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1988春の旅 [1988春アジアの旅(シンガポール)]

1988.3 シンガポール4泊5日間 (シンガポール航空/次女とJTBのツアー)

齢45にして初の海外旅行体験だった。次女の中学入学お祝いの旅。このころはバブル景気の華やかなりし頃で、我が家も多少はその恩恵に預かり、海外旅行ブームにのっかることになった。

(1)成田からは夜の出発。バティックのドレス姿の美しいシンガポール航空のスチァーデスさんたち。機内食もまだ美味しかったころだった。わくわくしながら、初めての外国へ。

ホテルはオーチャード大通りの大型中級ホテル。真夜中に到着。シンガポールは大都会だが緑が多く、コロニアル風の建物も多く残って美しい町並み。煙草のポイ捨てやゴミを捨てると罰金を取られるというので、町並みは清潔なはずと納得。
   
(2)翌日は半日市内観光 マーライオンなど見学の後、飲茶のランチ。午後からはフリーになり娘とふたりで 、リンタクに乗ってまだ改築前だったラッフルズホテルへ。サマセット・モームが逗留して『月と6ペンス』を執筆したことで有名。プールのある庭園のテラスでお茶。確か翌年改築されたはずだ。古いけれど映画に出てきそうな趣のある木造の洋館ホテル。実際、改築前のこのホテルを舞台にした村上龍監督の映画「ラッフルズホテル」(1989年公開)のロケがあったらしい。(映画は観ていない)バーを覗いてみたら、どことなく物憂げな大人の男たちが幾人かたむろしていた。煙草の煙が立ちこめ、天井には木製のプロペラ型の換気扇がゆるゆると回っていた。もう1軒のやはりコロニアル様式の建物のグット・ウッドパークホテルにも行ってみたが、宿泊していないと入れないセレブな雰囲気で気遅れしてパス。

夕食はホテル近くのレストランへ。蛇使いのショーがあったが、蛇が大嫌いなので食事だけ済ませ、始まる前にそそくさと退散した。

(3)この日もフリーで行動。行きはロープウェイ、帰りはフェリーでセントーサ島の観光。ここでは博物館に入館した。お恥ずかしいことにここへ来るまでまったく無知だったが、第二次大戦のとき日本軍がシンガポールを占領していたのだ。戦争の資料、日本の将軍たちの蝋人形、当時の学校の教科書(日本語)など展示されていた。中国や韓国を侵略したことはある程度知っていたが、ここまで領土を広げて大日本帝国なんていって威張っていたのかと呆れる。と同時に申し訳なさで胸がいっぱいになった。娘にも良い平和教育になったと思う。
    
夕方までオーチャード大通りでショッピングや両替(インド人の生地屋さんで)など。夕食は疲れてテイクアウトで済ませた。大根餅が美味しかった。

(4)タクシーをチャーターして、森の中の動物園や蘭園などを周った。日本の動物園と違って象にも乗せてくれるサービスがあったが、娘は怖がって乗ろうとしない。気が小さいんだから~。
夕食は海岸通の海鮮レストランで。海老の串焼きなど食べた。海を眺めながらホテルに戻った。あ~明日はもう帰る日だね~と旅好き親子は切ない気分・・・。

5)帰国の日は乗換えが国内線に間に合わず、成田後泊になった。成田近辺のホテルもまだ少なく、空港からやや離れた成田市内のホリディ・インに泊まった。

1989春の旅 [1989春北米の旅(L.A&サンフランシスコ)]

1989.3  昨年の初海外旅行に味をしめて、当時中学生だった次女の春休みに海外に出かけることになった。JTBの店頭で、アメリカ西海岸6日間の旅が安いのを知って早速申し込んだ。ロサンゼルス2泊、サンフランシスコ2泊のショート・トリップ。飛行機+ホテル4泊(朝食付き)+ロサンゼルスとサンフランシスコの1日観光とランチでひとり15万円くらい。

(1)ANA利用で夕方出発、翌朝ロサンゼルスのフライト。3月のまだまだ冬のような寒い札幌から成田経由で、暖かい初夏のようなロサンゼルスに到着。太平洋からアメリカ大陸へ入っていく上空からの眺めに感動。ロサンゼルスの上空からはプール付きの邸宅が多く、アメリカのリッチな一端を認識させられた。市内でイタリアンのランチとったあとはマリナ・デル・レイなどの観光。ヨットが並んでいる風景、カラフルな建物そしてハリウッドに関連した観光地とメキシコ村を巡った。ここの売店で土っぽい陶製のクリスマスの人形のセットを買った。ホテルはダウンタウンのヒルトンで夕食はフリー。慣れない時差ボケで疲れたので、ホテル内のレストランへ。ミディアムと言ったのに焦げたステーキにポンと醤油を小さな瓶ごと出されて、2度びっくり。不味いうえにボーイさんの馬鹿にしたような態度に「黄色い肌のジャパニーズ」であることを実感。まあこれも現実、社会勉強ですからと意に介せず。

(2)この日は一日フリーだったので、アナハイムのディズニーランドへ。東京のディズニーランドには2回行ったことがあったので、特に珍しくもなく、園内のレストランで食べた超甘いケーキを1匙しか食べられず退散。日本人街に立ち寄って、ラコステのポロシャツなど購入。夜はヒルトンから徒歩数分のボナベンチャーホテルの最上階?だったかにある回転レストランで。なにを食べたのか忘れてしたが、昨夜に比べるとずーっとましな食事ができた。帰途はもう暗くなっていたので、人通りも少なく怖いくらい。男の人が後ろから歩いてきたので、怪しくもなさそうだったのに、二人で逃げるように走ってホテルに戻った。

(3)ロサンゼルスももうお別れで、次はサンフランシスコへ空路移動。簡単な半日観光の後ホテルへ。サンフランシスコの宿はフィッシャーマンズワーフの近くのホリディH。どういうわけかダブルベットがひとつ。母娘といえども一つのベットでは窮屈。毛布も取り合いになってしまうし…。早速夕方まで波止場で過ごし、海の見えるレストランでクラムチャウダーを食べた。食券の範囲内だと蟹などはいただけないのが寂しかった。

(4)昼間の自由時間はケーブルカーの電車に乗ってダウンタウンへ。坂道では車体が斜めになるので、娘が体重が軽くベンチの端まで滑ってしまい大笑い。どこから来たの?ときさくな女性に話しかけられるが、このころはまだ英会話も習ってなかったしで、話が続かなかった。アメリカへきて人種差別されているのか?と思うこともあったので、話しかけられたのは嬉しかった。ランチはチャイナタウンで飲茶にした。ワゴンで何度も回ってくるので、美味しいしついつい食べ過ぎてしまった。

夕方からは遊覧クルーズ、ゴールデンブリッジの下をくぐって湾のほうへ。船内でディナーのあと夕日の沈む美しいサンフランシスコ湾を眺めた。太平洋の西方向が日本だね~と遠くに来た感慨深し。母娘2人の短い西海岸の旅もこれでお終い。

(5.6)ANAは国際線に進出してまもなくだったと思う。ロサンゼルス乗り換えの日本までの飛行機が遅れ、ぎりぎりで成田から羽田へ。国内線搭乗口まで走ってセーフ!最終便で札幌に帰った。

1990初夏の旅 [1990初夏オセアニアの旅(オーストラリア)]

1990.6 

オーストラリア、ゴールドコーストとシドニー5泊7日 カンタス航空(JAL共同便)/独り参加JTBツアー

ゴールドコースト2泊&シドニー3泊

オセアニアは冬のオフシーズン、朝夕はかなり冷えた。北海道の季節の良いときに寒いところへの旅は×。

(1)初めてのカンガルーマークのカンタス航空夜便でオーストラリア大陸へ。成田からの離陸間際に荷物棚に向けてシューシューと消毒液を噴射したのが、いかにも黴菌を寄せ付けないぞというデモ・パフォーマンス(笑)
初体験の赤道越え、そして早朝のブリスベーンに到着。ようやくオープンしてもらったレストランで、朝食兼休憩をとった後、簡単なブリスベーンの市内観光。そして動物園のオープンと同時に入場。オーストラリア大陸独自の動物たちとの触れ合い。コアラを抱っこしたり、カンガルー農園での餌づけなど楽しかった。コアラの赤ちゃんを抱っこしたとき、予想に反してかなりズシリと重く、落っことしそうになった。コアラも驚いてTシャツの私の胃の付近に爪を立てて小さなひっかき傷。痛い!これが意外に治りが遅かった。

img342.jpg



バスでゴールドコーストに移動。海岸近くの大型ホテルに宿泊したが、夕食はフリーということで、ツアーデスクで紹介してくれた近くのカジュアルなレストランへ。独り参加は私だけで、カップル、親子、友人同士ばかりなので、少々淋しかった。ステーキはアメリカよりはずーっとまし、ガーリックトーストも美味しかった。愛想も良い(気は利かないが)賑やかなお店だった。

(2)この日は終日フリーなので、現地ツアーのパンフレットで検討した結果。ホテル送迎つきのクルーズで○○島(名前?)へ。参加してびっくり、日本人は私一人(みんなどこへ行ったの~)。大型の遊覧船ではトゥデイをトゥダイと発音するフレンドリーなオーストラリア人がほとんど。現地人の多分アボリジニの血をひくと思われるガイドさんが、英語もろくにしゃべれない私に親切にしてくれて有難かった。英国式に10時には紅茶とクッキーのおやつ。小島の浮かぶ内海風景や船尾につながった水上スキーを楽しむ人を眺めたりしているうちに、○○島へ。島ではバーベキューのランチ。出発まで時間があり浜辺を散策していると、日本人の若い女性ふたりに出会った。そして、たまたま近くに客待ちしていたセスナ機に一緒に乗ることになった。セスナ機と言っても遊覧用で水上離着陸できる小さな機体だったが、上空から見たゴールドコーストやサンクチュアリの緑と湖水の風景はなかなかのものだった。パイロットさんがふざけてアクロバット飛行したのは怖かったが・・・。

夕食はツアーデスクで予約してもらった高級海鮮レストランへロブスターを食べに行った。水槽から魚を選ぶシステムで独りでも1匹!半分はお刺身(まだ動いていた!)、半分は鉄板焼きにしてもらった。味は日本で食べるよりやや大味な感じがしたが・・・。

(3)シドニーへ移動。当時は日本はバブル期だったので、歌手の千昌夫が所有するという高級ホテルなど眺めながら私たちはセカンドクラスのホテルへ。この日はランチまではオペラハウスやハーバーなどの市内観光で、そのあとはフリーになったので、独りで行動した。フェリーに乗って対岸の動物園へ。到着後はロープウエイで動物園へ行く仕組みになっていて、上から動物たちを眺められるのが面白かった。日本のような厳重な管理を感じさせない自然な雰囲気が好ましく、見物客もまばらな広大な動物園を歩いた。

夕食はホテルの裏通りを5分ほど歩いた寿司屋で。古い演歌が流れる店だったが、海外で食べる寿司としては悪くない。北海道のレベルと比べてはいけませぬ。

初めてのシドニーの夜だったが、大問題が発生!なんとバスルームのドアのノブが故障していて、開かなくなってしまった。裸で朝まで過ごすのかとボー然となったが、こうなりゃなんでもするわとガチャガチャバンバン大奮闘~そしてようやく開いた!この時の恐怖体験はのちのちまで響いた。教訓:バスルーム内の電話がある無いの確認。無い場合はドアは開けておく。

(4)一夜明けてまたもや大失敗。持参の時計が狂ったのかと思い込んで、ホテルの室内の時計に合わせてしまったため1時間前にブルーマウン・テンツアー出発のロビーへ。添乗員とのすれ違いもあって結局このツアーをパスしてしまった。

オーストラリア博物館の見学に変更。ビデオ室などでアボリジニ美術の詳しい説明があり、そのオセアニアの大地と結びついた信仰から生まれた芸術に感動した。この後、街のギャラリーでみつけた木片に描かれたドット模様に魚の飾り板を購入。土産物にしてはちょっと高額だったが・・・。

ホテルに戻る途中に名も知らない大木の続く並木道とそれに続く煉瓦造りの美しい英国風教会の佇まいが気に入って、夕刻まで過ごした。独りで教会の中のステンドグラスから差し込む夕日を眺めていると、ここへは誰かが連れてきてくれたような不思議な感じ・・・。

夕食はホテル最上階のレストランでフランス料理。なかなか美味しかった。隣席は同じツアーのシニアのご夫婦だったのでおしゃべり。独りでもいろいろなところへ行って、レストランにもきちんとお洒落して来られてと感心されて、悪い気はしなかった(笑)

(5)この日も一日中フリーで過ごした。当時のハーバーにはショップやレストランもそれほど多くなかった(この15年後にこのハーバー近くからクルーズに出発したのだが、見違えるほど賑やかになっていた)。フィッシュアンドチップスを食べたり、高架を走る電車に乗ったり、ビクトリア朝様式のエリザベスベイハウスの見学など歩き回った。

シドニー最後の夜は中華料理でツアーの人たちと賑やかに食事を楽しんだ。一緒に行動した時間が短かったせいか、同じ札幌在住の人が多かった割に今になってはほとんど記憶にない。

(6)帰国便は夕方成田に到着。羽田発の最終便に間に合わず、成田後泊だった。

フリーの時間の多かったツアーを独り参加でもそれなりに楽しめたのが自信につながった。これから海外の旅を楽しむためには英会話が必須と思い、帰国後は英会話教室に通うことになった。


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1991初夏の旅(1)ローマへ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

 20年に渡る共働きから解放されて、長年の夢だったヨーロッパへ行くことになりました。きっかけは札幌に進出してまもなくの某旅行代理店の新聞広告からでした。少し前からキリスト教美術史に興味があり、美術書を購入したり、カルチャー教室に通ったことで、実物を観たいという気持ちが強くなったのです。

ツアーの日程は13泊15日(ローマ2~シエナ2~フィレンツエ3~ラベンナ1~ヴェネツィア2~ヴェローナ1~ミラノ2)ローマ以北の主にルネッサンス美術を鑑賞しながら、街から街へバスで移動しました。

↓MAP

 

5/13(月)成田11:55→ローマ19:40

はっきりした記憶はないのですが、多分成田で前泊した後、成田からアリタリア航空でモスクワ経由でローマへ。モスクワでは1~2時間ほど給油のため?滑走路で待機しましたが、ターミナルビルにも入れず、窓からの写真も禁止。旧ソヴィエト連邦の体制がまだ残っている感じでした。ローマのフィミチーノ・レオナルド・ダ・ヴィンチ空港から市内へ。現在からは考えられないほど街自体が古く暗い印象が強かったです。

ローマ/プラザホテル2泊

さて、ホテルにチェックイン。鍵を渡され指定された部屋へ行きドアを開けました。ところが室内はスーツケースに物が散乱してて、ぎょっ!!!慌ててドアを閉めて、フロントに戻りました。添乗員さんが丁度居てくれたので、スムーズに他の部屋を割り当てられてほっ・・・しかしのっけからイタリアらしい?ルーズさの洗礼をうけました(笑)。部屋は6畳ほどと狭いけれど、バスルームは部屋より広く、大きな猫足のバスタブつき。このホテルは昔修道院だったそうです。大臣がここに住んでいるので、ホテルの前にはいつもパトカーが停まっていて、治安上も心配がないとのことでした。立地も最高、スペイン広場からコンドッティ通りを歩いて数分。


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1991初夏の旅(2)ローマ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/14(火)

 昨夜は長旅の疲れがあるのに、よじ登るような高いベット、大きな旧いクローゼットと、暗くやや不気味な部屋のせいであまりよく眠れませんでした。朝食は恐ろしく天井の高い大きな部屋で、コーヒー、パン程度の質素な食事で、少々がっかりでした。

 いよいよ初ローマの半日観光です。サン・ピエトロ・イン・ビンコリ教会でミケランジェロのモーゼ像やガラス箱に展示されている聖ピエトロの鎖などを見学。教会内の暗い写真ですが↓48歳でした・・・。

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 この後、徒歩でコロッセオへ。猫が多かったことしか覚えていないのは、説明はなく素通りしただけだったから?バスの車窓からベネチア広場やサンタンジェロ城を眺め、バチカン博物館へ。古代彫刻、地図のガッレリア、ラファエルの間(「アテネの学堂」の本物を前に感激!)を抜けて、システィーナ礼拝堂へ。ミケランジェロの壁画「最後の審判」は修復中(この5年後に完成予定でした)。天井画「創世記」は修復したばかりで鮮やかな色彩。ボッテチェリやキルランダイオなどのの壁画は観る暇もなく、サン・ピエトロ寺院へ移動。ミケランジェロの「ピエタ」はこの時すでにガラスケースに入って居ました。堂内も暗く、マリア様の表情が良く見えません。これは画集のほうが鮮明で綺麗だと、残念に思いました。カソリック総本山の威厳に圧倒され、世界中の信者や観光客の集まる多勢の見物人の中で、再び訪れてじっくり観たいと思いました。

 団体行動の上迷子になりそうなほどの巨大なバチカン、ついて歩くのがようやくでした。ランチはホテルやスペイン広場からも近いレストランで。初めての本物の(笑)イタリアンでしたが、スパゲティは固め、思っていたより薄味で美味しかったです。

 午後からは自由行動になり、同じ独り参加のAさん(映画ファン)と話が合い、フェリーニの「甘い生活」のワンシーンを想い出し、スペイン広場から徒歩でヴェネト通りへ。カフェでお茶をしていたらにわか雨。

 これからショッピングのAさんとは別れ、「地球の歩き方」を参考にタクシーでトラステヴェレ地区へ。サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会の広場に着きました。今考えても不思議な気がします。何故、初ローマの自由時間にここを選んだのか・・・。ロマネスクのロの字も知らないくらいの頃でした。無意識にバロックの豪奢な教会よりこういうロマネスクの聖堂が好みだったのですね。玄関廊のさりげなくも、古めかしい佇まいが印象的でした。内部のモザイク「マリアの生涯」は修復中で、残念でした。雨も上がったので、バス停のある通りを目指しましたが、迷ってしまい、結局はまたTAXIでスペイン広場まで戻りました。一方通行が多く、かなり遠回りになりましたが、少し英語の話せる運転手さんが、一生懸命そのことを説明してくれたので納得でした。

 夕食もランチと同じレストランで。舌平目のムニエルも美味しく、ワインもかなり飲みました。この夜は熟睡。

この「イタリア・ルネッサンスの旅」から始まった美術館めぐりの旅(HPからコピー)。

イタリアの美術館(1)

★ローマ/ヴァチカン宮博物館

最初のヨーロッパ旅行がイタリア。そのツアーの第一日目がローマでしたので、記念すべき
初美術館がここでした。エントランスにはエレベーターがあり中にベンチもありました。
まだ40代だった若い?私が乗ったのはルール違反でしたね。

初回はやはり感動の連続でした。特にラファエロの「アテネの学堂」

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古代ローマ彫刻のネロの黄金宮殿で発掘されたという「ラオコーン」↓

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上の2点にシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画が初回のベスト3。
ツアーでしたから、絵画ギャラリーはパスでした。

 ロマネスク教会巡りの旅のも当時はまだ意識しては居ませんでしたが、この旅が出発点になりました。

イタリア(ローマ&ラッツオ)ロマネスク

(1)S.Maria in Trastevere  サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂(ローマ)

 

 

 

 

 

 

 
 

 


タグ:ローマ

1991初夏の旅(3)ローマ~オルビエート~アッシジ~シエナ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/15(水)

 ローマからウンブリア州のオルビエートへ。フニクラに乗って上の町の観光をしました。ドゥオモのファサードのモザイクは一部修復中でしたが、青空に輝いてとても美しい姿でした。内部のシニョレッリの壁画のあるチャペルは修復中でした。これが見たいために再訪したのはほぼ20年後でしたが、当初観たときの素朴さとは別のような聖堂内部の様子に驚きました。オルビエートに限らず何処も行くたびに観光化され華やかな雰囲気に変貌していきます。イタリアは特に人気のある国なので・・・。バスの窓からは丘の上の教会や塔、野原のアマポーラの群生など、うっとり~。朝は寒かったけれど、次第に気温が上がってきました。

トスカーナの風景(絵葉書)↓

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 次の訪問地はアッシジですが、丘の麓のプチホテルのレストランで昼食をとりました。デザートに丸ごとひとつ出された梨がボーノでした。

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 アッシジのサンタ・キアラ教会への通り↓。通りごとに違う旗が掲げられて、静かな街でした。

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アッシジの街角で↓

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 聖フランチェスコ教会では日本人の田川神父さまに案内していただきました。ここではジョットの「聖フランチェスコの生涯」連作や

↓ロレンツエッティの「夕日のマドンナ」など鑑賞。カメラは禁止。

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夕日の聖フランチェスコ教会(絵葉書)↓

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 この後はペルージアを遠くに眺め、トラジメノ湖を通り過ぎてシエナに入りました。シエナは郊外のホテル・エクゼクティブに宿泊。ローマと違って新しい快適なホテルでした。広いツインルームで気持ち良く、安眠。そうそう夕食はホテルからバスで5分くらいのレストランで。パスタのトルテリーニが美味で、ライトアップされたシエナの旧市街の眺めが素敵でした。

 


1991初夏の旅(4)シエナ [1991春イタリア・ルネッサンスの旅]

5/16(木)

 この日は朝から雨の寒い日でした。シエナの半日市内観光は聖ドミニコ教会の広場からスタート↓

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聖ドミニコ教会は内部見学しました。今ではほとんど記憶にないのですが、ガイド本に寄りますと13~15世紀にかけて建立されたゴシック様式の教会で、ソドマの傑作とされるフレスコ画があるそうです。この近くだったでしょうか?2世紀から近代までの建物を巧く組み合わせたモンテ・デ・パスキ銀行↓があり、見学しました。写真は中庭です。

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 この時期、十代だった娘たちはF1レースに夢中でした。この町出身のレーサーの実家がシエナではかなり有名なお菓子屋さんなので、そこでお土産にシエナ名物のパン・フォルテを買ってきてと頼まれました。当時はグーグルマップもなく、ガイドさんのお話もそぞろにお菓子屋さん探し。。。すると偶然近くにあったので、無事ゲットできました。

 聖クリストファー教会のロマンティックな裏庭からトロメイ広場、雌狼の像など、フィレンツエとの戦いなどの話を聞きながら、キジ宮音楽アカデミー、ピッコロミニ宮を見学。そしてドゥオーモへ。黒と白のストライプの外壁が美しく、内部の床大理石のモザイクやピッコロミニ図書館の三美神の彫刻などが印象に残っています。下の写真はドゥオーモの傍で乳母車の傍らで見守る感心なワンちゃん。我が家の悪戯っ子愛犬とはだいぶ違います。

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 ランチはカンポ広場への細い坂道のレストランで。ここのパスタ(タリアテッリのマッシュルーム添え)が美味しかったので、10年後に再訪したとき探したのですが、見つけることができず残念でした。

 午後は自由行動になり、Museo civico市立美術館へ。ここのブック・ショップで一枚の絵ハガキが目にとまりました。それがトスカーナ地方のロマネスク教会のひとつと知ったのはまだ後年のこと。魅かれるままにその絵ハガキを購入してきました。

↓シモーネ・マルティーニ「騎馬のグイドリッチョ・ダ・フォリアーノ」@世界地図の間

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 ドゥオーモ博物館でドゥッチオのマエスタを鑑賞し、カンポ広場でお茶したり散策を楽しみ、迎えに来たツアーバスで郊外のホテルに戻りました。まる一日シエナの観光で接した名画や彫刻の数々、中世の風情の残る街並み。イタリアの古都に圧倒されました。夕食はホテルのレストランで。食事も美味しく、少しずつ打ち解けてきた旅のお仲間と楽しいひと時でした。

 イタリアの美術館

(2)シエナ市立美術館Museo civico  カンポ広場に面した現在は市庁舎になっているプッブリコ宮の一画にあり、初回は前述のシーモーネ・マルティーネの「騎馬のグイドリッチョ・ダ・フォリアーノ」と「荘厳の聖母」↓が印象に残っています。2001に再訪。

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マルティーニSimone Martini(伊)14世紀シエナ派の代表的画家。ドゥッチョの装飾性と華麗な色彩の継承とともにフランス・ゴシックの影響を受け写実的な表現がみられる。

(3)ドゥオーモ付属美術館 ここでの必見はドゥッチョの間に飾られた「マエスタ 荘厳の聖母」祭壇衝立。1308~1311ごろ大聖堂のために制作され、祭壇に飾られていたが、18世紀になって背面に描かれたキリストの受難の物語などが解体されという。

ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ Ducco di Buoninsegna 13世紀シエナ派の画家 ビザンティン美術とフランス・ゴシック美術のの影響が見られ、続くシエナ絵画に受け継がれていく。

 

 

 

 


タグ:シエナ
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