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1998秋の旅(1)札幌~パリ [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/14(水) 千歳→アムステルダム→パリ

パリ/ル・メリディアン・パリ・エトワール1泊

 地元のカルチャー教室で美術史の講座(主にキリスト教美術)を受けるようになってから、数年経ちました。同時にヨーロッパを何度か巡っているうちに、いつからとはなく中世美術の特にロマネスク期の美術に魅かれるようになっていました。そのころ目に留まったのがW社のツアー「フランス中部ロマネスク探訪の旅」です。早速申込み、ついでに帰途はパリに寄り道してオペラを観ることにして、W社には現地発着ツアーとしてもらいました。往復はそのころKLMの直行便のあったアムス経由のパリ便とパリでの2泊のホテル、バスチーユオペラのチケットもG社で手配できました。始めは一人参加で申込みしたのですが、春のイタリアオペラツアーでもご一緒したKさんも参加されることになりました(ホテルはそれぞれ別の部屋)。

スケジュールはパリ(1)~ポワチエ(1)~ペリグー(2)~トゥルーズ(2)~アルビ(2)~ル・ピュイ(1)~クレモンフェラン(2)~パリ(2)の13泊15日です。

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 アムステルダム経由でパリに到着。タクシーで凱旋門近くのホテルへ。私たちより先に到着しているはずのツアーの方々は飛行機が遅れてまだでした。チェックインの時、W社のツアーと一緒ですと言ったのですが、通じなくて慌てました。添乗員さんも私たちが後なので、自分たちがチェックインするときに札幌組の2人のことを説明しようと思っていたのでしょう。個人名での予約ではないとはいえ、「あなたたちの名前で予約はない」の一点張り。大型のホテルはこれだから困ります。以後現地参加ツアーにするときは必ず旅行会社からもらった説明書を携帯することにしています。ツアーの予約も日本の旅行代理店の名前でなく、現地の手配会社の名前で予約している場合が多いのです。ようやく部屋に入り、個人では滅多に泊まることのない5☆のパリのホテル、部屋はさすがに広々。添乗員さんも挨拶に見えて、いよいよ明日からフランスの地方(初めて!)を巡る旅が始まります。


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1998秋の旅(2)パリ~ポワチエ [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/15(木)パリ→オルレアン→サン・サヴァン・シュル・ガルタンプ→ポワチエ

ポワチエ/ロイヤルポワトー・デェ・フランス 1泊

 せっかくのパリの高級ホテル滞在でしたが、ホントに泊まるだけ。朝食後はあわただしく8時にバスで出発しました。4年ぶりのパリの街並みを眺めながら、バスは南下してオルレアンの街に入りました。オルレアンはジャンヌダルクゆかりの地です。サント・クロア大聖堂やマルトロア広場にも彼女の銅像が立っています。

↓大聖堂内のジャンヌ・ダルク像。崇拝の対象となった「オルレアンの乙女」です。

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↓大聖堂の正面(絵葉書)

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大聖堂の隣にはオルレアン美術館があり、わずかなフリーの時間を利用して入館。思いがけずベラスケスの「聖トマス」を観ることができました。
 聖トマスを題材にした絵画彫刻などはほとんどがイエスの傷口を触って確かめる疑り深さまるだしのトマスなのですが、このオルレアンのは思慮深さのみられるトマスの肖像画です。帰国後、何年か経過してからですが、思いがけずこの作品についての記述に触れた評論を読むことができました。
それによると長い間ムリリョの作品として知られていたとか・・・。(ロベルト・ロンギ「芸術論叢」)ロンギの論文「カラヴァッジョとベラスケス、あるいはイタリアス-ペインの関係」(1927)でこの聖トマスを取り上げています。

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↓大聖堂の前はオテル・グロロ(市庁舎)ですが内部の見学は無し。

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あいにく時々小雨の降る天候でしたが、ジャンヌ・ダルクの面影の残る街を散策。

↓オテル・グロロの裏通り

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↓マルトロア広場。木組みの家がジャンヌ・ダルクの記念館になっています。

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このとき広場で大勢の高校生がデモをしていました。後程知ったのですが、このリセのデモはフランス全土に広がって、50万人が参加したという大規模なものでした。教育現場の改善を要求してのデモとのことでしたが、受験戦争の激しい日本より恵まれているのに・・・日本の高校生が大人し過ぎなのかも。

ランチはオルレアンの街はずれのレストランLa Vieille Aubergeにて。メニューはカニ風味の前菜、仔牛のロースト、サラダ、アイスクリーム。隣席にバスのドライバーさんが座ったので、ほんの片言のフランス語でお話し。アルジェリアから移住された40代くらいの男性で、生粋のフランス人でないので、ひどいフランス語でも気楽でした。そのうえ上手だとか言って褒めてもらったり・・・ふふふ。シニアの多いツアーなので、あまり歩かないようにバスをギリギリまで、しかも道に迷わずに駐車してくれたり、とにかく真面目で優秀な運転手さんでした。

 オルレアンからサン・サヴァン・シュル・ガルタンプまで、200K以上は走りようやく到着。

↓ガルタンプ川にかかる石橋

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↓川向こうに見えたサン・サヴァン教会

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ツアーのバスはガルタンプ川の手前で止まり、橋を渡って村に入りました。右にはサン・サヴァン教会の研究でここの壁画を世界に知らしめた吉川逸治先生の逗留されたホテル(現在は廃業)が見えました。

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左の小道を行くと教会の前の広場はすぐ近く。すれ違う村の人たちはニコニコ笑顔で迎えてくれました。

☆サン・サヴァン教会Eglise Abbatiale St-Savin
カロリング朝の9世紀からという古い歴史があるももの、その後ノルマンの破壊を受けたこともあり、17世紀まで改築を重ねられて様式は複雑になっています。
教会の建物は黄みがかった灰色の石造り、高い尖塔も重厚な雰囲気です。私にとっては初めて訪れたロマネスク教会でした。予想していたシンプルで楚々とした教会ではなく威厳のある感じでちょっぴりがっかりでしたが、ここはなんといっても壁画で有名なので、期待に胸膨らませ内部へ。
雨は止みましたがどんよりとした曇りの天気で、堂内も薄暗く、高い天井の壁画はますます見え難い状態、双眼鏡やオペラグラスも持っていなかったので途中でギブアップ。また、全部を鑑賞する充分な時間もないのはスケジュールに追われるツアーの宿命。仕方ありません。

↓9つの梁間を持つ長い身廊(絵葉書)

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↓旧約聖書の主題からの半円ヴォールトの天井に描かれた壁画

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↓上の写真では中央部分の「ノアの方舟」(絵葉書)のドラマティックな描写に目を奪われました。ロマネスクの彫刻や壁画では「新約」より「旧約」の場面が多いように思います。旧約に疎い私にはこの時は解説なしには半分も読み取ることはできませんでした。

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↓同じく身廊天井の「エノクの昇天」(絵葉書)

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↓トリビューン(上階廊)に描かれた「十字架降下」(絵葉書)

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クリプトやトリビューンも見学不可ですし、特に「ヨハネの黙示録」をテーマの玄関廊は難解さもあり、ほとんど観てないのも同然でした。↓は再訪を期して古本屋さんから購入した吉川先生の著書です。

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私のようなロマネスク初心者にはサン・サヴァン教会は勿体なかったなというのが本音でした。バスはポワティエへの途中、ショーヴィニーを眺望するビューポイントで写真ストップ。時間がなかったらしく、ショーヴィニーのサン・ピエール教会には寄りませんでした。ここもポワトゥ・ロマネスク巡りには欠かせない重要な教会ですから、友人のKさんも納得できない様子でしたが、仕方ありません。

↓ショーヴィニー遠望

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 秋の日は暮れるのも早く、夕方6時頃ポワティエ郊外のホテルに入りました。夕食はホテル内のレストランで。鶏レバーのゼリー寄せ、白身魚に野菜、チーズ、ミルクライスプディングでした。

↓ホテルの部屋

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1998秋の旅(3)ポワティエ~ペリグー [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/16(金)ポワティエ→ペリグー

ペリグー/シャトー・ド・レイナ2泊

 ツアーの参加者は15名でしたが、そのうち北海道からが5名、私と友人のKさんのほかに3名(札幌在住)。いつもは多い東京組は5名、その他の大阪、福岡など5名の構成でした。平均年齢の高いのがW社のツアーですから、当時55歳だった私は「若い~!」とか言われていい気分(笑)

さて、この日はポワティエの市内観光です。ポワティエはフランスの古都といわれ、ポワトゥー・ロマネスクの名教会が数多く残っている憧れの地です。

☆ノートル・ダム・ラ・グランド教会Ancienne Collegiale Notre-Dame le Grande

 ポワトゥー地方に点在するロマネスク教会の中でも白眉と言える教会の華麗なファサードの前に、言葉を失いました。左右の円塔に守られたかのような正面の壁面に大きく3段に分かれ埋め尽くされた浮彫の物語や人物像。丁度ファサード左側を洗浄中でした。レザ-光線で汚れを落としているとのことでしたが、洗浄の前と後では白と黒ほどに違っていて、ピカピカよりも多少は自然な汚れがついているほうが古色の趣がありますが。でも以前は多分手作業の洗浄だったのでしょうから、比べると細かいところも綺麗になってパーフェクトなのでしょうね。
↓上段の壁面
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中央扉口
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↓上の写真の扉口上部左に不思議な浮彫が見えました(下の絵葉書では受胎告知の右)
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  不思議な木の枝の帽子を被っている男です。これは「エッサイの木」をこのスペースにはめるため、また典礼劇では実際にこの姿で登場したと思われる・・・他には無い独創性がここの魅力です。キリストの家系図としての「エッサイの木」は一般的には人物の身体から木が生えるスタイルなのです。エミール・マールによると典礼劇から彫刻家がヒントを得たとされるここの彫刻群。教会の典礼劇が次第に外の世界に放たれ、演劇としての発展を見ることになるのでしょう。
↓「キリストの降誕」(絵葉書)
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↓内部は色彩豊かな柱が並ぶ三廊式(絵葉書)
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↓教会の横の広場で
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そして、同じく洗浄中のゴシックのサン・ピェール大聖堂。洗浄前後の違いがよくわかります。ここは内部に入らず
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すぐ近くのサン・ジャン洗礼堂へ。
☆サン・ジャン洗礼堂Baptistère Saint-Jean
フランスで最古の洗礼堂は4世紀に古代ローマの建築物を再利用して建てられました。扉口から階段を数段降りるとナルテックス(10世紀)。左右に半円形の祭室のある中央部分に8角形の埋め込み洗礼盤(というより漕/プール)が設けられています。初期キリスト教時代は全身沐浴方式の洗礼を行っていたのです。内部はカメラ禁止。
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内陣への壁に12世紀から14世紀に描かれたというフレスコ画。そのなかで忘れられないのは下の飛翔する天使。ロマネスク期特有の黄土色も鮮やかですし、オリエンタルな影響もうかがえます。日本の奈良時代の飛天やシリアのパルミラ博物館で観た浮き彫りの天使など。遥かなるシルクロードが目に浮かびます。 教会建築の中でもロマネスクやより古い聖堂に興味を惹かれるのようになった原点ともいえるサン・ジャン聖堂でした。
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↓外観(絵葉書)
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 そして旧市街をかなり歩いて聖イレーヌの墓のあるサン・ティレール・ル・グラン教会へ。
☆サン・ティレール・ル・グラン教会église Saint-Hilaire

どういう訳かこの教会の印象ははなはだ薄く、写真も残っていません。この教会は聖イレール(4世紀の司教)の墓の上に建てられ、そのため内陣は2メートルほど上がっています。ファサードも特徴はありませんし、内部も5廊式で何となく取り留めのない空間でした。現在の教会がほぼ完成したのは1049年。オリジナルの周歩廊の内陣の規模は大きく、巡礼教会として繁栄した当時を想像させます。手元に残るのはたった一枚の絵葉書。

↓動物と男(11世紀)の柱頭彫刻

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 ランチはティレール教会の近くのレストランその名もSAINT HILAIREにて。元修道院だったという地下でいただいたのは魚のスープ、豚肉のソテー、ヌガーのアイスクリームでした。↓レストランの絵葉書

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旧市街の裁判所も見学しました。↓裁判所を背景にここにもジャンヌ・ダルクの像。裁判所は元ポワトゥー伯のアキテーヌ宮殿だったところ。

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↓裁判所はゴシック後期フアンボア様式

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ここでジャンヌ・ダルクの審問があり、映画「ジャンヌ・ダルク」(リュック・ベンソン)のあの処女かどうかを調べるシーンを思い出しました。実際ここでロケしたのかは不明ですが。日本で公開されたのは英語版だったので違和感がありました。英仏合作で1999年公開。

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 ポワティエからペリグーまで3時間ほど。バスは南へひた走りペリグーの街へ。ペリグー大聖堂を見学してから、少し付近を散歩

☆サン・フロン大聖堂Cathedrale Sant-front

一見するとパリのサクレ・クール寺院のようなクーポラが目に入り、ロマネスク教会としては違和感があります。かといってビザンティンの古風さからも遠く、まあはっきりいって気にいらなかったわけです。帰国後調べたところでは19世紀に建築家のポール・アバティによってドームの崩壊の危険があり、改修されました。しかし、問題はドームの強度を強めるだけではなく、他の部分も手を加えたため、過度の修復と現在の評価は高くありません。ロマネスク期にビザンティン様式を取り入れて建てられた由緒あるペリゴール地方の大教会です。写真もありませんのでGoogleから拝借します。1998ペリグー.jpg

↓街のお菓子屋さんのショーウィンドウにはペリグーの名産栗のチョコやケーキなど。

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そして今夜の宿のシャトゥホテルへ。シャトゥ・ホテルは初めてで、大層楽しみでしたが、実際宿泊したのはシャトゥと同じ敷地に建つ別棟・・・。シャトゥはスイート・ルームなどデラックスなお部屋とレストランだけのようでした。

↓ シャトウ・ホテルで

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夕食はホテルのレストランで。サーモンのマリネ、魚のパイ包み、チョコレートケーキでした。ワインももちろん戴いてほろ酔い・・・ペリグーは連泊なのでゆったり気分でした。


 


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1998秋の旅(4)ペリグー(ラスコーⅡ&ロカマドール) [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/17(土)

 今日はファゴラとトリュフの産地として有名なペリゴール地方のの観光です。朝食のため別館の宿泊棟からシャトウの朝食室へ。霧が立ち込めて、まだすっかり夜は明けていません。敷地にカタクリに似た花が群生しています。日本では春に咲きますが、フランスでは秋に咲くのかしら?

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 さて、バスでモンティニャックの町に入り、添乗員さんが(i)でラスコーの洞窟の入場券を購入。9時オープンの一番乗りでラスコーⅡの見学をしました。現地ガイドさんは日本語は話せませんので、英語を添乗員さんが要約して説明してくれます。旧石器時代の洞窟壁画は土地の少年たちによって1940年に偶然発見されました。岩壁に描かれた多彩画の保存状態は良好で大小の動物や人間などが生き生きと描かれています。ただ人々の吐く二酸化炭素で劣化が進み閉鎖。ラスコーⅡはそのオリジナルに忠実に再現されて、1983年から観光客に公開されています。使われた木炭の年代の測定では紀元前15516プラスマイナス900年というのですから、気の遠くなるほどの大昔から続く人間の歴史、力強く生きてきた証しのようなもの。思いかけず(笑)感動しました。多分狩猟の収穫を祈って描かれたものなのでしょう。↓絵葉書とチケットです。

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この近辺はラスコーの洞窟を観た目で観察すると、居心地良さそうな?洞窟らしき岩場があちこちに見られます。フランス国内でもナチュラルな景観が残るドルドーニュ川とその渓谷の美しさに溜息でした。時は秋、山深くなるにつれて木々も色付きを増してきます。

 さて、次はラスコーから西のロカマドゥールへ。キリスト教の巡礼聖地として栄えてきた、フランスでも有数の観光地です。眺めの良い上の町からの景観を楽しみ、ランチはHostellere Bellevueにて済ませました。昼食はトマトスープとローカルフードのカスレと呼ばれる肉類と白いんげん豆の煮込み、アイスクリームでした。↓カスレ(絵葉書)はこってり濃厚な味ですが、お天気もあまり良くなく寒い日でしたので、あつあつを美味しくいただきました。

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↓上の町からの素晴らしい眺め

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↓こちらは絵葉書

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そして、バスに乗って下の町へ。ゲートPorte du Figuler(13世紀)からは徒歩で土産物屋の並ぶ狭い通り、途中からエレベーターに乗って崖の上の聖地に到達。↓

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ここからは階段でロカマドゥールのサン・ミッシェル礼拝堂とサン・ソヴェール教会の見学をしました。

☆サン・ミッシェル礼拝堂とサン・ソヴェール教会(ロカマドゥール)Chapelle St-Michel&Basillque St-Sauveur(Rocamadour)

崖の岩山に向かって左がロマネスク様式のサン・ミッシェル礼拝堂。外壁にフレスコ画が描かれています。

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内部は見学しませんでした。右のサン・ソヴェール教会(11~13世紀)に入ります。↓扉口はゴシック

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内部は三廊式ですが19世紀には上階が加えられ、大きな巡礼教会にふさわしい改築がなされたようです。見物客も多く、良く見ないまま大聖堂(15世紀)へ。そのせいかこの2つの教会の位置関係がよくわかりません。建立当時はフランボイヤン様式でしたが、宗教戦争とフランス革命により荒廃し、19世紀になって再建されました。ここの有名な黒い聖母(12世紀)を拝見。堂内は暗いうえ、祭壇が遠いので絵葉書を購入しました。全身は黒く見えますが、元は銀でペインティングされた木の彫刻でした。蝋燭の煙などで煤け黒くなったと思われます。

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いつもは信者でもないので聖像を拝むことはないのですが、ここでは自然に手があわさりました。それほどこの黒い聖母子はオーラが漂っています。暗く古い堂内に鎮座する黒い聖母子の姿は理屈抜きに、神聖な存在感がありました。この後、オーヴェルニュ地方でいくつかの黒い聖母の彫刻を観ることができたました。「黒い聖母」にまつわる話については後程アップさせていただきます。

聖アマドゥールが隠棲したことで、この地に教会が建てられたものの、時の流れと共にあまりにも荒らされることの多かったロカマドゥール。聖アマドゥールにちなむものは何も残されていません。伝説では聖アマドゥールの手になると言われているかって銀箔に覆われていた聖母子像だけが巡礼聖地のシンボルと言えるでしょう。

↓下の街並み&帰途はお土産屋さんでショッピング。黒トリュフの瓶詰など購入。

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 ペリグーに戻りましたが、かなり長いドライブでした。地図で確かめましたが100K以上はあります。夕食は昨夜と同じホテルのレストランで。鴨のフォアグラ、魚のオーブン焼きリゾット添え、鴨料理、ペリゴール風アップルパイ。ペリゴール名物のフォアゴラでしたが、あまり美味しくなかったです。ここでアクシデントがありました。ドライブで食事に立ち寄ったという日本人の若いご夫婦が近くで食事していたのですが、奥さんが気分が悪くなって倒れてしまったのです。ホテルのマダムが大慌てで日本語が分からないからと助けを求めてきました。添乗員さんが駆けつけてお世話して、まもなく回復。疲労が原因だったのでしょうね。私も疲れが出るころです。気をつけなくちゃ~。

↓部屋に戻り早めに就寝

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1998秋の旅(5)ペリグー~トゥールーズ [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/18(日)ペリグー→サルラ→カオール→トゥールーズ

トゥールーズ/ホリディ・イン・クラウンプラザ2泊

 2泊したシャトゥホテルを8時に出発して、サルラ=ラ=カネダへ。略してサルラにはロマネスクの教会はありませんが中世の城壁がほぼ完全な姿で残る美しい町です。旧市街に残る中世の街並みを散策しました。ドルドーニュ地方ではミシュランのグリーンガイドでもロカマドゥールと同等の3☆のおすすめマークがついています。

カロリング朝からの歴史の残るサルラは13世紀から14世紀の初めにはローマ教皇直接支配の司教座都市となり、黄金時代を迎えました。18世紀のフランス革命で司教座消滅になり、その優位さを保てなくなってからは衰退しましたが、1962年のフランスの景観保護政策の第一号となり、中世の街並を保存復元。現在も変わらない姿で観ることができます。旧市街は城壁の門からほぼ数百メートルで通過できる小さなエリアですが、迷路のような狭い通りも多く、どこをどう歩いたのか・・・。

↓16世紀のメゾン(Maison de la Boétie)イタリア・ルネッサンス様式

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↓店の軒先の吊り下げ看板がさまざまで面白い。サラマンダー(火蜥蜴)は薬屋さんの看板だったかしら?

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↓12世紀末の「死者の塔Lanterne des Morts」の近くで

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↓サルラの最も美しいエリアで。

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他はサン・サセルド教会やペニタン・ブルー礼拝堂も見学しました。

↓サルラはフォワゴラの名産地なので広場には鵞鳥さんたちの銅像

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ワインで有名なベルジュラックにも近いので酒屋さんも多いサルラです。重いのを覚悟で白1本購入。そしてまたバスに乗って南下60Kほどのカオールへ。

 カオールはU字形に湾曲したロット川に囲まれた、ケルトからの古い歴史のある街です。サン・ティアゴ巡礼のロマネスクの教会や中世の石橋のあることでも観光名所になっています。

↓ロット川左岸にかかるヴァラントレ橋(14世紀)

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ランチはサン・テティエンヌ大聖堂の近くのレストランLa Taverneで。ミックスサラダ、チキンのカレー風味、フルーツサラダでした。カオール産の赤ワインのヴァン・ノワールは有名だとのことで、グラスで1杯賞味。コクがあって、なかなか美味。昼間からほろ酔い気分で、教会の見学ということになってしまいました(汗)。

☆サンテティエンヌ大聖堂Cathédrale St-étienne 創建は1100年頃で、ル・ピュイから始まる巡礼路の道筋にあります。14世紀には西の正面が増改築されたものの、オリジナルのロマネスクもまだ多く残っています。

↓南からの外観/2つのドームがビザンティン的でオリエンタルな印象。フランス南西部アキテーヌ地方にはドームを架けた教会堂がいくつか残っています。

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↓内部/単廊式、写真も少なく内部はあまり憶えていませんが、側廊を持たず、身廊のドーム天井が特徴です。

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 ↓ここで見るべきロマネスクは北側扉口のタンパンの「キリストの昇天」。マンドラのキリスト、それを支える天使たち。下から見上げる驚く聖母や聖人達は動きのあるダイナミックな彫刻。美術史家のエミール・マールによるとシリア型(ラブラ写本)の「昇天」図とのこと。そして奥行きのある扉口の側柱と側柱の間にびっちり彫られたロゼッタ花模様がオリエンタルな美しさを見せています。

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 カオールからさらに南下して100Kほど走り、ラングドック地方の大都市でありバラ色の煉瓦の街トゥールーズへ。トゥールーズの宿は街の中心キャピトール広場のすぐ近くに建つ4☆のホテル。

↓部屋も広く、もちろんバスタブ完備

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夕食はホテルのレストランで。前菜、ローストビーフ、アップルパイ、赤ワイン、コーヒーのメニューでした。この旅はバスの移動がかなり長く、今日も200K以上は走り、疲れました。



 


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1998秋の旅(6)トゥールーズ(モワサック&ミディ運河クルーズ) [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/19(月)

 雨のそぼ降るオルレアンから始まった旅も今日で6日目です。オルレアン以後は天候に恵まれ、この日も青空の広がる秋らしい爽やかさでした。朝食後、トゥールーズから北西へほぼ70Kのモワサックへ。ガロンヌ川を渡り、サン・ピエール修道院付属教会に到着。ここは今回の旅でもハイライトのひとつ、ロマネスク初心者の私でもわくわくするような憧れの教会です。教会の西側に(i)があり、その横から聖堂北側の回廊に入りました。

☆サン・ピエール修道院付属教会Ancienne Abbatiale St-Pierre

 起源は古い(伝説では6世紀とも言われる)のですが、現在のものは1180年の奉献(ただし身廊西部の4柱間のみが現存)。7~8世紀のイスラムの侵略や9世紀のノルマン人来襲などで荒廃した教会は11世紀になってから教会の再建にかかり、聖堂西側の鐘塔つきナルテックスは1120~25のもので、扉口は12世紀末に南側に移されています。「カタリ派」の撲滅に力を貸して地盤を強固にしたものの、百年戦争やフランス革命で被害を受け、回廊も売られたのですが、国に買い取られ管理されています。

回廊は76のアーケードを方形に並べ、大理石の単柱と双柱を交互に配し、旧約や新約聖書からの説話場面、動植物(幻想的なものも多い)などの柱頭彫刻が素晴らしい。

↓回廊中庭に杉の大木

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↓柱頭彫刻 クリスマの実物は初めて

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↓「獅子の穴のダニエル」

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 素晴らしいと見とれていて、いつのまにかツアーの人たちが居なくなっていてびっくり!「皆さんは何処へ~」。回廊からは直接教会に通じて無いので、あたふた・・・ご用心。

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やっとこ追い付いて教会へ。ここは内部よりもファサードに多数の興味深い浮き彫りがあります。↓中央柱の予言者エルミアが思慮深い横顔を見せて、長身のボディをちょっとひねり気味に立っています。古代ローマのヘレニズムからより一層自由に精神性を深めた表現にうっとり。。。

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↓壮麗な「黙示録」のタンパンはベアトゥス写本から

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 ↓入り口左側面に「アブラハムの懐」の浮き彫り(絵葉書参照)があり、その時は意味がわからず、帰ってきてから確かめたところ、ルカの福音書の金持ちと貧しいラザロの話に由来した図像と判明。このテーマはロマネスク独自のものなのかは不明だが、最近訪れた伊のオトラントのモザイク(12世紀)やアルルのサン・トロフィーム教会のファサードにもあったと記憶しています。

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↓上の対面の右側壁には「エジプトへの逃避」など。

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他には淫乱(これはすさまじい)やお金への執着を戒める浮き彫りが強いインパクトで迫ってきます。石に刻まれた詩とうたわれたここの彫刻群を鑑賞するにはとても時間が足りませんでした。再訪を願いつつ、またバスに乗りガロンヌ川の船着き場へ。ここからミディ運河のランチクルーズになりました。ケターリングの人たちが遅れ、すでに調理したものを船に運んできてテーブルセットして、ようやく出航。メニューはミックスサラダ、サーモンのマヨネーズ添え、ローストポーク、チーズ、ノルウェイ風オムレツのデザート、ワイン、コーヒーでした。

↓いくつもの水門を通過しました。係員さんが水門を開けて、次の水門まで自転車で走ったり、大掛かりな機関車を使ったものまで、いろいろ。

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↓絵葉書です

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昼食の時間も含めてかなり長い時を船で過ごしましたので、美しい川辺の風景にもやや飽きてきました。添乗員さんに明日の予定を尋ねたところ、トゥールーズの教会などは行くのですが、オーギュスタン美術館は入館しないとのこと・・・それは困ります。友人と私だけでなく何人かが、ここを早く切り上げて美術館に行きたいと駄々コネ(笑)。幸いベテランの添乗員さんはこの美術館の価値を良くご存知で、早めに下船してすべりこみで入館できました。ホテルからも徒歩10分くらい。

☆オーギュスタン美術館 

 ↓建物は以前の修道院時代のように、中庭にはハーブなどの植物が手入れ良く植えられています。

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ロマネスク美術に興味を持ち始めたころでしたが、ロマネスク彫刻の傑作がこれほど一堂に観られる美術館はそうありません。何度か訪れたルーブルの中世彫刻の部門でさえ、ここよりは質量ともに見劣りします。そして他の大抵は稚拙な素朴さのあるものと違い、華やかな雰囲気がただよっています。
 ↓ 足を交差させて獅子と羊をペットのように抱き、踊る乙女たち。

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他にも義理の娘サロメの頬に手をあて言い寄る?ヘロデとの場面の彫刻、キリストの捕縛など。変わった主題ではエジプトのマリアなど・・・閉館まで時間が迫っていたのでやや物足りない思いでした。ぜひとも再訪したい美術館のひとつです。追記:2011夏再訪(モワサックも)

夕食はホテルのレストランで。ポテトのパイ包み、鴨の茸ソース、フローティングアイランドというデザート、ビール、コーヒー。昨日と同じレストランなので、フリーで他へ行かれた方も何人か…友人と、パリで美味しいもの食べようねと我慢しました。



 


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1998秋の旅(7)トゥールーズ~アルビ [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/20(火)

アルビ/ホテル・サン・アントワーヌ2泊

 トゥールーズはサンティアゴ巡礼路のなかでも美しい大教会の建つ古都です。朝食後は街の中心にあるカピトール広場へ。といってもホテルの玄関を出るとすぐ右がその広場です。朝夕のお散歩も楽しめた最高のロケーションでした。トゥールーズはこの1998年の夏にサッカーのワールドカップが開催され、日本人の応援団の行儀の良さ(ゴミもすべて持ち帰る)を絶賛されていたとかで、街の人たちの好意の目が注がれていると解釈して、勝手にいい気分(笑)

広場に面して堂々と建つ18世紀建立の市庁舎を見学。確か大広間にあったと記憶していますが、カタリ派の処刑図が・・・。トゥールーズは古くからユダヤもイスラムもカタリ派もローマカトリックも共存していた自由で文化的な街だったのですが、トゥールーズ伯にも保護されていたカタリ派が異端とされ、12世紀初めに結成されたアルビジョア十字軍によって攻められ陥落。今まで独立していたトゥールーズも王権の傘下に入ることになったのです。そういう歴史をガイドさんの案内で聴きながら、宗教上の非寛容の問題だけでなく、政治的(領土獲得)な野望が絡むと、これほどまでに人間は残酷になるのかと背筋が寒くなりました。

↓市庁舎の2階から眺めた広場にはまたもや高校生のデモが・・・解散した後通りがかりましたが、空き瓶などゴミの山でした。

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↓市庁舎の前で

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↓トゥールーズの街を歩いて、徒歩数分のサン・セルナン教会へ。

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☆サン・セルナン教会 Abbatiale de St-Sernin  ラングドック地方の中心トゥールーズはフランスからピレネーを越えてサン・ティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の最後の中継地。初代司教聖セルナンに捧げられた聖堂です。3世紀の聖セルナンについては色々な伝説がありますが、ローマの神々への偶像崇拝を拒否して殉教し、トゥールーズの守護聖人になったそうです。(図像では荒々しい牡牛が持物)

現在の教会は1060頃に起工された煉瓦造り、5廊式の長さ115m幅64mのロマネスク様式の大教会。巡礼地に建つ他の教会に大きな影響を与えました。

↓青空に赤レンガが美しい後陣外観/私のカメラではこれが限界

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↓こちらは絵葉書です/内陣の周歩廊と放射線状の祭室、トランセプトに袖廊、すくっと伸びた多層の鐘塔と躍動感のある姿はパーフェクト!

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内部の写真はほとんど失敗したのか?カメラ禁止だったのか?残っていません。11世紀の白大理石の祭壇は間近で見れるようになっていて、触ることもできましたが、その奥につながる周歩廊はこの時見学不可・・・残念。

↓南扉口(ミェジュヴィル扉口)

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↓タンパンには最古の昇天図といわれる「キリストの昇天」、それに両脇の柱に彫られていて、下から見上げると不思議なことに長い衣の聖ペテロやヤコブの姿が仏像のように見えました。
オリエントのほかに古代ローマ、スペインの影響もみえる重層的な大規模の教会とのことだが、聖セルナンにまつわる彫刻も現存せず、いささか物足りない思いも・・・。

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↓ここからジャコバン修道院聖堂(13世紀末)へ。

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↓ゴシックの華やかな天井

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↓2廊式の堂内

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 ランチはガロンヌ川の畔のLe Brasserie des Beaux Artsにて。クラッシクな内装の素敵なレストラン。特別に生牡蠣を注文できるというので、白ワインと共にいただきました。フランスの生牡蠣初体験だったので、もう感激的な旨さ!他のメニューはビーフ・コンソメ、鶏の薄切りステーキ、アイスクリーム、コーヒー。

 これでトゥールーズの観光も終了。バスは約2時間走って、アルビへ。ホテルは旧市街から1本道路を渡った静かなエリアにあります。夕食まで2~3時間フリータイムでしたが、疲労感があり、大事をとってベットで横になっていました。

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 そして元気になって夕食へ。ホテルのレストランでは暮れゆく庭を眺めながら、雰囲気もお味も良かったです。メニューは野菜スープ、ポロ葱入りフランドル風タルト、鱒のフィレ、サラダ、林檎のタルト、白ワイン、コーヒーでした。


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1998秋の旅(8)アルビ(コルド) [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/21(水)

 今日は午前中はアルビの観光。旧市街のカテドラルとロートレック美術館を見学しました。徒歩で十分回れる範囲に中世の街並み。狭い路地沿いにレンガや木組みの家が連なっています。アルビと言えばアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの故郷、それに12世紀から広まり悲劇的に終焉したカタリ派ゆかりの地として知られています。

↓旧市街に残る館(メゾン・レイネ)16世紀/塔は14世紀。アルビが染料で隆盛した時期に建てられた豪商の邸宅(ルネッサンス様式)

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↓旧市街で。

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↓サラマンダーの看板の薬屋

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☆サント・セシル大聖堂CATHEDRALE STE-CECILE   アルビジョア十字軍の弾圧の後、王権の傘下に入ったアルビは、カトリックの支配による司教都市になりました。そのカトリックの威光を示すための大聖堂の建設は1282年に始まり、完成は1480年。まるで城砦のように見える巨大な教会にたじろぎました。ファサードも救いを求める信者を迎えるというイメージはなく・・・。

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内部はさすがに豪華。大聖堂の名前の聖セシルはサント・セシリア(チェチーリア)のこと。ハープを手に音楽を奏でる聖女にはまったくこの威容には似つかわしくないですが、さすが立派なパイプオルガン!

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↓ 聖堂内の礼拝堂だったと記憶していますが、聖セシリアと「受胎告知」の美しく見事なゴシック彫刻(絵葉書)。

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↓ロートレック美術館のエリア

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☆トゥールーズ・ロートレック美術館MUSEE TOULOUSE-LAUTREC  

大聖堂の近くの旧司教館の一部が美術館になっています。トゥルーズ・ロートレック(1864~1901)の初期の作品をはじめ多数の傑作が時代を追って展示されています。ロートレックはアルビの南にあるロートレック村(フランスの最も美しい村にも選ばれた)も所有するアルビの由緒ある貴族として生まれながら、幼少の頃の事故が元で下半身の成長がとまる不幸にあいます。故郷を離れ、パリの下町で画業に打ち込む日々・・鋭い人間観察の名画の数々が生まれました。「人間は醜い。けれど人生は美しい」という彼の言葉が作品の前に立つと想いおこされます。ロートレックは37歳という若さでマルメロの城館で亡くなりました。母親が残された作品をアルビ美術館に寄付、1922年に司教館を改装してオープン

↓美術館入口に犬が繋がれていました。近づくとブルブル震えて…日本のおばさん怖い?

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↓「ロートレック伯爵夫人」(母の肖像1881)41×32.5

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↓「帽子屋の女」(1900)61×49.3

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↓ムーラン街のサロンにて (1894)111.5×132.5

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特に上記の3点は今でも目に浮かびます。奥の展示室はバルコニーがあり、庭園と町の中央
を流れるタルン河の眺めも素晴らしいです。

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↓ロートレックが生まれた家

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↓ランチはこの近くのレストランLe Vieil Albyにて。魚のムスリーヌ、ローストビーフ、クリームブリュレ、赤ワイン、コーヒーを美味しくいただきました。

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 午後からはアルビから北西に2拾数キロの城郭都市コルド=シュル=シェール(天空のコルド)へ。

↓バスの車窓から

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↓正面にコルドが見えてきましたので、写真ストップ。1222年に造られたアルビジョワ派の要塞の白眉、コルド・シュル・シエルには、画家や彫刻家、陶工、弦楽器職人などの多くの職人が住んでいます。

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↓絵葉書です

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↓西側の門を抜けて街の中央の通りを散策。紅く色づいた蔦が古い建物に絡まり、綺麗でした。

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コルドにはロマネスクの教会もカタリ派の痕跡もなく、街の散策にもすぐに飽きてしまったのですが、何年か前に亡くなった飼い猫ロブ(ヒマラヤン)にそっくりな猫が私の前に現れてびっくり!帰ったら家族に見せようと追いかけて写真を撮ったのですが、素知らぬ顔で逃げられてしまいました。

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↓猫の多いコルドでした。

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 夕方アルビに戻りました。夕食は昨夜と同じホテルのレストランで。自家製ポタージュ、季節のサラダ、魚料理、チーズ、チョコレートケーキ、赤ワイン、コーヒーのメニュー。アルビでは比較的のんびりした観光でした。明日からはまたバスの長い旅になります。早めに荷作りして就寝。


     


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1998秋の旅(9)アルビ~コンク~ル・ピュイ [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/22(木)

ル・ピュイ/ホテル・クリスタル1泊

 朝8時頃アルビを出発して、北東に200Kほど走り、コンクへ。

↓バスの車窓から

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途中廃線になった鉄道のレールも見え、過疎の感じの深い山間の地。中世の巡礼者にとっては非常な難所だったことでしょう。
↓木々の間に見えてきたサント・フォアの遠景

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↓昼近くにようやく到着しました。

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☆サント・フォワ修道院付属教会(コンク)Ancienne Abbatiale Ste-Foy(Conwues)

 教会の歴史は古く9世紀に設立された後、コンクの修道僧がアジャンに赴き、聖女フォワの聖遺物を奪ってきたことで、大きな転機が訪れました。サン・ティアゴ巡礼ルートのル・ピュイの道の中継地として、また聖女の奇蹟によってその名声はますます高く繁栄しました。しかし、その後の宗教戦争や大革命により荒廃が進み、1837年になって、政府の査察官で作家でもあるメリメがコンクに立ち寄り、歴史的建造物として評価されました。政府により保存修復され、現在に至っています。

↓西のファサード/大きなタンパンに「最後の審判」図の浮彫。

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この聖堂で超有名なのはファサードを飾る彫刻「最後の審判」。手持ちの「ロマネスク古寺巡礼」(田沼武能写真集)ではモノクロの写真なので、本物を観て薄く色彩が残っていたので・・・それは新鮮な驚きでした。最近はロマネスク関連の書籍は数多く刊行されているので、コンクへ来て驚く人はいないと思いますが。 浮き彫り彫刻は場面毎に簡明ながらドラマティックな様相を見せ、人を惹き付けます。中世の巡礼者が山道を登りようやく辿り着いて、タンパンを仰ぎ見た気持ちはいかばかりだったでしょう。当時は極彩色だった地獄図もおどろおどろしいリアルさで迫ったことでしょう。今は色あせたせいもあって、なんか漫画的なユーモアさえ感じました。聖女サント・フォア(12歳で異教を拒み殉教したという)の遺骨を祭る関係で、聖フォアの少女らしい顔やエピソードも刻まれています。

↓内部/三廊式の内部は身廊だけでなく内陣や袖廊も側廊を持ち、周歩廊を巡るのに都合よくできています。高い空間にトリビューン。

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↓北側に少し小高い道があり

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↓こちらは絵葉書です。緑の谷間に佇む教会は朝霧のたちこめる写真がベストショットらしいのですが、それは当然叶わず・・・。

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谷間の村は数軒の土産物屋やレストランが教会の回りにあり静か。丘を登ったり、帆立貝の表札のある民家なども散策の途中に見つけたり、昼食をはさんで割合のんびりできました。

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ランチは教会のすぐ近くのAuberge St Jacouesにて。メニューはアヴェイロン風前菜、鴨のエシャロット風味、チーズ、デザート、コーヒーでした。

ここからル・ピュイまで北東に200Kくらい走りました。この日がツアーの中で一番バス移動の長い日でした。ル・ピュイの街に到着したのはすでに夕方、街の中央に聳えるサーモン・ピンクの聖母子像に違和感を抱きつつホテルにチェックイン。小休憩の後はホテルの食堂で夕食。メニューはル・ピュイ風レンズ豆のサラダ、白身魚バジルクリームソース、チーズの盛り合わせ、赤白ワイン、コーヒー。ここオーベルジュ地方名産のチーズがとても美味しくて、今まで食べず嫌いだった、ブルーチーズも大好きになりました。ワインも進みました(笑)

↓ル・ピュイのホテル

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1998秋の旅(10)ル・ピュイ~クレモンフェラン [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/23(金)

クレモンフェラン/ホテル・メルキュール

 最初の訪問地のオルレアンで時々小雨が降ったほかは、良い天気に恵まれました。現地ガイドさんのお話では1週間前のオーヴェルニュ地方は嵐だったそうです。さて今日はル・ピュイの観光の後はいよいよツアーの最後の訪問地クレモンフェランに参ります。ここまでなんとかひ弱な身体に鞭打って、お腹も壊さず旅を続けてきましたが、朝一番乗りでのサン・ミッシェル・デギーユ礼拝堂の268段の階段にはフラフラ状態になりました。正直下から見上げた奇岩に聳えたつその姿に恐れをなして逡巡。イタリアのシエナの高い塔も登らなかったほどですから。。。でも、友人にも励まされて、皆さんには遅れがちながら登りました。

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↓汗だくで、ようやく到着。苦労して辿り着いたせいもあって感激のロマネスク体験になりました。

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☆サン・ミッシェル・デギーユ礼拝堂Caprlle St-Michel d'Aiguihe  962年に大聖堂の主司教によって開基。サン・ミッシェルに捧げられた(多分ノルマンディーのモン・サン・ミッシェルの模倣)礼拝堂はサンティアゴ巡礼のル・ピュイの道の重要な起点にあり、多くの巡礼者が参詣しました。

↓礼拝堂扉口/ラントゥには二人のセイレーンが長い髪を持ち、左右対称に向かい合っています。誘惑のシンボルとして二股人魚の姿ではあちこちで見かけますが、ラントゥに堂々と彫られたものは初めてでした。

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内部は狭い空間ですが(カメラは禁止)、壁の縁石に座って、堂内の周歩廊に並ぶ柱をうっとり眺めました。色褪せて、天井以外はもはや識別の難しいフレスコ画が後陣に残っています。↓は絵葉書。天井のフレスコ画(11世紀)

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↓壁のガラスケースには小さな木彫りのキリストの十字架像が飾られています。この鬚を生やし着衣のキリストの図像は古く、10~12世紀の作と推定されています。(2012再訪のときはここにはなく美術館に移されたようです)

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↓鐘塔

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そして、階段を下りて大聖堂へ。↓は途中の道沿いにあった小さな聖堂(青いテント、修復中)とル・ピュイの典型的な黒い石積の古い民家。

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↓結構傾斜のきつい階段を登ってル・ピュイ大聖堂へ

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☆ノートルダム大聖堂Cathédrale Notre Dame     最初の教会は5世紀の初頭ですが、その後12世紀まで何度かの増改築を経て19世紀にも再建され、現在に至っています。巡礼路ル・ピュイの道の出発地として、広くはキリスト教世界のカテドラルとしてのル・ピュイの大聖堂。そのユニークな極めて美しい姿は中世から有名でした。

↓見学当時は平面図だけでは複雑な内部がよくわかりませんでしたので、立面写真をGoogleから拝借しました。

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↓正面ファサード、この時の写真が見当たりませんので、Wikiから拝借しました。結構傾斜のある坂道のうえの堂々たる構え。黒い石で建てられたせいもあってほかのロマネスクには見られない威圧感もあります。ただ外壁にはところどころ白や赤の石がアーチラインとして彩られ、
それがとても美しいのです。建築様式にもビザンチンやアラブの影響がみえ、ダイナミックな空間が広がっています。

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↓大階段を登って、入り口付近からの街の眺め

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↓アラブ文字も刻まれたヒマラヤ杉の扉口

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↓ビザンティンの写本挿絵からとられた図像の「キリストの変容」壁画

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↓「玉座の聖母子と天使たち」

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↓祭壇には「黒い聖母像」。ロカマドールの凄味のあるカルト的な黒い聖母と違って白い衣装の優雅な聖母。カンガルーの赤ちゃんのように顔を出した幼児イエスが可愛い。8/15の聖母被昇天祭にはお神輿での行列があるそうです。

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↓聖堂内の宝物室に展示されていた「エッサイの木」の聖職者のケープ(16世紀)

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↓回廊中庭から見上げた大聖堂の8角形の交差部の塔(右)と教会背後の独立した高い塔。

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回廊の見学時間も少なく、添乗員さんについて歩くのが精いっぱいで、写真もありません。徒歩で「酔いどれ船Le Bateau Ivre」というランボーの詩集の名のついた小さなレストランへ。メニューはレンズ豆と野菜のスープ、ポークの包み焼き、木苺のアイスクリーム。こういう団体さんの来ない小さなレストランでの食事は味も良く、地元のお客さんに交じって楽しい食事でした。

↓レストランの前で。右は現地ガイドさん。

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 午後からはイソワールに寄ってからクレモンフェランに行くはずでしたが、なにか理由があったのか忘れましたがイソワールの代わりにラ・シェーズ・デューへ。ル・ピュイからさらに北へ1時間ほど。オーヴェルニュの高地にある村です。ロマネスクの教会ではないけれど「死の舞踏」の壁画があるとのガイドさんの説明で思い出しました。この旅の前に読んでいた小池寿子著『死者のいる中世』にでていた修道院です。現金なもので、それまではイソワールの方が良いのに・・・と文句でしたが、急に楽しみになりました。

↓途中の風景

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☆ラ・シェーズ・デュー修道院Abbaye de  la Chaise-Dieu   訳すると「神の座」というベネディクト派の修道院で、創設は11世紀ですが、現在の教会は14世紀にゴシック様式で建てられたもの。1790年にフランス革命のため修道院は閉鎖。現在は司教区の教会になっています。 14世紀アヴィニョン教皇庁時代にはこの修道院から教皇クレメンス6世を輩出、芸術面の支援や資金調達などに手腕を発揮し、シェーズ・デューはその名にふさわしく繁栄しました。14世紀はまたペストの流行などで「死の舞踏」の図像が彫刻や絵画で盛んに取り上げられるようになってきました。ここの「死の舞踏」 La Danse Macabreの壁画15世紀後半のものですが、ヨーロッパに数多く見られた壁画は塗り替えられたり、壊されてしまったものが多く、残っているのは希少価値があります。

↓教会の片隅にあった「死の舞踏」。カメラ禁止なので絵葉書です。死者も生者も線描のみ、かろうじて教皇と司教に茶が塗られているのは何か意味があるのでしょうか。ゆらゆらとはかなげに蠢く踊り・・・。3つのパネルに分かれ、全長26m。

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↓内部/主身廊。浅い尖頭アーチがおおらかな空間を演出しています。

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↓16世紀のタペスリー中央に「受胎告知」、左に「アダムとイヴ」、右に祈る騎士。

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↓正面扉口内部のパイプオルガン

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↓ 秋の午後の明るい回廊中庭で。ハマナスの花は終わり、実をつけていました。

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 そしてクレモンフェランには夕方到着。ここが今回参加したツアーの最後の宿泊地です。ホテルはカテドラルなどのある旧市街から徒歩で15分くらい。夕食はホテルのレストランで。メニューは不明。

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1998秋の旅(11)クレモンフェラン(オルシヴァル&サンネクテール) [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/24(土)

 午前中はバスでオーヴェルニュ・ロマネスクの名教会を回りました。まずはオルシヴァルを目指して南西へ。クレモンフェランを出発したバスは朝靄のなかピユィ・ド・ドームの麓の火山岩の丘や緑の景勝地を過ぎ、峠からこの灰色の教会を見下ろすようにして、小さな村に入って行きました。

↓谷間のオルシヴァルの村(絵葉書)

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☆ノートルダム聖堂(オルシヴァル)Basilique Notre Dame(Orcival)
  12世紀にオーヴェルニュ公の献金とシェーズ・デュー修道院の援助により現在の教会が建てられました。西に山が迫っている地形のため後陣は広場に向かった姿。その後陣の外観は素朴ながら繊細な飾り彫刻で縁取られて魅力的な造形です。小祭室から上へ、トランセプトに八角形の交差部の塔とピラミットの形、上昇感のあるオーヴェルニュ・ロマネスク建築の特色を完璧に備えています。
 ↓後陣/地元産出の安山岩の濃淡で組まれた石壁。

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↓教会の周囲には小さな宿も

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↓内部/この地方に多い正面向きの地母神信仰の影響の強い聖母子像が内陣に置かれています。スケール感のある内部は森厳さも備えて、谷や山を越えてきた巡礼者の敬虔な気持ちに沿っているようです。

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↓柱頭彫刻(絵葉書)金袋を持つ高利貸しが怖い悪魔にどつかれている「Fol Dives」。この図像はオーヴェルニュに多いようです。

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↓ オルシヴァルから次の目的地のサン・ネクテールまではピクチャレスクな谷間の眺め

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 谷間の街や村を過ぎて、ようやくサンネクテールの村に到着。サン・ネクテールはチーズの名前にもつけられた聖人の名前です。ここオーヴェルニュ地方はそのチーズの名産地としても有名です。この教会の建つ丘の周りはひなびた静かな村です。ところがこの教会の管理人は変人といいますか、この教会を愛するあまり?国とたびたびトラブルを起こすそうで、このときも内部は見学不可でした。ただの管理人ではなく、この教会をここまで守ってきた功労者なのでしょう。こういう頑固な人物も必要かも・・・と思いましたが、ここまで来て内部を見学できないのはとても残念。。。教会の傍に小さなショップがあり、観られなかった柱頭彫刻の写真など買い求めました。

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 秋の紅葉するフランスの田舎にオルシヴァルと並ぶロマネスクの名教会がそのような人間のごたごたもよそに静かに建っていました。内部の彫刻を見るために再訪することももうないでしょう。大きな町から相当な距離があり、この時は個人で行くことは無理と思いましたが、2013に再訪。

☆サン・ネクテール教会Eglise Saint Nectaire

 初期キリスト教時代に宣教活動をした伝説の聖人(ギリシア出身の聖ネクテール)は死後この近くのコルナドール山に葬られました。その名前をとって、12世紀にオルシヴァルと同様にオーヴェルニュ公とシェーズ・デュー修道院の尽力により教会が建てられ、巡礼教会として発展しました。

↓西正面から(絵葉書)

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↓私の撮った写真はこの一枚だけ。

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↓柱頭彫刻「ユダの接吻」(絵葉書)

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 午後、クレモンフェランに戻り、市内のレストランでベトナム風の中華料理のランチ。このあとは自由行動になりました。明日はツアーから離れてパリに行きますので、友人と鉄道駅まで行き、メモを見せながら習いたてのフランス語で切符を購入。「パルフェ!」と係員に褒められて?気分良く・・・ところが翌日問題発生。。。

 クレモンフェランのロマネスク教会ももちろん見逃せません。駅からノートルダム・デュ・ポール教会へ。10月の末、日暮れも早くなってきました。

☆ノートルダム・デュ・ポール教会 Basilique Notre Dame du Port

 この教会は6世紀の創建ですが、ヴァイキングに破壊されたあとは11、12世紀に再建。その後19世紀に鐘塔、屋根などが付け加えられました。ですから、オーヴェルニュ・ロマネスクの建築スタイルとしてはあまり魅力は感じられませんでした。そのうえ密集した市街地に建っていますので全体を眺めるのも難しいのです。でもその難点を充分補うのが内部の柱頭彫刻です。あいにく御葬式の最中だったので全部は観られませんでしたが、ロベルティウスが彫ったという力量あふれる造形に特徴があります。↓特に聖母マリアの被昇天、アダムとエヴァなどが印象的でした。

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↓そして見逃せないのが南扉口です。当時はここから出入りしていたと記憶しています。現在は修復されてますが、当時は今にも崩れてしまいそうなほど痛々しく、ラントゥの山形アーチも古風さを強めています。

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↓教会の全景(絵葉書)/全景を自分の目で視ることができないというのはかなりマイナスポイントです。

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坂を少し登って大聖堂(ゴシック)へ。内部はちらりとのぞいただけで見学終了。

☆街角のロマネスク発見

クレルモン・フェランの大聖堂の近くの土産物屋さんでこの絵葉書を見つけました。
「弟子の足を洗うキリスト」順番を待つ弟子が靴下を脱いで準備してます。いかにもロマネスクらしい素朴なユーモアにあふれています。さて何処にこの浮き彫りがあるのかしら?絵葉書には住所が書いてあります。Rue des Gras・・・すぐこの店の前の通りにその彫刻をはめ込んだ民家がありました。この絵葉書を買わなかったらきっと素通りしていたでしょう(マイHPから転載)

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★オーヴェルニュの黒い聖母たち

↓最初のロマネスク巡りの旅、オーヴェルニュ地方のあちこちで出会った黒い聖母たち。(絵葉書)

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この絵葉書は確か、クレモンフェランの大聖堂の近くで買ったものです。一般に見られる聖母の清楚で優しいイメージとは異なっているので、強烈な印象を受けました。
このうち実物を拝めたのはル・ピュイの聖母子像、白い衣装に身を包み、カンガルーの赤ちゃんのようにお腹のところから顔を見せる幼児イエスが可愛い。
また、この絵葉書には写っていませんが、ロカマドゥールの聖母も奇跡の言い伝えに相応しい凄みのあるお姿でした。「黒い聖母」のルーツはエジプトの地母神イシスとする説もあるとのことですが、ツアーのときのガイドの説明では、土俗的な信仰、例えば古代のケルト人が崇拝し、祀っていた地母神像との関連が濃いとのことでした。キリスト教が一般に広く受け入れられた理由のひとつに、新約聖書では重んじられていなかった母マリアの崇拝を後になって地母神信仰と結び付け、高めた結果とも言われています。その点、砂漠の民である、ユダヤやイスラムには風土的にも受け入れられなかったことは想像できます。実りの大地の母としての地母神崇拝は彼等には無縁の存在であったことでしょう。
一方ヨーロッパでは奇跡の聖母として中世に、カルト的な人気を集めました。今ではフランスのロマネスク聖堂、特にオーヴェルニュ地方の巡礼路に沿って多く点在しています。この地方のロマネスク巡りのもうひとつの楽しみといえるでしょう。(マイHPから転載)

夕食はホテル内のレストランで。最後の夜なのでワインが飲み放題になりました。メニューは鶏レバーのテリーヌ、薄切りサーモン、ビーフ、チーズとサラダ、林檎のデザート、コーヒー。明日からフランスは冬時間になり日本との時差が8時間になります。パリへの列車が早朝になると添乗員さんにも注意され、早めに部屋に戻りました。このとき人任せだったのが失敗のもとでした。。。

 

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1998秋の旅(12)クレモンフェラン~パリ [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/25(日)Clermont Ferrand7:47→Paris Gare Lyon11:20

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  朝は暗いうちに起きだして、パリまでの車中で食べる予定のお握りを作って、いざ出発。見送りにロビーまで来てくれた添乗員さんに感謝しつつ、タクシーでクレモンフェラン駅へ。ところが駅は真っ暗で、まだ入り口のドアは閉まっています。そういえばタクシーの運転手さんが何時の汽車か訊いていたような、そしてまだ早いよと言ってたような・・・。この時点で冬時間の設定を勘違いしていたことに気が付き、慌ててまだ停まっていてくれたタクシーでホテルに引き返しました。寒くて暗い戸外で2時間も待てませんから。進ませる時計の針を遅らせていたのですから2時間も早い~!!添乗員さんが丁度ロビーにいて、勘違いが判明。ツアーの皆さんもバスのドライバーさんも早く起こされてプンプン。ベテランの添乗員さんでしたが・・・。時間があるので朝食をとり、改めて皆さんにお別れして駅へ。駅ではまた困ったことに、エレベーターがなく跨線橋を渡らなければなりません。25Kのスーツケースをやっとこさ運んで乗車しました。朝からの騒動ですっかり疲れてしまった私たちはパリまでの3時間半をほとんど寝て過ごしました。せっかく作ったおにぎりも美味しくなく・・・涙。

 そしてパリ・リヨン駅には1時間ほど遅れて到着しました。この日はバスチーユ・オペラが15:00からの予定でしたからハラハラしました。モンパルナス近くのホテルへチェックインしたのですが、ここでも問題発生。。。友人の部屋の鍵がないというのです。夕方まで用意してくれるというので、荷物を置いて慌ただしくバスチーユへ。

♪~「薔薇の騎士」@バスチーユ・オペラ15:00開演

指揮:ウルフ・シルマー  演出:ヘルベルト・ヴェルニケ 

オーケストラ&コーラス:オペラ・ナショナル・ド・パリ

元帥夫人:フリシティ・ロット  オクタヴィアン:アンネ・ゾフィ・フォン・オッター  オックス男爵:フランツ・ハウラータ  ファ二ナル:ペーター・シドム  ゾフィー:ルース・ジエザック  シンガー:マンフレッド・フィンク


この時はまだパソコンを持っていなかったので、情報はJALのプレイガイドで得て、チケットも予約しました。正規の金額(650F)の50%増しくらいだったと記憶しています。
 初めてのバスチーユオペラでした。キャストもプログラムをここで購入してはじめて分かったので、わ~い!!ロットとオッターと二人で大喜びでした。おまけに演出がヴェルニケ・・・今思うと夢のようなお話です。
 舞台は鏡と階段を使い、すっきりモダンなものでした。しかし衣装がクラッシクでとても美麗。ロットはデボラ・カー(往年のハリウッド女優)のように上品で美しく、オッターの凛々しい青年貴族と小間使いの娘の使い分けがとても細やかな演技、歌ももちろん最高でした。ハウラータがまだ若く、中年の下品な男爵には全然見えませんが歌は◎。

↓銀の薔薇にちなんだお洒落なプログラム(写真は光ってしまいました)

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参考映像:R・シュトラウス(1864~1949) <ばらの騎士>

DER ROSENKAVALIERマルシャリン(元帥ヴェンデンベルク侯爵夫人)・・・・ フェリシティ・ロットレルヒェナウの男爵オックス・・・・・・・・・・・・・・・・・ クルト・モルオクタヴィアン・・・・・・・・・・・・・ アンネ・ソフィ・フォン・オッターファニナル(新しく授受された裕福な商人)・・・・・ゴットフリート・ホーニクゾフィー(ファニナルの娘)・・・・・・・・・・・・・・・ バーバラ・ボニーマリアンネ(ゾフィーのドゥエンナ)・・・・・ オリヴェラ・ミリャコヴィッチヴァルツァッキ(陰謀屋)・・・・・・・・・・・・・・ ハインツ・ツェドニクアンニーナ(ヴァルツァッキの仲間)・・・・・・・・・・・・ アンナ・ゴンダ警部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ペーター・ヴィンベルガー侯爵家の家令・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ヴァルデマール・クメントファニナル家の家令・・・・・・・・・・・・・・・・・ フランツ・カーゼマン公証人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ヴォルフガング・バンクル料理屋の主人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ペーター・イェロジッツ歌手・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ キース・イカイヤ・プルデイ貴族の未亡人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ インゲボルク・ピプル3人の貴族の孤児・・・・・・・・・・・・・・・・ フェリシタス・エクイルツマリアンネ・ザットマン、エリーザ・ツルマン小間物屋・・・・・・・・・・・・・・・・・・ウルリス・グロースルバッチャー侯爵夫人の4人の召使・・・・・・・・・・・・・・・・ アドルフ・トマシェクヨハン・ラインブレヒト、フランツ・ヴィンマーゲルハルト・パンツェ・ベック美容師・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ハインツ・トツラーレオポルド(オックス男爵の従者)・・・・・・・・・ イェルク・シュナイダーフルート奏者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ルーカス・ガウデルナクモハメッド(黒人小姓)・・・・・・・・・・ クリステーネ・ディルンベルガー4人の給仕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ローヴェント・ヴェルナーヴェルナー・カーメニクカール・ネーヴェンフェール、ヨーゼフ・ポガチュニヒ下男・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ミヒャエル・ハイゲル医者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ヴォルフガング・ベルトナーオーストリア連邦劇場舞台オーケストラウィーン国立歌劇場管弦楽団・合唱団指揮:カルロス・クライバー演出:オットー・シェンク収録:1994年3月 ウィーン国立歌劇場この旅から戻った1999.1に道新教室にて視聴   

夕食はサンジェルマン・デ・プレの鉄板焼きの店で。目の前で焼いてくれるのですが、お肉などを高くひっくり返すパフォーマンスがこちらでは受けているようですが・・・私たちには不評(笑)味はまずまずでした。食事が終わりホテルへ戻りました。ところがレセプションにはチェックインの時とは違う男性が居て、鍵のことなど知らないと言い張ります。前の人に電話してもらったのですが、鍵は無いけどうちは安全だからというのです。友人は当たり前ですが怖がりますし、交渉の上別のホテルに移ることになりました。係りの人の態度も悪く、すごく嫌な思いをしました。なんとかここより5000円ほど高かったのですが、サンジェルマン・デ・プレ教会の向かいのHotel Madisonがシングル2部屋確保できました。マディソンにチェックインしたのは10時になっていました。朝の時差騒ぎに加えて夜の宿替えとまさに受難の一日でした。そんななかで観た『薔薇の騎士』は別世界の華麗な舞台でした。メゾが好きなこともあって、この時からアンネ・ゾフィー・フォン・オッターの大ファンになりました。


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1998秋の旅(13&帰国) [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/26(月)

 この日はパリの美術館巡りで、友人が未訪問のモロー美術館とピカソ美術館へ。私は4年ぶりの再訪でした。

☆モロー美術館(2)   前回は目立つところに立てかけられていた「廃墟に佇むヘレネ」ですが、今回は見当たらず、そのまま見過ごしてしまいました。代わりに気をとられたのがサロメを題材にした「出現」です。洗礼者ヨハネの首が宙に浮ぶ有名な作品です。厚く塗られた絵の具の上に寺院のアーチや柱頭彫刻の線描がほどこされています。そのなかに見覚えが・・・この数日前に観たモアサックの回廊にあった頭が獅子、体が鷲のグリフォンのあの柱頭彫刻に似ているです。ロマネスクのオリエンタルな幻想とモローの神秘的な世界がたとえようもなく美しい調和をみせていました。 

↓「ヘロデ王の前で踊るサロメ」1875頃 92×60(絵葉書) 画面全体にグロテスク文様の線描が施されているために別名「刺青のサロメ」と呼ばれています

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↓「サロメ」素描 1876 60×36(絵葉書)

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↓モローの居間(絵葉書)

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☆ピカソ美術館(2)  マレのピカソ美術館は門のところまで長い列・・・特別展を開催中でした。N.Yのメトロポリタン美術館から「盲人の食事」や「ひじをつくアルルカン」などの青の時代の傑作が来ていたのです。N.Yへは行ったことがありませんし、メトロポリタン美術館も未訪問ですから、ここでまとまって鑑賞できたのはラッキーでした。この近辺はショップも増えて人の波・・・4年前の静けさが嘘のような、すっかり様変わりしたマレに驚きました。

↓「盲人の食事」1903 95.3×94.6(メトロポリタン美術館から)

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↓ 「マネによる草上の昼食」1960 130×195(パリ・ピカソ美術館収蔵)

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 常設展も鑑賞しましたが、ピカソは多作なので展示替えもあり、初回観たもので再見したかったものがなかったり・・・友人と一緒の鑑賞も思うように動けず、疲れました。昼食は両替のためオペラ座まで行き、近くのビストロで生牡蠣や羊のソテーなどいただきました。サン・ジェルマン・デ・プレの宿で休憩後、近くのサン・シュルピス教会へ。ここにはドラクロワの壁画で飾られた礼拝堂があります。1849~61年にかけて、病身をおして完成させた19世紀宗教画の傑作です。特に「ヤコブと天使の闘い」の今そこに行われているような躍動感と輝かしい色彩に見とれました。秋の夕方、すでに日は沈みつつあり暗くなってきました。淡く差し込む夕陽の礼拝堂での鑑賞でした。電気を点けて観ることもできます。

↓「ヤコブと天使の闘い」(Wikiの画像を拝借)

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サン・シュルピス教会の付近はお洒落なブティックやカフェのほかに門前町の名残でしょうか、2、3軒のカソリック関連のお土産屋さんがあり、クリスマスの生誕場面の飾りを購入しました。その時気が付いたのですが、聖家族の傍に若い男が寝そべっている飾りがいくつかありました。店員さんに尋ねたのですが、返ってくる言葉が理解できません・・・後から判明したのですが、「ヤコブの夢」を表していたのです。こういう形のオーナメントはこのお店だけだったのかしら・・・ヤコブのついたものを購入してくれば良かったです。この後のヨーロッパの旅で見かけることはありませんでしたから。時代の流れでしょうかサン・シュルピス教会付近にはこういったお土産屋さんはもう見当たりません。Googleで確認しましたが、アニエス・ベーに変わっていました。

 明日は帰国です。旅の最後の夕食はホテルおすすめのレストランで。少々重めのフレンチでしたが(量も多い)、フルコースをいただきました。旅の途中でやや体調を崩した時もあり、友人には心配をおかけしましたが、何とか無事に旅が終わりそうと祝杯をあげ、巡ってきたロマネスクの教会の話で楽しく夜が更けました。徒歩5分ほどのホテルに戻り、スーツケースの整理をして就寝。

↓2泊したマディソンホテルの部屋

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10/27(火) パリCDG→アムステルダム→札幌

 KLMの直行便で札幌に帰りました(現在は就航されていません)。ツアーでしたが初めてロマネスクの教会を訪ねる旅に参加し、次はロマネスク巡りには欠かせない王道のブルゴーニュ地方へ行きたいという想いが強くなりました。山を越え、谷間を走り、フランスの田舎の美しさに初めて触れた旅。。。この後の旅の主なテーマになりました。

札幌に到着してゲートから出ましたら、TVの取材班が。。。逃げる間もなく寝ぼけ顔が(しかも化粧もはげた)カメラに映ってしまったのです。KLMの名古屋ー札幌ーアムステルダムの就航1周年の日でした。行き先とか聞かれましたが、夕方の地元のニュースですし、誰も見ていないと思っていたのですが、まもなくM市に住む姪から電話。。。(恥)KLMの直行便はヨーロッパへの旅で何度か利用しました。たった5年で終わってしまい残念です。(終)


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