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1992春の旅(5)エル・ミニア~アシュート [1992春エジプトの旅]

3/13  エル・ミニア~アシュート

 ↓出発前にホテルの前で。右に写っているのが警護の兵隊さん。外国人の観光客のために駆り出されたからでしょうか、みんな不機嫌でにこりともしてくれませんでした。

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このイブンカシブホテルの経営者は物静かな白人系の男性で、欧米人のガイドも兼ねていましたが、その後ホテルは続けているのかどうか・・・不明です。

↓エル・ミニアの街角で。ようやく砂漠の埃っぽい空気に慣れてきました。

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 午前中はナイル川をボートで東側に渡り、ベニ・ハッサンの岩窟墳墓群の見学をしました。

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ナイル川の両岸は緑のゾーンがあり、畑などもみえます。でもすぐ向こうは砂漠地帯が広がっています。

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↓ 小さなフェリーを降り、徒歩でベニハッサンヘ。

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↓ 丘の上からナイル川の眺め

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↓岩窟墳墓群の前で

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↓見学の地元の小学生たちは明るく可愛かった。1992-20.jpeg

内部は壁画が残っていたはずですが、暗かったため?写真がありません。

 午後からはフェリーとトラクターに乗って、テル・エル・アマルナの遺跡へ。ここはエジプト美術の中ではとても特色のある興味深いアマルナ美術の生まれた場所です。古代エジプトの歴代のファラオのなかで、異端の王といわれるイクナトンの時代は今までの多神教からアテンを崇める一神教の時代だったのです。壁画や彫像も写実的で、かつユニークです。妃であったネフェルテティのかの有名な胸像(現在はベルリンの博物館)も、この遺跡から発見されたそうです。

フェリーから降りると子供たちがお出迎えと思ったら「バクシーシ」の大攻勢。トラクターで移動する私たちを追いかけて走ってついてきます。最後まで付きまとわれて、さすがにうんざりでした。

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↓テル・エル・アマルナの壁画の前で

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 バスで南下して、夕方アシュートに着きました。

↓途中の車窓風景

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 アシュートでは駅の近くの「バトルホテル」(怖い名前!)に宿泊。夕食の後まだ、明るかったので独りで散歩がてら駅まで行ってみようと歩いていましたら、TAXIが停まり乗りなさい(言葉は分からないけれど多分)と運転手さん。でも、近いし断ったのですが、後ろにはすでにお客さんが乗っていたので?そして、駅への踏切を渡ろうとしたら、卒業旅行の男子たちにばったり。彼らの言うにはここもかなり危ない雰囲気だそう。でも、駅を見たがる私についてきてくれました。構内には時刻表など貼ってありましたが、すべてアラビア語なので個人旅行は難しいな~と駅からでてみますと、大勢の男たちに周りを囲まれそうになって、ヤバイ~。するとこの男子たちが少しもひるまず強い口調で「通せよ~!」とか怒鳴ってくれて、宿に無事帰れました。札幌出身のお二人さんには感謝しつつ、無防備だった自分が今思い出しても恥ずかしいです。

夜中には近くを走る汽車の音や人の声が騒々しく、何度か目覚めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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