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1995秋の旅(12.13.14)ミュンヘン&帰国 [1995秋ヨーロッパ次女と二人旅(3)]

9/11(月)

 午前中は一昨日の続きでノイエに移転中のアルテ・ピナコテークのコレクションを観に行きました。次女の友人(哲学科)の強いお勧めだというので、イタリア絵画部門に直行。それは

↓フィリッポ・リッピの「受胎告知」1450頃  203×186 フィレンツェのある女子修道院旧蔵のため?背景の建築は修道院の閉ざされた回廊を思わされます。

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↓上の作品から15年ほど後に描かれたリッピ後期の「聖母子」1465年頃 76×54

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↓ボッティチェリ「哀悼」1490以後 140×207  ボッティチェリ後期の作品はサヴォナローラの悔恨についての説教が画家に影響を及ぼし、厳粛で禁欲的な表現になっています。

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 他のイタリア絵画も充実していて、ジョット、レオナルド、ラファエロ、シニョレッリなど・・・。

☆ノイエ・ピナコテークNeue Pinakothek(初)

 バイエルン王ルードヴィヒⅠ世はアルテ・ピナコテークに続いて同時代のモダン芸術専用の美術館を企画。完成は1853年でした。このノイエも第二次大戦で破壊されましたので、戦後新しい美術館の建築が始り1981年にオープン。18世紀から20世紀初めにかけての絵画、彫刻が展示されています。アルテの改修が終わってから現代アートのピナコテーク・デア・モデルネの建設が始まったのでしょう。

ノイエ・ピナコテークのコレクションで印象に残ったのは↓クリムトの「マルガレートの肖像」1905 180×90  背景に擬似的装飾壁面が用いられた最初の肖像画だそうです。

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↓クノップフの「私は私自身に扉を閉ざす」1891 72×140

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 ランチはノイエ・ピナコテークのカフェで、ドイツのイタリアンはどうかな?と思いましたが、ピッツアが意外に美味しかったです。この後は次女と別れて、独りで地図ではそう離れていないレンバッハハウスに向かいました。人通りの少ない道の向こうからラフな服装の若い男性が何人か歩いてきます。もろに怖いと思いましたが、途中の建物に入っていったのでほっ!その建物をみたらインダストリなんとか大学の看板・・・名門のミュンヘン工科大学、勝手に怖がっていた私でした。徒歩10分くらいで瀟洒な館風の美術館↓に到着(絵葉書)

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☆レンバッハ・ハウス美術館(初)

カンディンスキーのコレクションで有名な美術館です。モスクワで生を受けたカンディンスキーは1896年30歳の時ミュンヘンに移住。この地でユーゲント・シュティールに接した後、1911年に青騎士(ブラウエ・ライター)を結成。バウハウスの教授を勤めた後パリに移住し、華麗な色彩とフォルムの交響楽的な非対象絵画を確立しました。

ここには具象的な初期の作品から晩年に近い作品まで収集、展示されています。
抽象画は難しいと思われている方や、コンポジションシリーズをいきなり観ても理解できない方(私も同じです)、この美術館でぐんとカンディンスキーの世界に近づくことができます。その意味でもカンディンスキーばかりでなく現代アート鑑賞にはパリのピカソ美術館とともに欠かせない美術館と思います。

何年かの後、札幌の芸術の森美術館でカンディンスキーの恋人だった画家ガブリエーレ・ミュンターを中心とした展覧会がありました。ここのミュンターの肖像画を含め何点か来ていて、初めてカンディンスキーとミュンターの馴れ初めやムルナウでの共同生活そして破綻にいたった恋愛のいきさつを知りました。ここのコレクションはそのミュンターが長年秘匿し、保護してきた若き日のカンディンスキーやヤウレンスキーなどの作品を寄贈したものが中心になっています。「青騎士」派の活動の地でありながら、作品がなかったミュンヘンに「青騎士」派の美術館が1957年に誕生したのです。

↓カンディンスキー「ガブリエル・ミュンター」1905 45×45

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↓カンディンスキー「馬上の二人」1907 55×50.5 故郷のロシアの風景を懐かしんで描いたのでしょうか。光の粒子のような点描のきらめく、美しいメルヘン調の絵画に魅了されました。カンディンスキーの初期遍歴時代の作品。

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↓カンディンスキー「ムルナウ-塔の見える風景」

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 ここで、青騎士(ブラウエ・ライター)派の仲間であるマッケやマルク、ヤウレンスキーなどの作品にも初お目見え、その充実したコレクションに、驚きつつ鑑賞しました。

 トラムでカールス・プラッツに戻り、次女との待ち合わせ場所の教会へ。ところが教会を勘違い、お互いに違う(近くの)教会で待っていたのですが、この通りは人も多くすれ違ってしまいました。

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↓ その教会が2つある通り(絵葉書)

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 独りで街歩きをして、エルメスのスカーフなどショッピング。旅の最後の夕食はホテルのオリエンタル・ブッフェで。お寿司やアジアン・フードが美味しかったです。

9/13(水)

  最後の日になって、とうとう雨になりました。午前中は外出もしないで、ゆっくり帰り支度のパッキングなどして過ごしました。正午にチェックアウト、タクシーで空港へ。空港のレストランでランチをしたりして過ごし、15:30発の関空便で帰国。東京便の次女とはここで別れました。淋しそうな次女に、また行こうね!とつい言ってしまって・・・。

9/14(木)

 関空10:25/11:55→千歳13:15  夫が空港まで迎えに来てくれて、楽々帰宅できました。隣家の義母も義父亡き後の寂しさはあったと思いますが、いたって元気なころ。ウィーン土産の老眼メガネ入れを喜んでくれてました。 終わります。



 


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1995秋の旅(11)ミュンヘン [1995秋ヨーロッパ次女と二人旅(3)]

9/11(月)

 ミュンヘンに来てパスすることはできないところ、超有名観光地といえば「ノイシュヴァンシュタイン城」ですね!というわけで、日本語のツアーが16000円、英語のツアーが5250円というので、自分の英語力はともかく、一応2級持っている次女を頼りに、迷わず英語ツアーにしました。一日がかりでリンダーホフ城~アマガウ~ノイシュヴァンシュタイン城を回りました。ホーエンシュヴァンガウ城は眺めるだけ。ともかく日本人が多くて驚くほど。購入した絵葉書にも日本語が書かれています。

↓リンダーホフ城にて

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↓アマガウにて。壁画で飾られた家が多く、いかにも南ドイツの美しい村って感じ。ここのクリスマス用品専門店でドイツの木彫りのオーナメント(蝋燭を付けると回る)を買いました。帰国まで手に提げて大事に持ち帰りました。現在もクリスマスには飾っています。

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↓ノイシュバンシュタイン城周辺にて

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 ノイシュバンシュタイン城までは馬車で登りました。このお城といえば思い出すのがヴィスコンティの映画『ルードヴィヒ-神々のたそがれ』です。私のささやかな映画歴ですが、ベスト10に入れていますから、映画の舞台になったこの城を訪れるのはとても楽しみでした。ルードヴィヒ二世の狂気に満ちた築城熱とオペラ熱がひしひしと伝わってきました。城内はカメラ禁止だったので写真はありません。華麗な広間などを巡りましたが、

↓なかで一番印象に残ったのは王の豪華なベット(NETから拝借)。天蓋を飾るゴシック調の木彫・・・でも実際ここに泊まったのは102日だったとか。

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↓ヨーロッパのお城は数あれど、ロマンティックな外観美はぴか一でしょう。(絵葉書)

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  ノイシュヴァンシュタイン城から小さく見えたホーエンシュヴァンガウ城はルードヴィヒが幼少のころに住んでいたそうです。曇り空でパッとしない天候でしたが、雨にあたることもなくミュンヘンに戻りました。夕食はホテルのレストランで、ビールと料理は一皿ずつ注文して、軽く済ませました。


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