1999春の旅(4)ぺトラ [1999春シリア・ヨルダンの旅]
4/17(土)
↓3泊したぺトラのホテル。部屋も広く、ロケーションも抜群、ホテル内のレストランもディナーをブッフェスタイルで3回食べましたが、種類も豊富で飽きなく美味しかったです。スパイス好きなので中東料理は◎でした。
~ この日は終日ぺトラの観光をしました。朝食を済ませ、9時少し前にホテルを出発、徒歩ですぐ近くに観光センターと曳き馬の乗り場があります。シク(隘路)の入り口まで、アルバイトらしき少年の曳く馬に乗ってのんびりトコトコ1Kくらいの道程です。歩く人たちも多いのですが、私たちのグループはお年寄りが多いので・・・。馬はニセコや千歳で何度か乗ったことがあり(曳き馬で)、大好きなので、もっと乗りたかったくらいでした。
↓シクの入り口で。
↓30分ほど岩山の中を歩きます。
↓ナバティア時代の祠。両側に水路跡の窪みも残っています。
↓上を見上げると岩山が恐ろしかったり
↓青空をバックにイチジクの実?
↓摩耗していますが人物らしき像も。右は現地ガイドさん。説明を聞いたはずですが記憶にありません。
↓そしてようやくエル・カズネ(宝物殿)が見えてきました。写真では奥のほうがピンボケになっていますが、切り立った崖の隙間から見えた朝日に輝く薔薇色のエル・カズネにわ~お!
↓エル・カズネの正面
↓正面に客待ちするラクダのタクシー
↓内部は狭く奥へは入れません。エル・カズネは宝物殿という意味ですが、実際はナバティアの王の墳墓または葬祭殿といわれています。入口から柱頭彫刻をパチリ
★ぺトラ遺跡群は自然の広大な岩山を削り出して造られています。その岩肌は多彩な縞模様を持ち、ユニークで神秘的です。シクの果てに現れ、印象的に登場するエル・カズネと1時間近くも岩山を登って辿り着くエル・ディルの2つの美しい建造物のほかに王家の墓や列柱通りやローマ劇場など。1日の観光では足りないほどの見どころが満載です。
紀元前6世紀にはエドム人によって岩山の要塞が築かれていたと言われていますが、歴史に登場するのは紀元前3世紀以降のナバティア人の都市として、エジプトからダマスカスに至る交易の中継地として繁栄し、一大帝国に発展してからです。しかし、106年にはローマ帝国の属州になり、その後の自然条件の悪化もあり力を失い、7世紀頃には忘れ去られてしまいます。幻の都市として忘れ去られていたぺトラが再発見されたのは1812年のことでした。スイスの探検家によって1200年の眠りから覚めたぺトラです。1985年には世界遺産に登録され、映画『インディージョーンズ/最後の聖戦』の舞台にもなり、世界的にも人気の観光地になりました。
↓エル・カズネの低い視点からの絵葉書。1839にDavid Robertsの描いたものです。
David Roberts(スコットランド1796~1864)の作品集はエジプトへ行ったとき購入してきていたので、お土産屋さんでこの絵葉書を見つけたときは「え~!ここにも来て描いてたの~」とびっくり。エキゾチックな詩情にあふれ、写真のなかった時代の貴重な記録でもあります。
さて、エル・カズネからあちこちに点在する遺跡めぐりです。
↓ローマ時代の列柱の並ぶ大通り
↓大通りの終わるところにローマの神殿
ランチはこの近くにあるレストランのテラスで。ミモザの黄色い花が岩山に映えて綺麗でした。午後からの山登りに備えて軽めに食べて、さぁ~出陣!と気合だけは十分でしたが・・・喘ぎ喘ぎようやく皆さんのしんがりでなんとか到達できました。私とはそう変わらない、または年上の年齢の方たちの健脚なこと!1時間はかかると言われた山登りを30分で登ってました(ちなみに私は50分)。
↓登り道で
早く早くと手招きされ記念撮影が続き、終わってようやくエル・ディル(修道院の意)を見学。
↓写真はやはり西日が強く白っぽく写りました。ナバタエア式の柱頭を持つエンタブラチュア(柱の上に乗る水平材の総称)とのこと。一見イオニア式のように見えますが・・・。
↓エド・ディル(絵葉書)
↓後方にモーゼの兄アロンの終焉の地であるホル山
↓岩山を下り
元来た道を戻りました。山登りを含めて10K近くを歩き、ふらふら状態。途中でよほどロバのタクシーに乗ろうかと思いましたが、最後の曳き馬のチケットも残っていますから勿体ないし・・・シクを抜け、最後の1Kは馬の背に揺られて、終いには足を引きずりながらホテルへ。日頃の運動不足を痛感したハードな一日でした。この日を共に過ごしたお仲間は一気に親しくなった感じ。賑やかにビールで乾杯したぺトラの夜でした。
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