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1997夏の旅(7)コツティナ・ダンぺッツォ~ヴェローナ [1997夏ザルツブルクとヴェローナ夏の音楽祭の旅]

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 2階の部屋から真正面に高い山が見えました。↓はホテルの売店で買った絵葉書ですが、Monte Cristallo(3199M)です。なおCortina d'Ampezzoコルティナ・ダンぺッツォ(1224M)は1956年に冬季オリンピックが開催されたことで、ツアーの中高年の方たちはほとんど記憶にありました。ドロミテの山々に囲まれた美しい町です。

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↓ホテルの部屋は簡素な山小屋風。

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↓出発前。昨夕到着して早朝出発のため街歩きができなくて残念でした。

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 さて、ツアーのバスは東のボルツァーノまでドロミテ街道を走りました。バスの車窓からは次々に3000m級の山塊が現れ、その都度名前を説明されるのですが・・・今となっては特定できません。

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 途中何カ所か峠でストップして休憩。↓はファルツァレーゴ峠(2117M)です。

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↓あちこちの谷間に咲いていたヤナギラン。

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↓そしてルートの最高地点のポロドイ峠(2239M)へ。ここではゴンドラに乗ってポロドイ山頂まで行きましたが、深い霧がかかり、ドロミテ最高峰のマルモダーラを望むことはできませんでした。

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 昼食は朝ホテルからのランチボックス(パン、ハム、りんご)を抱えて、戸外で食べる予定でしたが、峠とはいえ標高2000Mですから寒くて、山小屋レストランに避難。温かいスープやお茶など注文していただきました。

午後からは太陽も隠れ、ぐんと寒くなってきました。再びバスで、美しいサッソ・ルンゴを眺めながらファッサ渓谷の街や村を過ぎ

↓カレッツァ湖へ。お天気が良いと湖水の緑や背景の針葉樹、向こうに聳えたつ山塊などもっと素晴らしい眺めだったと思います。周囲は遊歩道になっていますが、小雨も降ってきて少し歩いただけ・・・。

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 そして、ボルツァーノの街から南下して一路ヴェローナへ。ヴェローナの宿は街中ではなく、車で30分ほどの近郊にあるビジネスホテルでした。ホテルのレストランで夕食の後、バスでアレーナへ。野外劇場での『アイーダ』でしたが・・・。

↓ヴェローナのアレーナ(古代ローマの円形劇場)絵葉書

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 『アイーダ』ヴェルディ @ヴェローナ・アリーナ
      指揮:ロベルト・トロメッリ  演出:ジャン・フランコ・デポジオ

アムネリス:バーバラ・デーヴア  アイーダ:ダニエラ・デッシー  ラメダス:F・アルミリアート(代役?) ラムフィス:カルロ・コロンバーラ  アムナズロ(アイーダの父)::ブルーノ・ポーラ

♪~6年振りのヴェローナは夏の音楽祭のせいか、以前(5月)より街自体が綺麗に華やかになっていました。夜になると風が強くなり、気温も下がってきました。野外での観劇は相当に寒いという忠告で重ね着してアレーナへ。周囲の観客たちもダウンジャケットなどイタリアの8月とは思えないスタイルです。

 華やかにエジプトの兵士に扮した男性の打つドラの開幕、そして背景のエジプトの大掛かりな神殿とまさに野外劇場ならではの舞台です。ところが始まって間もなく雨がポツンと落ちてきました。オーケストラの絃のメンバーがいちはやく楽器を抱えて退場。間もなく雨が上がったのを確認して再開されたのですが、「勝ちて帰れ」の大合唱の前にまたもや小雨模様になり中断。ほぼ満席の大観客のウェーブも効を奏さずついに中止となってしまいました。残念でしたが、この夜は寒い上に疲労がピークに達していました。歌手陣は当時としても一流のかたたちを揃えた公演でしたから、がっくりでした。また、ホテルは車で30分といえども遠く感じて・・・(涙)。

 幸い、ホテルはバスタブもついた広い部屋でしたので、夜はぐっすり眠れました。

参考CD

AIDA CD.jpeg

テバルディにデル・モナコという、このころにはすでに伝説になりつつあったスター歌手のCDです。


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