1996春の旅(12)シュムリアップ(アンコール遺跡群)(13&14)帰国 [1996春ベトナム・カンボジアの旅]
3/17(日)
午前9時にホテルを出発。この日の観光は大回りルートということで、まず昔の火葬場プレ・ループへ。リージェンドラヴァルマン2世(在位944~968)の時代に建立されたヒンズー教の寺院で、境内には名前の由来にもなった石漕(死者を荼毘に付した)が残っています。到着すると朝から待ち構えていた子供たちの物売りに遭遇。商品は家庭での手作業で作られた竹笛で、竹の皮の筒に入っています。軽いので購入しました。
↓石漕の前で(竹笛を手に)
↓物売りの子供たちのはにかんだ笑顔が可愛い。
↓狛犬?
そしてニャック・ポアンへ。「絡み合う蛇」の意味のある遺跡で、中央池の中心に観世音菩薩の祀られた御堂があり、池はもともと医療目的で設計され、菩薩が化身した神馬伝説も残る人口の池です。(写真はWebから拝借)
↓祠で水に触れて、ご利益を願いました。
次はプリヤ・カン寺院を訪れました。ジャヤバルマン7世が1191年に建立、亡き父に贈った菩提寺です。往時には10万もの人々が住んでいたという大寺院(大乗仏教)ですが、現在は荒廃が進み、崩れるままになっている個所も目立ちました。
いったん昼食のため市内に戻り、ボーワレストランへ。とにかく暑くて汗をかいたので、食後はホテルに戻り、着替&休憩。午後2:40再び観光へでかけました。午後は小回りルートです。まず、バンティアイクデイへ。12世紀にジャヤヴァルマン7世によって建立された数々の遺跡群のなかでは砂岩の風化の激しいところでした。
そしてタ・プローム寺院へ。ここはカシュガルの樹が遺跡に覆いかぶさるように根を伸ばし、その熱帯の植物の逞しさに驚きでした。勿論心配なのは遺跡の保存状態です。当時は内戦の影響もあり、まだ手つかずの状態でしたが、現在はどうなっているでしょうか・・・。
↓タ・プロームの観光を終えて、近くの村はずれ
↓子供たちが楽器演奏とダンスで、お小遣い稼ぎです。まだ幼い女の子がけなげに踊る姿に胸打たれました。
夕陽を見るためにプノン・バケン(バケン山)へ。山上の寺院への急階段を登ると素晴らしい風景が目の前に広がりました。
↓プノン・バケン寺院
↓僧侶の姿がよりエキゾチックです。背景にアンコールワットを遠望。
↓上手く撮れませんでしたが落日
夕食はホテルのレストランで。アンコールビールで乾杯。このアンコールビール、初めは日本のビールと違う味で違和感がありましたが、毎日飲むうちに慣れたのか?美味しくなってきて、名残惜しい気持ちでした。
3/18(月)
午前7時にホテルを出発。空港で通訳のサムナンさんとお別れしました。詳しくは訊きませんでしたが、彼は戦争で近親者を亡くし、日本語を勉強中の苦学生とのこと。正直日本語はまだ未熟でしたが、気の優しい青年でした。日本で勉強したいと言ってましたが、その後希望がかなえられたでしょうか。
さて、カンボジア航空でプノンペンへ。乗り換えに時間があり、市内ドライブした後、ベトナム航空でホーチミンへ。市内のレストランで、久しぶりのベトナム料理でランチ。そして真夜中の出発便まで、市内のレックスホテルへチェックイン。夕食までホテルでのんびり過ごしました。素敵なホテルでお茶したり、夕食もここのレストランで、最後の晩餐。何を食べたのか忘れましたが、豪華なベトナム料理を堪能しました。
↓レックスホテルの部屋で。親しくなったかたと記念写真。
夕食後23:35発のベトナム航空にて関西空港へ。
3/19(火)
早朝、6時頃関空着。乗り換えて札幌に戻りました。まだまだ早春の寒い札幌、細かいことは忘れましたが、オーバーコートは関空か千歳に預けて行ったのでしょう。温かいスタイルで、変わらずに雪の積もる我が家に戻りました。
↓アンコールワットで買い求めた回廊レリーフの拓本画「アプサラのダンス」。窓からの光が反射して斜め撮り。
最後になって、旅や書きかけの記事が保存ミスで消えてしまったりで、やる気を失い・・・長くかかってしまいました。ベトナムもカンボジアも紛争や内戦の爪痕がまだ残っているころでした。地雷がまだ残っているので、勝手に観光コースから離れたりできませんでした。両国ともようやく平和になったとはいえ日本から見るとまだまだ貧しい暮らしを余儀なくされています。そのなかで子供たちの明るい笑顔(学校が少なく午前午後の2部制)が頼もしく見えました。機械化されていない懐かしいような農村や牧畜風景など、貴重な遺跡群にも増して印象深い旅になりました。(終)
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