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1995秋の旅(4)ウィーン~プラハ [1995秋ヨーロッパ次女と二人旅(3)]

9/4(月)

 プラハとブダペストにそれぞれ2泊した後は、再び同じホテルに戻りますので、スーツケースを預けてチェックアウト。集合場所はオペラ座の前で8:00に出発しましたが、途中、いくつかのホテルにも立ち寄り何人かのお客さんをピックアップ。9時ごろに市内を抜け、一路チェコ国境まで走りました。枯れたひまわり畑が続く平野はすでに秋の気配が濃厚。

 ガイドさんは40代くらいの男性で、ドイツ語、英語が主ですが、フランス語、イタリア語も話せました。同行のメンバーはインターナショナルで、遠くはブラジル、南ア連邦、USA、イスラエルから比較的近いフランス、イタリアまで二十数名の参加者でした。国境では銃を肩にかけた怖い顔の兵士さんがバスに乗り込んできて、パスポートを預かり、しばらくしてからOkがでてバスは動きだしました。チェコが民主化されてから数年たっていましたが、今では考えられないほどの緊張感がまだありました。パスポートチェックの間、ここの窓口で両替しましたが、その時パスポートを持っていなかったので、T/Cは×。マルクの現金を持っていたので、なんとかチェコの現金をゲット。

 プラハに着いたのは午後2時ころになっていました。ホテル内のカフェでランチを各自でとった後、皆で市内観光へ。日本人のせかせかツアーと違ってのんびりしたものと思っていたら大間違い。歩く歩く・・・旧市街(マラー・ストラナ地区)を3時間かけて巡りました。現地ガイドは中年の女性で、日本大使館の前では壁をポリッシュし過ぎて、せっかくの美しい館が台無しだとか、フランス大使館の前では「ノー・ヌークリア」(当時はフランスの核兵器開発で騒がしかった)とか言って辛辣、パリから来たご夫婦は小さくなっていました。

↓プラハの旧市街で。

プラハ1.jpeg

プラハ3.jpeg 

↓ 左はカレル橋と右は天文時計の傍で。 

プラハ2.jpeg  プラハ4.jpeg

 プラハも寒くてダウンのジャケットを着ている人も居るほど。でも私たちはお天気には恵まれていました。1週間前の同じコースのツアーは大雨と風でひどい天候だったとか。最後はカレル橋を渡り、迎えに来たバスに乗ってホテルへ帰りました。夕食はホテル内のレストランで。同じテーブルにイスラエルからみえたお医者さん夫婦。そろって英語もフランス語も堪能で、気配りも素敵なカップルでした。プラハの町もですが同行のメンバーにも興味深々でした。市の中心から少し離れたデプロマットホテル(地下鉄Dejvicka駅近く)に2泊しました。


タグ:プラハ
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