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1998春の旅(1)札幌~ミラノ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

  地元の新聞社主催のオペラ教室に入会してから2年経ちました。講師は東京の明治学院大学仏文科教授でモーツアルト劇場の主宰者でもあるT先生。月一回の講座ですが、東京から札幌までLDを持参されて、なかには珍しいオペラも大型TVで視聴します。教室の皆さんともアフターオペラの食事会があり、親しくなりました。そのうち、この会のお世話役でもある小児科医のO先生がリーダーで、毎年ヨーロッパにオペラ旅行に出かけられていることを知り、いつかは連れて行っていただきたいとお願いしていたのですが、お陰様で3月に参加できることになりました。

留守中の心配(夫の母のこと)も詳しく書くと長くなりますので、はしょりますが、前回の旅から半年の間にいろいろ画策(笑)して、2週間ほどの留守でもなんとか我慢していただける状態に持ってきました(ふ~っ!)。実はもうひとつ問題がありました。次女の大学卒業式に上京するつもりだったのです。夫は入学式にも行かなかったのだからと不満げでしたが、娘の一言「せっかく誘っていただいたのだから、お母さん気にしないでいってきて~」で決まり!卒業式の袴なども全部自分で貸衣装屋に手配、卒業式と引っ越しを済ませ、3月末には就職する札幌に帰ってきました。甘えっこの次女も東京の独り暮らしですっかり大人になったことを実感しました。仕送りからも解放された母はルンルン気分です。いざ!イタリア・オペラの旅へ。

 スケジュールは札幌からアムステルダムまでの直行便を利用してミラノ(2)→レッコ(1)→ミラノ(1)ボローニャ(1)→フィレンツェ(2)→ローマ(2)の9泊11日。

3/15(日)  千歳空港のKLM航空のカウンター前で集合したのですが、早くもハプニング!同行の外科医K先生のパスポートの期限が切れていたのです。こればかりはどーにもなりません。パスポート更新は急いでも1週間はかかりますから・・・。K先生はあきらめてご自宅に戻り、夫人だけはご一緒に旅をすることになりました。総勢8名の旅が始まりました。

 千歳14:40→アムステルダム17:55/19:15→ミラノ21:05

ミラノ/ホテル・ボルツァーノ1泊

 ミラノ・リナーテ空港到着後は2台のタクシーに分乗してホテルに向かいました。ところがホテルの名前をタクシーのドライバーさんがポルツァーノ・ホテルと聴き間違えて、私たち3名乗車したタクシーだけがミラノ中央駅の北側のホテルへ行ってしまいました。ホテルに着いてから間違いに気が付いて、中央駅正面に近いホテルへ戻りました。ミラノの北側には倉庫街のような人気のない一角があり、そこを通ったのですが、ところどころに大柄なボインの女性が立っています。信号でタクシーが停まると、客を求めて窓からのぞきこみます。私たち女性3人はびっくり仰天!お尻を丸出しにして誘う女も出没・・・ようやくそこを抜け出て、皆が心配して待っているホテルに辿り着きました。タクシーの運転手さんは良心的な方で、自分が間違えたのだからと、他と同じ料金でOKといってくれました。その時はO先生がボインの街娼を見たかったなと羨ましげだったのですが(冗談で、笑)これには後日談があり、あの女性と思い込んでいたのは実は男性だったのです!!ミラノではそういう場所として有名なんだそうです。

出発前に何回か皆でイタリア語の挨拶や簡単な会話など勉強してから行ったので、かえって分かってくれたと安心して確かめなかったのかもしれません。気を抜かないようにと自戒しつつ、友人たちと3人部屋へ。バスタブはついていましたが普通の半分の大きさ、深さはありますが。縮こまって入浴したのも、今は懐かしい思い出です。


タグ:ミラノ
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1998春の旅(2)ミラノ(ベルガモ) [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/16(月)

 簡素な朝食でしたが、カプチーノが美味しくておかわり、習いたての「アンコーラ、ぺルファボーレ」を使ってみました(もちろんOK 笑)。この日は日帰り観光でベルガモへ。ミラノから1時間弱の列車の旅。何度もイタリアに来られているO先生やY子さんにおんぶにだっこの気楽さで、お喋りしているうちにベルガモ駅です。ベルガモの見どころはチッタ・アルタと呼ばれる丘の上の旧市街にあり、ケーブルカーで登ります。

↓ヴェッキア広場で

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隣接するドゥオーモ広場にはドゥオーモ、サンタ・マリア・マッジョーレ教会、コッレオーニ礼拝堂と洗礼堂が並んでいて圧倒されます。

↓コッレオーニ礼拝堂/1476年、ヴェネツィア共和国に仕えていた傭兵隊長バルトロメオ・コッレオーニが自分の墓として建てたもの(設計アマデオ)。正面の装飾壁に使われた白と薔薇色の大理石が華麗。

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↓洗礼堂/八角形のお堂、オリジナルは1340年ですが、19世紀に再建したもの。見学不可。

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17世紀の豪華なドゥオーモはパスして、裏通りを抜けてサンタ・マリア・マッジョーレ教会の正面へ。

↓ドゥオーモからのサンタ・マリア・マッジョーレ教会(後陣)

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↓こちらはサンタ・マリア・マッジョーレ教会の裏口(ドゥオーモ広場側)

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↓教会正面の写真がありませんのでWikiから拝借しました。

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☆Santa Maria Maggioreサンタ・マリア・マッジョーレ教会

 ロマネスク様式(12世紀後半)の教会ですが、さきほどのコッレオーニ礼拝堂と隣接していることもあり、かなり複雑な建築になっています。正面は先ほどのドゥオーモ広場の裏側にあたり、張り出したポーチが付いています。内部もまたとりとめもなく複雑なため、ほとんど記憶に残っていません。ベルガモはイタリアオペラの作曲家ドニゼッティの故郷でもあり、彼のお墓所もこの教会にあります。

↓ドニゼッティの墓碑(絵葉書)

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 ランチまでまだ時間があり、O先生ご指定のレストランに13:00集合することにして、丘を降りた下町にあるカッラーラ・アカデミー美術館へ向かいました。時間もなく(12:30から昼休み)、おまけに同行してくれた友人がタクシーにカメラを忘れ、ポリスまで紛失届けに行ったりして(いい加減な対応でした)、あわただしい鑑賞になってしまいました。

☆Pinacoteca dell'Accademia Carraraカッラーラ・アカデミー美術館

 18世紀の新古典主義様式の館に設けられた絵画館には国際ゴシック様式から18世紀のヴェネツィア絵画までが主に展示されています。地方の美術館は昼休みには閉館するところが多く、ここも時間になって、追い出されてしまいました。2階建ての古い館での展示室は知名度の高い割に広くもなく、木の床がギシギシで立派でもないのですが、なんたってクリヴェッリ、マンテーニャ、ピサネッロが揃って見られると云うのですから文句などありませぬ。

↓ピサネッロPisanello「リオネッロ・デステ」(1441) 28×19

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ピサネッロは全作品が約10点と少ないので、ヴェローナの二つの聖堂のフレスコ画も含め、ほとんど見学が済んでいます。彼は肖像メダルの作家でもあったので、ここの「リオネッロ・デステ」の肖像画もメダル風に真横から描かれています。モデルについてはここでは詳しくは言及しませんが、フェラーラのエステ家の何代目かの当主だそう。賢そうなプロフィールです。
クリヴェッリとマンテーニャのヴェネチア派の聖母子やロンバルディア派のベルゴニョーネ「授乳の聖母」などを鑑賞し、絵葉書を買うのもせかされての退出でした。

↓Carllo Crivelli「聖母子」1480頃 45×33

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↓Andrea Mantegna「聖母子」(1470頃)43×31

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↓Sandro Botticelli「ジュリアーノ・デ・メディチ」のヴァリアント?

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 バスで友人たちの待つ駅前の通りを2.3ブロック行ったところの☆☆のレストランCavourへ。、オペラ仲間との賑やかな贅沢ランチでした。フランス風の洗練されたイタリアンは上品なお味。日本人のコック見習いの方が挨拶にみえました。1ヶ月に一度くらいの割合で日本のお客さんが見えるとのことでした。 将来は日本に帰ってイタリアンのレストランを 開くのが夢と語る青年は長女と同じ年齢でした(1998年当時26歳)。友人がカメラをタクシーに置き忘れたという話をしましたら、タクシーの運転手さんに知り合いがいるからと、電話してくれました。タクシーのお仲間に訊いてもらったりして・・・結局見つからなかったのですが、ご親切に感謝でした。

 ミラノに戻り、当夜はムーティのコンサートがあったのですが、チケットを事前に手に入れることができなくて、私はあきらめてホテルに残りました。何人かはスカラ座の前でダフ屋からチケットを買って聴いてきました。ダフ屋からチケットを買っていると地元の婦人に買わないようにと注意されたとのこと。スカラ座のチケット販売は不透明な部分があり、チケット屋の大量買い占め?でしょうか、この後スカラ座に行ったときは何度か不愉快な思いをしました。

 さて、明日は1泊泊まりでレッコに行きますので、準備をして就寝。


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1998春の旅(3)ミラノ~レッコ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/17(火)ミラノ12:15→レッコ12:54

レッコ(マルグラーテ)/ホテル・イル・グリーゾ1泊

 スーツケースをホテルに預け(きちんとしたトランクルームでなくて裏庭の片隅に)、雨が降ったらスーツケースの中身が濡れないかしらと心配しながら、出かけました。昼ごろの列車の出発まで時間があり、スフォルツァ城へ。7年前にツアーで来たことがあり、博物館は簡単な見学のみだったのですが、今回は外部だけの見学。次回来ることがあれば中世の彫刻などゆっくり観たいものです。

 *スフォルツァ城は煉瓦造りの元は14世紀の要塞だった建造物。15世紀に当時のミラノ公フランチェスコ・スフォルツァが本拠地の城として改装。その後は様々な動乱の時代を経て1893年から修復に入り、元の姿に戻されてきました。城内には大きく3部門に分かれた博物館があり、初期キリスト教の彫刻からの古美術部門や絵画館、装飾部門など、一級品のコレクションを有しています*

↓スフォルツァ城・城壁内部の中庭にて

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 そして、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が観たいという友人2人と徒歩でサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会(ルネッサンス期の建立)へ。7年前には修復中だったフレスコ画も完成して話題になっていたこともあり、私も再見したかったのですが、予約していなかったので待ち時間があり、断念。教会と回廊の見学だけしました。

↓アーモンドの花が満開の回廊から眺めた後陣(15世紀に増築)。壁はレンガと大理石の装飾。

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 ミラノ中央駅から列車でレッコへ。レッコ駅からはタクシーで数分の湖畔の宿に入りました。このホテルはO先生が「地球の歩き方」を見て、料理が評判の宿らしいとのことで予約してありました。早速レストランでランチです。ディナーが楽しみなので、パスタ一皿で我慢して、湖畔の町の散策に出かけました。レッコの街までは1.5Kくらい。ホテルの建つマルグラーテはレッコの街の対岸にあり、コモ湖の一部(人の字の右下)にかかる長い橋を渡ってレッコへ。

↓湖畔を散歩。背景の白い岩肌をみせているのはサン・マルティーノ山(雪をかぶっているのではありません)。

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↓ホテルのベランダからの眺め。左の岩山が先ほどのサン・マルティーノ山、右がレゼゴーネ山。

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 白い岩山が夕日に映えてピンクに染まります。前年巡ったドロミテの山々を思い出しました。さて、ディナーの時間になりました。お洒落をして集合、暮れゆく湖を眺めながら極上のイタリアワインと美味しいお料理の数々に大満足でした。


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1998春の旅(4)レッコ~ミラノ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/18(水)レッコ14:47→ミラノ15:30

↓レッコ遠望(絵葉書)

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 コモ湖畔でのんびり滞在を愉しんだのですが、ひとつ残念なことがありました。ここまで来てチヴァーテのサン・ピエトロ・アル・モンテ修道院訪問がかなわなかったことです。宿泊したマルグラーテからチヴァーテまで4Kほどの距離ですが、かなりハードな山登りの必要があるという情報でした。グループ行動から離れる懸念と今夜のオペラに間に合わなかったら困りますので、諦めました。ランチをレッコの街で済ませ、午後の汽車でミラノに戻りました。

 ミラノは3度めでしたが、イタリア・オペラの殿堂として名高いスカラ座は外観だけ見ていただけでした。今回初めて中に入り、緊張しました。友人たちは何人か着物を召して、しかも年齢無視(ばらしてごめんなさい)の振り袖姿でした。でも仲間内のひいき目ではなく、20歳は若く見えて、とても綺麗でした。彼女たちの和服、日本美はスカラ座をより華やかに引き立てていたと思います。当時まだNETでお知り合いになる前のBowlesさまも2階のバルコンから着物姿の友人たちに気づかれていたとのことです。

♪~ムソルグスキー『ホヴァン・シチーナ』

 指揮:アレクサンダー・ポリアニチェンコ  演出:フェードル・フェドロスキー

フォヴァンスキー公:パータ・ブルフウラドッセ  アンドレイ:ユーリ・マルジン  ゴリツェン公:コンスタンチン・プリュニコフ  マルファ:ラリッサ・デアドコーヴァ  スザンナ:イリナ・ミケヴィッチータ

 マリンスキー劇場客演公演

 初めてのスカラ座のオペラでしたが、長旅の疲れと緊張、そのうえほとんど予習もしないままに来てしまったものですから、途中で曝睡状態。ムソルグスキーの音楽特有のあのロシアの鐘の音も心地よく響いて・・・そんなわけでほとんど憶えていないのです。最後の火をつけての集団自害の場面にはびっくり!!そして目が覚めました。ロシアにも宗教改革があったことをこのオペラを観て初めて知りました。それにしても、オペラを楽しむためには、まず体調に気を配る必要があることを思い知らされました。

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↓スカラ座の前で。終演後はスカラ座隣のレストランで、飲んで食べて・・・ミラノの夜は更けました。

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1998春の旅(5)ミラノ~ボローニャ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/19(木)ミラノ10:05→ボローニャ12:30

ボローニャ/グランドホテル・バリオー二

 ミラノのホテルから中央駅までは至近距離ですが、重いスーツケースを運ぶのは大変なので、タクシー移動でした。タクシー運転手さんにとっては嫌~なお客さんでしたでしょう。列車で1時間半のボローニャへ。

↓列車で。

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 ホテルは滅多に泊まることのない5☆です。何故ここを選んだかと言いますと、この夜のオペラのチケットが取れないので、コンシェルジュに頼むためなのです。その甲斐あって8枚揃いました~!ランチはホテル近くのDa Nelloで。ボローニャは食通の街としても知られているので、手打ちのクリーム・パスタ(ポルチーニだったかしら?)の美味しかったこと!

 昨夜のミラノでの失敗から学び、オペラの前は仮眠をとり、ロビーに集合まで部屋で過ごしました。そうそう、ミラノ以外はすべてシングルルームでした。

↓目をつぶってしまいましたがホテルのロビーで。

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♪~ヴェルディ『ドン・カルロ』

指揮:エリアフ・インバル  演出:ロベルト・ポラスキー

フィリッポ二世:カルロ・コロンバーラ  ドン・カルロ:ラ・スコーラ  ロドリーゴ:パオロ・コーニ
  エリザベッタ:ダニエラ・デッシー  エボリ妃:ルチアーノ・デンティーノ

私の席は3階のバルコン。この日は日本人のツアーも他にあり、そのなかの東京芸大出身の歌手のHさんと隣席になりました。おばさんたちと一緒ですが少しも嫌がらず爽やかな好青年。偶然にも前年暮、その方も一員だったクリスマス・オラトリオを札幌で聴いていました。素晴らしい声で、印象に残っていた後方のバスパートの方ね・・・と、いうわけで一気に親しみがわき、話がはずみました。

プラティアには指揮の若杉弘氏の姿も・・・この年の夏の琵琶湖ホールのオープンに招聘した『ドン・カルロ』の視察のためだったようです。
さて、肝心の舞台ですが、エボリ公妃のディンティーノの歌が際立って良かったです。ザルツでのボロディナといい、メゾ・ソプラノの優秀な歌唱に接し、次第にメッゾ贔屓になっていきました。
ヴェルディのオペラでは『ファルスタッフ』と並んでお気に入りの双璧。演出はロドリーゴの同性愛的な友情という感じ。アフターオペラはそのことで話が盛り上がりました。

参考映像/直前の1998年1月にオペラ教室で

テバルド(エリザベットの小姓)・・・・・・・ ベッシイ・ノーデン(ソプラノ)
エリザベッタ・・・・・・・・・・・・・・・・ ミレルラ・フレーニ(ソプラノ)
ドン・カルロ(スペインの王子)・・・・・・・ プラシド・ドミンゴ(テノール)
レルマ伯爵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ジョン・ギルモア
修道僧・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ジュリアン・ロビンス(ソプラノ)
ロドリーゴ(ポーサ侯爵)・・・・・・・・・・・・・・・ ルイ・キリコ(バス)
フイリッポ二世(スペイン王)・・・・・・・・ ニコライ・ギャロウ(ソプラノ)
エボリ公女・・・・・・・・・・・・・・・・・・ グレース・バンブリー(バス)
王の使者・・・・・・・・・・・・・・・・ チャールズ・アンソニー(バリトン)
天の声・・・・・・・・・・・・・・・・・ マーヴイマ・マーテイン(ソプラノ)
宗教裁判長(大審問官)・・・・・・・・・ フエルッチョ・フルラネット(バス)
・・ ベレント・ヴァイルル(演技)
ボルサ(廷臣)・・・・・・・・・・・・・・・ レミー・コラッツア(テノール)
 
メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団
指揮:ジェームス・レヴァイン
演出:フランコ・ゼッフィレッリ

 前日より体調も良くなり、油断しました。夜遅くのワインやボローニャ・フードの食べ過ぎがたたって、その夜は胃痛で眠れぬまま朝を迎えました。皆さんに迷惑かけたらどうしましょう・・・涙























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1998春の旅(6)ボローニャ~フィレンツェ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/20(金)ボローニャ12:38→フィレンツェ13:32

フィレンツェ/ホテル・ウニコルノ 2泊

 こういうときはドクターと一緒なのは心強いです。朝になりO先生にお薬をいただいて、まもなく胃痛はおさまりましたが、体に力が入りません。大事を取って昼ごろの出発までベットに横になっていました。そしてなんとか快くなり、観光された後ロビーに戻ってきた皆さんとフィレンツェへ向かいました。ボローニャでは結局ほとんど観光できなくて(涙)。そのうえ残念だったのはフィレンツェではオペラのチケットは手配できず、予定していた『オルフェオ』は観ることができません。しかしBowlesさんはチケットをゲットできてご覧になられたそうです。当時はお互いに名前も顔も知らない頃、フィレンツェの街でもすれ違っていたかも知れませんね。

 フィレンツェのホテル・ウニコルノはマダムが日本人でした。どこへ行くのも便利なロケーションで、すっかり元気になった私は2回目のフィレンツェをあちこち歩き回りました。まずはドゥオーモとその背後にある付属の博物館へ。

☆大聖堂付属美術館Museo dell'Opera del Duomo   ここには14~15世紀に洗礼堂、大聖堂及びジョットの鐘楼を飾っていた彫像のオリジナルが移転されています。ミケランジェロの未完の「ピエタ」をはじめ、ドナッテッロの「マグダラのマリア」「聖ヨハネ」、ロッピアのレリーフなどが展示されています。中での白眉は「聖歌隊席用欄干」の浮彫りです。楽器を奏で、合唱する少年たちの無垢な表情~讃美歌が聴こえそうです。

ルカ・デッラ・ロッピア「Cantoria Particolare聖歌隊席用欄干」(1431~38)(絵葉書)

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↓ミケランジェロ「ピエタ」

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↓大聖堂近くで

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そして、シニョーリア広場へ。

☆ヴェッキオ館(市庁舎)Palazzo Vecchio  イタリアにおける中世の公共建築物として最も貴重なものであり、内部空間は様々な芸術家によって装飾されています。原型はコンパクトな並行六面体の3階建て、その上部は屋上には狭間付きの高い張り出しの回廊。塔は1310に完成した高さ94Mの狭間つき。全体の写真がないので、Palazzo VecchioのHPから拝借しました。

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入口から入ると中庭になっていて、修復中だったのですが、プレハブのような切符売り場があって入場できました。

↓「500人の大広間」では討論会?TVカメラで収録中でした。ですからここにあるミケランジェロの「勝利の神」や両サイドの壁画も記憶にないのが残念です。

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↓フランチェスコ1世のスタジオの装飾はトンド(円形)の「トレドのエレオノーラ」(絵葉書)ブロンズィーノと思ったらAlessandro Alloriの作とのこと。なおトレドのエレオノーラはコジモ1世の妻です。

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 他にも16世紀の大改造のときに指揮を執ったヴァザーリの豪奢な装飾で埋められた「公爵の書斎」やギルランダイオの古代ローマの人物像を描いた「百合の間」など。彫刻ではドナッテッロの「ユーディットとオロフェルネス」がダントツ素晴らしいです。当時は「立派な建物だから~」くらいのノリで入館したので、内部の1度では見切れないほどの装飾やコレクションに驚きました。何年か後に再訪したのですが、改装のためか見学不可でした。

 夕食はホテル近くのレストラン「イル・ラティー二」で。初めてビステッカ アラ フィオレンティーナを賞味。「なんて美味しいの!」と大感激。デザートは小さな苺にレモンソースがけ(これはこの後の旅でも探しても見当たらず)も忘れられません。友人たち8人の賑やかなディナーでした。

↓ホテル・ウニコルノの部屋。ダブルベット、木の床、割合広くて良い部屋でした。

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1998春の旅(7)フィレンツェ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/21(土)

 この日はオペラもないので、目いっぱいフィレンツェの街を独りで歩き回りました。まずはホテルからアルノ川にかかるカッライア橋を渡り、カルミネ教会へ。7年前には修復中だったブランカッチ礼拝堂のマザッチオとマゾリーノのフレスコ画がお目当てでした。でも昼過ぎにならないとオープンしなかったのか、まだ修復中だったのか、記憶が途切れていますが観ることは敵わず、教会だけ覗いて。。。

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 次の目的はやはり7年前のツアーでは見学しなかったピッティ宮殿にある美術館へ。

☆パラティーナ美術館  メディチ家のライバルだったピッティ家の宮殿は1458年に着工したのですが、完成前にピッティ家の当主が失脚したので100年近くも未完のままでした。16世紀の中ごろになってメディチ家のコジモ1世による増築と17世紀の大改修によって現在の姿になりました。その後はイタリア国王の居城にもなり、膨大なコレクションを所有していました。1919年に政府に寄贈され美術館になりました。 ラファエロとティツィアーノの名品揃いのコレクションに加えてフィレンツェで活躍した画家たちのフィリッポ・リッピ、ロッソ・フィオレンティーノ、アンドレア・デラ・サルトらがそろい踏み。ほかにはカラヴァッジョやジェンテレスキ父娘、ティントレットなども。下の写真はすべて絵葉書です。

↓ラファエロ「ヴェールの婦人」(1516頃)85×64  モデルはローマのパン屋の娘でラファエロの恋人。暖かな眼差しの庶民的な娘さんに、抑えた色調の衣裳の描写も素晴らしい~。

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↓ジョルジョーネ「三世代の男/合唱」1500頃 62×77 かってはG・ベッリーニやロットの作と考えられていましたが、近年の修復によりジョルジョーネに帰せられたようです。

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↓ティツィアーノ「ラ・ヴッラ/婦人の肖像」1536 100×75  モデルは不明ですが、ウフィッツィやウィーンにある名画のモデルと同一人物。魅力的な美人に豪奢な宝石の髪飾りやドレスの描写も素晴らしい。

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↓アンドレア・デル・サルト「洗礼者ヨハネ」94×68  デル・サルトは16世紀前半にフィレンツェで活躍。彼の画風は弟子であるポントルモやロッソ・フィオレンティーノに受け継がれ、マニエリスムにつながっていきます。

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↓アルテミシア・ジェンテレスキ「ユデットとその侍女」114×93.5  父のオラツィオと共にカラヴァッジョの強い影響を受けた女流画家。この作品は旧約聖書を題材にユデットと自分自身を重ね合わせたとみられています。

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実はこの美術館に来るまで彼女の作品は観たことがなかったので、もう一点の「ユデットとホロフェルネス」と合わせて、強い印象を持ちました。この翌年でしたか、彼女の壮烈な生涯を描いた映画が公開されました。映画の出来はやや興味本位に流れた感があり?でしたが・・・。

↓NETで見つけた映画「アルテミシア」ポスター

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 ランチの後はいったんホテルに戻り休憩して、午後遅くにウフィッツィ美術館へ。7年前にツアーで来て以来ですが、イタリアの美術館でもトップのここウフィッツィの人気はあのころの比ではありません。特に午前中はツアー客が多いので、大混雑。まだ予約システムもないころでしたから、夕方閉館前を狙って入りました。

☆ウフィッツィ美術館(2)  

 1991年以来の再訪です。まずは1200年代のジョットとドウッチョの部屋から初期ルネッサンスの部屋まで。

↓マザッチョとマゾリーノ「聖アンナ・メッテルツァ」1424頃 175×103

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聖母子と右上の天使はマザッチョ、聖アンナと他の天使たちはマゾリーノが描いた共作。聖アンナの右手と左手がこの一見静止した画面に動きを与え、聖母子を守護する立場を強調しています。この展示室にはほかにもピエロ・デッラ・フランチェスカやウッチェロなどがあり、フィレンツェの誇るルネッサンス絵画はこれから始まるというわくわく感でいっぱいになります。そしてリッピ親子の部屋へ。

↓フィリッポ・リッピ「聖母子と2天使」1465頃 95×63.5

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聖母のモデルはリッピが駆け落ちまでして恋を貫いた修道女のルクレツィアとされています。額縁で飾られた風景画を背景に、聖母の魅惑的な横顔、自然な表情の幼子と天使たち。後のボッティチェッリやダ・ヴィンチにも影響を与えた名画です。そして、これまたフィレンツェで活躍した画家ボッティチェッリの世界最大の作品コレクションが5室に渡って続きます。

↓サンドロ・ボッティチェッリ「ザクロの聖母」1487頃 トンド143.5

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幼児イエスの持つザクロは受難のシンボル。6人の天使たちの持つ百合や薔薇は聖母マリアの純潔と慈悲を表しています。トンドに配置された聖母子や6天使の見事な構図や色調の格調の高さに脱帽です。この部屋にはボッティチェッリの大作「春」「ヴィーナスの誕生」のほかに、15世紀後半のネーデルランドの画家ヒューホ・ヴァン・デル・グースの「ポルティナーリの祭壇画も展示されています。次はダ・ヴィンチの部屋~また閉まっていたトリブーナ(8角形のギャラリー)を通り過ぎ、ミケランジェッロのある部屋へ。

↓ミケランジェロ「トンド・ドーニ」1506~8頃 トンド120 

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フィレンツェに現存するミケランジェロ唯一の絵画作品。フィレンツェの商人ドーニ家のために、円形画として描かれたもの。1506年にローマで古代彫刻のラオコーン像が発見された(ミケランジェロも発見現場に駆け付けた)後に描かれたことは聖ヨゼフの後方の裸の若者のポーズをこの像からとっていることから推定されています。聖家族の3人の姿は螺旋状に絡み合っていて、冷たい色調と共に強い印象を受けました。マニエリスムの先駆的作品。最後は1600-1700年代のコレクションから

↓カラヴァッジョ「イサクの犠牲」1592-1604 104×135

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アブラハムは神の言いつけにより息子アブラハムを犠牲に捧げようとした、その時に天使が現れた場面を、旧約の場面よりもさらに劇的な構成と光と影に浮かび上がる表現で描いて見せました。作品の製作年も来歴も明らかでない作品ですが、ぴか一の傑作には間違いありません。

↓ギャラリーから

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↓共和国広場

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 夕食までいったん宿に戻りましたが、今日の美術行脚がハードだったのか、疲れで背中が痛くなり、痛みどめを服用。食欲もないので、油系のイタリアンはパス。当時フィレンツェにあった「竹亭」という和食屋で、同情して付き合ってくれた友人と二人で食事。お陰様で淡白な和食をいただき、なんとか痛みも治まりました。感謝です。


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1998春の旅(8)フィレンツェ~ローマ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/22(日) フィレンツェ10:55~ローマ12:55

ローマ/チェントロホテル2泊

 海外旅行で体調を崩したケースは多いのですが、このときも初めてのオペラ仲間との旅だったからでしょう。皆さんに心配おかけしてはいけないと思う気持ちもあり、心身ともに厳しいモノでした。でも、この日は昨夜の胃に優しい和食とよく眠れたこともあって、元気になれました。この朝は最終地であるローマに列車移動する前にサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の見学をしました。

↓絵葉書ですが夜のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会(ゴシック13~14世紀)

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☆サンタ・マリア・ノヴェッラ教会&緑の回廊(初)  7年前ツアーのフリータイムの時訪れたのですが、クローズされていたので、今回は楽しみでした。教会はゴシック様式のようですが、ファサードは大理石を使い半円アーチが連なった優美なもの。正面は閉ざされていますので、教会右の墓地の入り口から入ります。

↓マザッチョ「三位一体、聖母、聖ヨハネ、寄進者夫妻」1426~28頃 667×317  教会内に入ってすぐ目の前にマザッチョの代表的大作。遠近法を建築空間の再現に正確に適用した絵画史上最初の作品。

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1568年に一度塗りつぶされていて、1861年に再発見。現在の場所に戻された1952年に下部の石棺メメント・モリが発見されました。

↓ブルネッレスキ「キリストの十字架像」 主祭壇左のゴンディ家の礼拝堂に飾られています

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↓ジョヴァンニ・デッラ・ロッピア作の洗礼盤

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他にもギルランダイオの壁画連作など。教会というより美術館の趣のあるフィレンツェきっての名教会です。さらにファサードから左にある修道院の回廊(キオストロ・ヴェルデ)も見逃せません。

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↓ウッチェロ「ノアの洪水」と「ノアの泥酔」

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ウッチェロ Paolo Uccello(1397~1475)15世紀イタリアの画家。フィレンツエでモニュメンタルな壁画を製作。幾何学や遠近法を用いた空間表現に特徴があります。また写実を超えた奇想と想像力あふれる画境を開拓。ウッチェロの想像力にしばし感嘆。暗い空、溺れる人物の空間処理は驚くほどの斬新さです。戸外に面した回廊に描かれたため、風雨にさらされ傷みの激しいのがとても惜しいです。

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 そして列車で2時間のローマに向かいました。ローマのホテルはローマ歌劇場至近距離のホテルでした。

♪~ヴェルディ「ナブッコ」 16:30開演

指揮:ダニエル・オーレン 演出:ファビオ・スパルボーリ

ナブッコ:レオ・ヌッチ  イズマエーレ:ナザレノ・アンティノーリ
ザッカリア:フェルッチョ・フルラネット アビガイッレ:ゲーナ・ディミトローヴァ  フェネーナ:フランチェスカ・フランチ

せっかく朝は体調も良くなってきていたのに、ローマのホテルの部屋は暖房が効かず(私の部屋のは故障?)、オペラまで仮眠したかったのですが・・・かえって気管の弱い私は咳がひどくなって最悪でした。そのせいもあり、記憶もおぼろですし、ろくに予習もしていなくて・・・だが、オーレンの熱のこもった指揮、「金色の翼~」の合唱の素晴らしさとそのアンコールは感動的でした。オーレンはそのころ頭にユダヤの小さな黒い帽子を乗っけていました。オペラ入門したばかりで歌手の知識もなかった頃でしたが、ヌッチやF・フラリネット、ディミトローヴァと、当時の一流の歌手たちだったのですね(汗)

参考映像:ヴェルディ(1813~1901) <ナブッコ>

Nabuccoナブッコ(バビロニアの王)・・・・・・・・・・ レナート・ブルゾン(バリトン)アビガイツレ(ナブッコの娘として育てられた奴隷の娘)・・・・・・・・・ ゲーナ・デミトローヴァ(ソプラノ)ザッカーリア(ヘブライの大祭司)・・・・・・・パータ・ブルチュラーツエ(バス)イズマエーレ(イエルサルムの王の甥)・・・・ブルーノ・ベッカーリア(テノール)フェネーナ・・・・・・・・・・・・・ラフェル・ピエロッテイ(メッゾ・ソプラノ)ベルの祭司長・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ マリオ・ルベーリ(バス)アブダッロ(バビロニアの王の忠臣)・・・・・エルネスト・ガヴァツイ(テノール)アンナ(ザッカーリアの姉)・・・・・・・・・フランチェスカ・ガルビ(ソプラノ)ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団合唱指揮:ジュリオ・ベルトラ指揮:ロベルト・デ・シモーネ収録:1986年12月21日 ミラノ・スカラ座
 

 歌劇場隣のホテルだったので、私の部屋の窓から楽屋口が見えました。唯一顔を覚えたレオ・ヌッチが見えないかと、監視していたのですが無駄に終わりました。暖房故障の部屋は満室のため変えてもらえず、翌日修理をしてもらったものの、まだ寒い~。結局あきらめて。。。

 オペラのはねた後、タクシーでローマの下町の雰囲気の残るエリアで賑やかに夕食をしました。すごく流行っているお店で、パスタやいろいろなお皿を皆で取り分けていただきました。当時のヨーロッパでシェアして食事をするのはマナー違反?だったのかもしれませんが・・・。ワインも美味しく、この時の旅ではフィレンツェのビステッカとここの食事がベストでした。ワインを飲んで体も温まり、なんとか眠ることができました。


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1998春の旅(9,10,11)ローマ&帰国 [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/23(月)

 旅もこの日が最後です。朝食を済ませて、早速ローマ観光へ出かけました。主に美術館巡りですから独りでと思ったのですが、フィレンツェで和食をご一緒してもらったKさんに、同行を申し込まれ断ることはできません。二人でホテル近くのナツィオナーレ大通りからバスでヴァティカン博物館へ。

↓入口の螺旋階段で

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☆ヴァティカン博物館(2) 前回のツアーでは回れなかった絵画館に行きたかったのですが、人の流れに沿ってしまうとはずれてしまい、結局は後戻りできず・・・諦めました。まずは何度見ても感嘆!の古代彫刻の並ぶピオ・クレメンティーノ美術館へ。ウフィツィのミケランジェロ「トンド・ドーニ」を見てきたばかりでしたので、まずラオコーンの見学から~トルソやジュピター、石棺なども。

↓「ヴェルヴェデーレのアポロ」の前で

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「ラファエロの間」からシスティーナ礼拝堂の間にもいくつか見どころがあります。ツアーでは寄りませんので、今回初めて「ニコラウス礼拝堂」のフラ・アンジェリコの壁画(聖ラウランティスや聖ステパノの生涯)を観て、ボルジアの居室(生憎クローズでした)を確認できました。システィーナ礼拝堂は見物客がわんさかのうえ、以前のようにベンチに空きもありませんから立ちっぱなし・・・。システィーナの修復なった「最後の審判」と側壁及び祭壇前の15世紀末のトスカーナの画家たちによる壁画を鑑賞。なかではボッティチェリのモーゼの物語から、プルーストの「失われたとき」にでてくる美しいチッポラ(モーゼの妻)↓を近くで眺めて

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ここから近道の秘密?の階段(誰も歩いていない)を降りて、サン・ピエトロ大聖堂へ。

☆サン・ピエトロ大聖堂(2) 今回はバロック様式のベルリー二の祭壇をじっくり再見。ミケランジェロの「ピエタ」は右奥の壁際に移動して、立派なガラス張りの大理石の展示室のなかです。照明が煌々と明るすぎるほど。暗くて一生懸命目を凝らして眺めた昔の展示が懐かしくなってしまいました。教会のなかというより美術館でみているような気分で違和感。

↓堂内にて(友人のカメラの日付けが?)

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 そしてまたバスで来た時と同じルートを戻り、ナヴォーナ広場へ。広場に面したトラットリアで簡単なランチをとった後、近くのサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会へ。この教会自体は特に見所はありませんが、礼拝堂にはカラヴァッジョの重要な作品があります。がらんとした教会の奥の礼拝堂に人が固まっていて、すぐにそこが目的の礼拝堂と分かりました。堂内は暗いので、コインを入れて鑑賞します。「聖マタイと天使」「聖マタイの召命」「聖マタイの殉教」の3つの大作。特に好きなのは「聖マタイの召命」、窓からの光が斜めに射し、浮かびだされたキリストの横顔の聖なる人としての表情が素晴らしいです。この時は小銭を照明に使い果たして、自動販売機の絵葉書を買えませんでした。この後はパンテオンの広場を通過してドーリア・パンフィーリ美術館へ。途中サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会にも寄りました。

サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会の内部。途中でショッピングしたのか記憶にありませんが、ここでは絵葉書が買えました。教会は古代ローマのミネルヴァ神殿の遺構を基に築かれたそうですが、改築が重ねられ現在の教会は19世紀に改造されたもの。

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↓ミケランジェロ「あがないの主、イエス・キリスト」の彫刻。腰布がとってつけたような不自然さなので後補かも。

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↓フィリッピーノ・リッピフレスコ画「聖トマス・アクィナス」

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ここから東方向に行くとドーリア・パンフィーリ宮殿(15世紀築)です。大階段を登って美術館へ。豪壮な宮殿の一部が美術館ですが、かなり歩く範囲が広く、ハードな美術行脚になりました。そのせいか以後のローマ訪問では再訪していません。

☆ドーリア・パンフィーリ美術館 ローマの貴族パンフィーリ家のコレクションと豪華な室内装飾も見学できます。この美術館の目玉はカラヴァッジョから直接購入したという初期の傑作2点です。大事な宝ものは一番奥の部屋に展示されていますから余計に遠い~!。「エジプトへの逃避途上の休息」と「悔恨のマグダラのマリア」、画家の劇的な明暗の表現はまだ強くはないのですが、その分、穏やかで叙情性のある画面が好ましく、両方とも人気があります。

↓カラヴァッジョ「エジプトへの逃避途上の休息」 1594~96頃 135.5×166.5

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子を抱く疲れてうつむく若いマリアの表情も美しいのですが、この画面での主役は背を向けてたつ少年の奏楽の天使。父ヨゼフが神妙な面持ちで捧げ持つ楽譜には、旧約聖書『雅歌』をテクストとした曲が書かれているそうです。全体に穏やかな印象の画面のなかに一陣の風が吹き、天使の腰にまかれた白布を揺らしています。

↓カラヴァッジョ「悔恨のマグダラのマリア」1594~96頃 122.5×98.5

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まことに美しい絵画です。頬に光る涙の雫は脇に置かれたガラスの香油瓶や宝石と呼応し、色彩の上品な調和も見事。この時のカラヴァッジョはまだ20代、彼のこの後の破滅的な人生に想いをめぐらさずにはいられません。

  他はティツァーノの「ヘロデア」、ラファエッロの「二人の肖像」など。教皇も輩出した名門パンフィ-リ家の宮殿の部屋をいくつか見学。天井が高く、おびただしい数の部屋に、古く重々しい調度品が飾られています。

↓ティツィアーノ「サロメ」 1515頃

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脚も棒のようになって疲れ果て、ここからはタクシーでホテルに戻りました。休息の後ロビーで皆と待ち合わせ、旅の最後のディナーのため、ヴァチカンの近くのアトランテ・スター・ホテルへ。

↓ホテルの絵葉書です。グリーンに光る窓の左角がレストラン。サン・ピエトロ大聖堂の夜景を眺めながらの贅沢ディナーでした。

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3/24(火)ローマ7:05→アムステルダム 9:40/12:30→

3/25(水)千歳7:15

 初めて、O先生たちグループのオペラの旅に参加させていただきました。航空券、ホテル、オペラのチケット、レストランの予約などすべてお世話になりました。お陰様で趣味に徹した楽しい旅ができました。そのうえ昨年のオペラ・ツアーに比較すると半額くらいの費用でリーズナブル!でした。ありがとうございました。

帰札してからまもなく、次女も無事卒業式を終えて、引っ越し荷物と共に我が家に戻り、社会人としての第一歩を踏み出しました。(終)


 


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