1999夏(3)ヴェネツィア [1999夏北伊と南仏オペラ仲間との旅]
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昨夜は蚊に刺されたところが痒く、熱っぽく、睡眠不足でしたが、窓から見えるサンジョルジョ・マッジョーレ教会が呼んでいます。
遅い朝食を済ませ、娘はアカデミア美術館へと別れて行動しました。ホテルの目の前から水上バスで近距離(500mくらい)のサンジョルジョマッジョーレ島へ。船着き場の目の前は教会 のファサード、オープンを確かめてほっとする瞬間です。
☆サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂
教会の始まりは8世紀ですが、10世紀には島ごと ベネディクト会に寄贈され修道院として管理されています。13世紀の地震の崩壊、その後は1565年のアンドレア・パラディーオによって改修~建設へと進み、1610に全完成。鐘楼は1791年に完成。ファサードは古典主義。
教会建築にはあまり興味はなく、すでに記憶はないのですが、ここの訪問の目的はほかにありました。内部の聖職者席にあるティントレットの絵画鑑賞です。カメラ禁止のうえ、ここでは絵葉書は売っていなかったような・・・。
ティントレットTintretto(1518~1594)バロックを先取りした動的でドラマティックな画面を創造し、ヴェネツィアで活躍。サンジョルジョ・マッジョーレ聖堂の宗教画(油彩)は最晩年に描かれた代表作です。ここには3枚の大作が残されていて
(1)マナの収集 (1592-94)377×576
(2)最後の晩餐 (1592-94)365×568
スポットライトを浴びたキリストと弟子たち、天上からの祝福の天使たち 、周囲には食事の支度をする信者たちの姿が舞台上に現れたかのような、ざわめきが聞こえてきそうな・・・。臨場感あふれる画面です。
(3)キリストの埋葬(1593-94)288×162
見学者は極少なく、熱心に観ていた私に監視係の僧のかたが「プロフェッサーか?」と声をかけてきました。「いいえ、ツーリストよ」(でも嬉しかったです)
水上バスで戻る前にサンジョルジョマッジョーレ島船着き場から
↓サンマルコ広場方面
↓サンザッカリア 教会と右隣のホテル・メトロポールをカメラに収めました
2年前にも訪れましたが、カルロ・クリヴェッリとピエロ・デッラ・フランチェスカを見逃していたようなので、アカデミア美術館へ。
☆アカデミア美術館(2)
他は軽く流して目的の部屋を探しだして、ようやくご対面できました。
↓カルロ・クリヴェッリ「聖ヒエロニムスと聖アウグスティヌス」(部分)1492頃/187×71 カメリーノ大聖堂の多翼祭壇画の一部。鮮やかな赤の枢機卿姿のヒエロニムスとアトリビュートのライオンが迫力。
同祭壇画の「玉座の聖母子」は別名「ろうそくの聖母」として有名。晩年の傑作といわれています。絵葉書がないのでNETから拝借しました。
↓ピエロ・デッラ・フランチェスカ「聖ヒエロニムスと寄進者」1470-75頃 40×42
この絵は小さいこともあり、印象はあまり強くありませんでしたが、数学者でもあったピエロの冷静な眼を感じさせ、綿密に描かれた佳品です。右の寄進者の赤に対比させた聖ヒエロニムスのモノクロっぽい色彩、背景の塔の街(サン・セポルクロ?)や小高い丘、一本の大木の向こうにおぼろげな朝日の光りを配し、遠近法の理論家でもあった(著書も残した)画家のテクニックが冴えています。(MY HPより)
☆サン・ロッコ同信会館(2)
ここも2年前見逃していた2階部分と昨年トゥールーズのオーギュスタン美術館で知った「エジプトの聖マリア」をティントレットが描いていたことを知り、再確認のため訪れました。
↓ティントレット「瞑想するエジプトの聖マリア」1583-87 425×211
↓ティントレット「ピラトの前のキリスト」1565-67 /515×380
ホテルの部屋で休んでいましたら、娘も「疲れた~」と戻ってきました。このあとは夕食までベネツィア散策。映画『ベニスに死す』の一場面(主人公がこんな井戸のある裏道みたいなところで雨が降り、黒く染めた髪が濡れて・・・)を思い出すような場所。
そうそう、日本から持ってきた虫刺されの薬は効かないので薬局へ。虫刺されの薬ってなんていうの?~面倒なのでスカートをめくって現物を披露(笑)一発でお薬が出ました。
まだ改修中のフェニーチェ劇場から裏通りを進み、お魚のおいしいトラットリアでベニスらしい夕食にありつけ、満足満腹でサンマルコ広場を横切ってホテルへ。
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