで、生まれて初めてイカ墨のスパゲティを食べました。食わず嫌いが治りました。本場に来て美味しいことが分かり、その後は好物になった一例です。

午後からは半日観光でサンマルコ広場~ドウカレ宮殿(ティントレットの世界最大の油絵、溜息橋)~☆サンマルコ寺院~ガラス工場と盛りだくさんでした。

↓ サンマルコ広場にて

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 夕方はゴンドラに乗って運河めぐり、船頭さんのほかにカンツォーネの歌手さんも乗り、その歌声を聴きながら優雅でした。歌声を聴きつけて、建物のバルコニーからワインのグラスを片手にでてくる人たちはにこやかに乾杯。

↓ゴンドラの出発

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夕食はホテルのレストランで済ませた後、夜のサンマルコ広場へ。カフェフローリアンでお茶をして、ミニオーケストラの奏でる音楽にうっとり。ベニスはなんて素敵なんでしょう!

☆イタリアの美術館

(10)フェッラーラの大聖堂付属美術館

☆イタリア・ロマネスク(べネト)

ベニスのサンマルコ寺院 (主にビザンティン)


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1991初夏の旅(10)ベニス [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/22(水)

 今日は終日自由行動の日、映画ファンのAさんはヴィスコンティの大ファンで、リド島へ一緒に行きませんか?とのお誘い。断るわけはありません。リド島までは水上バスで。地図で見ると細長い島です。「ベニスに死す」の舞台になったあの優雅なホテル・デ・バンのあたりをうろうろ・・・プライベート・ビーチと宿泊者専用の脱衣室が並ぶところにも行ってみました。幻のように美しく波と戯れる海浜着姿の少年に思いを募らせる中年男の主人公・・・切ない場面でしたね。

↓ ホテル・デ・バンはシーズンオフ?人影もなくひっそりとしていました。

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↓ ビーチで。手にしている茶色のバックは皮のひもで編んだトート・バックです。何処で買ったのか忘れましたがフィレンツェ?少し重かったのですが、大のお気に入りで何年も愛用してました。

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ランチもリド島で済ませました。烏賊のフリットがカラッと揚がって◎。日本円で1000円くらいのツーリストメニューでした。ふたりとも英語もイタリア語もほとんど話せないのに、困ることもなく水上バスに乗ったり、食事ができました。

その勢いで、本島に戻ってからもぶらぶらと、まるで迷路のベニスの街を歩き回りました。このとき買い求めたベネチユアンガラスの小さなサンタさんやトナカイなどのオーナメントは今でもクリスマスになると真綿にくるまれた箱から登場します。

↓ 1991年に買ったのは左のツリー。右のツリーを1997年に同じ店で買い足しました。

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 歩き疲れては路地裏のバールでエスプレッソを飲んだり、名も知らない教会にぶらりと入ったりで、アカデミア美術館に行く時間が無くなってしまいました。でも、すでに体力も限界で、ホテルに戻り休憩。夕食は昨日と同じホテルのレストランで。食後は少し歩いた運河の橋のたもとにあるカンツォーネ酒場でヴァイオリンや歌を聴き、ベニス最後の夜を賑やかに過ごしました。


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1991初夏の旅(11)ベニス~パドヴァ~ビチェンツア~ベローナ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/23(木)

ベローナ/Accademia Hotel 1泊

 この日はベニスからベローナまで移動しましたが、途中、パドヴァに寄り観光。聖アントニオ教会の広場には祈祷用の大きな絵蝋燭が売られ、今までの教会とは少し違う雰囲気でした。聖アントニオの墓所があり、熱烈な信仰の対象になっています。遺骨?だったかを行列しながら拝見。広場に戻ってみますと、大きな銅像に気がつきました。画集で観たこともあるかなり有名な像です。写真は下からなので、顔の表情は見えませんが、戦う人間の冷酷な面構えがリアリスティックで印象的。ドナッテロが必ずしも将軍を賛美して作ったものではないと、感じさせるものがありました。

↓ ドナッテッロの「ガッタメラータ将軍騎馬像」

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 ここから歩いたかどうか忘れましたが、同じパドヴァ市内にあるスクロベーニ礼拝堂へ。ジョット作の「キリストの生涯」の壁画があります。入数制限があり、いくつかのグループに分かれて見学しました。

↓ 正面が修復中だったスクロベーニ礼拝堂。右の美術館のインフォで申し込んでから係員の誘導で入りました。

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 ジョット好きには必見の見事な連作で埋められた壁面を30分という時間で鑑賞することになっています。ぼーっとなって舞い上がり、この初見の時は色の美しさと主題の明確な表現くらいしか記憶にありません。結局このあと1997と1999に旅の途中でしたが寄り道して観ることができました。

↓絵葉書(内陣壁面は聖マリア伝)&「受胎告知」

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↓ 案内係?のおじさんも可愛がっていた、この辺りから離れないという人懐っこい野良犬くん。

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 そして、ビチェンツアではオリンピコ劇場の見学と昼食をとリ、ベローナへ。

↓ シニョーリア広場ダンテの像のところで。写真を撮ってもらった時、鳩が飛んできて・・・。

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 ↓ジュリエットの家。バルコニーに立つと有料です。

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↓スカリジョレー家の廟

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↓ アレーナ付近。ホテルはこの近くでした。

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 徒歩でかなり歩き、エルベ広場からアディジェ川にかかる古い橋まで行きました。

↓ 旅も終わり近くなり、仲よくしていただいた日本画家のKさん、映画好きのAさんとディナーの前にホテルのロビーで。この旅のあとは再びお会いすることありませんでした。お元気でしょうか?

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☆イタリアの美術館

(11)パドヴァのスクロベーニ礼拝堂


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1991初夏の旅(12)ベローナ~マントヴァ~ミラノ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/24(金)

ミラノ/Hotel dei Cavalieli 2泊  

 ロミオとジュリエットの街ベローナを離れ、旅の最後の宿泊地ミラノへ。途中マントヴァに寄りました。

↓ ドゥカレ宮殿の前で。自由行動もできるというので、街の散策へ。宮殿にはマンテーニャの壁画がありますが、このときは見学をパスして、気ままに歩くことにしました。

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まだオペラを知らないときで、何年かあとで、ヴェルディの「リゴリット」を映像で観て、初めてマントヴァが舞台と気がつきました。リゴレットは架空の物語ですが、雰囲気がぴったり。↓湖の向こうに見えるマントヴァ(絵葉書)の街

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↓ 聖アンドレア教会の近くに小さな円形の建物がありました。イタリア・ロマネスクの先輩Kikukoさんが訪問されたときの記事によりますと、下記のように説明されています。時計塔は左の修復中の建物でしょうか?

<中世後期のたたずまいを留めるエルベ広場の一角に建つサン・ロレンツォ円形聖堂は、ロンバルディアを代表する、数少ない集中式の円形聖堂です。隣の時計塔は1473年にルカ・ファンチェッリが建てたもので、バルトロメオ・マンフレーディが同じ年に製作した天文学と占星術を駆使した時計が修復されて動いています。>

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このときは内部には入れませんでしたので、KikukoさんのHPを参照されてください。

http://belcanto.music.coocan.jp/2009/2010-viaggio1-1.htm

 

↓ 宮殿の広場のバールでお茶をしていると、集合の時間になりました。ドゥカレ宮殿内を見学しなかったのは、後悔することもありますが、少しずつですがこうして自由に行動したことの結果がのちの個人旅行の原動力に繋がったことは確かなようです。

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 メッツオ湖やインフォり湖を眺めて、マントヴァのルネッサンス芸術に大いに力を発揮した美しきイザべラ・デステを想いつ西へ走り、途中のドライブインのようなレストランで昼食、そしてミラノへ。

 ミラノの半日観光では

↓スフォルツェスコ城内の市立美術館でミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」とダ・ヴィンチの装飾した部屋を見学しました。

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↓ ドゥオーモとエマニエル2世アーケード

日本はバブルがはじけたと言え、まだまだこのアーケードのプラダなどで買い物する人は多かったです。私もつられて?娘たちに(これが最後かもと思って)バックや靴などのおみやげを買い、バブリーな母しちゃいました。

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↓ 夕方のドゥオーモ広場

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 ↓ アーケードを抜けると、スカラ座広場(ミケランジェロ像)

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↓ オペラにはまって何度もスカラ座に来るようになるとは露思わず、このころは無邪気ですな(笑)

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 この後は夕食の時間まで自由行動になり、また独りでぶらぶらとドゥオーモ広場まで行ってみました。ホテルから数分なので余裕で帰れる距離でしたが、ドゥオーモ広場からは道路が放射状に何本かあるのですが、一本間違えてしまいました。歩いても、ドンドン帰るべきホテルから離れてしまいます。10分ほど歩いて、間違いに気がつき、焦りました。途中で道を曲がったものの余計に時間がかかり、ついに集合に間に合わなくなりました。近いからと渋るTAXIに半ば無理やり乗り込んでホテルへ。ところが、目の前からツアーのバスは発車して行ってしまいました。ホテルに入るとレセプションの人がみなさんが向かったレストランの地図をくれて、タクシーで行きなさいと行ってくれましたが、すっかり疲れ果ててしまったので、ホテルのレストランで食事をしたいと添乗員さんに連絡してもらいました。

 独りの夕食はメロンと生ハムの前菜とパスタをオーダー。生ハムとメロンは別々のお皿で山盛りで供され、ゆうに5人前はありました。好物ですしせっせといただきましたが、ギブアップ。パスタも少々いただいて退散。翌日ツアーの皆さんに謝り、何を独りで食べたのか聞かれたので、このことを話すと羨ましがられました(笑)。ツアーの夕食は美味しくなかったとかで・・・。

 私は方向音痴でもないですし、迷うことなどないと自信過剰でした。このとき、ツアーだと少しのミスや時間の遅れでも他人に迷惑をかけるということが身に染みました。そして、多少の過ちは問題のない個人旅行が良いな~という結論に達して・・・。まだこれが初めてのヨーロッパというのにです(汗)。

 ☆イタリアの美術館

(12)スフォルツェスコ城市立美術館

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1991初夏の旅(13、14,15)ミラノ(パヴィア)&帰国 [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/25(土)

 午前中はミラノ市内のサンタ・マリア・デッラ・グラーツィエ教会の見学でした。教会の前にミラノのガイド本を売る人たちが「1000円!シェンエン!」と日本語で。

↓ サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会の全景(絵葉書)。

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↓ 教会左のベージュの建物から入ってダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を鑑賞。当時はまだ修復の最中でした(完成は1999)。不定期に閉める場合もあったので、足場がかかって少し邪魔な感じでしたが、なんとか観ることができてラッキーでした。絵葉書よりも色が褪せて見えましたが、小さな元食堂だった部屋の壁一面に描かれた大作(420×910)です。この後何度かミラノには行きましたが、予約制になったこともあり再訪していません。

 

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 そして、ミラノからパヴィアの修道院へ移動。La Certosa di Paviaはパヴィアの街からは8Kほど北にあります。ロマネスク様式のシトー派の後に起こったカルトゥジオ会の修道院として14世紀に創立されました。修道士の生活する個室が機能的に配置され、瞑想と静寂の中で祈りに没頭できる環境になっています。シトー派の修道士たちが大部屋で寝起きを共にしていたとは異なっています。

↓ キオストロ・グランデ(大回廊)を取り囲むように修道士たちの個室が並んでいます。

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↓ こちらはキオストロ・ピッコロと呼ばれる小さな回廊です。

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↓ 絵葉書

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↓ 修道院教会前で。右の建物にショップがあり、修道士さんたちが作ったチョコレートを売っていましたので、お土産に購入。

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↓ このとき頂いたパンフレット。教会内部にはLudovico il MoroとBeatrice d'Esteのお墓やベルゴニョーネやペルジーノなどの壁画があります。

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 午後はミラノに戻り自由行動になりました。ブレラ美術館は修復中でかなりの展示室が閉まっているというので、諦めてドゥオーモの屋上に登ったり↓、ショッピングしたりして過ごしました。ブレラ美術館はまたの機会に・・・いつのまにか必ずミラノはイタリアは再訪するつもりになっていました。

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 旅の最後の晩餐はGIANNINOで。今はどうかわかりませんが、当時はミラノの一流レストランでした。

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5/26(日)ミラノ→5/27(月)成田→札幌

 留守宅には夫と娘たち(19歳と15歳)、それに愛犬ちょび(ハスキー)が首を長くして?待っていました。隣家には夫の両親もまだ健在だったころです。旅はもちろんですがあのころの家族もまた懐かしいです。。。遠い目。

 

 

 

 

 

 

 


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