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1998秋の旅(3)ポワティエ~ペリグー [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/16(金)ポワティエ→ペリグー

ペリグー/シャトー・ド・レイナ2泊

 ツアーの参加者は15名でしたが、そのうち北海道からが5名、私と友人のKさんのほかに3名(札幌在住)。いつもは多い東京組は5名、その他の大阪、福岡など5名の構成でした。平均年齢の高いのがW社のツアーですから、当時55歳だった私は「若い~!」とか言われていい気分(笑)

さて、この日はポワティエの市内観光です。ポワティエはフランスの古都といわれ、ポワトゥー・ロマネスクの名教会が数多く残っている憧れの地です。

☆ノートル・ダム・ラ・グランド教会Ancienne Collegiale Notre-Dame le Grande

 ポワトゥー地方に点在するロマネスク教会の中でも白眉と言える教会の華麗なファサードの前に、言葉を失いました。左右の円塔に守られたかのような正面の壁面に大きく3段に分かれ埋め尽くされた浮彫の物語や人物像。丁度ファサード左側を洗浄中でした。レザ-光線で汚れを落としているとのことでしたが、洗浄の前と後では白と黒ほどに違っていて、ピカピカよりも多少は自然な汚れがついているほうが古色の趣がありますが。でも以前は多分手作業の洗浄だったのでしょうから、比べると細かいところも綺麗になってパーフェクトなのでしょうね。
↓上段の壁面
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中央扉口
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↓上の写真の扉口上部左に不思議な浮彫が見えました(下の絵葉書では受胎告知の右)
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  不思議な木の枝の帽子を被っている男です。これは「エッサイの木」をこのスペースにはめるため、また典礼劇では実際にこの姿で登場したと思われる・・・他には無い独創性がここの魅力です。キリストの家系図としての「エッサイの木」は一般的には人物の身体から木が生えるスタイルなのです。エミール・マールによると典礼劇から彫刻家がヒントを得たとされるここの彫刻群。教会の典礼劇が次第に外の世界に放たれ、演劇としての発展を見ることになるのでしょう。
↓「キリストの降誕」(絵葉書)
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↓内部は色彩豊かな柱が並ぶ三廊式(絵葉書)
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↓教会の横の広場で
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そして、同じく洗浄中のゴシックのサン・ピェール大聖堂。洗浄前後の違いがよくわかります。ここは内部に入らず
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すぐ近くのサン・ジャン洗礼堂へ。
☆サン・ジャン洗礼堂Baptistère Saint-Jean
フランスで最古の洗礼堂は4世紀に古代ローマの建築物を再利用して建てられました。扉口から階段を数段降りるとナルテックス(10世紀)。左右に半円形の祭室のある中央部分に8角形の埋め込み洗礼盤(というより漕/プール)が設けられています。初期キリスト教時代は全身沐浴方式の洗礼を行っていたのです。内部はカメラ禁止。
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内陣への壁に12世紀から14世紀に描かれたというフレスコ画。そのなかで忘れられないのは下の飛翔する天使。ロマネスク期特有の黄土色も鮮やかですし、オリエンタルな影響もうかがえます。日本の奈良時代の飛天やシリアのパルミラ博物館で観た浮き彫りの天使など。遥かなるシルクロードが目に浮かびます。 教会建築の中でもロマネスクやより古い聖堂に興味を惹かれるのようになった原点ともいえるサン・ジャン聖堂でした。
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↓外観(絵葉書)
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 そして旧市街をかなり歩いて聖イレーヌの墓のあるサン・ティレール・ル・グラン教会へ。
☆サン・ティレール・ル・グラン教会église Saint-Hilaire

どういう訳かこの教会の印象ははなはだ薄く、写真も残っていません。この教会は聖イレール(4世紀の司教)の墓の上に建てられ、そのため内陣は2メートルほど上がっています。ファサードも特徴はありませんし、内部も5廊式で何となく取り留めのない空間でした。現在の教会がほぼ完成したのは1049年。オリジナルの周歩廊の内陣の規模は大きく、巡礼教会として繁栄した当時を想像させます。手元に残るのはたった一枚の絵葉書。

↓動物と男(11世紀)の柱頭彫刻

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 ランチはティレール教会の近くのレストランその名もSAINT HILAIREにて。元修道院だったという地下でいただいたのは魚のスープ、豚肉のソテー、ヌガーのアイスクリームでした。↓レストランの絵葉書

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旧市街の裁判所も見学しました。↓裁判所を背景にここにもジャンヌ・ダルクの像。裁判所は元ポワトゥー伯のアキテーヌ宮殿だったところ。

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↓裁判所はゴシック後期フアンボア様式

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ここでジャンヌ・ダルクの審問があり、映画「ジャンヌ・ダルク」(リュック・ベンソン)のあの処女かどうかを調べるシーンを思い出しました。実際ここでロケしたのかは不明ですが。日本で公開されたのは英語版だったので違和感がありました。英仏合作で1999年公開。

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 ポワティエからペリグーまで3時間ほど。バスは南へひた走りペリグーの街へ。ペリグー大聖堂を見学してから、少し付近を散歩

☆サン・フロン大聖堂Cathedrale Sant-front

一見するとパリのサクレ・クール寺院のようなクーポラが目に入り、ロマネスク教会としては違和感があります。かといってビザンティンの古風さからも遠く、まあはっきりいって気にいらなかったわけです。帰国後調べたところでは19世紀に建築家のポール・アバティによってドームの崩壊の危険があり、改修されました。しかし、問題はドームの強度を強めるだけではなく、他の部分も手を加えたため、過度の修復と現在の評価は高くありません。ロマネスク期にビザンティン様式を取り入れて建てられた由緒あるペリゴール地方の大教会です。写真もありませんのでGoogleから拝借します。1998ペリグー.jpg

↓街のお菓子屋さんのショーウィンドウにはペリグーの名産栗のチョコやケーキなど。

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そして今夜の宿のシャトゥホテルへ。シャトゥ・ホテルは初めてで、大層楽しみでしたが、実際宿泊したのはシャトゥと同じ敷地に建つ別棟・・・。シャトゥはスイート・ルームなどデラックスなお部屋とレストランだけのようでした。

↓ シャトウ・ホテルで

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夕食はホテルのレストランで。サーモンのマリネ、魚のパイ包み、チョコレートケーキでした。ワインももちろん戴いてほろ酔い・・・ペリグーは連泊なのでゆったり気分でした。


 


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1998秋の旅(2)パリ~ポワチエ [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/15(木)パリ→オルレアン→サン・サヴァン・シュル・ガルタンプ→ポワチエ

ポワチエ/ロイヤルポワトー・デェ・フランス 1泊

 せっかくのパリの高級ホテル滞在でしたが、ホントに泊まるだけ。朝食後はあわただしく8時にバスで出発しました。4年ぶりのパリの街並みを眺めながら、バスは南下してオルレアンの街に入りました。オルレアンはジャンヌダルクゆかりの地です。サント・クロア大聖堂やマルトロア広場にも彼女の銅像が立っています。

↓大聖堂内のジャンヌ・ダルク像。崇拝の対象となった「オルレアンの乙女」です。

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↓大聖堂の正面(絵葉書)

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大聖堂の隣にはオルレアン美術館があり、わずかなフリーの時間を利用して入館。思いがけずベラスケスの「聖トマス」を観ることができました。
 聖トマスを題材にした絵画彫刻などはほとんどがイエスの傷口を触って確かめる疑り深さまるだしのトマスなのですが、このオルレアンのは思慮深さのみられるトマスの肖像画です。帰国後、何年か経過してからですが、思いがけずこの作品についての記述に触れた評論を読むことができました。
それによると長い間ムリリョの作品として知られていたとか・・・。(ロベルト・ロンギ「芸術論叢」)ロンギの論文「カラヴァッジョとベラスケス、あるいはイタリアス-ペインの関係」(1927)でこの聖トマスを取り上げています。

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↓大聖堂の前はオテル・グロロ(市庁舎)ですが内部の見学は無し。

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あいにく時々小雨の降る天候でしたが、ジャンヌ・ダルクの面影の残る街を散策。

↓オテル・グロロの裏通り

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↓マルトロア広場。木組みの家がジャンヌ・ダルクの記念館になっています。

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このとき広場で大勢の高校生がデモをしていました。後程知ったのですが、このリセのデモはフランス全土に広がって、50万人が参加したという大規模なものでした。教育現場の改善を要求してのデモとのことでしたが、受験戦争の激しい日本より恵まれているのに・・・日本の高校生が大人し過ぎなのかも。

ランチはオルレアンの街はずれのレストランLa Vieille Aubergeにて。メニューはカニ風味の前菜、仔牛のロースト、サラダ、アイスクリーム。隣席にバスのドライバーさんが座ったので、ほんの片言のフランス語でお話し。アルジェリアから移住された40代くらいの男性で、生粋のフランス人でないので、ひどいフランス語でも気楽でした。そのうえ上手だとか言って褒めてもらったり・・・ふふふ。シニアの多いツアーなので、あまり歩かないようにバスをギリギリまで、しかも道に迷わずに駐車してくれたり、とにかく真面目で優秀な運転手さんでした。

 オルレアンからサン・サヴァン・シュル・ガルタンプまで、200K以上は走りようやく到着。

↓ガルタンプ川にかかる石橋

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↓川向こうに見えたサン・サヴァン教会

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ツアーのバスはガルタンプ川の手前で止まり、橋を渡って村に入りました。右にはサン・サヴァン教会の研究でここの壁画を世界に知らしめた吉川逸治先生の逗留されたホテル(現在は廃業)が見えました。

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左の小道を行くと教会の前の広場はすぐ近く。すれ違う村の人たちはニコニコ笑顔で迎えてくれました。

☆サン・サヴァン教会Eglise Abbatiale St-Savin
カロリング朝の9世紀からという古い歴史があるももの、その後ノルマンの破壊を受けたこともあり、17世紀まで改築を重ねられて様式は複雑になっています。
教会の建物は黄みがかった灰色の石造り、高い尖塔も重厚な雰囲気です。私にとっては初めて訪れたロマネスク教会でした。予想していたシンプルで楚々とした教会ではなく威厳のある感じでちょっぴりがっかりでしたが、ここはなんといっても壁画で有名なので、期待に胸膨らませ内部へ。
雨は止みましたがどんよりとした曇りの天気で、堂内も薄暗く、高い天井の壁画はますます見え難い状態、双眼鏡やオペラグラスも持っていなかったので途中でギブアップ。また、全部を鑑賞する充分な時間もないのはスケジュールに追われるツアーの宿命。仕方ありません。

↓9つの梁間を持つ長い身廊(絵葉書)

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↓旧約聖書の主題からの半円ヴォールトの天井に描かれた壁画

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↓上の写真では中央部分の「ノアの方舟」(絵葉書)のドラマティックな描写に目を奪われました。ロマネスクの彫刻や壁画では「新約」より「旧約」の場面が多いように思います。旧約に疎い私にはこの時は解説なしには半分も読み取ることはできませんでした。

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↓同じく身廊天井の「エノクの昇天」(絵葉書)

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↓トリビューン(上階廊)に描かれた「十字架降下」(絵葉書)

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クリプトやトリビューンも見学不可ですし、特に「ヨハネの黙示録」をテーマの玄関廊は難解さもあり、ほとんど観てないのも同然でした。↓は再訪を期して古本屋さんから購入した吉川先生の著書です。

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私のようなロマネスク初心者にはサン・サヴァン教会は勿体なかったなというのが本音でした。バスはポワティエへの途中、ショーヴィニーを眺望するビューポイントで写真ストップ。時間がなかったらしく、ショーヴィニーのサン・ピエール教会には寄りませんでした。ここもポワトゥ・ロマネスク巡りには欠かせない重要な教会ですから、友人のKさんも納得できない様子でしたが、仕方ありません。

↓ショーヴィニー遠望

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 秋の日は暮れるのも早く、夕方6時頃ポワティエ郊外のホテルに入りました。夕食はホテル内のレストランで。鶏レバーのゼリー寄せ、白身魚に野菜、チーズ、ミルクライスプディングでした。

↓ホテルの部屋

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1998秋の旅(1)札幌~パリ [1998秋フランス中部ロマネスクの旅]

10/14(水) 千歳→アムステルダム→パリ

パリ/ル・メリディアン・パリ・エトワール1泊

 地元のカルチャー教室で美術史の講座(主にキリスト教美術)を受けるようになってから、数年経ちました。同時にヨーロッパを何度か巡っているうちに、いつからとはなく中世美術の特にロマネスク期の美術に魅かれるようになっていました。そのころ目に留まったのがW社のツアー「フランス中部ロマネスク探訪の旅」です。早速申込み、ついでに帰途はパリに寄り道してオペラを観ることにして、W社には現地発着ツアーとしてもらいました。往復はそのころKLMの直行便のあったアムス経由のパリ便とパリでの2泊のホテル、バスチーユオペラのチケットもG社で手配できました。始めは一人参加で申込みしたのですが、春のイタリアオペラツアーでもご一緒したKさんも参加されることになりました(ホテルはそれぞれ別の部屋)。

スケジュールはパリ(1)~ポワチエ(1)~ペリグー(2)~トゥルーズ(2)~アルビ(2)~ル・ピュイ(1)~クレモンフェラン(2)~パリ(2)の13泊15日です。

MAP


 アムステルダム経由でパリに到着。タクシーで凱旋門近くのホテルへ。私たちより先に到着しているはずのツアーの方々は飛行機が遅れてまだでした。チェックインの時、W社のツアーと一緒ですと言ったのですが、通じなくて慌てました。添乗員さんも私たちが後なので、自分たちがチェックインするときに札幌組の2人のことを説明しようと思っていたのでしょう。個人名での予約ではないとはいえ、「あなたたちの名前で予約はない」の一点張り。大型のホテルはこれだから困ります。以後現地参加ツアーにするときは必ず旅行会社からもらった説明書を携帯することにしています。ツアーの予約も日本の旅行代理店の名前でなく、現地の手配会社の名前で予約している場合が多いのです。ようやく部屋に入り、個人では滅多に泊まることのない5☆のパリのホテル、部屋はさすがに広々。添乗員さんも挨拶に見えて、いよいよ明日からフランスの地方(初めて!)を巡る旅が始まります。


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