1992春の旅(3)パリ~カイロ [1992春エジプトの旅]
3/11 パリ16:20→カイロ21:50(AF)
カイロ/ヒルトンホテル1泊
3月のパリはまだ寒いものの、雪がまだまだ残る札幌からやってきた身には、春用のコートだけで済むのがうれしかったです。これが初めてのパリでした。ホテルを出ると目の前にエッフェル塔が立っていて、それだけで感激(笑)
↓ ホテルの前で
パリ市内観光にでかけましたが、今回はエジプトへの旅の予習というわけで、まずはコンコルド広場のオベリスクを↓説明(ほとんど忘れましたので、Wikipediaより)を聞きながら見学。
<ルクソールから運ばれた別名クレオパトラの針と呼ばれるオベリスクは広場の中央に立てられており、ラムセス2世の治世を褒め称えるヒエログリフが刻まれている。元々はルクソール神殿の入口に対で立っていた(残る1本はまだそのまま立っている)。この場所は1793年にルイ16世とマリー・アントワネットがギロチンで処刑された場所である。1833年当時の技術レベルでは輸送は困難を極めた。台座には輸送の際にどのような機械を使ったかを説明する図がある。赤い花崗岩でできており、台座を含めて高さは23メートル、重さは250トン以上である。先端部分は紀元前6世紀ごろ盗まれたとされており、1998年にフランス政府が金箔を施したキャップを先端に追加した。オベリスクを立てた際にそれを挟むように2つの噴水も建設された>
続いてルーヴル美術館へ。☆ルーヴル美術館(初)
↓ガラスのピラミッドの前で。左に見えるリシュリー翼は工事中でした。
ルーブルのエジプトセクションでは小さめのスフインクスや書記の像などを見学。ほかはエジプトセクションへの通り道だったミロのビーナスやサモトラのニケなど。このニケ像のある大階段室にはイタリア絵画のコーナーへの案内板があり、そちらも気になりましたが、エジプトの帰りに寄れるのだからと自分に言い聞かせつつ・・・。
この後、エジプトとは関係ありませんがノートルダム寺院にも行きました。広場の花壇がフランス風庭園で、菫が咲いていて、内部もバラ窓も豪華で美しかったです。午前中だけでこれだけのスケジュールをこなすのですから、さすがにツアーは効率が良いです。
ランチをルーブル近くのレストランで。店先に牡蠣など並べた大きな店でした。初めて殻つきのエスカルゴをいただきました。映画の「プリティ・ウーマン」
のシーンを思い出して、殻を飛ばさないように気を付けて、バジルとにんにく
の風味が効いていて、とても美味しかったです。
夕方の便でカイロに飛びました。途中アルプス山脈を越えたとき、丁度日没でしたので、雪山がサーモンピンクに染まって、それは綺麗でした。TVアニメ「アルプスの少女ハイジ」で育った娘はいたく感激(笑)
カイロ空港に到着。ターミナル内は旅行客ばかりではない雑多な人々でごった返していました。がっちり、バックを抱えながら両替。でてきたお札の汚さにびっくり。ツアーバスへ。ホテルに着いた頃はすでに真夜中でしたが、子供を含め外でボール遊びやたむろする男性たちの姿。。。ラマダンの季節だったのです。コーランをスピーカーで流しているので余計に騒々しい。この後も毎夜、この騒音に悩まされることになりました。
ホテルの部屋は広くてパリの5倍はありそうでした。
またしても同じツアーに1990年に行っています。KLMでアムステルダム経由でした。カイロはラム世スヒルトンでした。年が明けて、みんなが帰ったら、ゆっくり拝見して懐旧の念に浸ります。
by kikuko (2013-12-27 19:45)
ラム世スはラムセスです。お恥ずかしい。親と一緒に旅行したのがばれたら友達に3年笑われるという息子を拝み倒して付いてきてもらいました。札幌の宝石屋さんがいらして、ずっと年賀状がきます。
by kikuko (2013-12-27 19:52)
kikukoさま、コメントに気がつかず、年を越してしまいました。イタリア・ルネッサンスの旅に続いて、またまた同じツアーとはびっくりです。
記事の中でも触れますが、このバス横断ツアーはこの2か月後に起こったテロが始まりで、その後この同じコースを走っていたドイツ人のバスが襲撃されたので、長い間催行されていませんでした。ようやく3年ほど前にはかなり治安が良くなったらしく、白砂漠のコプト寺院の跡地にも行けるコースができていたのですが・・・最近の政情不安で、またもや危険になりました。一般的な観光ルートはまだ続いているようですが、少し外れるとダメですね。
親と一緒の旅行、息子さんですと抵抗があるのですね。。。そういう話は娘の場合は全然なくて、「そろそろ行かないの~」とせがまれてました(笑)
by alice (2014-01-08 13:10)