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1992春の旅(7)ルクソール [1992春エジプトの旅]

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 ↓ナイル川岸に建つデラックスなホテル。朝、部屋のバルコニーからの眺め。対岸は王家の谷のある西岸です。

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 この日は午前中に王家の谷の見学へ。

 フェリーで対岸に渡りました。ホテルのある東岸にはルクソール神殿が見えました。古代エジプトではナイル川を挟んで西側が死者の街(ネクロポリス)、東岸が生者の街と分けられていました。

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↓ かなり崩れていますが、ペアの巨像は「メナムの双像」

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 朝晩は涼しいのですが、さすがにエジプトの南部にくると昼間はかなり暑くなってきました。巨像のところからは徒歩だったのか?記憶にありませんが、この後はハトシェプスト神殿の見学をしました。

ハトシェプストは第18王朝の女王。国王は男という伝統に反して即位し、王の付髷までつけた像も残っています。戦いよりも貿易を振興し、このデイル・エル・バハリにテラス式の壮大な葬祭殿を建てました。女王の没後、女婿のトトメス3世は記念物から女王の名前を削り像を破壊し、歴史から抹殺しようとしましたが、ここから出土した女王の像は優雅な女性らしさがあり、カイロやニューヨークの美術館に収蔵されています。

↓ 神殿の回廊には色彩の保存の良い素晴らしい浮彫が残されています。

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 ここではこの5年後1997年にテロ事件があり、観光客が多数犠牲になりました。1992年の春でもイスラム原理教のテロが蠢き始めていたのです。。。

↓ 王家の谷の入り口付近にて

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 王家の谷には新王国時代の王たちの墓が60以上も発掘されています。そのうちのいくつかを見学しましたが、カメラ禁止なので、写真は残っていません。盗掘に遭わなかったツタンカーメンの墓だけは観たかったのですが、前年から入れなくなっていました。見物客の汗と湿気で、カビが生え傷むからとのことでした。

 午後からはナイルの東岸に戻り、ハト料理の昼食をとり、馬車に乗ってルクソール神殿とカルナック神殿の見学をしました。

ルクソール神殿は18王朝のアメンホテプ3世によって大部分が建設され、ナイル川に平行して南北軸になっています。

↓ルクソール神殿の第一塔門。ピラミッドとラムセス2世の像。

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 ラムセス2世の中庭~第二塔門~大列柱廊などと続きます。写真を撮りましたが、何処の列柱室かわからなくなってしまいました。このころはフィルムのカメラで、ネガも残っていませんので、撮影時の順番が不明なのです。

↓ ラムセス2世の中庭。ラムセス2世と足元の小さい像は妃。

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↓アメンへテプ3世の大列柱廊を望む中庭で。若者4人組。

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↓ カルナック神殿へ通じる参道のスフインクス。

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 カルナック神殿はナイル川に直角に建てられた巨大な複合施設ですが、中心はアメン神に捧げられたアメン大神殿です。なかでも20M級の柱が134本並ぶ大多柱室は圧巻です。ハリウッド映画「インディ・ジョーンズ」のロケに使われ、ますます有名になりました。

↓ 大多柱室。足もとのほうが太いパピルス柱頭の石柱。

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↓ 大多柱室から2本のオベリスクが見えます。右がトトメス1世、左がハトシェプスト女王のオベリスク。

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 夜はルクソール神殿でのライトアップショーがありました。音楽と光のショーと軽く参加したのですが、セリフが長いうえ立ちっぱなしで、疲れ果ててしまいました。この疲労がたたって、翌日の夜から大変な目に遭うことになったのです。

ルクソールではいろいろお買い物をしました。ガラスのエジプト風香水瓶、香辛料、トルコ石(偽物?安かった)の指輪など。

↓プレゼピオ(アラブ人?の聖家族)

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1992春の旅(6)アシュート~ルクソール [1992春エジプトの旅]

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 アシュートから南下してルクソールまで。途中、古代エジプトの遺跡で有名なアビドスデンデラに寄りました。

↓ バスの車窓から。鳩小屋を屋上に持つ民家と動物市場?

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 アシュートからアビドスまで140Kくらい。アビドスは古代エジプトのオシリス神信仰の中心地です。現存する主な遺構はセティ一世(ラムセス二世の父)の神殿、ラムセス二世の神殿など。中でも圧巻なのがセティ一世の神殿内のレリーフです。アモン、オシリス、イシス、ホルス、レー=ハラクティ、プタハ、そして神格化されたセティ一世の7つの神に捧げられました。壁面を埋める神々と王の交流をテーマにする浮彫は一部鮮やかな色彩も残り、優雅で気品あふれるものです。

↓セティ一世の葬祭殿

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↓ 至聖所

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↓ その他の壁レリーフ

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↓ イシス(またはハトホル?)女神のレリーフ(日輪と牛の角を戴く)

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↓ 王命表のレリーフが残されています(1~19王朝)。でも正確ではなさそうで、18王朝のアケナトン王や早死にしたツタンカーメン王の名前はありません。

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 さて、次に向かったのはアビドスから80k南下したデンデラです。ここは古代エジプトが最も繁栄したころの上エジプトの都で、ハトホル女神崇拝の中心地でした。現存するハトホル神殿はプトレマイオス朝/ローマ時代のもの。屋上のオシリス神聖堂の天井のゾディアックはルーブルで見学済みでした。

↓ 北門(ローマ時代)

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↓神殿の壁に残るクレオパトラ(左)の浮彫

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↓ 神殿の大列柱室と天井

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↓ 地下室にはデンデラの電球と呼ばれるレリーフなど。

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↓ 神殿の外壁のレリーフは繊細な彫で美しい。

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↓泥煉瓦の周壁と東門。周辺はコプト教会も含まれた複合遺跡。

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 ふたつの素晴らしい古代エジプトの遺跡に感動でした。またバスに乗りルクソールへ。古代エジプトのテーベと呼ばれた都は今は喧噪の町。ラマダンの時期でしたので、特に夜が賑やかに活気づきます。

 ホテル内のレストランで夕食を済ませた後は、夜のバザールへ。ホテルの前から馬車に乗って、ショッピング中は待っててもらいました。でも・・・乗る前に料金を往復で決めたはずなのに、やはりというべきか?帰って支払う時に片道と言うのでもめました。買い物も半額になるまで交渉するのが普通とのこと…値切るのに慣れてないので疲れました。イシスホテル2泊。

 

 

 

 

 

 

 


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