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1994春の旅(15)パリ [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/21(土)

 昨夜は夕食抜きでしたから、お腹が空いて目が覚めました。体調もまずまず。午前中はクリュニー美術館へ。メトロのCluny-La Sorbonne駅を上がると古代ローマ時代の廃墟が見え、その背後に建つのが中世美術専門のクリュニー美術館です。

☆クリュニー美術館(初)

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 古代ローマの浴場の遺構(3世紀初頭)を14世紀にブルゴーニュ地方にあるクリュニー修道院の院長が購入し、シャトー(城館)を建設。この建物に19世紀のある蒐集家のコレクションをもとに1884年以降に美術館として公開されました。タピスリー、象牙細工、金工品、彫刻、調度品が並び、なかでもとりわけ「一角獣をともなった貴婦人」のタピスリー(16世紀)は有名です。、6枚の連作タピスリーは館内の奥まった部屋に展示されていました。照明を落とした円形の特別室は中世の雰囲気が漂っていました。パリでデザインされ、15世紀末のフランドルで織られたこのタピスリーは、19世紀にメリメによって発見され、ジョルジュ・サンドが賛美したことで有名になりました。ユニコーンと貴婦人とライオンが織りなす絵模様の6枚のうち、5枚はそれぞれ「視覚」「聴覚」「味覚」「嗅覚」「触覚」の寓意を示しています。そして、最後の1枚は「我が唯一の望みに」と題されていますが、解釈は多く、謎を秘めた一枚です。カメラ禁止なので絵葉書で。

↓「嗅覚」の中央部分

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↓16世紀初めのタピスリー「La Promnade」貴婦人たちの優雅なお散歩の場面。背景に織り込まれた草花の美しいこと!

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↓12世紀の「磔刑像」

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 昼食はまたサンジェルマンで焼き鳥屋さんへ。この通りには和食堂、この焼き鳥屋、すし屋と3軒が並んでいました。焼き鳥5本、和風サラダ、ご飯、みそ汁のランチセット、○。

午後からはホテルのロビーにガイドさんが迎えに来てくれて、日本語のツアーでジベルニーのモネの家へ。フランス人のガイドさんは日本滞在経験もあり、奥さんも日本人だそうで、親日家といった感じの良い人でした。この日は雨が降ったかと思うと、陽がさして急に暑くなったり変わりやすい天気でした。1時間ほどのドライブの後、到着したのですが、入り口はウィークエンドなので、行列が・・・。でも私たちのグループは予約済みなので、すぐ入れました。5月のパリ郊外、モネの庭を散歩した時は良い天気になり、お花が咲き乱れとても綺麗でした。モネの家のなかも見学。浮世絵がたくさん飾られて、素敵。室内はカメラ禁止なので、絵葉書です。↓食堂とキッチン

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↓モネの家と庭園(緑の太鼓橋のある)

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↓ 蓮の花咲く池に架かる日本風の小さな橋。数多くの作品がここで生み出されました。

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 パリに戻り、ホテルまで送ってもらい降車。夕食はホテルの裏通りのお惣菜屋さんで調達。テリーヌ、クレープ、パン、ケーキ、木苺で部屋食。夜は9時になっても陽は落ちず、明るい5月のパリ。この日は郊外でリフレッシュもできて、気持ちよく就寝。

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1994春の旅(14)パリ [1994春ヨーロッパ初めての一人旅]

5/20(金)

  三年連続で来てしまったパリですが、まだまだ訪れたい美術館やエリアがあります。正味3日間のパリをハイな気分で歩き回りました。

今日はまずホテルから徒歩数分のルーヴル美術館へ行き、丸一日を体力の極限まで、この美の殿堂で過ごしました。今思えば凄いことです。まだ50代に入ったばかり、若かったのでできたことです。
 疲れたら途中で帰ろうとは思いながら、どうしたことか・・・幼いころ読んだアンデルセン童話の赤い靴を履いた女の子のように足が止まらなくなってしまいました。

☆ルーヴル美術館(3)

 ドノン翼~シェリー翼~新しくなったリシュリー翼の順番で回ったと日記にありますが、どこに何があったかは記憶が薄れています。まずはフランス絵画から思い出すままに・・・。ダヴィッド「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠」「レカミエ夫人」「パリスとヘレネ」、アングル「グランド・オダリスク」「トルコ風呂」など。代表して1枚絵葉書から。

↓アングル「アンジェリカを救うルッジェーロ」(1819)147×199

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 別に頼んだわけではないのですが、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」を観ていると、隣にいた方が「これが気にいったんだね?」みたいなことを言って撮ってくれました。でもピンボケ(笑)

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↓ジェリコーの大作「メデュース号の筏」(1818-19)491×716 1816年アフリカ西海岸の沖合で起こったフランス海軍のフリゲート艦メデュース号の遭難が題材。筏で漂流する遭難者の姿を描いたもの。ジェリコーは死体や病、狂気などロマン主義らしい異常性の興味に裏打ちされた題材が多いのですが、残酷な場面を当時の民衆に伝える役目をし、今日につながる問題点を示したともいえるでしょう。

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 壮麗で美しいばかりではないフランス絵画のなかでも異色な画家が、ジェリコーのほかにもいました。17世紀フランス古典主義の画家Le Nainル・ナンの3兄弟です。Antoine,Louis,Mathieu長兄のアントワーヌは生地からパリのサンジェルマン・デ・プレで修業の後親方の称号を受け、弟たちルイやマチューと共にまし歴史画家や肖像画家として活躍。そして、風俗画特に農民を描いた作品に新境地を見出しましたが、17世紀後半からはアカデミーによって無視され、19世紀半ばになってから再発見され、今日では17世紀フランスを代表する画家とみなされています。

↓ル・ナン「農民の家族」113×159

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↓こちらは華麗なフォンティーヌブロー派の「ガブリエル・デストレとその妹」(16世紀終わり頃)アンリ4世(あの王妃マルゴの夫)の愛妾だったガブリエルとその妹を描いた謎めいた絵画として知られています。

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 続いてイタリア絵画のティエポロ、ジョット、アンジェリコ マンテーニャなど。素描を除くと約10点しか残っていないピサネッロ。その貴重な1点がルーヴルにあります。

↓Pisanelloピサネッロの「エステ家の公女」(1438頃)43×30  15世紀特有のプロフィール肖像画。背景の蝶や花などが幻想的。

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↓ウッチェロのサン・ロマーノ戦い3部作のうちの一枚は「ミケレット・ダ・コティニョーラの援軍」(1456)180×316

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↓ティツィアーノの「田園の奏楽」(1511頃)110×138  ジョルジョーネが着手し、ティツィアーノが完成。手前の人物たちよりも遠景の美しさに魅かれ、ロンドンにあったジョルジョーネを思い出しました。早逝したジョルジョーネの影響を受け、長生きして(86歳で逝去)素晴らしい作品群を生み出した大画家のある意味出発点だったのかも。。。

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 今回の旅の北方絵画は美術行脚のなかでも大きなテーマでした。その最後を飾る名画といえば?・・・改装なったリシュリー翼の真新しいエスカレーターを登ってご対面~!

↓エイク「宰相ニコラ・ロランの聖母子」(1435頃)66×62  オータン大聖堂旧蔵 ブルゴーニュ公国の宰相だったニコラ・ロランが寄進。この空間構成、細密描写、美しい聖母子、ロランの敬虔な表情、これ以上の作品を描ける画家なんているわけないわ~。脱帽平伏って感じです。

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 ということで、絵画部門だけでも、まだまだきりがないほどのルーヴルですからこの辺で終わります。ランチは館内のカフェテリアでラザーニャ、テリーヌ、ほうれん草のソテーなどチョイス。味はまあまあ普通でした。10時から5時近くまで、時々ベンチに腰かけたり、お茶したりして休みましたが、死ぬかと思うほど疲労困憊してホテルに戻りました。夕食をとる力も残っていませんで、ベットに倒れこんでしまいました。夜中に目覚めましたが、シャワーしてパジャマに着替えるのが精いっぱい。でも、よく頑張りました。明日からは少し楽しましょう~。


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