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1998秋の旅(10)ル・ピュイ~クレモンフェラン [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/23(金)

クレモンフェラン/ホテル・メルキュール

 最初の訪問地のオルレアンで時々小雨が降ったほかは、良い天気に恵まれました。現地ガイドさんのお話では1週間前のオーヴェルニュ地方は嵐だったそうです。さて今日はル・ピュイの観光の後はいよいよツアーの最後の訪問地クレモンフェランに参ります。ここまでなんとかひ弱な身体に鞭打って、お腹も壊さず旅を続けてきましたが、朝一番乗りでのサン・ミッシェル・デギーユ礼拝堂の268段の階段にはフラフラ状態になりました。正直下から見上げた奇岩に聳えたつその姿に恐れをなして逡巡。イタリアのシエナの高い塔も登らなかったほどですから。。。でも、友人にも励まされて、皆さんには遅れがちながら登りました。

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↓汗だくで、ようやく到着。苦労して辿り着いたせいもあって感激のロマネスク体験になりました。

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☆サン・ミッシェル・デギーユ礼拝堂Caprlle St-Michel d'Aiguihe  962年に大聖堂の主司教によって開基。サン・ミッシェルに捧げられた(多分ノルマンディーのモン・サン・ミッシェルの模倣)礼拝堂はサンティアゴ巡礼のル・ピュイの道の重要な起点にあり、多くの巡礼者が参詣しました。

↓礼拝堂扉口/ラントゥには二人のセイレーンが長い髪を持ち、左右対称に向かい合っています。誘惑のシンボルとして二股人魚の姿ではあちこちで見かけますが、ラントゥに堂々と彫られたものは初めてでした。

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内部は狭い空間ですが(カメラは禁止)、壁の縁石に座って、堂内の周歩廊に並ぶ柱をうっとり眺めました。色褪せて、天井以外はもはや識別の難しいフレスコ画が後陣に残っています。↓は絵葉書。天井のフレスコ画(11世紀)

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↓壁のガラスケースには小さな木彫りのキリストの十字架像が飾られています。この鬚を生やし着衣のキリストの図像は古く、10~12世紀の作と推定されています。(2012再訪のときはここにはなく美術館に移されたようです)

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↓鐘塔

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そして、階段を下りて大聖堂へ。↓は途中の道沿いにあった小さな聖堂(青いテント、修復中)とル・ピュイの典型的な黒い石積の古い民家。

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↓結構傾斜のきつい階段を登ってル・ピュイ大聖堂へ

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☆ノートルダム大聖堂Cathédrale Notre Dame     最初の教会は5世紀の初頭ですが、その後12世紀まで何度かの増改築を経て19世紀にも再建され、現在に至っています。巡礼路ル・ピュイの道の出発地として、広くはキリスト教世界のカテドラルとしてのル・ピュイの大聖堂。そのユニークな極めて美しい姿は中世から有名でした。

↓見学当時は平面図だけでは複雑な内部がよくわかりませんでしたので、立面写真をGoogleから拝借しました。

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↓正面ファサード、この時の写真が見当たりませんので、Wikiから拝借しました。結構傾斜のある坂道のうえの堂々たる構え。黒い石で建てられたせいもあってほかのロマネスクには見られない威圧感もあります。ただ外壁にはところどころ白や赤の石がアーチラインとして彩られ、
それがとても美しいのです。建築様式にもビザンチンやアラブの影響がみえ、ダイナミックな空間が広がっています。

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↓大階段を登って、入り口付近からの街の眺め

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↓アラブ文字も刻まれたヒマラヤ杉の扉口

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↓ビザンティンの写本挿絵からとられた図像の「キリストの変容」壁画

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↓「玉座の聖母子と天使たち」

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↓祭壇には「黒い聖母像」。ロカマドールの凄味のあるカルト的な黒い聖母と違って白い衣装の優雅な聖母。カンガルーの赤ちゃんのように顔を出した幼児イエスが可愛い。8/15の聖母被昇天祭にはお神輿での行列があるそうです。

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↓聖堂内の宝物室に展示されていた「エッサイの木」の聖職者のケープ(16世紀)

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↓回廊中庭から見上げた大聖堂の8角形の交差部の塔(右)と教会背後の独立した高い塔。

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回廊の見学時間も少なく、添乗員さんについて歩くのが精いっぱいで、写真もありません。徒歩で「酔いどれ船Le Bateau Ivre」というランボーの詩集の名のついた小さなレストランへ。メニューはレンズ豆と野菜のスープ、ポークの包み焼き、木苺のアイスクリーム。こういう団体さんの来ない小さなレストランでの食事は味も良く、地元のお客さんに交じって楽しい食事でした。

↓レストランの前で。右は現地ガイドさん。

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 午後からはイソワールに寄ってからクレモンフェランに行くはずでしたが、なにか理由があったのか忘れましたがイソワールの代わりにラ・シェーズ・デューへ。ル・ピュイからさらに北へ1時間ほど。オーヴェルニュの高地にある村です。ロマネスクの教会ではないけれど「死の舞踏」の壁画があるとのガイドさんの説明で思い出しました。この旅の前に読んでいた小池寿子著『死者のいる中世』にでていた修道院です。現金なもので、それまではイソワールの方が良いのに・・・と文句でしたが、急に楽しみになりました。

↓途中の風景

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☆ラ・シェーズ・デュー修道院Abbaye de  la Chaise-Dieu   訳すると「神の座」というベネディクト派の修道院で、創設は11世紀ですが、現在の教会は14世紀にゴシック様式で建てられたもの。1790年にフランス革命のため修道院は閉鎖。現在は司教区の教会になっています。 14世紀アヴィニョン教皇庁時代にはこの修道院から教皇クレメンス6世を輩出、芸術面の支援や資金調達などに手腕を発揮し、シェーズ・デューはその名にふさわしく繁栄しました。14世紀はまたペストの流行などで「死の舞踏」の図像が彫刻や絵画で盛んに取り上げられるようになってきました。ここの「死の舞踏」 La Danse Macabreの壁画15世紀後半のものですが、ヨーロッパに数多く見られた壁画は塗り替えられたり、壊されてしまったものが多く、残っているのは希少価値があります。

↓教会の片隅にあった「死の舞踏」。カメラ禁止なので絵葉書です。死者も生者も線描のみ、かろうじて教皇と司教に茶が塗られているのは何か意味があるのでしょうか。ゆらゆらとはかなげに蠢く踊り・・・。3つのパネルに分かれ、全長26m。

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↓内部/主身廊。浅い尖頭アーチがおおらかな空間を演出しています。

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↓16世紀のタペスリー中央に「受胎告知」、左に「アダムとイヴ」、右に祈る騎士。

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↓正面扉口内部のパイプオルガン

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↓ 秋の午後の明るい回廊中庭で。ハマナスの花は終わり、実をつけていました。

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 そしてクレモンフェランには夕方到着。ここが今回参加したツアーの最後の宿泊地です。ホテルはカテドラルなどのある旧市街から徒歩で15分くらい。夕食はホテルのレストランで。メニューは不明。

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