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1991初夏の旅(13、14,15)ミラノ(パヴィア)&帰国 [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/25(土)

 午前中はミラノ市内のサンタ・マリア・デッラ・グラーツィエ教会の見学でした。教会の前にミラノのガイド本を売る人たちが「1000円!シェンエン!」と日本語で。

↓ サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会の全景(絵葉書)。

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↓ 教会左のベージュの建物から入ってダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を鑑賞。当時はまだ修復の最中でした(完成は1999)。不定期に閉める場合もあったので、足場がかかって少し邪魔な感じでしたが、なんとか観ることができてラッキーでした。絵葉書よりも色が褪せて見えましたが、小さな元食堂だった部屋の壁一面に描かれた大作(420×910)です。この後何度かミラノには行きましたが、予約制になったこともあり再訪していません。

 

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 そして、ミラノからパヴィアの修道院へ移動。La Certosa di Paviaはパヴィアの街からは8Kほど北にあります。ロマネスク様式のシトー派の後に起こったカルトゥジオ会の修道院として14世紀に創立されました。修道士の生活する個室が機能的に配置され、瞑想と静寂の中で祈りに没頭できる環境になっています。シトー派の修道士たちが大部屋で寝起きを共にしていたとは異なっています。

↓ キオストロ・グランデ(大回廊)を取り囲むように修道士たちの個室が並んでいます。

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↓ こちらはキオストロ・ピッコロと呼ばれる小さな回廊です。

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↓ 絵葉書

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↓ 修道院教会前で。右の建物にショップがあり、修道士さんたちが作ったチョコレートを売っていましたので、お土産に購入。

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↓ このとき頂いたパンフレット。教会内部にはLudovico il MoroとBeatrice d'Esteのお墓やベルゴニョーネやペルジーノなどの壁画があります。

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 午後はミラノに戻り自由行動になりました。ブレラ美術館は修復中でかなりの展示室が閉まっているというので、諦めてドゥオーモの屋上に登ったり↓、ショッピングしたりして過ごしました。ブレラ美術館はまたの機会に・・・いつのまにか必ずミラノはイタリアは再訪するつもりになっていました。

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 旅の最後の晩餐はGIANNINOで。今はどうかわかりませんが、当時はミラノの一流レストランでした。

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5/26(日)ミラノ→5/27(月)成田→札幌

 留守宅には夫と娘たち(19歳と15歳)、それに愛犬ちょび(ハスキー)が首を長くして?待っていました。隣家には夫の両親もまだ健在だったころです。旅はもちろんですがあのころの家族もまた懐かしいです。。。遠い目。

 

 

 

 

 

 

 


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