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1996初秋の旅(1)札幌~チューリヒ [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

 昨夏に続いて次女がドイツ・バイエルンのムルナウに語学研修のためホームステイをしました。そのあとにチューリヒで待ち合わせをして、旅をすることになり計画を練っているうちに、鉄道移動の旅の案が浮上。ヨーロッパ・パスを活用して、16泊18日(うち車中1泊)という、スイスからスペインまでの旅程。一昨年の一人旅に続いてのロングジャーニィになりました。↓移動マップ


8/31(土) 千歳8:05→関空10:00/11:40→ロンドン16:15(JL)/19:15→チューリヒ19:50(SA)

 チューリヒ/ヘルムハウス・ホテル1泊

 ロンドン・ヒースロー空港での乗り継ぎが3時間あったのですが、ポンドに両替しても帰りに寄るわけではないので、コーヒーも飲まずに我慢(ケチです)しました。ロンドンからはスイス・エアーで。機内食が出て、「ヴォアラ」って渡されました。「おお~フランス語」って何故か感激(フランス語を習い始めたばかり)。このあと列車などでも「ヴォアラ」の連発でした。さて、チューリヒに到着。タクシーでホテルへ。電車通りから奥に入った素敵なプチホテルです。すでに次女はチェックインしていて、久しぶりに母娘のご対面でした。ホームスティとそのあとの友人との旅はとても楽しかったとのことで、日焼けして元気いっぱい。娘たちはリュックを背負って、ユースホステルを利用しての貧乏旅行でしたから、この部屋のホワイト基調の清潔で可愛らしいインテリアに大喜び。明日の手荷物6泊分のパッキングをして就寝。土曜日の夜なので、遅くまで外の賑やかな声が聞こえて、何度も目が覚めてしまいました。


タグ:チューリヒ
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1996初秋の旅(2)チューリヒ~バーゼル [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/1(日)

 朝から小雨模様の一日でした。9月になったばかりなのにコートが手放せなく、ヨーロッパは秋になるのが早いのかも・・・。

↓ホテルの前で

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宿から近いチューリヒ湖畔の散策や↓チューリヒ歌劇場の前で。いつかここでオペラを見る日が来るのでしょうか?などと思いつつ

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 トラムに乗って中央駅へ。日本で購入してきたユーロ・パスにヴァリデイトの刻印をもらい、チッキの窓口を確認して一安心。この後はリマト川右岸の丘に建つチューリヒ美術館へ向かいましたが、日曜日のパレードに遭遇。タクシーもトラムも来ません。結局徒歩30分くらいかかってようやく到着。

☆チューリヒ美術館Kunsthaus Zurich(

 他の多くの美術館のように王族たちによるコレクションを基にしたものと違い、チューリヒの市民の熱意によって誕生、100年に及ぶ努力の結果、1910年に開館しました。
玄関横にはロダンの地獄の門。みかけの割りに内部は広く、中世の木彫りから現代アートまで見ごたえのある美術館です。ここはスイスで活躍したセガンティーニ、ホードラー、クレーなどのコレクションのほかに特別室にジャコメッティ財団による彫刻の展示があります。

↓ホードラー「Heilige Stunde 1」1907  182×223 晩年の作

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↓地下にさりげなく展示されていたボナール「ヨットの上のシニャックと彼の友人たち」1924/25  124×139

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↓ジャコメッティ「台座の上の4人の女」1950 彫刻のほかにも多数の素描あり。彫刻家のドローイングは優れたものが多いのですが、ジャコメッティのはまた特別に印象深いものでした。

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 他にもフュースリやベックリン、マッケ、シャガールそれにここで初めて知ったノルデなど。昼過ぎの列車でバーゼルまで行くので、途中でタイムアウト。坂を下って徒歩数分のホテルに戻り、スーツケースを受け取りチューリヒ中央駅へ。重いスーツケースはチッキでローザンヌ駅に送り、6泊分を持ってホームへ。この時乗車したのはChur始発でAmsterdam終着の「EC 2Rembrandt」という国際特急列車でした。

 Zurich HB12:49→Basel SBB13:51

 ほぼ1時間の汽車の旅。チューリヒの駅で購入した中華のテイクアウトで車内ランチ。食べたものをこの旅ではスケッチ風にメモを残していましたので、下手ですがスキャンしました。中華ですからニンニクの匂いがプンプン。幸い1等車はがら空きでしたから、肩身の狭い思いはしないで済みました。

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バーゼル/ホテルヨーロッパ 1泊

 お部屋も広くて立派なホテルでした。部屋に荷物を置いてひと休みの後、レセプションの女性にほめられて気を良くした娘のドイツ語をたよりに歩きました。バーゼル美術館までは路面電車で行きました。橋を渡ると古い重厚な教会などが見え、歴史のある街らしい佇まいです。けれども、美術館の見学だけで、街の散策をする暇も体力も残らなかったのは残念でした。

門を入った前庭にはロダンやカルダーの彫刻が飾られています。内部は思いのほかガラス窓が大きく、自然光のなかでゆったり鑑賞できます。日曜日で入館は無料だったのですが、近代絵画の方は閉鎖されていて残念!

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☆バーゼル美術館Kunstmuseum Basel(初)

 ライン河畔の都市バーゼルは通商の要として繁栄し、ヨーロッパ有数の文化都市として16世紀には黄金時代を迎えます。印刷業で財を成した豪商の一族のコレクションをバーゼル市が1661年に購入、ヨーロッパで最古の美術館を開設。中世から20世紀に至る質の高い作品、特に15、16世紀の上部ライン地方とネーデルランド絵画、そしてホルバインは圧巻です。

ここで初めて知ったスイスで活躍したヴィッツ(Konrad Witz 15世紀のドイツの画家)。代表作の「人間救済の鑑の祭壇画」があります。こういうタイトルの祭壇画は初めて。上段が旧約聖書、下段が新約聖書で、それぞれの画面が呼応するという構成なのです。中世の予型論の書物『人間救済の鑑』を典拠に製作されたとのこと。ヴィッツの特徴はその自然な写実性。描かれる顔の表情もどこかのどかで愛嬌があります。↓「アンナとヨアキム金門での出会い」 と 「シナゴーク」折れた矢を持つ盲目の女人が旧約の寓意。

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↓の絵葉書はホルバイン(ドイツ・ルネッサンスの画家)の「ホルバインの妻と2人の子供」。画家はバーゼルに家族を残し、イギリスに単身赴任していました。一時帰国したときに描いた作品。ヘンリ-8世の宮廷画家をつとめ、描いた絵画は王や妃達、富裕な階級の人々の肖像画、宗教画が多いのです。そのなかで彼の妻子の絵画は異彩です。夫の留守がちな家庭は決して幸せそうに見えません。あまり裕福そうにも見えません。画家と視線を合わせないこの家族の生気のなさから連想されるのは病とか死・・・「死の舞踏」の大規模な壁画があったバーゼルの街、そしてここの美術館のもう一枚のホルバインの描いた「墓のなかの死せるキリスト」。ホルバインの作品の底に流れる精神はやはりバーゼルにあったのでしょう。
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キリストの屍の変色しつつある手足が丁度目の前。あまりのリアリズム表現に辟易しながらも鑑賞。このとき気が付いたのはキリストの顎の部分。何故か不思議な尖り方に見えました。後日高久先生の講座で観たある写本(名前忘れ)のなかの死せるキリストがこの顎の形をしていて、ホルバインが参考にしたことは確かなようです。私の発見!と思ったけれど(笑)

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↓ベックリンの「死の島」1880  111×155 画家の作品中最も人気の高いもの。全部で5点のヴァージョンがあるそうです(うち1枚は第二次大戦中に焼失)。

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↓ホードラー「ニーゼン山」1910  83×105.5

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クラナハ、グリューネヴァルト、ショウガウアー、パッヒャーなどドイツ系の画家たちのほかにもピサロ、ゴッホ、ゴーギャン、セガンティーニ、シャガールなどの名画に魅了されました。

それにしても物価の高いスイス・・・ブックショップでいつものように絵葉書を何十枚と購入したのですが、1枚が150円くらいで、合計額を聞いて「えっ?お金ない」と泣く泣く何枚かを戻しました。
この旅の終わりに訪れたスペインの3倍以上の値段だったと記憶しています。

 小雨の中トラムでホテルに戻り、ホテル近くのビヤレストランで夕食。メニューは上部に貼りましたが、3皿注文して分けて食べたのですが、二人でお勘定は8000円!しかも私の評価ではABCのうちの不味いのCでした。人気ブログランキングで
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1996初秋の旅(3)バーゼル~コールマール~ストラスブール [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/2(月) BaselSBB10:48→Colmar11:34/16:19→Strasbourg16:50

ストラスブール/ゾフィテル・ストラスブールホテル2泊

 昨夜は静かで熟睡できました。朝もゆっくり過ごし、メロンも並んだ豪華版の朝食を済ませ出発。バーゼルの駅に隣接するフランス国鉄SNCF駅へ。入口からはどんどん進んで、パスポート・コントロールや手荷物検査場も係員の姿は見えず通過。アルザス特急の出発するホームへ。ユーロ圏の構想もだいぶ煮詰まっていた頃でした。今思えばあのころは東西ドイツの統一や旧ソ連の情勢などまだまだ課題があったとはいえ、世界情勢は安定していた時期だったのかも知れません。

↓バーゼルSNCF。ここからフランスです。

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↓アルザス特急

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↓ 1-2配列の1等車はガラガラ。

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 さて、楽しい汽車の旅も40分ほどで終わり、アルザス地方のコルマールに着きました。ボストンバックは駅のコインロッカーに預け、身軽になってコールマールの旧市街へ。徒歩で10くらい。早速訪れたウンターリンデン美術館は昼休みでしたので、先に街の散策へ。初アルザスの古い街がこんなに美しいとは!あまり情報もなかった頃ですから、感嘆しつつ歩きました。

↓プチット・ベニス

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↓こちらは絵葉書です。

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↓街角で

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 さてランチは何処にしましょう・・・あいにく月曜日なので休みの店が多く、あの有名なメゾン・ド・テットもクローズでした。開いていた近くのビアレストランで。初アルザス料理を賞味。

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 昼食後は念願のウンターリンデン美術館へ。

☆ウンターリンデン美術館Musee d'Unterlinden(初)

 コールマール近郊のイーゼンハイム村にある聖アントニウス会修道院のために16世紀初頭に描かれた祭壇画は「イーゼンハイム祭壇画」と呼ばれ、現在はこちらで観ることができます。描いたのはマティアス・グリューネヴァルト。聖アントニウスは熱病を癒す聖人として信仰されていたため、この祭壇画には熱病平癒の祈りが込められているとみられています。この祭壇画のほかにもションガウアーやクラナハ、ホルバイン、中世の木彫彫刻など。

ドイツ・ルネッサンスの画家グリューネヴァルトの『イーゼンハイムの祭壇画』を知ったのはいつの頃でしたでしょう。キリスト教絵画のなかでもその残酷なほどのリアリズム、異彩をはなつこの祭壇画にいつのまにか興味を持っていました。手持ちの画集に大きく取り上げられていたこと、同じころ粟津則雄氏の『聖性の絵画』を読んだことも、ぜひとも実物が観たいと願うきっかけになりました。

フランスの田舎に行くにはフランス語を少しでも習わなければと、語学に弱い私が重い腰をあげるきっかけになったのも、実を言えばこの画が観たい一心でした。展示室へ向かう時は胸がドキドキしました。一番有名な中央が「キリストの磔刑」の三連(外面)が最初に観れるように展示され、教会を模して木のベンチがその前に並んでいました。カメラ禁止。

バーゼルでホルバインの「死せるキリスト」を前日に観たばかり、続いての死後硬直タイプの醜悪ともいえるキリストの姿です。やはり衝撃はありました。何故?こんなふうに描いたのかという問いは誰の胸にも起きるでしょう。キリストの犠牲の苦しみを強調すると共に、この祭壇画が置かれていた教会の施療院には癩病や梅毒の患者がいたことも大きかったと思うのです。単純な慰めとも違うもっと大きなものを彼等は受け止めたのだと思うのです。あの苦悶のうちに息絶えたキリストは普通に絵画を鑑賞する気持ちでは私ごときでも正視できなくなるほどのものです。でも普通でない立場にいる患者さんたちが観るあのキリストの姿は自分たちと同じ無惨な肉体なのです。
 画家がその心身の苦痛をどんなふうに自分に添わせ、普遍的な芸術として昇華させたのか・・・。宮廷画家としての地位を投げ打って、農民戦争に加わったという晩年が彼の思想の総てを物語っています。

 裏にまわってみると、内面にあたる「受胎告知」「天使の奏楽を伴うキリストの降誕」「キリストの復活」の三連が観られました。こちらはがらっと明るい色彩の画風に転じます。救われた気持ちになりました。ここで降誕のイエスの産着?がボロボロの布であることに気がつきました。磔刑のキリストの腰布と同じです。そして、これも圧巻なのは最内面にあたる聖アントニウスのふたつの場面です。悪夢の幻想はボッスも顔負け、次女には「もう、夢でうなされそ~」と不評でした。

↓画像はWikipediaからお借りしました。第一面

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 コールマール駅に戻り、ストラスブールへの列車に乗車。30分ほどで到着。ホテルは川を越えた旧市街にあり、4☆。でも、クリーニングを頼んだ次女のTシャツを紛失され、そのミスを誤りもしませんし、なんの弁償もなかったのです(怒)甘く見られました。今ならホテルの評価に書きこむところですが・・・。

夕食のため出かけて街の散策。ここは大きな街でプランタンデパートやエルメス、シャネルなどのお店も。歩いている年配のマダムたちもお洒落です。ドイツにホームスティしていた次女が、「やっぱり、フランスは違うわ~ドイツはダサすぎる!」って。私たちも夕食はかなり頑張ってワンピースなどでお出かけしましたです(笑)

夕食は上に貼ったメモをご覧ください。評価はB(普通)でしたが、定食1人2500円くらいで済みました。


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1996初秋の旅(4)ストラスブール [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/3(火)

 今日は一日中ストラスブールの見学をしました。朝は雨でしたが、昼過ぎから青空の広がりる暑いくらいな天気になりました。ここは連泊なのでパジャマやブラウスなどのクリーニングを頼んで外出。徒歩数分で大聖堂に到着しましたが、多勢の観光客で賑やか。

☆ストラスブール大聖堂(初)

 バラ色の砂岩で建てられたノートルダム大聖堂。工事は11世紀のクリュプタに始りロマネスク様式によるアプシスと袖廊は12世紀、ゴシック様式の三廊式の身廊部分は13世紀、西正面は14世紀末、双塔は1439年に完成。西正面は13~14世紀に多くの彫刻群で飾られたのですが、現在はレプリカ。オリジナルは近くのウーブルノートルダム美術館で観ることができます。

↓堂内の天文時計

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↓薔薇窓

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 12:45発のイル川のランチクルーズに参加。お天気も良くビールも美味しかったのですが、食事はかなり不味いシュークルートが馬に食べさせるほど大量に出てきて・・・。

↓絵葉書ですが、木組みの家の並ぶなかの遊覧船

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↓ランチクルーズ船で

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 下船後はプチット・フランス地区の散歩やショッピング。重いのにアルザスワインを買ってしまいました。

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夕食は散歩の途中で見つけた中華レストランで。海外で食べた中華料理の中の3本指に入る美味しさでした。

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 連泊だったのでストラスブールのゆったり滞在を楽しめました。


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1996初秋の旅(5)ストラスブール~ナンシー [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/4(水)Strasbourg12:20→Nancy13:33

ナンシー/グランドホテル・ドゥ・ラ・レーヌ1泊

 昨日は疲れと昼間のビールがたたって、2つの美術館巡りは今日に延ばしてしまったのです。ところがロアン城のミュゼは休館日が今日だったのです(涙)うっかりミスでしたが、気を取り直して、ウーブル・ノートルダム美術館へ。オープンと同時に入館したのですが、ここはフランスですから、当然?お釣りの用意がありません。見学前に小冊子や絵葉書など購入してようやく、入れていただけました。

☆ウーブル・ノートルダム美術館Musée de l'Œuvre Notre-Dame(初)

 大聖堂の扉口を飾っていた彫刻など、11世紀からのオリジナルに加えて、17世紀までのストラスブールや上部ライン川で活躍した画家たちの作品も展示されています。初めの部屋はロマネスクの彫刻群が並んでいました。それらに興味を覚えたのはここが初めてだったかも知れません。ただどんなものを見たのかは具体的に覚えていないのですが・・・。

↓強烈な印象のこの目隠しされた女性像「La Synagogue」

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↓大聖堂の扉口を飾っていた彫刻も素晴らしい~!

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 ↓回廊の通路に看板のように無造作に立てかけられていたヴィッツの「聖カタリナとマグダラのマリア」。ここに来る前にバーゼルで祭壇画などを見てきたばかりでしたので、思わず「ここにもあった!」と駆け寄りました(笑)。もとは「聖母の祭壇画」のうちの翼部外面。

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↓セバスティアン・ストッスコップフ「五感あるいは夏」Sebastien Stoskopff(1597~16??)ストッスコップフはストラスブール生まれのマニエリスムの画家。
澁澤龍彦の「空想美術館」のなかで紹介されています。「四大あるいは冬」という絵と対に展示され、
それぞれ真横から見た女の顔に楽器や花、地球儀などが描かれています。特別謎めいた作品ではないものの、フランドルの室内画の影響を受けながらもフランス風な雰囲気が服装からも伺え、興味深く鑑賞しました。

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↓同じくストッスコップフの「Corbeille de verres」1644 この繊細さと危うさ!一種のヴァニタス画なのでしょう。

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↓ハンス・バルドゥング(通称グリン)「垣根の聖母子」1539頃 一風変わった宗教画を描くことで有名な画家。この聖母も流し目が色っぽいのです。天使たちもあまり可愛くないし・・・。

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澁澤龍彦の著書では確かここにグリューネヴァルトの小品が何点かあるということでしたが、
係員に尋ねても不明で、一点も見つけることはできませんでした。帰国後「朝日美術館グリューネヴァルト」で調べてみました。全63点が記載されているのですが、やはりウーブル・ノートルダム美術館収蔵のものはありません。澁澤がここを訪れた時になにか特別展があって、勘違いされたのかもしれません。

 お昼の列車でストラスブールから西へ、ナンシーに向かいました。駅で購入したサンドイッチなどで車内ランチ。ナンシー駅からは(i)のあるスタニスラス広場へ。今夜の宿はまだ決めていませんでした。(i)で習いたてのフランス語を使ってみたのですが、英語で返答されました(笑)。広場に面した由緒ある建物のグランドホテル・ド・ラ・レーヌに幸い空室があってラッキー!1泊580F (その時のレートで12,000円くらい)でした。部屋は広場に面していない裏側の暗い狭い部屋でしたが、バスルームは広くて猫脚のバスタブつきでした。

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 スタニスラス広場はロココ様式で、面した建物はすべて統一されて華麗です。ロココはあまり好きではありませんが、ここは別格です。↓ネプチューンの門で

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大公宮殿からプチトランに乗って、この近辺を巡りました。ナンシーはロココの町でもあり、のちに引き継がれていくアールヌーボーの町でもあるのです。

↓夕食はホテルのレストランで。

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窓の向こうに見えるのが隣のナンシー歌劇場です。覗いてみましたが改装中?のようでした。いわゆる堂々とした大劇場ではなく、小ぶりながら華麗な館風劇場、素敵です。いつか来ることがあれば必ずここでオペラを観たいと夢みるおばさんでした。

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 お料理に合わせたワインつきで230Fのムニュ。アルザスから鉄道1時間でドイツ語は聞こえてきませんし、お料理もフレンチ!で美味。広場もライトアップされて綺麗でした。酔い覚ましにふらふら散歩

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↓後方右が歌劇場。門を隔てて左が(i)

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1996初秋の旅(6)ナンシー~ディジョン [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/5(水) Nancy13:07→Dijon15:23

ディジョン/オステルリー・ドゥ・シャポールージュ2泊

 ナンシーのホテルは築後300年くらい?古い建物なので、朝食室も天井の高いクラシックなインテリアです。でもテーブルや椅子ももうガタが来ていて、やや不安定。普通のおばさんタイプのサービス係がいろいろ気を配ってくれて、美味しい朝ごはんでした。いったんチェックアウトして、荷物を預け外出。お天気も良いのでスタニスラス広場から2キロ以上はありますが、ナンシー派美術館まで歩きました。途中にクレディ・リヨネ銀行があり、アール・ヌーヴォーのガラスの天井画を見学しました。銀行業務をする1階のフロアへ、お客さんたちに交じって入店しました。

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↓「クレマチス」ジャック・グリュベール(1870~1936)作、明るく幻想的。

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 街のあちこちにアール・ヌーヴォーの建築が見られます。↓写真は上手く撮れませんでしたが、あっちこっちと指さしながら歩きました。フォッシュ大通り付近。

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☆ナンシー派美術館Musée de l'École de Nancy(初)

 ナンシーは長い間ロレーヌ公国の首都として栄え、18世紀にスタニスラス大公によって現在のロココの街並みがつくられました。そのロココの軽やかな装飾感覚が約100年後のナンシーのアール・ヌーヴォーの出発点なのです。ナンシーの工芸家ガレのパトロンであったジューヌ・ゴルバンの私邸を改装したナンシー派美術館には、アール・ヌーヴォーの作品のコレクションと、当時の生活空間を再現した展示が見事です。

↓伊万里焼の写し。1900年 直径22CM  ナンシーと日本の出会いを象徴する作品。1886年ガレが農務省の留学生としてきていた高島北海と知り合ったことからジャポニズムを学び、有機的な曲線や自然表現に影響を受けています。カメラ禁止なので、以下すべて絵葉書です。

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↓ガレの寄木象嵌の寝台

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↓ジャック・グリュベール「ひょうたんと睡蓮」 ステンドグラスと色ガラスの組み合わせで、軽やかな抒情性漂う作品。

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 ガレやドーム兄弟のガラス器は札幌の近代美術館にもコレクションされていますし、諏訪の北沢美術館にも行ったことがありますが、ここでのナンシー派体験は街や建築も含めて、やはり格別なものがありました。

↓美術館の前のベンチで。

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帰途は近くからバスで駅まで戻り、スタニスラス広場に面したカフェで簡単ランチ。次の目的地ディジョンへ向かいました。2時間半の汽車の旅、車窓からはライン川の支流でしょうか蛇行して流れる川が見え隠れ。コンクリート護岸工事のまったくない自然のままの姿に感嘆でした。丘の上のお城や教会の眺め・・・フランスの田舎の美しさに目覚めた旅でした。

 ナンシーに続いてディジョンのホテルも決めていませんでしたので、(i)で予約してもらいました。手数料15Fにデポジットが10%。ホテルは駅から数分歩いたサン・ベニューニュ大聖堂の近くのオステルリー(料理宿)。シャポールージュ(司教の赤い帽子)とは司教館のあったところなのでしょうか?まだロマネスクに興味のない時(知らない時)でしたから、お隣のロマネスク様式を残す大聖堂にも足が向きません・・・後程大層悔しい思いをしました。夕食はホテルのレストランで。グルメ御用達の店らしく満席でしたが、英語圏からのお客さんも多いのに、英語を話せるソムリエは独りだけなので、オーダーがなかなか回ってきません。食前酒とブルゴーニュの白、ひとり190Fのコース(安い方)をいただきました。

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 ところが、食べ過ぎ飲み過ぎに疲れもあったのでしょう。夜中に下痢が始まり、ほとんど眠れないまま朝を迎えました。


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1996初秋の旅(7)ディジョン(ボーヌ) [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/6(金) Dijon→Beaune→Dijon

 そういうわけで、一晩中下痢状態でしたが、夜明けになってお腹も空っぽになり1~2時間ほどは眠れたようです。この日の予定である日帰りのボーヌ訪問はどうしょうかと迷いつつ起床。でもこの旅でコールマールの祭壇画の次に観るのを楽しみにしていたボーヌ施療院の祭壇画ですから・・・あきらめることはできませんでした。朝食抜きでディジョン駅へ。ボーヌ往復切符はユーロ・パスを使わず購入(一人37F)

 10:45発の列車は遅れて、ボーヌに到着したのは正午近くになっていました。お腹は空っぽで歩く元気はありませんから、オテル・デューまでタクシーで。

 ☆オテル・デューL'HOTEL DIEU DE BEAUNE(初)

 ボーヌはブルゴーニュ公がディジョンに都を定める前に城館のあった街です。公の宰相ニコラ・ロランによって1443~51に造営されたオテル・デュー(施療院)は創建当時の面影をとどめ、内部には「最後の審判の祭壇画」の飾られた美術館があります。

↓オテル・デューの入口で

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↓ 色瓦が華麗なフランス・ゴシック様式[フランボワイアン)の建物

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 小さな付属美術館には夢にまで見た(大げさですが)ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデンの多翼祭壇画「最後の審判」(1445頃)がありました。

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 ウェイデン Rogier van der Weyden(1399頃~1464)は初期ネーデルランド 絵画史における代表的画家です。師カンパンの影響を受け、宗教画のほかに王侯貴族の肖像画も多く、彫塑的ながら哀感に富んだ画風を確立。代表作にボーヌの祭壇画のほかには「ブラックの祭壇画」「七つの秘跡の祭壇画」など。

 ランチは近くのカフェで。まだ食欲がなく、せっかくのボーヌ訪問なのに残念でした。代わりにワイン屋さんでHospices de Beauneのラベルの赤白1本ずつ購入。次女はリュックの背に 、私は手荷物にと1本ずつ大事に持ち運びました。このとき試飲をしたのですが、私はおなかの調子が悪いので、次女にさせたところ「えっ!この子に?」みたいなこと言われて「もう21歳ですが・・・汗」

帰りはノートルダム教会をのぞいたり、街を散策しながら徒歩で駅に戻りました。駅前のカフェで汽車を待ち、ディジョンに帰りました。ホテルの部屋に荷物を置いて、徒歩数分のディジョン美術館へ。

☆ディジョン美術館 musée des beaux-arts dijon

 ブルゴーニュ公国の都として繁栄したディジョンはフィリップ豪胆公(在位 1365~1404)以降15世紀まで特に栄え、ロマネスク期から15世紀の教会、15~16世紀の裁判所など重要な建築物があります。14~18世紀のブルゴーニュ公宮殿の一部(東棟)を利用した美術館にはフランドル派などヨーロッパの中世以降の絵画、彫刻の重要なコレクションが展示されています。ここで最も注目される美術品といえば、

↓エミール・マールの『中世末期の図像学 下』の表紙を飾っているフィリップ豪胆王(または大胆王ともいう)の墓(部分)でしょう。エミール・マールによればこの作品には「教会による祈りの有効性の信仰と封建的家系に対する愛が一つに結びつけられている」そうです。

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↓カンパン「キリストの降誕」1435? 86×72 聖母の処女性を疑った助産婦が描かれている降誕図は珍しいです。背景に展開する透明な光に満ちた風景はカンパンの自然描写中最も優れた作品です。

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↓ブルーデルラムMelchor Broederlam(1350年頃 - 1409年以降)の「エジプトへの逃避」と「神殿奉献」(絵葉書)祭壇画の板絵2枚のうちの1点。フレームを含んだサイズは167cm x 125cm

国際ゴシック様式から初期フランドル絵画への橋渡しともいえる重要な作品ですが、画家についてはフィリップ公に仕えたというほかは不明。

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↓ブルゴーニュ大公宮殿前

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お腹の調子も良くなってきました。からし屋プーポンに寄ってショッピング。

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 夕食はレストランに行く気力もなく、ルーム・サービスで。アラカルトの3皿+サービスの小皿(パスタ)を二人で気兼ねなくシェア。リラックスして、ブルゴーニュ・グルメを愉しめました。お腹の調子も戻り安眠。

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1996初秋の旅(8)ディジョン~ミラノ [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/7(土)Dijon8:53→Lausanne11:06/12:32→Brig→Milano16:45

ミラノ/グランドホテル・フェラ・ミラノ

 今日は大移動の日です。ディジョンに着いたとき駅の窓口で予約していたTGVに乗りました。国境を越える列車の旅は昨年の一人旅以来です。2泊した素敵なディジョンのホテルともお別れなのでパチリ。

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↓ロビーで

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 これが初めてのTGVだったと思います。スイスのローザンヌにはチューリヒからスーツケースを送ってありましたが、今回は無事に受け取ることができました。スイス国鉄のチッキ・システムはスキーを送るお客さんも多いので確実でした。駅の乗り換えも階段ではなくスロープになっていて、大助かりでした。ランチはホームに面したカフェで、ピッツアとコーヒー。さすがスイス、ぐっと涼しく夏姿では寒いくらいでした。

↓車窓風景

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 長い列車の旅を終えて、ミラノ中央駅からタクシーでドゥオーモの裏手にあるホテルへ。予約してあったのですが、私たちの名前がないというのです。そんなはずはありませんと、よくよく調べてもらいました。なんと!日本の旅行代理店が英文の「満室だから受けられない」というFAXを見逃していたのです。レセプションの男性があちこち電話してくれたのですが、ミラノはこの時期見本市とかでどこも満室・・・ようやく中心部からは離れたホテルがとれたのは1時間もたってから、ホトホト疲れました。最初予約したデ・ラ・ヴィルホテルはクラシックで素敵なミラノのど真ん中というホテルでしたから、がっくり・・・。タクシー代などは帰国後返金するからと平謝りでしたが、この旅行会社は二度と使いません。フェラ・ミラノホテルは大型の中級ホテルで目の前にトラムの停留所があり便利でした。チケットはホテルで購入。

夕食はタクシーでスカラ座の近くまで往復して、日本食のレストランサントリー(現在は廃店)へ。日本人のツアーで満席の中ようやくテーブルへ。「何がお望みですか?」という間違ってはいないけれど変な日本語でオーダーをとるイタリア人のサービス係でした。久しぶりの日本食で元気になれました。ホテルのトラブルで心身共に参っていましたが、気を取り直して旅を続けることにしましょう。

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タグ:ミラノ
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1996初秋の旅(9)ミラノ [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/8(日)

 5年前にツアーでミラノに来たときが初回で、今回で2回目。あのときよりも数段に日本人の観光客が多く、驚きました。この日は日曜日で、美術館も昼にはクローズするというので、朝9時にはホテルを出発、トラムでドゥオーモへ行き、徒歩でブレラ美術館を目指しました。前回来たとき、ブレラは改装中で閉まっている部屋が多いとのことで、パスしてましたので、心残りでした。それで、今回の旅の計画を立てるにあたって、ミラノに立ち寄ることにしたのです。

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☆ブレラ美術館 Pinacoteca di Brera(初)

 17世紀のイエズス会の建物のなかに美術学校や図書館とともに開設。ナポレオンがミラノを占領していたときにイタリアの教会から集めさせた美術品を収蔵。中庭の回廊式の2階が展示室になっています。

↓カルロ・クリヴェッリはロンドンのナショナルギャラリーについで名品がそろっています。なかでも「蝋燭の聖母」は「祭壇画の詩人」と呼ばれたカルロの面目躍如、聖母の慈愛に満ちた表情と衣装や背景も見事です。1492年にカメリーノの大聖堂に飾られていた多翼祭壇画の中央パネル。絵葉書。

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↓同じくカルロ・クリヴェッリの「ピエタ」と「聖母戴冠」1493年 署名、年記のあるカルロ最後の代表作。ファブリアーノのサン・フランチェスコ聖堂旧蔵。

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↓マンテーニャ「死せるキリスト」1480頃 66×81 短縮法で描かれたキリストはとても斬新な表現。生々しい傷跡の残る足の裏と左の嘆く聖母の老いた目に浮かぶ涙・・・一つの画面に凝縮された精神的な表現はマンテーニャ晩年の傑作です。

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ほかにもピエロ・デッラ・フランチェスカの「モンテフェルトロの祭壇画」ジョバンニ・ベリーニの「聖母子」やカルパッチョの「マリアの神殿奉献」、ティントレットの「聖マルコの遺骸の発見」など、見逃せない大作がぎっしり。

 そして、ブレラ美術館からポルディ・ペッツォーリ美術館へ移動しました(徒歩10分くらい)。ミラノの高級ショッピング街の一角にありますが、マンゾーニ大通りに面した門から入ると意外に静かです。ミラノはそれほど好きな街ではないのですが、このポルディ・べッツォーリやアンブロージアーナなどの建つ一画は心静まる好きなエリアです。

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ポルディ・ペッツォーリ美術館 Museo Poldi Pezzoli(初)

 ここは持ち主の貴族が収集した絵画や家具などで飾られた邸宅美術館ですが、19世紀終わりにミラノ市に寄贈されました。。第二次大戦のときほぼ全壊(美術品は疎開して無事)したあと再建。初めて訪れた時は、なかなか見ごたえがあるコレクションに驚きました。そして、入り口横の大理石の階段を登って展示室へ行くのもなんかエレガントな気分でした。コレクションのうち(カメラ禁止なので絵葉書です)
ボッティチェルリの「書物の聖母子」1483頃 58×39.5 画家の中期の代表作は文句なく綺麗ですし、

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ポライウォーロの「横顔の婦人の肖像画」も一度見たら忘れられない魅力的な作品です。

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 他には私の大好きな画家達の絵画があるのもここを気に入った大きな理由なのです。
カルロ・クリヴェッリの「聖セバスティアヌス」この殉教の聖人の身体に突き刺さる矢の多さにはびっくり。「ここまで描かなくても」と思いますが、そのしつこさ?がカルロらしいのです。もう一点のクリヴェッリは気がつかず見過ごしました。

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 ほかはピエロ・デッラ・フランチェスカの「トレンティーノの聖ニコラ」など。コレクションには家具や武器なども多いのですが、何室か通リ過ぎて、突き当たりにあるのがここの当主がぞっこんだったダンテの「神曲」をテーマにした部屋です。ステンドガラスにダンテとベアトリーチェの姿が描かれています。 

 遅くなったランチはドゥオーモに近いレストランで。アンティパスト・ミストにフィットチーネ。味は普通ですが、なにしろ日本の倍の量で・・・食べきれません。

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さてお楽しみのショッピングですが、日曜日なので閉店しているところが多く、結局3店とも開いていたプラダで、長女のバックをおみやげに、そして私はタニノ・クリスチーの靴を購入。ウィンドーショッピングも含めてかなりの時間を費やし、へとへとになってホテルに戻りました。夕食はホテルのレストランで。ブッフェの前菜とスープで、お腹がいっぱいになりました。

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 今夜で早くもミラノとはお別れ…明日の夜行でバルセロナに発ちます。            
                 


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1996初秋の旅(10)ミラノ~バルセロナ [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/9(月)Milano CS20:00→Barcelona9:15(夜行寝台サルバドール・ダリ号)

 夕方までホテルのチェック・アウトを延長してもらったので、出発までのんびりできました。午前中はアンブロジアーナ絵画館へ。ところがまだ修復中でした。案内書(地球の歩き方)には1995年に再開の見込みとあったのですが、工事の様子からしてまだまだかかりそうです。

↓写真は裏側のアンブロジアーナ図書館

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ショッピングを挟んでランチをドゥオーモの見えるデパート最上階のレストランで。ラビオリの入った一皿料理(3種類)が意外に美味しかったです。昨日のショッピングの続きは私のリュックだったのですが、こちらでは年配の女性のリュック姿はあまり見かけません。結局プラダの黒の大型バックにしました。お目当てのもう一店のグッチは開店が遅かったので、近くの5年前にも入った素敵なカフェで待機(笑)。旅行に連れてきてあげたので、次女には何も買わないつもりでしたが、日本人客の熱気にあおられて・・・大甘な母親です(汗)。買い物が済んで店を出ますと、入店制限で日本人が長い列を作っていました。今でいう爆買いですね~!免税なので日本で買う4割引きくらいでしたが、旅行前の夫のカンパがあったからこそ!感謝感謝。どうやら夫はこれが最後の海外旅行になるかもと、思っていたらしいのです。当然、その後はカンパゼロ(涙)

 とにかく、こんなにブランド品漁りをしたのは初めてでしたから、すっかり疲れ果ててしまいました。ホテルに戻り休憩後、6時半頃チェックアウトして、ミラノ中央駅へ。ユーロ・パス購入と同時にこの国際寝台特急も予約していました。3つのカテゴリーのうちの2番目(2段ベット、洗面台)で、USドルで237$(1室2人分)でした。当時のレートは不明ですが、1人15000円くらいでしたでしょうか。乗車券は別(ユーロ・パスに含まれています)。夜半に国境を通過するので、パスポートは車掌さんに預けました。

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↓狭いキャビンですが、念願の列車に乗れてにっこり。

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夕食は食堂車で。すでにサービス係も周りのお客さんもスペイン語の世界でした。

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↓夕食を済ませている間にベットがセットされていました。

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列車のゴトゴト、ガッタンという音に時々目が覚め、睡眠不足でした。ウトウトしながら初めてのスペインへ。


タグ:ミラノ

1996初秋の旅(11)バルセロナ [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/10(火)Barcelona França 9:15

バルセロナ/M・Hポディウムホテル

 列車はいつの間にか国境を越えていました。朝食(キャビン代に含む)を済ませ、バルセロナのフランサ駅に着いたのはほぼ定時でした。当時スペインは他のヨーロッパに比べると治安が良くないとのことで、恐る恐る・・・でもフランサ駅は出迎えの家族ずれが多いほかは物乞いの姿もなくて、全然心配する雰囲気ではありません。タクシーで凱旋門近くの小さな広場に面したホテルへ。朝早いので、チェックインができるかどうか心配でしたが、スペイン美人の女性が愛想良くお部屋を用意してくれて、助かりました。

↓ 1段低くなったベットのコーナーとリビングコーナーが分かれた広い部屋。湯沸しポットに日本茶のティーバックもありました。

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 ゆっくり休憩してから、まずはピカソ美術館へ。メトロのArc de Triomf (凱旋門)駅が近くて便利でした。

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 ↓ピカソ美術館前で

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 ☆ピカソ美術館 Museu Picasso(初)

 パリのピカソ美術館の次にここを訪れることができました。特にピカソに心酔しているわけではありませんが、美の巨人と言っていいほどの長く多様な画歴は興味深く、また美術愛好家にとっては避けて通れないのです。ここバルセロナはピカソが芸術家として形成された地です。美術館のあるエリアはかってはゴシック風の貴族の家が並んでいたそうですが、現在は下町の風情のあるところです。

コレクションは9歳から「青の時代」にいたるまでと晩年の作品が中心。15歳の時描いた「初聖体拝領」や「科学と慈愛」にはすでに将来が約束されている才能があふれる作品です。面白かったのは「ベラスケスによる宮廷の侍女たち」の一群の変奏曲ならぬ変奏アート!

 ランチは美術館近くの間口の狭い食堂で。近所のおじさんがここは美味しいよと勧めてくれたのです。ガスパッチョと魚介類の網焼きはとても美味しくて、ほっぺが落ちそう~!

↓デザートはコーナーがあって、選ぶようになっています。

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 午後からはゴシック地区の散策とカテドラル。そしてランブラス通りからカタルーニャ広場に出て、観光ミニバスでサクラダファミリアへ。

↓ゴシック地区

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↓カテドラル前で

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↓サクラダファミリアはエレベーターが故障していてがっかり。

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 ここまでで、夜行の疲れもありギブアップ、翌日の観光バスの予約をして、早めにホテルの戻り夕食まで休憩。それでも食いしん坊な私たちは地球の歩き方で紹介されていたバルセロナの老舗レストランへ。アンコウのスープ、野菜サラダ、イカ墨のパエリア。初めての本場のパエリアは塩辛くてちょっと…でした。

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 この夜は泥のように熟睡。明日はのんびり回りましょう。


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1996初秋の旅(12)バルセロナ [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/11(水)

 朝、ホテルの窓から見える小さな広場が異常に騒がしく、デモ?・・・多くの人々が黄色と赤のカタルーニャの旗を手に騒いでいます。観ているとTV中継車や警察の姿も・・・。後から分かったことですが、この日の9月11日は「カタルーニャの日」だったのです。300年くらい前にフィリッペ5世によって、カタルーニャがスペインに統合された日でした。この広場にその抵抗の戦いで活躍した将軍(ラファエル・カザノバ)の銅像が建っていて、カタルーニャの独立運動のデモ隊の出発点になっているそうです。なかには警官に追われている人も出てびっくり!でも大半はパレードのようなお祭り騒ぎのようにも見えました。

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 この時点では美術館やガウディの建築物も2時までとは知らず・・・あちこち行ったのに空振りが多くて、ついていないバルセロナでした。乗り降り自由の観光バスで、グエル公園~カタルーニャ広場~ランブラス通りなど巡りましたが、バスの待ち時間が長くて効率が悪く、疲れました。

↓グエル公園にて

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ランチはピカソ美術館のレストラン(美味しかったので)へ再度行ってみました。カタルーニャ風のスープや烏賊のソース煮、スペイン風オムレツなど。まずまずのお味でした。

↓彫像のように動かないパフォーーマンスなどで大賑わいのランブラス通り。リセウ劇場は大改装中。↓グエル邸もクローズ

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そして↓モンジェックの丘のカタルーニャ美術館へ。当時は丘を登るエスカレーターはなかったと記憶しています。

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長い階段を上って、ようやく館内に入ったのですが、すでに時間切れ。ホールのショップだけはオープンしていましたが、とてもとても残念でした。心残りの多いバルセロナ・・・。

↓カタルーニャ美術館ホール上部のパイプオルガン。

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 夕食はホテルのレストランで、フィッシャーマン風スープやサーモンのカルパッチョで軽めに済ませました。明日はマドリードに向かいます。まだバルセロナとの間の新幹線ができていない頃でしたから、長距離列車に乗ります。荷物の整理をして就寝。

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タグ:バルセロナ

1996初秋の旅(13)バルセロナ~マドリード [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/12(木)Barcelona Sants8:30→Madrid Chamartin14:55(talgo Triana号)

マドリード/パラスホテル4泊

 雨の朝、観るべきものが見られなかった不完全燃焼のバルセロナを出発して、旅の最終目的地マドリードに向かいました。現在は新しいラインができて、3時間足らずでバルセロナとマドリードを結んでいますが、1996年当時はなんと!倍以上の6時間半もかかりました。

↓座席指定は出発前に予約済み(10USドル)。乗車券はユーロ・パスに含まれています。

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 サンツ駅までタクシーに乗ったのですが、運転手さんはマドリードまでなら飛行機で1時間だよと不思議そうでした。サンツ駅は地下のホームまでエレベーターがありました。いつのまにか雨も上がり車窓からは赤い土の大地に灌木というアフリカ的風景が広がります。大きな町の駅に着くたびに、乗り降りが激しくなって、バルセロナからマドリードまで通しで乗る人は少数派だったようです。1等車でしたが、ほぼ満席状態だったので、予約してきたのは正解でした。ランチは車内のシート・サービスで済ませましたが、不味くて口が曲りそ~。長い汽車旅には東京から北海道まで帰郷の折に20数時間と慣れていますから、列車は大好きですし私はさほど苦痛ではありませんでしたが、最後はやはり疲れました。次女はほとんど眠っていたとはいえ辛かったようです。マドリードに着いて、よたよたと降り立った私たち。

 マドリードのホテルはこの旅では唯一の5☆。プラド美術館近くの立地で選んだのですが、さすがに素晴らしい建物でドームの下はゆったりしたロビーやレストランになっていました。長い汽車旅の疲れも飛びました。そのうえ、むむ・・・ロエペのショップもあるぅ。

↓ホテル(2枚とも絵葉書です)

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 ひと休みしたあとの夕方近く、徒歩15分ほどのスペインの誇る現代アートの殿堂へ。

☆ソフィア王妃芸術センター Museo National Centro de Arte Reina Sofia(初

 もとは18世紀の総合病院だった建物を1980年に内部をモダンに改修し、1986年に開館。建物正面のガラス張りのエレベーターに乗って、まずはピカソの大作「ゲルニカ」の展示室へ。

旅の直前にたまたまテレビで放映されていたこの大作は防弾ガラスに守られていたのですが、訪れた時は特別展?だったのかしら、部屋の中央にデンと据え置かれ、両脇を屈強な銃を持った兵士にガードされての展示になっていました。

ピカソの絵画に初めて感動したのは、まだ美術にそれほど関心の無い時でした。地元のデパートで開催されたピカソ展で観た「闘牛場にて」。闘牛そのものではなくそれを観ているさまざまな観客たちの絵で、画面からあふれんばかりの迫力に驚いたものです。「アートは爆発だ」そのころ流行っていた岡本太郎の言葉、そのもの・・・私の心のなかで何かが、爆発したのかも知れないです。以後そんなこんな・・・色々あって、ピカソの「ゲルニカ」は本物を観たいと長年憧れていた作品でした。あまりにも思い入れが強すぎて、気持ちが上滑りしてしまった感はありましたが、この超大作にこめられたメッセージ、芸術家としてどうしても伝えたいとの意気込みが、周囲に並べられた推敲を重ねた習作デッサンの数々からも充分伝わってきました。この作品はファシズムの圧政に苦しんだスペインの人々の記憶だけではなく、今も世界中の戦いや苦難の底にあえぐ人々が存在していることを告発しているのです。この絵を前にするとモノクロで表されたゲルニカの悲劇の向こうにあるものを透視せざるを得ない状態になるのです。言葉で表せない多くのものを確かに視て、悲痛な声も聴こえたように思います。生涯忘れないピカソ体験になりました。

そんな状態でしたから、ほかの作品はどうしても記憶が薄くなってしまいますが、ダリの「窓辺にたたずむ少女」は印象に残っています。ダリの作品ではプレ・シュルレアリスムに位置する作品。ほかの多くのダリの作品に選ばれるシュールな主題に関係なく、背後に広がる風景がなんともいえなく好ましいのです。この絵にもスペインの港町カダケスが窓外に描かれています。(絵葉書)

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 他にはミロ、タンギー、マグリットなど。閉館近くまで鑑賞。

↓ソフィア王妃美術センター前と中庭にて

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夕食は和食のサントリーで。ミラノの半額でコース料理も食べられ、空席も多く予約なしでもOKでした。帰りのタクシーはパラスホテルと言ったのにプラザホテルに連れて行かれ、謝りもしないので、わざとかも・・・怒。スペイン語ができないので、トラブルがあった時はやはり困ります。明日からまた気を引き締めましょう。


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1996初秋の旅(14)マドリード [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/13(金)

 今日は美術館フリークの私にとっては憧れというか必須のプラド美術館へ。一昨年のルーブルと違って、1日中とはいえ疲れたら目の前のホテルに戻って休息できる態勢をとり、万全(笑)です。実際は館内のランチの後にホテルに戻って、1時間ほど午睡してからまた舞い戻って(手にスタンプしてもらうと再入館でもOK)たっぷり堪能できました。基本的に次女とはここに限らず美術館では入館したら別行動なので、自分のペースで歩けました。

↓正面入り口のベラスケス像の前で

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☆プラド美術館Museo del Prado(初)

スペインの誇る世界屈指の大美術館です。しかも他のヨーロッパの大規模の美術館とは違って略奪品や盗品が一切ないというのも誇らしいです。建物は1818年に完成し、翌年王立美術館として開館。コレクションは15世紀のレコンキスタ(国土回復運動)完了以後の王室の収集品を母体としています。そのため宮廷色、宗教色の濃い作品が多いのが特色。特にゴヤは400点以上もの膨大なコレクションを誇っています。

ベラスケス、ムリーリョ、ゴヤ、スルバランなどのスペイン人の画家たちは特に素晴らしい作品ぞろいで、もう眩暈しそうでした。今年はゴヤの生誕250周年に当たり、特に充実した展示になっていました。他にイタリアルネッサンスのフラ・アンジェリコやマンテーニャ、フランドルのウェイデンやメムリンク、ボス、ドイツのデュラーなど。

↓ベラスケス「ラス・メニーナス/女官たち」1656 318×276 ベラスケスのライフワークでもあった集団肖像画のなかでも傑出した大作。観ている私も画面に引き込まれそうになるほどの3次元的な画面構成。

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↓ゴヤ「着衣のマハ」1800-3頃 95×190 「裸のマハ」より数年後に描かれたと推定されています。モデルは宰相ゴドイの愛人とか。

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↓ゴヤ「吹雪」1786-87 275×293 ゴヤのこの時期の風俗画は王立タペスリー工場のための下絵で、計68点の原寸大のものを制作したうちの一枚。他に「日傘」や「藁人形遊び」など。他に戦争画や黒いシリーズなど多岐にわたるテーマ。何を描いてもゴヤ・・・ただただ感嘆。

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↓ムリーリョ「無原罪の御宿り/エル・エスコリアールの」1660-65頃 206×144 光に溶ける黄金色を背景に聖母マリアの際立つ清く美しい乙女の姿。信仰心にあふれた名画です。このテーマではムリーリョは抜群の人気があり、プラドだけでも3点が展示されていました。

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私的には世俗の恵まれない子供たちを描いた作品に感銘を受けたのですが、そのテーマのものはプラドには1点もありません。自国の恥と思ったのでしょうか?海外に流出してしまいました。ルーヴルやミュンヘンのアルテ・ピナコテークで観ることができます。

↓フラ・アンジェリコ「受胎告知」1430-32頃 194×194

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↓ウェイデン「十字架降下」1443以前 220×262

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↓カラヴァッジョ「ダヴィデ」1599頃 110×91 真作ではないという研究者も多い作品ですが・・・。

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 夜はホテルで予約してもらった「フラメンコ・ディナー」へ。

 食事は8時ころから始まり、ショーは9時から12時過ぎまで観ましたが、まだまだ後から出てくるダンサーが素晴らしいよと引き留められましたが、眠くてギブ・アップ。タクシーを呼んでもらって帰りました。結局ホテルに戻ったのは1時過ぎになってしまいました。

↓フラメンコの本物を観たのは初めてでしたが、ダンサーも情熱的なスペイン美人ばかり(当たり前 笑)。それに哀感にみちた歌とギターの調べに酔いました。写真に写っている年配のおじさんがとてもいい声!

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 ぐったり疲れて、入浴もパスしてベットに倒れこみました。

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1996初秋の旅(15)マドリード(トレド) [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/14(土)

 昨夜は午前様でしたので、朝は遅めに起床。セルフでカットして食べるイベリコハムや豊富なフルーツの並ぶリッチな朝ごはんを済ませ、出発。午後からの「トレド半日バスツアー」の前に王宮の見学をしました。メトロのOPERA駅で降り、オリエンテ広場を抜けると、広大な王宮広場。記憶は薄くなっていますが、ブルボン家出身のフェリペ2世がつくりかえた王宮は華麗なバロック様式。きらびやかな内部のいくつかの部屋を回りました。

↓王宮の中庭にて

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↓王宮の展望テラスにて

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 大改修中のリアル劇場のすぐ近くのカフェ・オリエンテで軽いランチ。開けた扉から室内に小鳥が入ってきて、パンくずなどついばむ様子は、日本ではなかなかお目にかかれません。カフェの従業員もお客さんも追い出すこともなく・・・。

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 バスツアーの集合場所のスペイン広場までは徒歩10分くらいでした。20歳の娘と一緒ですと、わざわざ頼まなくても写真を撮ってあげましょうと言ってくださって・・・親切な方が多くて、スペインのどこが危ないのしら。。。

↓スペイン広場にて

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マドリードから日本語のできるガイドが同乗しましたが、そのスペインの青年が30分も遅刻してきて、日本人の観光客(数人)はあきれるばかり。ドライバーさんからも叱責されていました。日本で日本語を勉強してきたのだから、スペイン気質?はやめて、きちっと時間は守らなくてはね~。でも人の良さそうな彼はガイドは一生懸命努めていました。

 マドリードから南下したマイクロバスはまずトレドの眺望の良い丘の上へ。三方がタホ川に囲まれた古都トレドの素晴らしい眺め。

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 タホ川に架かるサン・マルティン橋まで丘を下り

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記念写真を撮ったあと、旧市街に入りました。トレドの中世の街並みは美的景観を守る政策によって残っています。狭い石畳の路地が迷路のようで、迷子になりそう~。

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 スペイン・ゴシック様式の大聖堂は絢爛たる大伽藍で、彫刻や絵画で飾られた内部に圧倒されます。トレドはかってはスペインの首都でしたから、マドリードに遷都(1561年)された後でも、トレド大司教はスペインの首座司教でもあるとのことです。遷都されるまでの長い歴史が刻みこまれた美しい街・・・やはり1泊してモサラベやロマネスクの残る聖堂や建築物など訪ね歩きたいものです。大聖堂の内部には美術室があり、トレドで活躍したエル・グレコの絵画が残っています。

↓エル・グレコ「聖衣剥奪」1577-79 285×173 十字架に架けられる寸前のイエスの悲しみに満ちた眼、鮮やかな真紅の衣、足元に十字架を用意する男。今まさに始まる悲劇の場面の迫力。

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↓トレドを訪れる人はグレコファンの方が多いようで、次に見学したサント・トメ教会は入場制限で待たされました。

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↓グレコの最高傑作として知られる「オルガス伯爵の埋葬」はこの小さなチャペルに飾られています。薄暗く狭い空間に熱気が漂うなか、壁一面を占める(記憶では)大作は、上に天界、下に現世と描き分けられた、まさにグレコの世界ともいうべき画家の芸術が凝縮された作品です。1586-88製作 460×360

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ここで半日ツアーはタイムアップ。記憶ではお茶ひとつする暇もなく、マドリードに戻りました。すでに夕刻の7時半。グラン・ビア通りのバルで小皿料理を注文。味は普通でしたが、気楽に食べられて、しかも安いのに驚き~。このころはタパスやピンチョスなど知らなかったので、惜しいことをしました。

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