1993春の旅(3)ベルリン~アムステルダム [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]
3/14(日)ベルリン11:00→フランクフルト12:10/12:55→アムステルダム14:00
ベルリンに着いたときは違和感がありましたが、昨日一日でずいぶん印象が変わりました。戦前のベルリンが輝いていた時代からナチの台頭する戦禍の時代、そしてこれから新しく統一された街に変貌するベルリンを期待を込めて、また来る日を願ってお別れ・・・。
↓ホテルの前で(マイネケ通り)。この通りには1階がレストラン、上階はホテルというスタイルのプチホテル(ドイツ語ではなんというのでしょうか?)が並んでいました。
フランクフルトを経由してアムステルダムに到着。アムステルダムも初訪問でした。ホテルまでタクシー移動しましたが、アムステルダムの特徴ある細長く破風を持つ家並みが予想を超えて、延々と運河沿いに続くのに感嘆しつつホテルへ。宿は国立美術館からも近い運河に面した中級クラスのパルクホテル。建物は古く、エレベーターも旧式で少々怖い感じでしたが、部屋はベットが3つ並んだ大きい部屋。レセプションの傍らにロッカー式になった貴重品預かりや目の前の運河からボートツアーにも乗船できるという便利なロケーションも◎でした。
↓ 荷物を置いて、早速徒歩数分のゴッホ・美術館へ。閉館まで過ごしました。
☆ファン・ゴッホ・美術館(初)
「炎の画家」と呼ばれる後期印象派のVincent Van Goghゴッホ(1853~1890)。オランダ生まれのゴッホが37歳で自らの命を絶つまでの数々の傑作が、ここオランダの誇る美術館(1973年開館)に収蔵されています。メインフロアは2Fで製作の年代別に順に鑑賞できるようになっています。初期ヌエネン時代の「農夫の家庭」(1885)は後の色彩豊かな「ひまわり」などの作品とは違って暗いモノクロに近い色調ですが、ゴッホの心象風景でしょうか、画家の温かいまなざしも感じ印象的。
↓パリ時代の「グレーのフェルト帽をかぶった自画像」(1887)&アルル時代の「アイリス」(1889)
↓「アルルのゴッホの家」(1888)
↓オーヴェール時代の最後の作品「カラスのいる麦畑」(1890)
油彩200点のほかデッサンや手紙、親交のあったゴーギャンの作品なども展示されています。母娘3人は夢中になって館内を巡り、もう閉館です~の声に追い出されるように退出しました。
↓写真の後に見える塔のある建物がホテルです。
夕食は記憶にないので、多分ホテル内のレストランで済ませたのでしょう。古い建物のせいか外の騒音がかなりするとは思いながら、あまり熟睡できずに朝を迎えました。
1993春の旅(2-2)ベルリン [1993春ヨーロッパ娘たちと美術館巡り]
~続きです。
初めてのドイツにベルリンを選んだのはやはり、ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一されたことが大きかったので、ランチの後はブランデンブルグ門へ向かいました。門の周辺には壁の欠片(かけら)を売っているショップや、ロシア人たちの露店などが営業中。
↓ブランデンブルグ門西側から
↓門をくぐり抜けて東側へ。
東側に並んだ建物はまだ整備されていないところが多く、門に向って左サイドの現在は高級ホテルになっているビルはショーウィンドーのガラスも壊れたままになっていました。この後急ピッチで再興が進み、10年後の2003年に再訪した時は西側と変わらない華やかな広場になっていました。余談ですが、テレビが普及する前の小中学生だった頃、海外ニュースは映画館で(今でいえば予告編の時間帯)見ることが多くかったのですが、なかでも強烈な印象だったのがベルリンの映像でした。東側から壁を乗り越えようとする人を撃って殺してしまう場面です。子供心になんて理不尽な!と怒りと哀しみで震えました。そんな記憶もベルリンに来させたひとつの原因だったかも知れません。壁の欠片を記念に買うと露店に駆け寄る娘たち・・・戦後の平和な日本に生まれ育った有難味をつくづく感じました。今思えばあのころは東西の緊張も解けて、これからは時間はかかっても民主的なより良い世界が開かれていくという希望がありましたね。
さて、ブランデンブルグ広場からまっすぐウンター・デン・リンデン大通りを歩き、博物館島へ。シュプレー川沿いに見えたいくつかの美術館や博物館はまだ閉鎖中のところも多く、壁には弾痕もまだ残ったままの建物も。そのなかでペルガモン博物館は堂々と正面をシュプレー川に向かって建っていました。
↓ペルガモン博物館
正面玄関を入りますと「ゼウスの大祭壇」、日本語のオーディオガイドもありました。展示物のスケールの大きさに驚きながら、イシュタール門やミレトスの市場門など見学しました。
↓ペルガモン王国「ゼウスの祭壇」BC2 大理石大祭壇と周囲の神話に彩られた浮彫。絵葉書です。
↓北フリーズの女神
↓古代都市バビロンのイシュタール門は彩釉煉瓦による浮彫の巨大な門(BC1)。ネブカドネザル2世によって再興されたバビロンの城砦の内壁にあった市門。ドイツのバビロン発掘(1899~1917)によって持ち帰り復元。絵葉書(部分)。
ペルガモン博物館の壮大なコレクションに圧倒され、感動の見学体験でした。この後は近くの地下鉄を目指して歩いているうちに戦前のアメリカ映画「グランド・ホテル」の舞台になったという現在はウエスティン・グランドホテルの前を通りがかり覗いたり(ロビーのど真ん中に大きな階段が見えました)・・・実は10年後にここに泊まりました。
↓ ネットで見つけた「グランド・ホテル」に主演したグレタ・ガルボの写真。相手役はジョン・バリモア。日本公開は1933とのこと。帰国後、旧いDVDが500円で売られていたので購入しましたが、まだ観ていません。手元に置いてあるといつでも見られると思ってしまって・・・汗。
結局疲れて、この付近からタクシーでホテルに戻りました。夕食はホテル近くのドイツ料理店で。レストランの名前は忘れましたが、かなり流行っていた老舗だったのですが、現在は無くなったみたいです。お勧めの肉料理(煮込み)を娘たちがいただきました。私は違うものをとコールドミートを選んで失敗しましたが、名残惜しい気持ちで、楽しいベルリンの夜を過ごしました。