1992春の旅(11&12)カイロ~パリ&パリ [1992春フランスの旅(パリ)]
3/19 カイロ7:00→パリ10:50
エジプトのホテルを早朝に出発し、空港へ。手荷物検査の時若い4人組だけは中身を検査されました。その時もテロの懸念より、麻薬の疑いと思いました。2か月後に始まった外国人に対するテロを予想だにせず、エジプトを出国したのです。
パリのシャルル・ド・ゴール空港で私たち母娘はツアーから離れ、パリ市内へ。娘は心細かったらしく、「みんなと一緒に帰りたくなった」と少々不機嫌でしたが、エジプトの前夜に泊まったエコノミーな宿よりは高級なシャンゼリゼ通りの近くのカリフォルニァ・ホテルに入ると、ここに5泊するの~と現金なものでにっこり。丁度ホテルの一部を改装中だったので、割安で泊まれました。この日は私の体調もまだ充分とはいえませんでしたので、午睡をとり休憩。夕方になってから近くを散策がてら中華食堂で焼売などの点心やコーンスープを食べました。美味しかったです。長女もしばらくぶりのほっとする味だったのか、大好きなチャーハンも食べて上機嫌(笑)さて、明日からは母娘の趣味の美術館めぐりが始まります。
3/20
遅めの起床と朝食(パンもコーヒーもさすがにパリ!)も美味しくいただいて、地下鉄でコンコルド広場へ。まずは広場の傍のオランジェリー美術館へ。当時は2階建ての小さな美術館でした。モネの睡蓮をはじめルノワール、ユトリロ、マリー・ローランサンなど。静かで日本人も多く、「お嬢さんとご一緒でいいですね」と声をかけられたりしました。
↓ モネの睡蓮の部屋で
☆オランジェリー美術館(初)
初めてのパリはエジプト旅行の行き帰りに立ち寄った時でした。ツアーの性格上コンコルド広場でオベリスクを見学したのですが、私はすぐ近くに建っているこの美術館が気になって仕方ありませんでした。それでツアーから離れ、パリに舞い戻って初めにこのオランジュリー美術館を訪問したのです。今までの旅と違ってフリーは初めてでしたから、その時はパリの治安が悪い(今も?)との情報にビクビクしながらも、初メトロに乗りました。気の小さい長女がおっかなびっくりメトロの階段を下りていく姿を今でも思い出します。
オランジュリー美術館は窓が大きく明るい展示室で、晴れた日でしたから自然光のなかで印象派をはじめユトリロ、マティス、ピカソなどを鑑賞できました。モネの展示室だけは窓がありません。
初めて実物を観た画家のものも多く、なかで私達母娘のお気に入りになったのはアンリ・ルソー。
ここには「人形を抱く子供」をはじめいくつかの名画がコレクションされています。
このあとのオルセーや他の美術館でのアンリ・ルソーの作品に触れることの原点になりました。「へたうま」みたいな素朴さに隠された人の世の変わらぬ憧れと夢。。。
↓ アンリ・ルソー「婚礼」1905
↓ ルノワール「ピアノに寄るロレル・イヴォンヌとクリスティーヌ」1897
↓ ユトリロ「サン・ピエール教会」1914
↓日本語のパンフレット
オランジェリーからチェルリー公園を抜けてオルセーへ。
↓チェルリー公園から、後ろにオルセーの建物が見えます。近くに見えたのですが、橋まで迂回したので、結構な距離を歩きました。
☆オルセー美術館(初)
↓ 美術館になるまではオルセー駅はかつてはパリ・オルレアン鉄道のターミナル駅だったそうです。美術館として改築される前の駅(絵葉書)
全体の面影は現在も残っていましたが、撮影禁止でした。中央のコンコース(レールの敷かれたところ)は主に彫刻が展示されていました。この地上階のアングルの「泉」を皮切りにドガ、マネ、ミレーなど傑作揃いです。上階はルノアール、モネ、シスレーなどの印象派。ゴッホ、ゴーギャン、アンリ・ルソー、ロートレックなど。最上階だったでしょうかカフェの近くに照明を落とした展示室があり、ドガやロートレック、ルドンのパステル画があります。途中からは長女とは離れて、お互い自由に鑑賞することになり、時間を決めてブックショップで待ち合わせ。遅くなった昼食は館内の豪華な内装のレストランで。味は普通ですが、サービスが悪くて唖然でした。なんか私たち悪いことしました?フランス語が分からないからって、そんなに邪険にしなくても・・・。お隣に座った紳士が見かねて、そのサービスのおばさんに注意してくれました。そしてようやくお皿が運ばれてきたという次第です。
この初回訪問で、印象に残った作品を絵葉書で紹介します。↓カイユボット「床の鉋かけ」1875
↓マネ「オランピア」1863
↓ ドガ「アプサント/カフェにて」1876
ヘトヘトに疲れて、タクシーでホテルに帰りました。夕食はあまり空腹でなかったけれど、近所のレストランで。コートを預けるのにもチップが居ることに長女が気が付いて、恥をかかずに済みました。前菜のテリーヌも主菜の牛肉も量が凄い!結局半分も残してしまいました。デザートはパス。さて明日は何処に行きましょうか・・・もちろんルーヴルです~。
1992春の旅(13)パリ [1992春フランスの旅(パリ)]
3/21
この日は一日中ルーヴル美術館で過ごしました。巨大なアートのワンダーランドって呼びたいくらい。美術好きにとっては何度訪れても新しい発見があります。エジプトへの予習でツアーで、寄りましたからこれが2回目です。前回同様、ピラミットの入り口とは違うルートで入館しました。彫刻の並ぶ大廊下の先にサモトラのニケ像の大階段。そこからモナリザの標識に従ってイタリア絵画部門から巡りました。
☆ルーヴル美術館(2)
当時はヴェロネーゼの超大作「カナの婚礼」のある大きな展示室に「モナリザ」がありました。私は人だかりの「モナリザ」よりもその反対の壁にかかっていたカラヴァッジョの「聖母マリアの死」に興味を惹かれました。この前年にイタリアで何枚かのカラヴァッジョを見ていましたが、この作品で初めてカラヴァッジョを別格な画家と認めたような気がします。聖母の死を嘆くマグダラのマリアが白いうなじを見せている姿。目に焼きつきました。そしてドラクロワの「民衆を導く自由の女神」&フェルメールの「レースを編む女性」がこのときの訪問でのベスト3です。
↓ カラヴァッジョの「聖母マリアの死」1605/06頃
↓ ヴァトー「ピエロ(ジル)」1718-19頃
↓ラ・トゥール「大工の聖ヨセフ」1640代初め
上の2点も絵の前からしばらく動けなかった。。。お気に入りの画家たち。
さて、母娘が一番楽しみにしていたフェルメールは何処でしょう?フランドルやネーデルランド絵画の展示室には見当たりません。係員に「フェルメールは何処?」と訊いてもなかなか通じません。写真を見せてようやく「ああ、ヴェルメハね。今日は2時からしか開かないよ」とのこと。ランチを済ませてゆっくり休んでから、またイタリア部門の長い回廊を抜けて戻りました。ルーベンスのある部屋から奥へ、細長い片側が窓の廊下のような部屋にさりげなく2枚のフェルメールがかかっていました。予想していたよりも小さく、何十枚も絵画が並んでいますので、危うく素通りするところでした。
↓フェルメール「レースを編む女性」1665頃と「 天文学者」1668の前で。
↓ フラ・アンジェリコ「聖母戴冠」1434-1435の前で
↓ 絵葉書です。
↓ ミケランジェロの「瀕死の奴隷」
この展示室までは観光客もあまり来ませんが、イタリアからの高校生の修学旅行生と一緒になりました。おませな男子高校生が長女に興味を示すのがおかしかったのですが(高校生に見えたようです)、引率の先生に声をかけられたのも良い思い出です。イタリアが好きで去年初めて行ったことくらいしか話せませんでしたが…。
夕食はシャンゼリゼの「サントリー」で、しゃぶしゃぶを食べました。味はまあまあでしたが、高い!
1992春の旅(14~17)パリ2日間&帰国 [1992春フランスの旅(パリ)]
3/22
午前中はオペラ座見学と近辺を散策しました。オペラ座の周辺は日本人向けの食堂(ラーメン、うどんなど)や名前は忘れましたが日本の大手の書店もありました。「ひぐま」という札幌ラーメンの店があり、ここでランチにしましたが味は薄く、塩味だけでなくラーメン特有のコクに欠けていて、少々がっかりでした。その後この近辺は様変わりしたようなので、「ひぐま」は残っていないでしょうね。
↓オペラ座で。このころはオペラにまったく興味のないころでしたので、ガルニエの建物をさらりと観ただけでした。
午後からはパリにも慣れてきた長女が独りで歩きたいと言いますので、別行動にしました。私はメトロ移動でロダン美術館へ。
☆ロダン美術館(初)
「カミーユ・クローデル」の映画を観た後にここへ来ましたから、ロダンはもちろんですがクローデルの作品も探したはずなのですが、記憶にあるのは「老女の像」1点だけでした。何処かへ貸出し中だったのかもしれません。実際何年か後に渋谷で展覧会があり、彼女の作品を多数観ることができました。美しい庭の広い館(ビロン邸)はロダンが晩年住んでいた家です。庭には「地獄の門」や「考える人」などが置かれ、室内はロダンが収集したゴッホの「タンギー爺さん」の絵画なども飾られています。
↓ ロダン「接吻」
夜はバトー・ムーシュ(セーヌ河の遊覧船)のディナー・クルーズを愉しみました。
↓記念写真を撮ってくれたのですが、有料でかなり高かった記憶があります。食事は一応はフランス料理ですが、前菜のエスカルゴが不味くて。。。
船からの夜景は写真では良く取れてなかったのですが、ノートルダム寺院やオルセーなどセーヌ河沿いの建物がライトアップされて、美しい眺めでした。
3/23
この日は美術館めぐりにも疲れてきたので、パリのデパートで買い物を楽しみました。ほとんどは家庭用品で、オペラ座の版画、陶器の天使の壁掛け、写真立て、クッションなど。家具も素敵でしたが、観るだけ。。。免税手続きをしてくれたフランス人女性が親切で、日本語も堪能でした。パリの最後の夜はホテル近くのイタリアンで夕食。やはり、量が多過ぎて、勿体ないけれど残してしまいました。
↓ ディナーの前、ホテルの部屋で写しましたが、目をつぶってしまいました。
3/25
チェックアウト12時ぎりぎりまで、部屋で荷物の整理をしたりのんびり過ごし、パリCDG15:00発のAFで帰国の途につきました。
3/26
成田着10:55、バスで羽田に移動し、まだ雪の残る札幌へ帰りました。夫や高校生の次女、隣家の夫の両親もつつがなく、元気でした。家では意見の合わないことも多い母と娘ですが、15泊17日間を喧嘩もせず(説教もせず 笑)楽しい旅ができました。来年の春も行けるといいな~と話してましたら、次女が「私も連れて行って!」とせがむのです。でも4歳違いの娘たちは就職と大学入試という難関にあと1年という時ですからね。さて、どうなるでしょう?
古い旅のアルバムを整理がてら、記憶をたどりながらようやくアップすることができました。旅行会社からの「旅のしおり」が見つからず、エジプトの旅では年代を入れたり、王朝やファラオの説明なども省略しました。これから行かれる方の参考にはならないと思いますが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。(終)