SSブログ

1992春の旅(4)カイロ~エル・ミニア [1992春エジプトの旅]

3/12 カイロ→エル・ミニア

 早速午前中はカイロ郊外のギザのピラミッド群の見学をしました。事前に観ていた写真で、ピラミッドは砂漠のど真ん中にあると思いこんでいましたが、実際はカイロの街並みが途絶えてすぐのところに3基並んでいます。朝は風も無く静かだったのですが、見学中は一時砂嵐が吹き荒れ、話したり、笑ったりすると口の中まで砂が入るありさまでした。マスクぐらいでは効き目がなくタオルを口に当てて砂をガード。

 

1992-6.jpeg

 

1992-7.jpeg

 一番大きなピラミッド(クフ王)の入口(↑写真左上)から中に入り見学しました。狭く息苦しい階段を上って、ピラミッドの中間地点?にある部屋へ。このスペースには石棺がひとつ置かれているだけ。墓泥棒が荒らした後なのです。しかし、いろいろな伝説に包まれたピラミッドのミスティリアスな気分には浸れました。

砂嵐も収まり ↓写真の駱駝にも乗ってみました。駱駝が立ち上がったり座ったりするときに前のめりになるので、頭から落下しそうで、怖かったです。

付近にはがりがりに痩せ、ハエのたかった野良犬がいたり、働きたくない(きっと病気)が鞭打たれたりして、悲しげになく駱駝の姿。

 

1992-8.jpeg 

↓ 怖がる長女たち 

 

1992-16.jpeg

 

  そしてピラミットから少し離れた鼻のかけた大きなスフインクスの見学をしていると、小さな子供たち(小学低学年くらい)が寄ってきました。放課後遊んでいるらしかったのですが、少し大きな子がぶらさげている人形にみえたのが近くでよく見ると赤ん坊だったのです。発育不全なのか痩せておむつもしていない赤ちゃんが不憫で涙が出そうになりました。娘は私が絶句しているのをすばやく見つけて、「見ないで!お母さんあっちへ行こう」と引っ張って行ってくれました。旅は楽しい思い出ばかりではありません。。。

↓ ギザのスフィンクス(カフラー王)

1992-18.jpeg

 

↓サッカラの階段ピラミッド(ジョゼル王)。一番古いピラミッドで、伝説の建築家イムへテプが設計したいわれています。

1992-17.jpeg

 

この後はパピルス工場で買い物をしたり、階段ピラミッドや周辺の遺跡などを巡り、

メンフィスでは↓ラムセス2世の巨像や小さなスフインクスを見学してバスは一路ミニアへ向かいました。

 

1992-10.jpeg

 

1992-9.jpeg   

 

エル・ミニアの町に到着したのはもう夜も遅く、暗くなっていました。初めに泊まる予定だったホテルが変わったとかで、運転手さんも添乗員さんも現地ガイドさんもそのホテルの場所が分からない様子です。町の広場にバスを止めて3人とも「イブンカシブホテル」(名前は正確でないかも)を探しにいってしまいました。そうすると遠巻きに見ていた町の男たちが近づいてきて、ボールペン欲しいとか言ってバスに乗り込もうとするのです。異様な雰囲気(遠方からの観光客を歓迎しているだけではないなにか)を感じ取って皆がざわざわとしたところに、ようやく3人が戻ってきました。

 

そのホテルはすぐ近くだったのですが、暗い街灯もない道の奥にありました。着いてみるとホテルの前に兵隊さんたちが十人ほど警護中でした。このホテルの経営者がクリスチャンだからと説明されたのですが、当時私たち日本人にはテロの危機がすぐそこに迫っていたことなど露程も知らされていない頃でしたから「はぁ~?」無知とは恐ろしい。。。

部屋は娘と一緒なのでツインだったのですが、バスタブはなく、シャワーのお湯は一人分しか出ません。外はコーランがスピーカーで流され、ドアの外のホールにはエジプト人のおじさんが、朝まで見張り番をしているという、今思えば異様な感じでした。同行の大学卒業旅行の男性二人が町に散歩に出ましたが、すぐに戻ってきて「この町はやばいよ」と・・・外国人に対する敵意を感じたのでしょう。これも帰国後の報道で知ったのですが、エル・ミニアはエジプトでもイスラム原理主義が浸透し、テロ騒動の激しいところだったのです。

しかし、その時は多少の違和感を感じても、なんの恐怖感もなく、朝シャンができないね~とこぼしながら寝てしまう平和ボケの母娘でした。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。