1997夏の旅(9)ヴェローナ~パドヴァ~ベネツィア [1997夏ザルツブルクとヴェローナ夏の音楽祭の旅]
8/30
2泊して野外劇場でのオペラを観たヴェローナを離れ、ベネツィアに向かいました。途中にある古都パドヴァに立ち寄り観光。パドヴァは6年前にツアーで来たことがありました。まず古刹S・Antonio(サンタントニオ教会)の参詣へ。
↓教会(ロマネスク=ゴシック様式)の外観(絵葉書)。ビザンティンのクーポラとロマネスクのファサードが特に素敵です。周歩廊のある内陣では熱心な信者さんたちに交じってサン・アントニオの遺物(舌!)に手を合わせ
↓回廊の付属の美術館も見学。聖堂入口のリュネットにあったマンテーニャの壁画が展示されていたようですが、記憶にありません。
↓外に出ると夏の終わりの青空が広がって、広場のドナッテッロの騎馬像です
↓そして、ここも再訪問のスクロヴェー二礼拝堂へ。簡素な佇まいのチャペルはジョットのフレスコ画で埋め尽くされています。1305年製作でイタリア絵画の中でもルネッサンスの夜明けともいえる最高傑作として知られています。
内部は以前のベンチは取り払われ、立ちっぱなしの見学になってしまいました(涙)。
↓左右壁中・下段「キリストの生涯」より。上から「降誕」「エジプトへの逃避」「ユダの接吻」(絵葉書)
ツアーの皆さんは隣接の美術館に行かれましたが、私はその向かって右に建つエレミターニ聖堂へ。ロマネスク=ゴシック様式で1276~1306にかけて建てられた教会ですが、第二次大戦の爆撃に逢い半壊。マンテーニャの壁画の残る後陣は特に被害が大きかったのです。それも忠実に再建されたと聞き見学しました。今はもう教会としては機能していませんので、単身廊の内部は装飾もほとんどなくガランと殺風景。後陣右のオヴェターリ礼拝堂へ。
↓中央の「聖母被昇天」は修復の足場がかかっていました。
↓右壁の「聖クリストフォロスの殉教」
鉄柵から中には入れません。マンテーニャの画家としての出発点になった作品ですが、画集で観るほど詳しくは観られなくて残念でした。隣で熱心に鑑賞しているドイツ人の女性に声をかけられました。イタリアと同様、ドイツも日本も戦禍の酷かった敗戦国です。理解できる言葉は少なくともお互いに分かり合えるものがありました。展示された壊れた教会の古い写真を見て、良くここまで修復できたわね、イタリアは素晴らしい~と感動の二人でした。他には見学者ゼロ。
↓スクロヴェー二礼拝堂やエレミターニ教会の建つこの公園は古代ローマのアレーナの遺跡のあったところなので、少し壁が残っています。
↓エルベ広場とラジョーネ館。この近くで昼食をとり
↓パドヴァ大学
↓カフェ・ペドロッキーなど通り抜けバスで一路ヴェネツィアへ。
↓バスからヴェツィアの街が見えてきました。
↓宿はサンマルコ広場からも近く、大運河に面した5☆のホテルバウアー・グリュンヴェルトに2泊しました。
疲れたのでゴンドラのカンツォーネ(経験済み)にも参加しないで、夕食までお部屋で休養しました。ホテル内のレストランで夕食。私たちのグループは運河の見えない席だったので、やや不満。今回の旅のお仲間には毎夏ザルツブルクを中心にしたオペラの旅をされるという方も多く、羨ましい限りでした。私は隣家に住む義母(当時82歳)のこともあり、今回が最初で最後になるかも・・・ヴェネツィアの夜は更けました。
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