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1998秋の旅(11)クレモンフェラン(オルシヴァル&サンネクテール) [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/24(土)

 午前中はバスでオーヴェルニュ・ロマネスクの名教会を回りました。まずはオルシヴァルを目指して南西へ。クレモンフェランを出発したバスは朝靄のなかピユィ・ド・ドームの麓の火山岩の丘や緑の景勝地を過ぎ、峠からこの灰色の教会を見下ろすようにして、小さな村に入って行きました。

↓谷間のオルシヴァルの村(絵葉書)

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☆ノートルダム聖堂(オルシヴァル)Basilique Notre Dame(Orcival)
  12世紀にオーヴェルニュ公の献金とシェーズ・デュー修道院の援助により現在の教会が建てられました。西に山が迫っている地形のため後陣は広場に向かった姿。その後陣の外観は素朴ながら繊細な飾り彫刻で縁取られて魅力的な造形です。小祭室から上へ、トランセプトに八角形の交差部の塔とピラミットの形、上昇感のあるオーヴェルニュ・ロマネスク建築の特色を完璧に備えています。
 ↓後陣/地元産出の安山岩の濃淡で組まれた石壁。

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↓教会の周囲には小さな宿も

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↓内部/この地方に多い正面向きの地母神信仰の影響の強い聖母子像が内陣に置かれています。スケール感のある内部は森厳さも備えて、谷や山を越えてきた巡礼者の敬虔な気持ちに沿っているようです。

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↓柱頭彫刻(絵葉書)金袋を持つ高利貸しが怖い悪魔にどつかれている「Fol Dives」。この図像はオーヴェルニュに多いようです。

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↓ オルシヴァルから次の目的地のサン・ネクテールまではピクチャレスクな谷間の眺め

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 谷間の街や村を過ぎて、ようやくサンネクテールの村に到着。サン・ネクテールはチーズの名前にもつけられた聖人の名前です。ここオーヴェルニュ地方はそのチーズの名産地としても有名です。この教会の建つ丘の周りはひなびた静かな村です。ところがこの教会の管理人は変人といいますか、この教会を愛するあまり?国とたびたびトラブルを起こすそうで、このときも内部は見学不可でした。ただの管理人ではなく、この教会をここまで守ってきた功労者なのでしょう。こういう頑固な人物も必要かも・・・と思いましたが、ここまで来て内部を見学できないのはとても残念。。。教会の傍に小さなショップがあり、観られなかった柱頭彫刻の写真など買い求めました。

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 秋の紅葉するフランスの田舎にオルシヴァルと並ぶロマネスクの名教会がそのような人間のごたごたもよそに静かに建っていました。内部の彫刻を見るために再訪することももうないでしょう。大きな町から相当な距離があり、この時は個人で行くことは無理と思いましたが、2013に再訪。

☆サン・ネクテール教会Eglise Saint Nectaire

 初期キリスト教時代に宣教活動をした伝説の聖人(ギリシア出身の聖ネクテール)は死後この近くのコルナドール山に葬られました。その名前をとって、12世紀にオルシヴァルと同様にオーヴェルニュ公とシェーズ・デュー修道院の尽力により教会が建てられ、巡礼教会として発展しました。

↓西正面から(絵葉書)

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↓私の撮った写真はこの一枚だけ。

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↓柱頭彫刻「ユダの接吻」(絵葉書)

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 午後、クレモンフェランに戻り、市内のレストランでベトナム風の中華料理のランチ。このあとは自由行動になりました。明日はツアーから離れてパリに行きますので、友人と鉄道駅まで行き、メモを見せながら習いたてのフランス語で切符を購入。「パルフェ!」と係員に褒められて?気分良く・・・ところが翌日問題発生。。。

 クレモンフェランのロマネスク教会ももちろん見逃せません。駅からノートルダム・デュ・ポール教会へ。10月の末、日暮れも早くなってきました。

☆ノートルダム・デュ・ポール教会 Basilique Notre Dame du Port

 この教会は6世紀の創建ですが、ヴァイキングに破壊されたあとは11、12世紀に再建。その後19世紀に鐘塔、屋根などが付け加えられました。ですから、オーヴェルニュ・ロマネスクの建築スタイルとしてはあまり魅力は感じられませんでした。そのうえ密集した市街地に建っていますので全体を眺めるのも難しいのです。でもその難点を充分補うのが内部の柱頭彫刻です。あいにく御葬式の最中だったので全部は観られませんでしたが、ロベルティウスが彫ったという力量あふれる造形に特徴があります。↓特に聖母マリアの被昇天、アダムとエヴァなどが印象的でした。

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↓そして見逃せないのが南扉口です。当時はここから出入りしていたと記憶しています。現在は修復されてますが、当時は今にも崩れてしまいそうなほど痛々しく、ラントゥの山形アーチも古風さを強めています。

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↓教会の全景(絵葉書)/全景を自分の目で視ることができないというのはかなりマイナスポイントです。

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坂を少し登って大聖堂(ゴシック)へ。内部はちらりとのぞいただけで見学終了。

☆街角のロマネスク発見

クレルモン・フェランの大聖堂の近くの土産物屋さんでこの絵葉書を見つけました。
「弟子の足を洗うキリスト」順番を待つ弟子が靴下を脱いで準備してます。いかにもロマネスクらしい素朴なユーモアにあふれています。さて何処にこの浮き彫りがあるのかしら?絵葉書には住所が書いてあります。Rue des Gras・・・すぐこの店の前の通りにその彫刻をはめ込んだ民家がありました。この絵葉書を買わなかったらきっと素通りしていたでしょう(マイHPから転載)

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★オーヴェルニュの黒い聖母たち

↓最初のロマネスク巡りの旅、オーヴェルニュ地方のあちこちで出会った黒い聖母たち。(絵葉書)

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この絵葉書は確か、クレモンフェランの大聖堂の近くで買ったものです。一般に見られる聖母の清楚で優しいイメージとは異なっているので、強烈な印象を受けました。
このうち実物を拝めたのはル・ピュイの聖母子像、白い衣装に身を包み、カンガルーの赤ちゃんのようにお腹のところから顔を見せる幼児イエスが可愛い。
また、この絵葉書には写っていませんが、ロカマドゥールの聖母も奇跡の言い伝えに相応しい凄みのあるお姿でした。「黒い聖母」のルーツはエジプトの地母神イシスとする説もあるとのことですが、ツアーのときのガイドの説明では、土俗的な信仰、例えば古代のケルト人が崇拝し、祀っていた地母神像との関連が濃いとのことでした。キリスト教が一般に広く受け入れられた理由のひとつに、新約聖書では重んじられていなかった母マリアの崇拝を後になって地母神信仰と結び付け、高めた結果とも言われています。その点、砂漠の民である、ユダヤやイスラムには風土的にも受け入れられなかったことは想像できます。実りの大地の母としての地母神崇拝は彼等には無縁の存在であったことでしょう。
一方ヨーロッパでは奇跡の聖母として中世に、カルト的な人気を集めました。今ではフランスのロマネスク聖堂、特にオーヴェルニュ地方の巡礼路に沿って多く点在しています。この地方のロマネスク巡りのもうひとつの楽しみといえるでしょう。(マイHPから転載)

夕食はホテル内のレストランで。最後の夜なのでワインが飲み放題になりました。メニューは鶏レバーのテリーヌ、薄切りサーモン、ビーフ、チーズとサラダ、林檎のデザート、コーヒー。明日からフランスは冬時間になり日本との時差が8時間になります。パリへの列車が早朝になると添乗員さんにも注意され、早めに部屋に戻りました。このとき人任せだったのが失敗のもとでした。。。

 

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