1994春の旅(11-2)ブルージュ [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]
~続きです。
ランチはどの辺でとったのか、記憶が抜けていますが日記にはメムリンク美術館への移動途中に、日本語のメニューもある大きなレストランで、スープ、ラムの主菜、アイスクリーム、味は普通とありました。
☆メムリンク美術館(初)
Hans Memlingメムリンクは15世紀ドイツ出身の画家。ブルージュの市民権を取得し、聖ヨハネ病院や王侯貴族、商人のために制作し、エイク没後のブルージュの代表的画家になりました。ウェイデンやフースの影響を受けましたが、優美で華奢な人物像や画面に漂う甘美な雰囲気は人気が高く、後の19世紀のロマン主義やヴィクトリア朝の画家たちを魅了。帰属作品は100余点あり、世界各地の美術館に収蔵されています。メムリンク美術館は欧州最古のひとつと言われる病院、聖ヨハネ施療院跡に設けられた小美術館です。古めかしい薬局だったという部屋の中央に「ベルギー7大秘宝」の一つとされる聖遺物箱が置かれていました。
↓メムリンク「聖ウルスラ伝の聖遺物箱」(1489以前)34×36×13
↓メムリンク「玉座の聖母子と聖人たち」(1479)172×172
この美術館の親密で温かい雰囲気は忘れられません。ステンドグラスの下に飾られた小品などの鑑賞。椅子も置かれていて、疲れた身には助かりました。メムリンクの清潔な描写にぴったりマッチした空間でした。
↓上の写真にもあるメムリンクの「女の肖像」(1480)37×22 左上の16世紀に付せられた銘文のために「ペルシャの巫女」とも呼ばれています。
そして最後に聖母教会の見学をしました。街を代表するこの教会は高い塔が町のどこからでも眺められるブルージュのランドマーク的存在です。この教会には2つの至宝があり、ひとつはブルゴーニュ公女マリーと父シャルルの霊廟。そして、ミケランジェロの「聖母子」です。そのため大勢の観光客がぞくぞく入っていきます。私の場合、霊廟は関心がないので、他をきょろきょろ。
皆さんの視線の先にようやく見つけた「聖母子」ですが、手前に立ち入り禁止の柵があり、遠い~。絵葉書で我慢・・・でした。
他にもある礼拝室に↓ヴァン・ダイクの「キリストの磔刑」(1626) 右は絵葉書
↓ ヘラルド・ダヴィッド「キリストの変容の祭壇画」がステンドグラスの下に何気なく置かれていました。美術館の展示とは違って、敬虔な気持ちになります。
ブルージュでこれほど数多く、バエラエティに富んだ場所で15~16世紀の北方絵画の作品を観ることができるなんて、夢のようでした。ふらふら、ぼーっとしながら街路を辿ってホテルに戻りました。途中千葉県から来られたという日本人のご夫婦に声をかけられました。日本食が食べたいと言いましたら、このかたたちも同じ考えだったようで、ブルージュに1軒ある和食のお店を探して、行ったのですが、今日は定休日だったとのこと…う~ん残念。
それで、夕食はようやく見つけた中華料理店であんかけ焼きそばを食べましたが、不味いぃ~×でした。
↓メムリンク美術館とグロー二ング 美術館のチケット
1994春の旅(11-1)ブルージュ [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]
5/17(火)
この日はどこから見ても絵になる美しいブルージュの街を歩きました。まずはホテルの目の前にある聖血教会へ。十字軍遠征の際にエルサレムから持ち帰ったとされるキリストの聖血が奉られています。
上と下の礼拝堂があり↓12世紀に建築の聖バジリウスを奉ったロマネスク様式の教会があります。まだロマネスクに興味のなかった頃ですが、絵葉書を買っていたところをみると気にいっていたようです。
次はボートに乗って運河めぐりを楽しみました。他の乗客はフランス人ばかりで、当然仏語のガイドでした。オランダではあまりフランス語は聞こえませんでしたが、やはりベルギーは違います。
↓運河からの眺めいろいろ。今にも雨が降りそうな曇り空。
最後に白鳥が追いかけてきた!「愛の湖」付近でボートを降り、橋を渡って「ベギン会修道院」へ。
フランダース地方に広く残るベギン会修道院跡。尼僧とは違い、あくまで自身で生計を立て、自立的な生活を営む女性たちのための共同生活の場でした。貴重な生活様式を後世に伝えるものとされ、ユネスコの世界遺産として13件がまとめて登録されています。
木々の向こうには修道女たちが住む白壁の家屋が連なります。現在はベネディクト派の修道女たちの祈りと生活の場所になっていますから、内部は公開されていないようでした。
☆グルーニング美術館(初)
1929年から1930年にかけて、アウグスティノ会修道院跡に建設。趣のあるこじんまりした美術館ですが、そのさりげない外観とは違い油絵の始祖とされるヤン・ファン・エイクの作品群などで国際的な名声を誇る場所です。壮大な西洋美術史を語る時に避けては通れない初期フランドル派はこの美術館の至宝です。
↓第一室にはエイクの「ファン・デル・パーレの聖母子」(1434-36)122×158 ファン・デル・パーレは寄進者の名前。この老人のこめかみの描写は凄すぎ~!
↓同じくエイクの「マルガレーテ・ファン・エイク」(1439)33×26 ヤンの妻の肖像。この時代の流行の髪飾り?角が生えてる恐妻にみえて・・・。
↓ファン・デル・フースの「聖母の死」(1481頃)147×121 フースの最晩年の作品。精神的な破綻をきたし、自殺を図る直前?聖母を囲む人々、手前の放心したような聖ヨハネの表情には画家の心理が伺え、胸が痛くなりました。
↓ヘラルド・ダヴィッド「シザムネスの皮剥ぎ」(1498)182×159 ブルージュ市庁舎の陪審員室のために描かれたもの。厳しい懲罰を科したペルシア帝国での皮剥ぎの場面を当時のフランドルの風俗に合わせたもの。旅の前に読んだ徐京植の「私の西洋美術巡礼」の表紙にもなっているこの絵画についての記述は心に重く残っていました。正直じーっと鑑賞するに耐えない作品ですが、受刑者の足元でナイフを口にしている男の左でこちらを見ている少年の眼差しに救われた気がしました。
他はロヒール・ファン・デル・ウェイデン、メムリンクやヘラルド・ダヴィッドなど、ブルージュに移り住んで活躍した画家たちの作品多数。
続きます~。