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1998春の旅(3)ミラノ~レッコ [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/17(火)ミラノ12:15→レッコ12:54

レッコ(マルグラーテ)/ホテル・イル・グリーゾ1泊

 スーツケースをホテルに預け(きちんとしたトランクルームでなくて裏庭の片隅に)、雨が降ったらスーツケースの中身が濡れないかしらと心配しながら、出かけました。昼ごろの列車の出発まで時間があり、スフォルツァ城へ。7年前にツアーで来たことがあり、博物館は簡単な見学のみだったのですが、今回は外部だけの見学。次回来ることがあれば中世の彫刻などゆっくり観たいものです。

 *スフォルツァ城は煉瓦造りの元は14世紀の要塞だった建造物。15世紀に当時のミラノ公フランチェスコ・スフォルツァが本拠地の城として改装。その後は様々な動乱の時代を経て1893年から修復に入り、元の姿に戻されてきました。城内には大きく3部門に分かれた博物館があり、初期キリスト教の彫刻からの古美術部門や絵画館、装飾部門など、一級品のコレクションを有しています*

↓スフォルツァ城・城壁内部の中庭にて

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 そして、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が観たいという友人2人と徒歩でサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会(ルネッサンス期の建立)へ。7年前には修復中だったフレスコ画も完成して話題になっていたこともあり、私も再見したかったのですが、予約していなかったので待ち時間があり、断念。教会と回廊の見学だけしました。

↓アーモンドの花が満開の回廊から眺めた後陣(15世紀に増築)。壁はレンガと大理石の装飾。

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 ミラノ中央駅から列車でレッコへ。レッコ駅からはタクシーで数分の湖畔の宿に入りました。このホテルはO先生が「地球の歩き方」を見て、料理が評判の宿らしいとのことで予約してありました。早速レストランでランチです。ディナーが楽しみなので、パスタ一皿で我慢して、湖畔の町の散策に出かけました。レッコの街までは1.5Kくらい。ホテルの建つマルグラーテはレッコの街の対岸にあり、コモ湖の一部(人の字の右下)にかかる長い橋を渡ってレッコへ。

↓湖畔を散歩。背景の白い岩肌をみせているのはサン・マルティーノ山(雪をかぶっているのではありません)。

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↓ホテルのベランダからの眺め。左の岩山が先ほどのサン・マルティーノ山、右がレゼゴーネ山。

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 白い岩山が夕日に映えてピンクに染まります。前年巡ったドロミテの山々を思い出しました。さて、ディナーの時間になりました。お洒落をして集合、暮れゆく湖を眺めながら極上のイタリアワインと美味しいお料理の数々に大満足でした。


1998春の旅(2)ミラノ(ベルガモ) [1998春イタリアオペラ仲間との旅]

3/16(月)

 簡素な朝食でしたが、カプチーノが美味しくておかわり、習いたての「アンコーラ、ぺルファボーレ」を使ってみました(もちろんOK 笑)。この日は日帰り観光でベルガモへ。ミラノから1時間弱の列車の旅。何度もイタリアに来られているO先生やY子さんにおんぶにだっこの気楽さで、お喋りしているうちにベルガモ駅です。ベルガモの見どころはチッタ・アルタと呼ばれる丘の上の旧市街にあり、ケーブルカーで登ります。

↓ヴェッキア広場で

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隣接するドゥオーモ広場にはドゥオーモ、サンタ・マリア・マッジョーレ教会、コッレオーニ礼拝堂と洗礼堂が並んでいて圧倒されます。

↓コッレオーニ礼拝堂/1476年、ヴェネツィア共和国に仕えていた傭兵隊長バルトロメオ・コッレオーニが自分の墓として建てたもの(設計アマデオ)。正面の装飾壁に使われた白と薔薇色の大理石が華麗。

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↓洗礼堂/八角形のお堂、オリジナルは1340年ですが、19世紀に再建したもの。見学不可。

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17世紀の豪華なドゥオーモはパスして、裏通りを抜けてサンタ・マリア・マッジョーレ教会の正面へ。

↓ドゥオーモからのサンタ・マリア・マッジョーレ教会(後陣)

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↓こちらはサンタ・マリア・マッジョーレ教会の裏口(ドゥオーモ広場側)

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↓教会正面の写真がありませんのでWikiから拝借しました。

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☆Santa Maria Maggioreサンタ・マリア・マッジョーレ教会

 ロマネスク様式(12世紀後半)の教会ですが、さきほどのコッレオーニ礼拝堂と隣接していることもあり、かなり複雑な建築になっています。正面は先ほどのドゥオーモ広場の裏側にあたり、張り出したポーチが付いています。内部もまたとりとめもなく複雑なため、ほとんど記憶に残っていません。ベルガモはイタリアオペラの作曲家ドニゼッティの故郷でもあり、彼のお墓所もこの教会にあります。

↓ドニゼッティの墓碑(絵葉書)

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 ランチまでまだ時間があり、O先生ご指定のレストランに13:00集合することにして、丘を降りた下町にあるカッラーラ・アカデミー美術館へ向かいました。時間もなく(12:30から昼休み)、おまけに同行してくれた友人がタクシーにカメラを忘れ、ポリスまで紛失届けに行ったりして(いい加減な対応でした)、あわただしい鑑賞になってしまいました。

☆Pinacoteca dell'Accademia Carraraカッラーラ・アカデミー美術館

 18世紀の新古典主義様式の館に設けられた絵画館には国際ゴシック様式から18世紀のヴェネツィア絵画までが主に展示されています。地方の美術館は昼休みには閉館するところが多く、ここも時間になって、追い出されてしまいました。2階建ての古い館での展示室は知名度の高い割に広くもなく、木の床がギシギシで立派でもないのですが、なんたってクリヴェッリ、マンテーニャ、ピサネッロが揃って見られると云うのですから文句などありませぬ。

↓ピサネッロPisanello「リオネッロ・デステ」(1441) 28×19

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ピサネッロは全作品が約10点と少ないので、ヴェローナの二つの聖堂のフレスコ画も含め、ほとんど見学が済んでいます。彼は肖像メダルの作家でもあったので、ここの「リオネッロ・デステ」の肖像画もメダル風に真横から描かれています。モデルについてはここでは詳しくは言及しませんが、フェラーラのエステ家の何代目かの当主だそう。賢そうなプロフィールです。
クリヴェッリとマンテーニャのヴェネチア派の聖母子やロンバルディア派のベルゴニョーネ「授乳の聖母」などを鑑賞し、絵葉書を買うのもせかされての退出でした。

↓Carllo Crivelli「聖母子」1480頃 45×33

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↓Andrea Mantegna「聖母子」(1470頃)43×31

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↓Sandro Botticelli「ジュリアーノ・デ・メディチ」のヴァリアント?

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 バスで友人たちの待つ駅前の通りを2.3ブロック行ったところの☆☆のレストランCavourへ。、オペラ仲間との賑やかな贅沢ランチでした。フランス風の洗練されたイタリアンは上品なお味。日本人のコック見習いの方が挨拶にみえました。1ヶ月に一度くらいの割合で日本のお客さんが見えるとのことでした。 将来は日本に帰ってイタリアンのレストランを 開くのが夢と語る青年は長女と同じ年齢でした(1998年当時26歳)。友人がカメラをタクシーに置き忘れたという話をしましたら、タクシーの運転手さんに知り合いがいるからと、電話してくれました。タクシーのお仲間に訊いてもらったりして・・・結局見つからなかったのですが、ご親切に感謝でした。

 ミラノに戻り、当夜はムーティのコンサートがあったのですが、チケットを事前に手に入れることができなくて、私はあきらめてホテルに残りました。何人かはスカラ座の前でダフ屋からチケットを買って聴いてきました。ダフ屋からチケットを買っていると地元の婦人に買わないようにと注意されたとのこと。スカラ座のチケット販売は不透明な部分があり、チケット屋の大量買い占め?でしょうか、この後スカラ座に行ったときは何度か不愉快な思いをしました。

 さて、明日は1泊泊まりでレッコに行きますので、準備をして就寝。


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