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1994春の旅(1)札幌~ロンドン [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

 1994年の春は娘たちも就職、進学とそれぞれの道を歩み始めました。実質的に子育ては終了したわけです。その記念に念願の独りでヨーロッパの美術館を巡ることになりました。

また、初めて一人旅で美術館巡りをしようと計画したきっかけは某カルチャー教室での美術史の講座の先生の影響も大きかったのです。北大の英米文学の教授だった高久真一先生は美学の専門家ではありませんが、西洋美術に造詣が深く、『キリスト教名画の楽しみ方』(日本キリスト教団出版局)の著者でもあります。講座ではご自分で独りで美術館を回られ、撮影されたスライドに、多方面からのアプローチによる解説も楽しく、すっかり虜になりました。今思えば高久先生は私の人生を変えた師でもあったわけです。記念すべき最初の一人旅はやはり先生のお薦めのオランダ、ベルギーにロンドンとパリを加えたコースになりました。夫も快く私の趣味の旅に送り出してくれました。こうして、感謝とともに解放感いっぱいの旅が始まりました。

<スケジュール>は

ロンドン(5)~アムステルダム(2)~デン・ハーグ(1)~アントワープ(1)~ブリュージュ(2)~ブリュッセル(1)~パリ(4)

↓MAP 

 

東京で独り暮らしの次女を成田に呼んで、夕食を共にして1泊。そしていよいよ16泊18日の旅が始まりました。航空券とホテルはHISの札幌支店で手配してもらいました。

5/7(土)成田11:00→ロンドン15:30(ヴァージン・アトランティック航空)

 今はあるかどうかわかりませんが、ヴァージンの準ビジネスクラスに乗りました。座席はビジネス、食事はエコノミーでした。ただ現在のビジネスクラスとは違って座席が180度倒れるわけではありませんが。空席がほとんどで、通路側にカーテンも!横になってのんびりの空の旅でした。

 ホテルはストランド・パラスホテルに5泊しました。このホテルを選んだのはナショナル・ギャラリーやミュージカルの劇場が近いというだけで、後にオペラのために何度も利用することになろうとは・・・。大型のホテルなので地上階に4つレストランやカフェがあり、この日の夕食はトマトスープ、エビのフライなど。味は最低に近く不味すぎ(涙)。部屋は下のほうの階で6畳ほどと狭く、窓から見える中庭もコンクリで薄汚く、がっかりでした。ただバスタブが付いていて、清潔な室内。立地条件も◎でした。

ホテルにツアーデスクがあり、明日のバスツアーを予約して、領収書兼参加確認書をいただいて部屋に戻りました。ところが翌日大慌て・・・。


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1994春の旅(2)ロンドンから一日ツアー [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/8(日)

 昨夕、予約していたバスツアーは「オックスフォード、ストラッドフォード、ウィリック城巡り一日ツアー」(42.5£)という日本語ガイドつきです。ホテルまで迎えに来てくれるとのことで、ロビーで待っていましたら、ガイドさんが迎えに来てくれたのですが、さてバスに乗ろうとしたら例の領収書が必要とのこと・・・すでに乗られていた皆さんをお待たせして、部屋まで取りに行くという失態をやらかしてしまいました。まあ、何事も経験ということで(汗)、バスはほぼ満員で、英語と日本語のツアーなので、日本人も多く参加していました。

 まずはオックスフォードへ。皇太子さまや雅子さまも通われていたオックスフォード大学はカレッジ別に教会や寮があり、いくつか見学しました。

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 次はシェクスピアの故郷ストラッドフォード・アポン・エイボンへ。シェクスピアの妻アン・ハサウェイの実家が残っています。15世紀半ばに建てられた家で、ストラトフォード・アポン・エイボンの中心から約1.5キロほどのところにあります。

↓Anne Hathaway's cottage(絵葉書)

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↓お庭で

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 また、エイボン川の畔の町ストラッドフォード・アポン・エイボンにはシェクスピアの生家も建っています。幼少期まで過ごしたといわれる家で、内部も見学しました。建物は↓1769年のエッチングが残っていますが、忠実に再現または改築されたようです。

シェイクスピアの生家 ​(絵葉書)

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↓ 現在のシェクスピアの生家(NETより拝借)

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またこの町にはロイヤルシェイクスピアカンパニーがあります。1875年に設立されたシェイクスピア記念劇場を前身に持つ劇団で、これまで数多くの有名な舞台俳優や映画俳優を輩出してきた劇団として有名です。オペラを観るようになってから、ここの出身のオペラ演出家の舞台を観たことがあり、短い時間の観光でしたがストラッドフォード・アポン・エイボンの町を思い出しました。

 この近辺はコッツウォルズ地方といい、「羊の丘」という意味の地域です。コッツウォルズストーンと呼ばれる、はちみつ色の可愛らしい建物群が特徴的な村々と田園風景が美しく、車窓からの眺めを楽しみました。陽の光によって色が変わるはちみつ色の家々…イギリスで人気の高い観光地です。

 ↓ランチを挟んで、ウィリック城も訪れました。写真は残っていませんのでNETから。

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中世の古城はロンドン塔に似た怖い話も残っていて、お城の塔に登ったのですが、ガイドさんに脅かされたのもありますが、不気味でした。場内の居室の見学では豪華な音楽室が印象に残っています。

 見学を終えてロンドンに帰りました。ロイヤルアルバートホール前で解散。中年のイギリス女性のガイドさんは最後は声がかすれる程熱のこもった仕事ぶりでした(拍手&チップ)。バスツアーで仲良しになった若い女性は大学の仏文科を卒業後、パリの旅行関係の仕事をされていたのですが、契約社員なので退職して、日本に帰る前に英語の勉強をするためにロンドンに来られたとのことでした。バスの走る時間は結構長かったのですが、彼女とおしゃべりが弾んで楽しい時間でした。

夕食はホテル内の昨夜とは違うレストランで。野菜スープ、前菜、ラムの炭焼き、デザート。昨夕と比べるとぐんと美味でした。こちらの方が高かったけれど・・・。


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1994春の旅(3)ロンドン [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/9(月)

 前日は一日バスツアーに参加してロンドンから離れ、イギリスのカントリーサイドの観光をしました。個人旅行で一人旅は初めてでしたから、英語に慣れる意味でも良かったかも。さて、この日は本来の目的に戻り、宿泊したストランドパレスホテルから徒歩数分のコートールド美術館へ。入り口の看板なども見つけられず、迷って テムズ川に架かる橋まで行ってしまいました。

☆コートールド美術館(初)

 ストラッドのサマセット・ハウス内に設けられている美術館。正式名称はロンドン大学附属コートールド美術研究所 の美術館といいます。美術史と美術の保存の研究では世界的に良く知られています。実際この研究所からは著名な美術史家や画商、アートジャーナリストなどを輩出しています。余談ですが、当時放送大学に在籍して「美術史と美術理論」の講座をとっていて、初めてここの美術研究所の存在を知りました。
20年以上も前の訪問なので、大部分の記憶が薄れていますが、印象派と後期印象派の部屋は見ごたえがありました。

セザンヌやゴッホのほかはスーラの「白粉をはたく若い女」(下)。スーラ唯一の肖像画であり、モデルは画家の恋人とのこと。スーラの点描法はまじかに見ると、気が遠くなりそうな緻密さです。画家の作品に対する愛着とともに、自分の理念を追求する姿勢は並大抵でないことを、肌で感じ取ることができます。32歳という若さで亡くなったスーラの名画にはロンドン、オランダ、パリとこのときの旅で次々に出会うことができました。

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 マネ「フォリー=ベルジェール劇場のバー」(上)はこの美術館の目玉でしょう。華やかな社交場の雰囲気、人々のざわめきが聞こえてくるようです。中央女性の人体構成からみた姿勢に無理があると、指摘されることが多いのですが、凛としたポーズはとても魅力的。

↓セザンヌの「キューピッド像のある静物」1895

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ほかはルノワール、ゴッホ、ロートレックなど。

 館内のカフェでサンドイッチのランチを済ませ、宿泊したホテルの前からバスに乗車。トラファルガー広場から南下して2Kくらいのテート・ギャラリーへ。テームズ川に面して建つ威風堂々たる建物。大英帝国風の偉そうな感じだな~と大階段を登って行きました。入館フリーなので、まあいいか・・・。

☆テート・ギャラリー(初)
当時ここのコレクションだった現代アートはテート・モダンに移りましたので、現在はテート・ブリテンと呼ばれています。
ここでのお目当てはラファエル前派と呼ばれる19世紀のイギリス・ロマン主義の絵画です。
何点かはパリのオルセーなどでも観たことはありますが、なんたってこちらが本場ですから、ほぼ一直線で展示室に向かいました。暗い赤い色の壁に飾られてミレイJohn Everett Millaisの「オフィーリア」(下)、狂気のうちに川に浮かんで逝った「ハムレット」のオフィーリアの白い顔。緑の藻や背景の木々も美しく、一瞬のうちに悲劇の物語の世界に引き込まれました。

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↓Dante Gabriel Rossettiロセッティの「ベアータ・ベアトリクス」1863-70/ラファエル前派の画家ロセッティの代表作。1862年に亡くなった妻がモデル。ファム・ファタルを題材の作より、こちらの方が好きです。

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 ここにはターナー専用の別棟がありますが、あいにく建物を修復中でクローズでした。それでも主な作品は本館に展示されていて、↓「ノラム城、日の出」や「吹雪・アルプスを越えるハンニバルとその軍勢」などの大作を鑑賞できました。迫力ある吹雪や嵐の描写にドラマを組み合わせたものが特に想像力をかきたてられ好きです。

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 他の展示室のなかで異彩をはなつのはの照明を落としたWilliam Blakeブレイクの部屋です。一連の色刷り版画のシリーズはブレイクの最高傑作とされています。
↓「アダムを創造するエロヒム」1804-05 ペン・水彩・紙

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「哀れみ」「ニュートン」「ネブカドネザル」なども、一度観たら忘れられません。
詩人でもあったブレイクのイメージは神秘的。その独自性を理解するには、文学や哲学からのアプローチが必要なのでは・・・。テイト・ギャラリーを訪れてからブレイクのことが気になりながら、そのままになっていましたが、某カルチャー教室でブレイクの文学の方面からのアプローチの講義を受けたことがあります。講師はE・H・エリオット研究で有名な北大名誉教授の本田錦一郎先生でした。(2007.1死去)学究肌の愛すべきお人柄の先生でした。ご冥福をお祈りいたします。ブレイクを観るたびに先生を思い出しています。

詳しいことは忘れましたが、モダンアートも特別展があり、天井の高いギャラリーで大型の彫刻やインスタレーションなど。現代美術鑑賞に慣れていない私にとっては珍しいモノばかりでした。

夜はコンシェルジェに紹介してもらって「ミスサイゴン・観劇ツアー」(ディナー含め50£)に参加しました。近くのレストランに集合して、アジアンの夕食(スープ、野菜たっぷりの春巻き風、コーヒー)。そのあとドルリーレーン劇場でミュージカルの「ミス・サイゴン」を観ました。参加者は数名。イギリスの地方から参加したおばあさんは席が悪いと言って文句たらたら・・・1階の中段正面でしたが。初めてのロンドンのミュージカルを見てうっとり。ヒロインは若くて可愛い中国系のミュージカルスターでした。

帰り道は劇場の集まるエリアにしては暗かったのですが、急ぎ足で徒歩数分のホテルに戻りました。


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1994春の旅(4)ロンドン [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/10(火)

 この日の午前中はピカデリー・サーカスの老舗カフェでお茶をした後、2階建のバスで、セルフリッジデパートまで行きました。その建物の右角の横丁を行くと小さな緑地(マンチェスター・スクエア)があり、その向こうの門構えのある3階建の館がウォレス・コレクションです。写真がありませんのでGoogle Earthから拝借。

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☆ウォレス・コレクション(初)

 元はある侯爵のプライベートコレクションでしたが、子孫からイギリス政府に寄贈され、この館に美術品を移して公開されています。ここのコレクションで一番の充実を誇るのはフランス18世紀のロココ絵画。ヴァトー、フラゴナール、ブーシェなどの粒よりの名画が揃い、見ごたえがあります。
なかでもフラゴナールの「ぶらんこ」(左)は画集で見たのとは、ひとあじもふたあじも違う素晴らしい色彩。その完成度の高さ、油を流したような艶の表面は輝くようです。ちょっぴり卑猥な悪戯っぽい題材などは、少しも気にはなりません。この絵のなかのブランコの美女の若さと大胆さに、現代的な女のしたたかさも見えるのが、微笑ましくもあり、なかなか面白いと思いました。そしてロマンティックな「追憶/恋人の頭文字」(右)初々しく詩的な画面が魅力的です。

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 また、ヴァン・ダイクの「マリー・ド・レ」(下左)は美しいけれど憂いのある表情が印象的。背後にある物語を想像してしまいます。

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 ここで思いがけず、カルロ・クリヴェッリの小品をみかけました。上右の「聖ローチ?Saint Roch」なにげなくメムリンクの天使と対にされ、めだたないコーナーに飾られていました。説明もついてませんでしたので、本物のクリヴェッリなのかどうかと半信半疑でした。数年後、ある方のご好意でクリヴェッリの全集をゲットしたのですが、長い間疑問に思っていたこの小品が間違いなく画家の作品と知りました。思いがけなく出会ったことになります。

今のように情報の多くないときでしたので、実際に訪れてはじめてわかることも多かったのです。これだから美術館巡りはやめられないと、ますますのめりこんでいきました。
それは違う意味で美術館巡りの醍醐味だったような気もするのですが・・・時代は変わりました。
現在はできるだけ見落としのないようにNETでチェックしてから訪れるようになっています。

 ピカデリー・サーカスに戻り中華そばと揚げワンタンのランチ。そしてナショナル・ギャラリーへ。

☆ロンドン・ナショナルギャラリー(3)

 ロンドンへは2年連続で訪れたことになります。ロンドンの街が好きというより、ロンドンの美術館が気に入ったからですが、特にこのナショナルギャラリーのコレクションに魅せられたといって良いでしょう。なにしろ、展示品の水準は1点も見過ごしにできないほど高く、それがどっさりあるのですから、相当な体力と集中力が必要な美術館なのです。幸い入場無料なので疲れるとホテルで休息し、また訪れるという鑑賞方法をとりました。今回も半日づつ2回訪れました。

 今回はイタリアルネッサンスを重点的に鑑賞することにしました。昨年から気になっていたカルロ・クリヴェッリはさきほどウォレスコレクションで小品を見かけたこともあり、興味大でした。西館から入館して大階段を登ると、一番目立つ場所に「サン・ドメニコ多翼祭壇画」(左)が、胸が躍らせ突入~!(笑)右は「ツバメの聖母」(オドーニ祭壇画)玉座の上にツバメ(キリストの受肉の象徴)が描かれていることに由来。宝冠やベール、衣装も豪奢な聖母です。

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 ↓ナショナルギャラリーのクリヴェッリの中でもぴか一人気の「受胎告知」。この時もグループのガイドさんが説明中でした。日本からのツアーはここでは立ち止まらないでしょうね

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 美術史家のロベルト・ロンギが題名をつけたというGiorgioneジョルジョーネの「日没」(下)、薄暮の風景のなかに見逃しそうな白い馬に乗る聖ゲオルギウスと手前に旅人。宗教的な主題よりも画家にとって大切な・・・詩情あふれる風景に胸が迫る想い。下の画像はWEBより拝借。

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 ↓Paolo Uccelloウッチェロ「フィレンツェ軍を指揮するニッコロ・ダ・トレンティーノ」1456/182×317   ウッチェロの代表作サンロマーノの戦い3部作のうちの1枚。他の2枚はウフィツィとルーヴルにあります。3枚の中でここの作品は一番素晴らしいと思います。18世紀後半までメディチ家の所有でしたが、19世紀半ばに英、仏に流出。

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↓Leonardo da Vinci レオナルド・ダ・ヴィンチ「岩窟の聖母」(左)。ルーヴルにある「岩窟の聖母」(右)のレプリカとの論もあります。それで2枚並べてみました。絵葉書

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↓ レオナルドといえばMichelangelo Buonarrotiミケランジェロも外せませんね。「キリストの埋葬」(1510頃)162×150。未完成ですがミケランジェロの彫塑的な特徴が表れています。この作品は画集でも見た覚えがなかったのと、よくある主題を扱っているのですが、宗教的な雰囲気からも遠く、なにか超越した不思議な画面。ローマのファルネーゼ家旧蔵。

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 続きはまた明日~と退出。夕食は疲れのためホテル内のレストランで。前菜、ローストビーフ、デザート。評価は△でした。


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1994春の旅(5)ロンドン [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/11(水)

 この日の午前中はマダム・タッソー蝋人形館へ。入口は観光客で行列、30分並んで入館できました。さすがにロンドンでも大人気の観光名所です。

↓まだダイアナさんが皇太子妃だった頃です。

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↓こちらはご存じヘンリー8世と妃たち

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↓ 北の富士の蝋人形の前で。

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 ランチはロンドンそごうで生寿司とビール。久しぶりの日本食は○でした。午後からは昨日に続いてナショナルギャラリーへ。

☆ロンドン・ナショナルギャラリー(4)

 イタリア15世紀から回りました。まずは今回の鑑賞で一番のお気に入りになったPiero della Francescaピエロ・デッラ・フランチェスカから。この時点では後年ピエロの名画を訪ねる旅に出るとは想像もできなかったのですが・・・この絵がその原点になったことは確かです。旅のブログに転載後は削除する予定ですが、HPに「ピエロ・デッラ・フランチェスカを訪ねて」を作成済みです。

↓ピエロ・デッラ・フランチェスカ「キリストの洗礼」(1448-50)167×116 この絵画は目立たない展示室にありました。昨年はあったのかどうかさえ気がつかなかったのに、どうしたことかこの絵の前でピタっと足が釘ずけに・・・。キリストの表情、背景のグレイとブラウンを基調とした色合い、左にいる天使たちの仕草も好ましいと思いました。眼が洗われるような静謐で爽やかな画面。画集では観ていたはずなのに、実物は全然違う…とつぶやく私。新しい発見でした。

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 他にピエロの作品は「キリストの降誕」「大天使ミカエル」があったはずなのですが、あまり記憶に残っていません。(2007年に再訪)

そして、イタリアバロックに飛びますが、忘れてはいけないのがCaravaggioカラヴァッジョ。後年イタリアの旅で意識的にカラヴァッジョを巡るコースをとったこともあり、マルタ島やシチリアにも足を延ばし、結局、全作品の90%くらいは観ることができました。ここナショナルギャラリーのコレクションでは

↓「エマオの晩餐」(1596-98頃)141×196。聖書の題材をまるで迫真的な演技を伴ったドラマのように描かれています。明暗、構成、キリストや弟子たちの表情など完成度の高さではぴかいち。

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↓「トカゲにかまれた少年」1593頃 66×49  同じ主題のヴァージョンがフィレンツェにもあり、真偽論争がありましたが、現在はいずれも真筆と考えられています。

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 そして北方ルネッサンスの展示室ではヤン・ファン・エイクに続く画家たちの作品をいくつか

↓Robert Campinカンパン「暖炉衝立の前の聖母子(授乳の聖母)」(1425-28)63×49 画像はNETから

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↓上と同じカンパンの作品とは思えないほど、ナチュラルでかつ写実的な市民の肖像画。「男の肖像、女の肖像」(1430頃)各41×28  対画となる夫婦像でしょうか。

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↓Rogier der Weydenウェイデン「読書するマグダラのマリア」(1440頃)61×55 祭壇画の断片ですが、今まで見てきたマグダラのマリアを描いた絵画とは異なる思慮深く清潔感あふれる横顔の美しさ。

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↓ ルーベンスの作品も多数ですが、極上の1点は「サムソンとデリラ」185×205

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 この後巡るオランダやベルギーで観ることのできる北方絵画への期待が高まってきました。レンブラント、ハルス、フェルメール、エイク、カンパン、ウェイデン、メムリンクetc・・・。夕食はホテル近くのイタリアレストランでシーフード・サラダ、トマト味のリゾット、ティー。味は△でしたが、イタリアワインだけは○。ロンドン最後の夜、明日は移動です。荷造りをして就寝。


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1994春の旅(6)ロンドン~アムステルダム [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/12(木)

ロンドン(LHR)11:30→アムステルダム(AMS)13:35 (BA)

 1時間時差があるので飛行時間は1時間5分です。飛行機は海峡を渡って、スキポール空港までは回り込むように低空飛行して、この時期の美しい農村風景を見せてくれました。チューリップ畑が色とりどりの絨毯のようにひろがり、煉瓦造りの農家や小さな教会などが点在して、ネーデルランドの風景画のようでした。5月も中旬でしたから、この年はチューリップはやや遅咲きだったようです。あちこちでまだ盛んに咲いていました。

 ホテルは前年泊まったホテルの近くで、シンゲル運河とライツェ広場の角に建つアメリカン・ホテルです。アールデコの建物が美しく目立っていましたので、次回来るときに泊まりたいと思っていた憧れのホテル、2泊しました。

↓ホテルのロビー

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↓部屋からは運河は見えませんでしたが、窓の上部にステンドグラスのクラッシックなインテリア。

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 小休憩の後は早速外出。3月に来た昨年とは違う街のような華やかで、暑いくらいの陽気のアムステルダムでした。

↓カジノ近くのカフェも満席です。橋の向こうに見えるのが宿泊したアメリカンホテルです。

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↓反対側には国立博物館が向こうに見えます。

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☆アムステルダム国立博物館(2)

 昨年見逃していたクリヴェッリの「マグダラのマリア」をぜひ見たいと再訪したのですが、その展示されてる部屋が見当たりません。案内のガイドさんは「イタリアンペインターの部屋」にあるというのですが、館内マップには載っていない?のか何処と聞いても説明できないから、このあたり(指で示す)で係員に訊いてというだけ・・・。掴まえた係員はそんな部屋はないという始末。全然見せる気もないようで(怒)でもあきらめずにきょろきょろ、するとある部屋の閉じたドアから人が出てきて、ちらっと室内に絵画が並んでいるのが見えました。ドアには何の表示もありませんが、ここがイタリアやスペインの画家の展示室だったのです。

↓Carlo Crivelliカルロ・クリヴェッリ「マグダラのマリア」(1477頃)152×49

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クリヴェッリの作品の中では最も有名な絵画ではないかと思います。澁澤龍彦氏がエッセイでこの作品に触れています。「・・・大胆な線で描いた髪の毛は、ボッティチェルリの貝殻から生まれたウェヌスの髪に似て、束になって大きくうねり、両肩から前と後ろに分かれ、腰のあたりにまで及んでいる。この重々しい輝くばかりな金髪の壮麗さときたらどうだろう!カルロ・クリヴェッリ特有の、冷たい金属的な感触をあたえる黄金の色調が、ここで見事な絢爛たる効果を発揮している・・・」(『幻想の肖像』より)

この作品を紹介された名文として私の脳裏に刻み込まれたばかりにこの絵画を求めて、この1994年以後も何度かアムステルダムに行くたびに通いました。しかし、数回の訪問のうちこの作品に出会えたのはこの時だけ。

前年情報を得ていた展示室からはすでに移され、何の表示もない殺風景な小部屋にゴヤやティントレットなどと並んでいました。見取り図にもないこの部屋を探すのが本当に苦労でしたがこの細長い構図に納まった豪華版マッダレーナは、そんな熱い私を怜悧な瞳で出迎えてくれました。
気取った不自然な手の描写もそんなマッダレーナの表情に似合っています。クリヴェッリの描いたマグダラのマリアは他の祭壇画にも見られますが、このマッダレーナは宗教的精神からはずれそうな、かといって官能的でもない、独特の雰囲気。中期の代表作。署名あり。   

最近は美術館の大規模な改装工事のため、未公開のようです。工事中は貸し出しされるのが普通ですが、それもなく、ひっそりと匿われている気配・・・。出所は不明。細長い形から祭壇画の一部とも考えられますが、それも該当するものがなく、台座の銘文から独立した絵画と見る説もあり、ミステリアス。(マイHPより転載)

↓クリヴェッリと同じ部屋にあったTintorettoティントレットの「受胎告知」

ティントレット1.jpeg 

 他のネーデルランド画家たち

↓Jan van Scorelスコーレルの「マグダラのマリア」(1530頃)67×76

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 ↓jacob van Ruisdaelライスダールの「ドゥールステーデに近いウェイクの風車」(1660代)

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 ここのお宝のレンブラント、フェルメール、ハルツの名画の数々に加えて、テル・ボルフ、デ・ホーホ、ライスダールやヴァン・デル・ネールの風景画、カルフの静物画なども鑑賞しました。

↓フェルメール「牛乳を注ぐ女」(1658-60頃)45×41&「デルフトの小道』(1660頃)54×44

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↓ ブックショップ

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 夕食はホテルに併設のカフェ・アメリカンで。アール・デコの内装も素敵です。スープ、メインはお魚、コーヒー○


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1994春の旅(7)アムステルダム(オッテルロー) [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/13(金)

 この日はヨーロッパの鉄道初体験でした。自転車は1階、2階は客席の列車で1時間のアルンへム(アーネム)へ。日本で購入してきたユーレイル・パス(5日有効)を駅のインフォでヴァリードしたのも初めて、ドキドキでした。

↓ユーレイル・パス(2か月のうち5日間有効)ファーストクラスで348US$でした。

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 さて、アルンヘムの駅前からはタクシーでオッテルローの広大な公園のなかにあるクレラー=ミューラー美術館を目指しました。公園に入ってしばらく走ると入場券売場があり、タクシーの運転手さんが公園と美術館共通のチケットを買ってくれました。帰りは美術館の前からバスで帰りなさいとのこと・・・しかし美術館の前にはバス停らしい印もなく不安でした。でもそんな気持ちを吹き飛ばすように明るい5月の空が広がり、美術館周辺にもピクニックを兼ねた大勢の人々。楽天家の私、なんとかなるでしょうと入館。

↓ 美術館の前庭

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↓美術館の周りは野外彫刻が点在しています。

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↓池にはマルタ・パンの浮かぶ彫刻。前の坊やのパパが撮ってくれました。

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 マルタ・パンの彫刻は札幌芸術の森美術館の池にも浮かんでいます。↓は昨年2014秋に写したものです。

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☆クレラー=ミューラー美術館(初)

 クレラー・ミューラー美術館はヘレン・クレラー・ミューラーにちなんで名付けられ、1938年彼女の膨大なコレクションを基に開館。オランダの国立公園ホーヘ・フェルウェの中心にあります。美術館へオッテルロー村のゲートから入るのが一般的でしょう。このゲートから美術館まで2Kほど。ゴッホの大規模なコレクションで有名です。そして現代彫刻の庭園もまたヨーロッパでも最大規模を誇っています。

 その世界最大級と言われるゴッホのコレクションが最大の楽しみです。、何点かは日本にも貸し出されて見たことはありますが、「夜のカフェテラス」は門外不出と聞いていました。ゴッホファンには聖地のような美術館です。
好きなルドンもここのはオルセーを軽く凌ぐような印象的な絵画が揃っています。なかでも神話を題材とした作品に画家の象徴主義が見えます。それまでどちらかといえば現実的、写実的な絵画に惹かれていた私でしたが、ルドンとの衝撃的ともいえる出会いになりました。この時期、パステル画を習っていたこともあり、キュクロプスをはじめルドンの傑作に、その色彩美にはまったく感激の極み。一日をここで過ごす予定だったこともあり、まるでルドンの描くペガサスの羽根のように飛翔した心持ちで館内をランチをはさんでゆっくり巡りました。
↓ルドン「キュクロプス」(1895-1900頃)64×51&スーラ「シャユ踊り」(1889-90)169×139

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 ゴッホはアムステルダムのゴッホ美術館と同様な展示で、初期の傑作として知られている農家の人々を描いた作品から始まり、アルル時代の「夜のカフェテラス」や「アルルのはね橋」など素晴らしい作品がずらり~。

↓ゴッホ「夜のカフェテラス」(1888)81×65

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↓ゴッホ「石膏像のある静物」(1887)絵葉書と展示風景

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↓ゴッホ「レストランの内部」(1887)45×56

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↓ゴッホ「アルルのはね橋」(1888)54×65

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 ギャラリーの突き当りにクラナッハの「ヴィーナスとキューピット」、そしてモンドリアンの「線のコンポジション」・・・1点1点がすごく新鮮な感動を伴って迫ってきました。その他系は大きな展示室に集められているのですが、何気なく覗いて目が点!ピカソもありましたので(笑)

展示室から裏手の廊下のようなガラス張りの部屋に出ましたら、目の前にジャコメッティの彫刻がぽつんと淋しげな極細の姿で立っていました。まわりの森林に見え隠れする彫刻の数々もすべて一級品です。ここまでくると、さすがにこれらをすべて観て歩く体力は残っていませんで、森の彫刻散策はちょっぴりでお終い。残念でした。

 バスの時刻を館内の(i)で確かめたあとは芝生に座って休憩。バスが来たので乗り込もうとしたら、反対方向らしく、運転手さんがなにやら説明。でも良く理解できず困っていたら、とにかく乗れというジェスチャー。彼は運転席のすぐそばに私を座らせ、英語で公園内のキャンプ場や運動施設、クレラー家の狩猟の館などの観光案内をしてくれました。結局このバスは公園内を循環するバスだったのです。ご近所の方たちでしょうか犬を連れて乗車する方たちが多く、私のように美術館目当ての個人のツーリストはごく少ないようでした。元の美術館もまた通って、最後は駅に無事到着。最初に買ったチケットにバス代も含まれているといってチップも受取らない親切な運転手さんでした。

初夏の陽気のアムスに戻り、ホテルのテラスカフェでビールを飲みながら夫に絵葉書を書きました。感謝をこめて。 

 疲れて部屋で休んだ後は夕食に外に出る元気もなく、昨夜と同じホテル内のカフェアメリカンで。前菜、エビの主菜、コーヒー○    


 



 


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1994春の旅(8)アムステルダム~デン・ハーグ [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/14(土) アムステルダム→ハールレム→デン・ハーグ(列車移動)

 ホテルの朝食はビュッフスタイルで味はまあまあ普通でした。チェックアウトして中央駅へ。これからの列車移動に邪魔なのは重いスーツケースです。旅の計画にあたって愛読書?の「トーマス・クックの時刻表」にあったチッキ(鉄道配送)を利用することにしました。前日中央駅で受付の場所を確かめていたので、まずそこで配送手続をしました。「アントワープの駅まで送ってほしいのです」「今日中には着かないよ」「明日行くのです」「それならOK」ということで話はスムーズ(・・・のはずでしたが)。

 1泊分のボストンバックを抱えて列車でハールレムへ(20分くらい)。ハールレム駅構内にはコインロッカーもありました。身軽になってまず行くところは17世紀オランダ最大の風景画家ライスダールの「ハールレムの眺め」に描かれているSt ・Bavo教会です。バフォーという発音が悪いのか、道を尋ねた方に理解をしてもらうのに苦労でしたが、大きな教会なので途中からその姿を確認。土曜日の市のたつ広場で花屋さんのをのぞいたりして10分ほどで到着。

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 当然ですがあの絵画に描かれた黄金色に輝く小麦畑も風車もこの教会のまわりにはありません。内部はモーツアルトが子供の時立ち寄って弾いたと言う立派なパイプオルガンがあるだけで、教会としては機能していないみたいでした。カフェがあったり、学生さん達が演劇の練習をしていたり・・・不思議な教会です。それに有料。また上の写真でも確認できますが教会の外壁にはいくつかの小さな店舗がくっついていて、床屋さんも営業中でした。

↓Jacob van Ruisdaelライスダール「ハールレムの眺め」(1670頃)62×52

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 この教会からフランス・ハルス美術館までは徒歩10分くらい。趣きのある閑静な小道沿いに、バイオリンなどの工房やアンティークの店など。下の写真のような煉瓦の長屋風建物などが建っています。

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☆フランス・ハルス美術館(初)

 昔は養老院だったという鄙びた建物がオランダ絵画黄金時代の最初期を代表するハルスの美術館になっています。ハルスの作品はほぼ世界中にあり、自然な表情を見せる人物を描き有名です。その大胆な筆使いのテクニックにはかねがね恐れ入ってましたので、ここを素通りすることなど考えられない私でした。

何枚かの集団肖像画は本当に活き活きと楽しそうな晩餐会の場面です。↓ハルス「聖ゲオルギウス市警備隊の士官たちの晩餐」(1616)175×324

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↓ハルス「聖ゲオルギウス市警備隊の士官たちの晩餐」(1627頃)179×257

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 そしてここの前身である養老院の女理事たちの絵は画家の晩年を代表する作品として知られています。↓「養老院の女理事たち」(1664)部分

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ゴッホが弟テオに送った手紙のなかで郷土の先輩画家ハルスの「黒」を称賛しています。ハルスの絵を観る度に私は目を皿のようにして、その「黒」を見つめてしまいます。                

観賞の後は旧修道院の中庭のベンチで休憩し、元来た道を辿って駅へ戻りました。途中で見つけた中華料理の店で、中華そばを食べたのですが、乾麺のうえスープも不味く、ほとんど食べられませんでした。どおりでお客は私独り・・・。

↓ハールレム駅プラットホーム/デン・ハーグへ。

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 車窓に見える眺めは風車を背景に水路のある田園地帯を自転車で走る人々・・・オランダにいる自分が夢のなかにいるように思えました。ぼんやりしていたようで、デン・ハーグ行きの電車に乗ったはずでしたが、降りてみれば同じデン・ハーグでもなんとか駅という名前・・・私は中央駅に行かなければなりません。まだ大事な美術館が残っています。あわててタクシーを捕まえて中央駅へ。ホテルは中央駅に隣接したソフィテル デン・ハーグホテルです。洗濯と休憩の後、広大な公園を右に見て、そぞろ歩いて15分くらいで美術館に到着。

☆マウリッツ・ハイス美術館(初)

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  貴族の館といっても豪壮というよりは典雅でシンプルな2階建ての建物です。しっくりとこの穏やかな街に似合った佇まいです。ここは私が訪問した翌年1995年に大規模なフェルメール展が開催され、一躍日本にも知られ、有名になりました。
1994年に訪れたときはフェルメールの代表作「デルフトの眺望」は額からはずされ、アトリエを模したガラス張りの地下室に画架にかけられ、展示されていました。
写真では静かな雰囲気のする絵画と思っていましたが、実際はほんものだけが持つオーラというか迫力があり、驚きました。オランダの絵画に共通する広い空と厚い雲。建物にあたる光の微妙な美しさは言葉に表現できないほど。実際のデルフトの風景とは違うようですが、この街で終生過ごした画家の想いがこめられています。

↓フェルメール「デルフトの眺望」(1660頃)98×117 初期の代表作。スヒー川から見た市の南端の景色。

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 また同じ部屋には修復されたばかりの「ターバンの少女」が展示されていました。
その修復の説明がテレビ画面で観られるようになっていました。フェルメール独自の光の粒が丹念に描かれているズームアップした画面を本物と比べながら鑑賞できたのは望外の幸せでした。しかもこの展示室も含めて数えるほどの鑑賞者しかいません。今思えばここが最も贅沢なフェルメール体験でした。

↓フェルメール「ターバンの娘」(1665頃)46×40

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 他にもレンブラントやハルスのネーデルランドの黄金期の傑作がずらりと揃っています。
      ↓ハルスの「笑う少年」(1620-25頃)直径29 スナップ写真のような子供らしい自然な笑顔が印象的。ハルスらしい大胆な筆致の小品

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↓レンブラント「トゥルプ博士の解剖学講義」(1632)169×216

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↓Gerard ter Borchテル・ボルフ「手紙を書く婦人」(1655以後)39×30

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 閉館ぎりぎりに鑑賞が終わり、外に出るとはや夕暮なっていました。デン・ハーグはマウリッツ・ハイス美術館だけが目的でしたので、疲れもありどこも観光しないでホテルに戻りました。夕食もルームサービスで食べたと日記にあります。よほど疲れていたのでしょう。


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1994春の旅(9)デン・ハーグ~アントワープ [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/15(日) デン・ハーグ→ ロッテルダム→アントワープ(列車移動)

 デン・ハーグのホテルの朝食室は緑の公園が窓外に広がり、気持ちの良い朝を迎えました。美味しい朝ごはんでした。

↓車窓風景

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デン・ハーグから列車にのってロッテルダムまで行ったのですが、あろうことか行き先は中央駅ではなく郊外のナントカ駅行きに乗ってしまいました。あれほど注意していたのに・・・。疲れが出てくるとこういうミスをしがちになります。駅員さんに尋ねると「美術館は分からないけど中央駅まで歩けるよ」と、もう一度引き返そうとする私を押しとどめます。高架のホームから指差す彼方に高層ビルが・・・その側が中央駅とのこと。ここの駅前にはタクシーもいなくて、観念して
それに向かって歩きました。日曜日で人影のまったくないビジネス街を抜けるのは怖かったです。1泊分とはいえボストンバックも重く、ようやく中央駅へ着いた時にはヘトヘト。荷物をロッカーに預け、タクシーで美術館へ。駅も街も今まで巡ってきたオランダの町の雰囲気とは違います。第二次大戦で、ナチスドイツの爆撃で破壊された街は、戦後近代的に復興されました。あまり治安も良くないとの情報もありました。

ボイマンス=ファン・ブニンヘン美術館

 赤レンガの2階建ての建物で、ガラス張りの入り口棟にチケット売り場やショップ、カフェがありました。1階は陶器(チューリップを飾る独特の花器など)の展示、2階に絵画が並んでいます。中世の宗教画から現代アートまで豊富なコレクションを誇っています。

↓ヒューベルトとヤンのエイク兄弟の共作とも模写ともいわれている「キリストの墓を訪れる聖女たち」71×89

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 エイクは15世紀ネーデルランド絵画の創始者。油彩画法を確立したことだけでも凄いことなのに、そのうえ彼の代表作とはいえないこの絵画でさえも、ここまで見事に描ききれるだけの才能の持ち主です。天使や3人のマリア、遠景の空間処理などはやはりエイクです。早逝した兄ヒューベルトの才能と製作も受け継いで、この後の画業は輝かしくも凄まじいものがありますね。初期ネーデルランド絵画にイタリアルネッサンスに比肩する革命をもたらしました。

ピーテル・ブリューゲル「バベルの塔」(1564)60×74   ウィーンの同主題の作品のほぼ半分の大きさ。神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の旧コレクション。

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ルーベンスやレンブラント、ボッス、印象派も多数、ダリ、バルテュスなども。現代アートのインスタレーションまで揃えた幅広いコレクション。

↓ダリ「頭が雲でいっぱいのカップル」(1936)92×69男&82×62女   ミレーの晩鐘に描かれた夫婦の上半身の姿勢をしたダリとガラのシェイプト・カンヴァス。

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 館内のカフェで昼食をとっていますと、なんどか展示室で見かけた東洋人の男性が声をかけてきました。香港からカナダに移住してバンクーバーに住んでいるそう。このころは香港返還前で中国に支配されるのを嫌って、カナダなどに移住した香港人が多かった時でした。バンクーバーには従姉の娘が住んでいた時でしたので、片言ながらお話ししました。「ここは美術館は素晴らしいけれど、町はストレンジだから、駅までご一緒しましょう」といってボディガードしてもらいました。駅には警官の姿もあり、ここは安心だねといってアムステルダムに戻る彼とお別れ。間もなくやってきた列車で、アントワープに向かいました。

↓ アントワープの駅(降りたホームで撮ったもの)

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 アントワープの中央駅1階に荷物預かり兼チッキ受付の窓口があり、早速そこに行ってみましたが、まだスーツケースは届いていません。とにかく駅前のホテルにいったんチェックインして、夕方にまた来ることにしました。ホテルは駅近くのアルファ・デ・カイザーに1泊。この町は宝石屋さんが多く、ユダヤ系の商人も泊まるのでしょうか、セキュリティは万全。ルームカードでエレベーターも動く仕組みも、当時では珍しかったです。荷物が届かなければ下着の洗濯は必須です。早く観光したい気持ちを抑え、洗濯をまず済ませてから外出しました。

 ホテルの前の大通りを徒歩で20分くらいでGroen広場。地下鉄もまだ開通していませんのでその出入口も設置されていませんし、MACもなくベルギーの地方都市ローカルな雰囲気がありました。

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 写真に見える赤い観光電車プチトランに乗って、港の方まで往復しました。港の手前に古い倉庫が並んでいました。この辺りは再開発され、後にMASという近代的な美術館も建てられています。(2012再訪)

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↓市庁舎前の広場

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 ノートルダム寺院の前で下車し、見学。娘たちが幼いころ、TVで放映していた「フランダースの犬」で知ったのですが、ネロ少年が憧れるルーベンスの祭壇画のある教会です。あの最後の場面は泣けましたね。さすが、ここには日本人のツアーが入ってました。「こんにちは~」と久しぶりの日本語でした。

☆アントワープのノートルダム大聖堂(初)

 ゴシック様式の教会の内部にルーベンスの祭壇画があるので訪れました。観光客が多かったのですが、威厳ある大教会としての風格があり、説教壇↓もとても立派です。

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↓内部

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↓ 主祭壇に「聖母被昇天」(1626)490×325/ルーベンスの妻イザべラ・ブラントが早逝したのが同年。マリアの下部に描かれた赤い衣の女性に面影が・・・亡き妻を重ね合わせて描いたものでしょうか。

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↓ルーベンス「十字架降下の祭壇画」(1611-14)/中央に「十字架降下」420×310、左に「聖母のエリザベツ訪問」420×150、右に「キリストの神殿訪問」420×150

中央の「十字架降下」に描かれた聖母マリア(青衣)、その蒼白な悲哀の表情に心打たれました。

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 この後は王立美術館を訪れる予定でしたが、すでに夕方で時間切れ。駅にチッキの確認に行きましたがまだ着いていません。どうしましょう~明日はブルージュへ行く予定なのです。夕食はホテルのレストランで。前菜、メインはサーモン、ティー。4☆ホテルだけあってサービスも良く、美味しかったです。

↓アントワープのホテルで。スーツケースが届かなくて浮かぬ顔ですが、セルフ撮り。

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1994春の旅(10)アントワープ~ブルージュ [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/16(月) アントワープ→ゲント→アントワープ→ブルージュ(列車移動)

 朝食の後、駅に行ったのですがまだスーツケースは届いてません。幸いアントワープとゲントは約1時間と近いので、再度戻って来ることにしました。ホテルにボストンバックを預け、列車でゲントへ。

↓ゲントのセント・ペーター駅

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 駅前からバスに乗ったものの降りたところが違ったらしく、人に尋ねながら15分ほど歩いて、ようやく教会へたどり着きました。内部は立派ですが、外観は暗い灰色の石造りで地味です。

☆シント・バーフ大聖堂(ゲントまたはヘント)

↓内部、バロック様式の説教壇が立派です。

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さて、ここで観るべきはヤン・ファン・エイクの「ゲントの祭壇画」です。このときはすでに教会の壁から入口入って左の展示室に移されていました。この祭壇画を観に行こうと思ったきっかけは、ロンドンのナショナルギャラリーやベルリンのファンエイクの作品を前年観ていたことで、エイクの虜になっていたのです。そして、講談社から出版された「名画への旅」の北方ルネサンス1に特集で掲載されたこの祭壇画の解説を読んで、ぜひともとエイク詣でしたいと訪れました。ガラス張りの展示室は明るく、祭壇画の収められたガラスケースの周りを何度も巡りながら鑑賞しました。大勢の人でしたが、静かです。その素晴らしさに言葉もない私。他の方もご同様・・・そんな雰囲気でした。

↓エイク「ゲント(ヘント)の祭壇画」(1425頃-32)350×460/15世紀ネーデルランド絵画史上の金字塔といわれる作品。全26パネルよりなる三連祭壇画。主題は内面下段中央による「子羊の礼拝」。緻密な描写は実物を超越した写実性。それが神性を感じさせて驚嘆。

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↓扉を閉じた外面

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 念願の祭壇画を観れました。胸がいっぱいになって外に出ると美しい家が並ぶ広場

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 帰途は駅までのバスを見つけ乗車。再度アントワープへ列車移動し、気がかりだったチッキの窓口へ。何度もやってきては困った顔の日本のおばさんに係りのおじさん(メル・ファーラーに似ていた)も気の毒そう。ちょっと待ててと言って、貨物室?だかに見に行ってくれました。アムステルダムにも電話してくれたのですが、スーツケースは列車に乗せたと言ってるとのこと・・・途中で盗まれたのかしら?ここはいったんあきらめてブルージュに行くしかありません。ホテルに預けたボストンバックを受け取るついでにホテルのレストランでランチ。お昼はビュッフェで、いろいろ少しずついただけて良かったです。

 アントワープ中央駅からブルージュ駅までは1時間半くらいで到着。ホテルのある旧市街とは離れているので、タクシーで向かいました。ホテルは聖血教会のブルグ広場に面したホリディ・イン・クラウン・プラザに2泊しました。ホテルに着いてすぐ洗濯しましたが、スーツケースが紛失したことも考えてて、Tシャツや下着の買い物に出かけました。好みもサイズも合うものがなくて困りました。おまけにアントワープにパジャマを忘れてきたのです(泣)←もう一度アントワープに戻るので、電話しましたが部屋には何もなかったと言われて、憮然。夕食はルームサービスで軽く済ませました。あまり食欲もなく、日本食が恋しい・・・。

↓ブルージュのホテル

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1994春の旅(11-1)ブルージュ [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/17(火)

 この日はどこから見ても絵になる美しいブルージュの街を歩きました。まずはホテルの目の前にある聖血教会へ。十字軍遠征の際にエルサレムから持ち帰ったとされるキリストの聖血が奉られています。

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上と下の礼拝堂があり↓12世紀に建築の聖バジリウスを奉ったロマネスク様式の教会があります。まだロマネスクに興味のなかった頃ですが、絵葉書を買っていたところをみると気にいっていたようです。

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 次はボートに乗って運河めぐりを楽しみました。他の乗客はフランス人ばかりで、当然仏語のガイドでした。オランダではあまりフランス語は聞こえませんでしたが、やはりベルギーは違います。

↓運河からの眺めいろいろ。今にも雨が降りそうな曇り空。

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 最後に白鳥が追いかけてきた!「愛の湖」付近でボートを降り、橋を渡って「ベギン会修道院」へ。

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 フランダース地方に広く残るベギン会修道院跡。尼僧とは違い、あくまで自身で生計を立て、自立的な生活を営む女性たちのための共同生活の場でした。貴重な生活様式を後世に伝えるものとされ、ユネスコの世界遺産として13件がまとめて登録されています。

 木々の向こうには修道女たちが住む白壁の家屋が連なります。現在はベネディクト派の修道女たちの祈りと生活の場所になっていますから、内部は公開されていないようでした。

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 ☆グルーニング美術館(初)

 1929年から1930年にかけて、アウグスティノ会修道院跡に建設。趣のあるこじんまりした美術館ですが、そのさりげない外観とは違い油絵の始祖とされるヤン・ファン・エイクの作品群などで国際的な名声を誇る場所です。壮大な西洋美術史を語る時に避けては通れない初期フランドル派はこの美術館の至宝です。

↓第一室にはエイクの「ファン・デル・パーレの聖母子」(1434-36)122×158  ファン・デル・パーレは寄進者の名前。この老人のこめかみの描写は凄すぎ~!

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↓同じくエイクの「マルガレーテ・ファン・エイク」(1439)33×26  ヤンの妻の肖像。この時代の流行の髪飾り?角が生えてる恐妻にみえて・・・。

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↓ファン・デル・フースの「聖母の死」(1481頃)147×121 フースの最晩年の作品。精神的な破綻をきたし、自殺を図る直前?聖母を囲む人々、手前の放心したような聖ヨハネの表情には画家の心理が伺え、胸が痛くなりました。

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↓ヘラルド・ダヴィッド「シザムネスの皮剥ぎ」(1498)182×159 ブルージュ市庁舎の陪審員室のために描かれたもの。厳しい懲罰を科したペルシア帝国での皮剥ぎの場面を当時のフランドルの風俗に合わせたもの。旅の前に読んだ徐京植の「私の西洋美術巡礼」の表紙にもなっているこの絵画についての記述は心に重く残っていました。正直じーっと鑑賞するに耐えない作品ですが、受刑者の足元でナイフを口にしている男の左でこちらを見ている少年の眼差しに救われた気がしました。

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 他はロヒール・ファン・デル・ウェイデン、メムリンクやヘラルド・ダヴィッドなど、ブルージュに移り住んで活躍した画家たちの作品多数。

続きます~。


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1994春の旅(11-2)ブルージュ [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

~続きです。

 ランチはどの辺でとったのか、記憶が抜けていますが日記にはメムリンク美術館への移動途中に、日本語のメニューもある大きなレストランで、スープ、ラムの主菜、アイスクリーム、味は普通とありました。

☆メムリンク美術館(初)

 Hans Memlingメムリンクは15世紀ドイツ出身の画家。ブルージュの市民権を取得し、聖ヨハネ病院や王侯貴族、商人のために制作し、エイク没後のブルージュの代表的画家になりました。ウェイデンやフースの影響を受けましたが、優美で華奢な人物像や画面に漂う甘美な雰囲気は人気が高く、後の19世紀のロマン主義やヴィクトリア朝の画家たちを魅了。帰属作品は100余点あり、世界各地の美術館に収蔵されています。メムリンク美術館は欧州最古のひとつと言われる病院、聖ヨハネ施療院跡に設けられた小美術館です。古めかしい薬局だったという部屋の中央に「ベルギー7大秘宝」の一つとされる聖遺物箱が置かれていました。

↓メムリンク「聖ウルスラ伝の聖遺物箱」(1489以前)34×36×13

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↓メムリンク「玉座の聖母子と聖人たち」(1479)172×172

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 この美術館の親密で温かい雰囲気は忘れられません。ステンドグラスの下に飾られた小品などの鑑賞。椅子も置かれていて、疲れた身には助かりました。メムリンクの清潔な描写にぴったりマッチした空間でした。

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↓上の写真にもあるメムリンクの「女の肖像」(1480)37×22  左上の16世紀に付せられた銘文のために「ペルシャの巫女」とも呼ばれています。

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 そして最後に聖母教会の見学をしました。街を代表するこの教会は高い塔が町のどこからでも眺められるブルージュのランドマーク的存在です。この教会には2つの至宝があり、ひとつはブルゴーニュ公女マリーと父シャルルの霊廟。そして、ミケランジェロの「聖母子」です。そのため大勢の観光客がぞくぞく入っていきます。私の場合、霊廟は関心がないので、他をきょろきょろ。

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皆さんの視線の先にようやく見つけた「聖母子」ですが、手前に立ち入り禁止の柵があり、遠い~。絵葉書で我慢・・・でした。

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 他にもある礼拝室に↓ヴァン・ダイクの「キリストの磔刑」(1626) 右は絵葉書

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↓ ヘラルド・ダヴィッド「キリストの変容の祭壇画」がステンドグラスの下に何気なく置かれていました。美術館の展示とは違って、敬虔な気持ちになります。

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 ブルージュでこれほど数多く、バエラエティに富んだ場所で15~16世紀の北方絵画の作品を観ることができるなんて、夢のようでした。ふらふら、ぼーっとしながら街路を辿ってホテルに戻りました。途中千葉県から来られたという日本人のご夫婦に声をかけられました。日本食が食べたいと言いましたら、このかたたちも同じ考えだったようで、ブルージュに1軒ある和食のお店を探して、行ったのですが、今日は定休日だったとのこと…う~ん残念。

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 それで、夕食はようやく見つけた中華料理店であんかけ焼きそばを食べましたが、不味いぃ~×でした。

↓メムリンク美術館とグロー二ング 美術館のチケット

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1994春の旅(12)ブルージュ~ブリュッセル [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/18(水) ブリュージュ→ブリュッセル(列車移動)

 中世の古都の面影を残した街ブルージュで2泊しましたが、この町を離れるのが名残惜しい気持ち。列車で1時間ほどのブリュッセルに向かいました。ホテルはブリュッセル中央駅から歩いて2、3分のところにあるロイヤル・ウィンザー・ホテルに1泊しました。この旅の中で一番高級な宿でした。チェックインの時、気取って「ボンジュール!」とあいさつしたところ、「フランス語はおできになるのですか?」みたいなこと言われて焦りました(笑)。でもさすが5☆です。外出の時、「アントワープの駅にスーツケースが届いたか電話してほしい」とチッキの引換証をみせたら、夕方帰るまで何度も電話してくれたようで、「届いてましたよ~!」とにっこり笑顔で迎えてくれました。お部屋はクラッシクなインテリアですが、広さはあまりありません。しかし、翌朝部屋に届けられたのは日本の新聞でした。エレベーターで日本の方と一緒になったのですが、スーツ姿の中年の女性で、着た切り雀のくたびれジャケットを着た私、さすがに恥ずかしかったです。

↓ホテルの部屋

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 明日はアントワープまで戻らなくてはいけませんから、今日中に王立美術館に行かなければなりません。まずは古典美術館から入りました。午前中1時間鑑賞の後は昼休み(12時から13時までクローズ)があり、館内のカフェで昼食。午後からまた1時間半ほど回りましたが、さすがに疲れて近代美術館はパスして、ホテルに戻りました。

☆ベルギー王立美術館(初)

 ベルギーの首都ブリュッセルに1803年に開館。メインは古典美術館で15~18世紀までのコレクション。19~20世紀は近代美術館に分かれています。中世では、ファン・デル・ウェイデン、バウツ、メムリンク、ボス、マサイスなど、バロックではルーベンス、ヨルダーンス、ヴァン・ダイクなど中心に展示。ブリューゲルやルーベンスにはそれぞれ一室が当てられています。近代美術館は地下8層にわたって展示。アンソール、デルヴォー、マグリットらのベルギー美術とフランスの新印象派などが中心。
↓古典美術館へのロビー(絵葉書)

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 回った順番はすでに忘却の彼方ですが、カメラOKでしたので、あまり知られていないけれど気になった絵画の写真(絵葉書はないと思ったので)はかなり撮ってきました。

↓ボッス「聖アントニウスの誘惑の祭壇画」模写との説もあります。

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↓Jan Gossartホッサールト(通称マビュース)の「アダムとエヴァ」

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↓ その他のネーデルランドやフランドルの画家たち

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↓メムリンク「聖セバスティアヌスの殉教」(1470)67×68  いかにもメムリンクらしいと笑ってしまいました。恍惚のセバスティアヌの表情が甘く優しげ。(絵葉書)

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↓ピーテル・ブリューゲル(父)「反逆天使の墜落」(1562)117×162

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↓ピーテル・ブリューゲル(父)の「イカロスの墜落のある風景」(1556-58頃)73×112

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上記2点はここの至宝。ブリューゲル好きな方は必見でしょう。

↓クラナハのコーナー

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↓いつも奇妙かつ妖しい作品に驚かされるバルドゥングの「死と女」

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↓ヨルダーンスのコーナー

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さて、帰ろうと奥の階段室へ行きました。ふと何かが呼んでいるような気がして、階段を下りずに横を見ると・・・クリヴェッりがこんな目立たない階段室の隅にあったのです。またまた運命の出会い(笑)

↓カルロ・クリヴェッリ「玉座の聖母子」と「聖フランチェスコ」各180×65

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 なかなか個性的なコレクションの数々を観賞できました。さすがに疲れて近代美術館のほうへは、足が向かず、いったんホテルに戻り休憩。5月の夕方はまだ明るいので、短時間のバスツアーでブリュッセルの観光をしました。

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 グランプラスでバスを降り、食べ物横丁でムール貝のクリーム煮に挑戦したのですが、お鍋ごとに出されたムール貝は多すぎて半分残してしまいました。付け合せはフライドポテトだけ。栄養が偏る食事が続きます・・・。

 1泊の旅支度で結局5泊してしまった旅も、スーツケースがアントワープに届いてお終い。良く考えれば、列車移動が多かったので、軽い荷物で助かった面もありました。


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1994春の旅(13)ブリュッセル~パリ [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/19(木)  ブリュッセル→アントワープ→パリ

  昨夜はチッキの確認ができて、朝は気分良く起床。デラックスな朝食をいただいて、荷物をまとめた後、当時は日本でも珍しかったゴディバのチョコレートをグランプラスの直営店まで買いに出かけました。お高くてびっくり!フランス語を話す日本人の若い男性客におすすめを聞いて、チョコのトリュフを初めて食べたのもこの旅でした。懐かしいことだらけ(遠い目)。

 ブリュッセルからいったんアントワープに戻り、チッキの窓口へ。スーツケースと無事ご対面~!よほど嬉しかったと見えて、荷札を保管、アルバムに挟んでありました。

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 まもなく出発するEC特急があったので、パリまでのチケットを購入。ところがアントワープの中央駅にはこのECは停まらず、郊外のなんとか駅で乗り換えなければなりません。アントワープではエスカレーターがあったのですが、この駅にはなく階段でホーム移動だったのです。階段の上で重さ20K  以上のスーツケースを持ちさて降りようとしたその時に、下をお掃除のおじさんが通りかかったのです。そして当然といった感じでさっさとパリ行きのホームに運んでくれました。本当に有難かったです。

 列車は初めてのコンパートメント体験。6席に私独りで悠々、リラックスできました。フランスとベルギーの国境でパスポートチェックがあり、スタンプをもらったり、車内のカフェではベルギー、オランダ、フランスの値段表があったり・・・。もともと汽車が好きなので、この旅での体験でなおさら自由に国境を越えたり、手軽に移動できる列車の旅が面白くなったようです。昼食は車中で簡単に済ませ、パリ北駅に到着。ところがタクシー乗り場が地下になっているので、エレベーターに乗ったのですが、他の方たちと一緒にパーキングフロアに降りてしまったのです。ここでも親切な方たちがいて、タクシー乗り場のフロアまで一緒に戻ってくれて恐縮でした。日本人が独りでうろうろしていると北駅は危険と心配してくれたみたいです。

 パリではサンジェルマン・デ・プレにも近いメトロRue de Bac駅近くのカイレコパテルホテルに4泊しました。パリが最後の滞在地、気も緩んだのでしょう。ベットでうたた寝したあとは、念願の(笑)和食を目当てに、昨年娘たちと行ったサンジェルマン・デ・プレの「河童」へ。お店に入ってビックリ!ブルージュで立ち話をしたご夫婦に再会したのです。テーブルをご一緒させていただいて、今回の旅行やお留守番の日本の家族のことなど、久しぶりに日本語を沢山お喋りしました。普通の焼き魚やお刺身のついた定食でしたが、ご飯とみそ汁がとにかく美味しくて、満足満腹でした◎舌は何にもまして保守的だと改めて感じました。

 さて、明日からは怒涛の美術行脚が始まります~。


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1994春の旅(14)パリ [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/20(金)

  三年連続で来てしまったパリですが、まだまだ訪れたい美術館やエリアがあります。正味3日間のパリをハイな気分で歩き回りました。

今日はまずホテルから徒歩数分のルーヴル美術館へ行き、丸一日を体力の極限まで、この美の殿堂で過ごしました。今思えば凄いことです。まだ50代に入ったばかり、若かったのでできたことです。
 疲れたら途中で帰ろうとは思いながら、どうしたことか・・・幼いころ読んだアンデルセン童話の赤い靴を履いた女の子のように足が止まらなくなってしまいました。

☆ルーヴル美術館(3)

 ドノン翼~シェリー翼~新しくなったリシュリー翼の順番で回ったと日記にありますが、どこに何があったかは記憶が薄れています。まずはフランス絵画から思い出すままに・・・。ダヴィッド「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠」「レカミエ夫人」「パリスとヘレネ」、アングル「グランド・オダリスク」「トルコ風呂」など。代表して1枚絵葉書から。

↓アングル「アンジェリカを救うルッジェーロ」(1819)147×199

ルーブル3.jpeg

 別に頼んだわけではないのですが、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」を観ていると、隣にいた方が「これが気にいったんだね?」みたいなことを言って撮ってくれました。でもピンボケ(笑)

パリ2.jpeg

↓ジェリコーの大作「メデュース号の筏」(1818-19)491×716 1816年アフリカ西海岸の沖合で起こったフランス海軍のフリゲート艦メデュース号の遭難が題材。筏で漂流する遭難者の姿を描いたもの。ジェリコーは死体や病、狂気などロマン主義らしい異常性の興味に裏打ちされた題材が多いのですが、残酷な場面を当時の民衆に伝える役目をし、今日につながる問題点を示したともいえるでしょう。

ルーブル4.jpeg

 壮麗で美しいばかりではないフランス絵画のなかでも異色な画家が、ジェリコーのほかにもいました。17世紀フランス古典主義の画家Le Nainル・ナンの3兄弟です。Antoine,Louis,Mathieu長兄のアントワーヌは生地からパリのサンジェルマン・デ・プレで修業の後親方の称号を受け、弟たちルイやマチューと共にまし歴史画家や肖像画家として活躍。そして、風俗画特に農民を描いた作品に新境地を見出しましたが、17世紀後半からはアカデミーによって無視され、19世紀半ばになってから再発見され、今日では17世紀フランスを代表する画家とみなされています。

↓ル・ナン「農民の家族」113×159

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↓こちらは華麗なフォンティーヌブロー派の「ガブリエル・デストレとその妹」(16世紀終わり頃)アンリ4世(あの王妃マルゴの夫)の愛妾だったガブリエルとその妹を描いた謎めいた絵画として知られています。

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 続いてイタリア絵画のティエポロ、ジョット、アンジェリコ マンテーニャなど。素描を除くと約10点しか残っていないピサネッロ。その貴重な1点がルーヴルにあります。

↓Pisanelloピサネッロの「エステ家の公女」(1438頃)43×30  15世紀特有のプロフィール肖像画。背景の蝶や花などが幻想的。

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↓ウッチェロのサン・ロマーノ戦い3部作のうちの一枚は「ミケレット・ダ・コティニョーラの援軍」(1456)180×316

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↓ティツィアーノの「田園の奏楽」(1511頃)110×138  ジョルジョーネが着手し、ティツィアーノが完成。手前の人物たちよりも遠景の美しさに魅かれ、ロンドンにあったジョルジョーネを思い出しました。早逝したジョルジョーネの影響を受け、長生きして(86歳で逝去)素晴らしい作品群を生み出した大画家のある意味出発点だったのかも。。。

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 今回の旅の北方絵画は美術行脚のなかでも大きなテーマでした。その最後を飾る名画といえば?・・・改装なったリシュリー翼の真新しいエスカレーターを登ってご対面~!

↓エイク「宰相ニコラ・ロランの聖母子」(1435頃)66×62  オータン大聖堂旧蔵 ブルゴーニュ公国の宰相だったニコラ・ロランが寄進。この空間構成、細密描写、美しい聖母子、ロランの敬虔な表情、これ以上の作品を描ける画家なんているわけないわ~。脱帽平伏って感じです。

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 ということで、絵画部門だけでも、まだまだきりがないほどのルーヴルですからこの辺で終わります。ランチは館内のカフェテリアでラザーニャ、テリーヌ、ほうれん草のソテーなどチョイス。味はまあまあ普通でした。10時から5時近くまで、時々ベンチに腰かけたり、お茶したりして休みましたが、死ぬかと思うほど疲労困憊してホテルに戻りました。夕食をとる力も残っていませんで、ベットに倒れこんでしまいました。夜中に目覚めましたが、シャワーしてパジャマに着替えるのが精いっぱい。でも、よく頑張りました。明日からは少し楽しましょう~。


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