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1989春北米の旅(L.A&サンフランシスコ) ブログトップ

1989春の旅 [1989春北米の旅(L.A&サンフランシスコ)]

1989.3  昨年の初海外旅行に味をしめて、当時中学生だった次女の春休みに海外に出かけることになった。JTBの店頭で、アメリカ西海岸6日間の旅が安いのを知って早速申し込んだ。ロサンゼルス2泊、サンフランシスコ2泊のショート・トリップ。飛行機+ホテル4泊(朝食付き)+ロサンゼルスとサンフランシスコの1日観光とランチでひとり15万円くらい。

(1)ANA利用で夕方出発、翌朝ロサンゼルスのフライト。3月のまだまだ冬のような寒い札幌から成田経由で、暖かい初夏のようなロサンゼルスに到着。太平洋からアメリカ大陸へ入っていく上空からの眺めに感動。ロサンゼルスの上空からはプール付きの邸宅が多く、アメリカのリッチな一端を認識させられた。市内でイタリアンのランチとったあとはマリナ・デル・レイなどの観光。ヨットが並んでいる風景、カラフルな建物そしてハリウッドに関連した観光地とメキシコ村を巡った。ここの売店で土っぽい陶製のクリスマスの人形のセットを買った。ホテルはダウンタウンのヒルトンで夕食はフリー。慣れない時差ボケで疲れたので、ホテル内のレストランへ。ミディアムと言ったのに焦げたステーキにポンと醤油を小さな瓶ごと出されて、2度びっくり。不味いうえにボーイさんの馬鹿にしたような態度に「黄色い肌のジャパニーズ」であることを実感。まあこれも現実、社会勉強ですからと意に介せず。

(2)この日は一日フリーだったので、アナハイムのディズニーランドへ。東京のディズニーランドには2回行ったことがあったので、特に珍しくもなく、園内のレストランで食べた超甘いケーキを1匙しか食べられず退散。日本人街に立ち寄って、ラコステのポロシャツなど購入。夜はヒルトンから徒歩数分のボナベンチャーホテルの最上階?だったかにある回転レストランで。なにを食べたのか忘れてしたが、昨夜に比べるとずーっとましな食事ができた。帰途はもう暗くなっていたので、人通りも少なく怖いくらい。男の人が後ろから歩いてきたので、怪しくもなさそうだったのに、二人で逃げるように走ってホテルに戻った。

(3)ロサンゼルスももうお別れで、次はサンフランシスコへ空路移動。簡単な半日観光の後ホテルへ。サンフランシスコの宿はフィッシャーマンズワーフの近くのホリディH。どういうわけかダブルベットがひとつ。母娘といえども一つのベットでは窮屈。毛布も取り合いになってしまうし…。早速夕方まで波止場で過ごし、海の見えるレストランでクラムチャウダーを食べた。食券の範囲内だと蟹などはいただけないのが寂しかった。

(4)昼間の自由時間はケーブルカーの電車に乗ってダウンタウンへ。坂道では車体が斜めになるので、娘が体重が軽くベンチの端まで滑ってしまい大笑い。どこから来たの?ときさくな女性に話しかけられるが、このころはまだ英会話も習ってなかったしで、話が続かなかった。アメリカへきて人種差別されているのか?と思うこともあったので、話しかけられたのは嬉しかった。ランチはチャイナタウンで飲茶にした。ワゴンで何度も回ってくるので、美味しいしついつい食べ過ぎてしまった。

夕方からは遊覧クルーズ、ゴールデンブリッジの下をくぐって湾のほうへ。船内でディナーのあと夕日の沈む美しいサンフランシスコ湾を眺めた。太平洋の西方向が日本だね~と遠くに来た感慨深し。母娘2人の短い西海岸の旅もこれでお終い。

(5.6)ANAは国際線に進出してまもなくだったと思う。ロサンゼルス乗り換えの日本までの飛行機が遅れ、ぎりぎりで成田から羽田へ。国内線搭乗口まで走ってセーフ!最終便で札幌に帰った。
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