SSブログ

1996初秋の旅(4)ストラスブール [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/3(火)

 今日は一日中ストラスブールの見学をしました。朝は雨でしたが、昼過ぎから青空の広がりる暑いくらいな天気になりました。ここは連泊なのでパジャマやブラウスなどのクリーニングを頼んで外出。徒歩数分で大聖堂に到着しましたが、多勢の観光客で賑やか。

☆ストラスブール大聖堂(初)

 バラ色の砂岩で建てられたノートルダム大聖堂。工事は11世紀のクリュプタに始りロマネスク様式によるアプシスと袖廊は12世紀、ゴシック様式の三廊式の身廊部分は13世紀、西正面は14世紀末、双塔は1439年に完成。西正面は13~14世紀に多くの彫刻群で飾られたのですが、現在はレプリカ。オリジナルは近くのウーブルノートルダム美術館で観ることができます。

↓堂内の天文時計

Strasbourg4.jpeg

↓薔薇窓

Strasbourg5.jpeg

Strasburg1.jpeg

 12:45発のイル川のランチクルーズに参加。お天気も良くビールも美味しかったのですが、食事はかなり不味いシュークルートが馬に食べさせるほど大量に出てきて・・・。

↓絵葉書ですが、木組みの家の並ぶなかの遊覧船

Strasbourg9.jpeg

↓ランチクルーズ船で

Strasburg2.jpeg

 下船後はプチット・フランス地区の散歩やショッピング。重いのにアルザスワインを買ってしまいました。

Strasbourg10.jpeg

Strasburg3.jpeg

Strasbourg7.jpeg

夕食は散歩の途中で見つけた中華レストランで。海外で食べた中華料理の中の3本指に入る美味しさでした。

メニュー2.jpeg

 連泊だったのでストラスブールのゆったり滞在を楽しめました。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

1996初秋の旅(3)バーゼル~コールマール~ストラスブール [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/2(月) BaselSBB10:48→Colmar11:34/16:19→Strasbourg16:50

ストラスブール/ゾフィテル・ストラスブールホテル2泊

 昨夜は静かで熟睡できました。朝もゆっくり過ごし、メロンも並んだ豪華版の朝食を済ませ出発。バーゼルの駅に隣接するフランス国鉄SNCF駅へ。入口からはどんどん進んで、パスポート・コントロールや手荷物検査場も係員の姿は見えず通過。アルザス特急の出発するホームへ。ユーロ圏の構想もだいぶ煮詰まっていた頃でした。今思えばあのころは東西ドイツの統一や旧ソ連の情勢などまだまだ課題があったとはいえ、世界情勢は安定していた時期だったのかも知れません。

↓バーゼルSNCF。ここからフランスです。

バーゼル2.jpeg

↓アルザス特急

バーゼル4.jpeg

↓ 1-2配列の1等車はガラガラ。

バーゼル3.jpeg

 さて、楽しい汽車の旅も40分ほどで終わり、アルザス地方のコルマールに着きました。ボストンバックは駅のコインロッカーに預け、身軽になってコールマールの旧市街へ。徒歩で10くらい。早速訪れたウンターリンデン美術館は昼休みでしたので、先に街の散策へ。初アルザスの古い街がこんなに美しいとは!あまり情報もなかった頃ですから、感嘆しつつ歩きました。

↓プチット・ベニス

コールマール2.jpeg

↓こちらは絵葉書です。

Colmar.jpeg

↓街角で

コールマール3.jpeg

 さてランチは何処にしましょう・・・あいにく月曜日なので休みの店が多く、あの有名なメゾン・ド・テットもクローズでした。開いていた近くのビアレストランで。初アルザス料理を賞味。

メニュー4.jpeg

コールマール1.jpeg

 昼食後は念願のウンターリンデン美術館へ。

☆ウンターリンデン美術館Musee d'Unterlinden(初)

 コールマール近郊のイーゼンハイム村にある聖アントニウス会修道院のために16世紀初頭に描かれた祭壇画は「イーゼンハイム祭壇画」と呼ばれ、現在はこちらで観ることができます。描いたのはマティアス・グリューネヴァルト。聖アントニウスは熱病を癒す聖人として信仰されていたため、この祭壇画には熱病平癒の祈りが込められているとみられています。この祭壇画のほかにもションガウアーやクラナハ、ホルバイン、中世の木彫彫刻など。

ドイツ・ルネッサンスの画家グリューネヴァルトの『イーゼンハイムの祭壇画』を知ったのはいつの頃でしたでしょう。キリスト教絵画のなかでもその残酷なほどのリアリズム、異彩をはなつこの祭壇画にいつのまにか興味を持っていました。手持ちの画集に大きく取り上げられていたこと、同じころ粟津則雄氏の『聖性の絵画』を読んだことも、ぜひとも実物が観たいと願うきっかけになりました。

フランスの田舎に行くにはフランス語を少しでも習わなければと、語学に弱い私が重い腰をあげるきっかけになったのも、実を言えばこの画が観たい一心でした。展示室へ向かう時は胸がドキドキしました。一番有名な中央が「キリストの磔刑」の三連(外面)が最初に観れるように展示され、教会を模して木のベンチがその前に並んでいました。カメラ禁止。

バーゼルでホルバインの「死せるキリスト」を前日に観たばかり、続いての死後硬直タイプの醜悪ともいえるキリストの姿です。やはり衝撃はありました。何故?こんなふうに描いたのかという問いは誰の胸にも起きるでしょう。キリストの犠牲の苦しみを強調すると共に、この祭壇画が置かれていた教会の施療院には癩病や梅毒の患者がいたことも大きかったと思うのです。単純な慰めとも違うもっと大きなものを彼等は受け止めたのだと思うのです。あの苦悶のうちに息絶えたキリストは普通に絵画を鑑賞する気持ちでは私ごときでも正視できなくなるほどのものです。でも普通でない立場にいる患者さんたちが観るあのキリストの姿は自分たちと同じ無惨な肉体なのです。
 画家がその心身の苦痛をどんなふうに自分に添わせ、普遍的な芸術として昇華させたのか・・・。宮廷画家としての地位を投げ打って、農民戦争に加わったという晩年が彼の思想の総てを物語っています。

 裏にまわってみると、内面にあたる「受胎告知」「天使の奏楽を伴うキリストの降誕」「キリストの復活」の三連が観られました。こちらはがらっと明るい色彩の画風に転じます。救われた気持ちになりました。ここで降誕のイエスの産着?がボロボロの布であることに気がつきました。磔刑のキリストの腰布と同じです。そして、これも圧巻なのは最内面にあたる聖アントニウスのふたつの場面です。悪夢の幻想はボッスも顔負け、次女には「もう、夢でうなされそ~」と不評でした。

↓画像はWikipediaからお借りしました。第一面

1024px-Grunewald_Isenheim1.jpg

 コールマール駅に戻り、ストラスブールへの列車に乗車。30分ほどで到着。ホテルは川を越えた旧市街にあり、4☆。でも、クリーニングを頼んだ次女のTシャツを紛失され、そのミスを誤りもしませんし、なんの弁償もなかったのです(怒)甘く見られました。今ならホテルの評価に書きこむところですが・・・。

夕食のため出かけて街の散策。ここは大きな街でプランタンデパートやエルメス、シャネルなどのお店も。歩いている年配のマダムたちもお洒落です。ドイツにホームスティしていた次女が、「やっぱり、フランスは違うわ~ドイツはダサすぎる!」って。私たちも夕食はかなり頑張ってワンピースなどでお出かけしましたです(笑)

夕食は上に貼ったメモをご覧ください。評価はB(普通)でしたが、定食1人2500円くらいで済みました。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

1996初秋の旅(2)チューリヒ~バーゼル [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/1(日)

 朝から小雨模様の一日でした。9月になったばかりなのにコートが手放せなく、ヨーロッパは秋になるのが早いのかも・・・。

↓ホテルの前で

チューリッヒ.jpeg

宿から近いチューリヒ湖畔の散策や↓チューリヒ歌劇場の前で。いつかここでオペラを見る日が来るのでしょうか?などと思いつつ

Zurich2.jpeg

 トラムに乗って中央駅へ。日本で購入してきたユーロ・パスにヴァリデイトの刻印をもらい、チッキの窓口を確認して一安心。この後はリマト川右岸の丘に建つチューリヒ美術館へ向かいましたが、日曜日のパレードに遭遇。タクシーもトラムも来ません。結局徒歩30分くらいかかってようやく到着。

☆チューリヒ美術館Kunsthaus Zurich(

 他の多くの美術館のように王族たちによるコレクションを基にしたものと違い、チューリヒの市民の熱意によって誕生、100年に及ぶ努力の結果、1910年に開館しました。
玄関横にはロダンの地獄の門。みかけの割りに内部は広く、中世の木彫りから現代アートまで見ごたえのある美術館です。ここはスイスで活躍したセガンティーニ、ホードラー、クレーなどのコレクションのほかに特別室にジャコメッティ財団による彫刻の展示があります。

↓ホードラー「Heilige Stunde 1」1907  182×223 晩年の作

Zurich M1.jpeg

↓地下にさりげなく展示されていたボナール「ヨットの上のシニャックと彼の友人たち」1924/25  124×139

ZurichM3.jpeg

↓ジャコメッティ「台座の上の4人の女」1950 彫刻のほかにも多数の素描あり。彫刻家のドローイングは優れたものが多いのですが、ジャコメッティのはまた特別に印象深いものでした。

ZurichM4.jpeg

 他にもフュースリやベックリン、マッケ、シャガールそれにここで初めて知ったノルデなど。昼過ぎの列車でバーゼルまで行くので、途中でタイムアウト。坂を下って徒歩数分のホテルに戻り、スーツケースを受け取りチューリヒ中央駅へ。重いスーツケースはチッキでローザンヌ駅に送り、6泊分を持ってホームへ。この時乗車したのはChur始発でAmsterdam終着の「EC 2Rembrandt」という国際特急列車でした。

 Zurich HB12:49→Basel SBB13:51

 ほぼ1時間の汽車の旅。チューリヒの駅で購入した中華のテイクアウトで車内ランチ。食べたものをこの旅ではスケッチ風にメモを残していましたので、下手ですがスキャンしました。中華ですからニンニクの匂いがプンプン。幸い1等車はがら空きでしたから、肩身の狭い思いはしないで済みました。

メニュー1.jpeg

バーゼル/ホテルヨーロッパ 1泊

 お部屋も広くて立派なホテルでした。部屋に荷物を置いてひと休みの後、レセプションの女性にほめられて気を良くした娘のドイツ語をたよりに歩きました。バーゼル美術館までは路面電車で行きました。橋を渡ると古い重厚な教会などが見え、歴史のある街らしい佇まいです。けれども、美術館の見学だけで、街の散策をする暇も体力も残らなかったのは残念でした。

門を入った前庭にはロダンやカルダーの彫刻が飾られています。内部は思いのほかガラス窓が大きく、自然光のなかでゆったり鑑賞できます。日曜日で入館は無料だったのですが、近代絵画の方は閉鎖されていて残念!

バーゼル1.jpeg

☆バーゼル美術館Kunstmuseum Basel(初)

 ライン河畔の都市バーゼルは通商の要として繁栄し、ヨーロッパ有数の文化都市として16世紀には黄金時代を迎えます。印刷業で財を成した豪商の一族のコレクションをバーゼル市が1661年に購入、ヨーロッパで最古の美術館を開設。中世から20世紀に至る質の高い作品、特に15、16世紀の上部ライン地方とネーデルランド絵画、そしてホルバインは圧巻です。

ここで初めて知ったスイスで活躍したヴィッツ(Konrad Witz 15世紀のドイツの画家)。代表作の「人間救済の鑑の祭壇画」があります。こういうタイトルの祭壇画は初めて。上段が旧約聖書、下段が新約聖書で、それぞれの画面が呼応するという構成なのです。中世の予型論の書物『人間救済の鑑』を典拠に製作されたとのこと。ヴィッツの特徴はその自然な写実性。描かれる顔の表情もどこかのどかで愛嬌があります。↓「アンナとヨアキム金門での出会い」 と 「シナゴーク」折れた矢を持つ盲目の女人が旧約の寓意。

wr.jpg

wr1.jpg

↓の絵葉書はホルバイン(ドイツ・ルネッサンスの画家)の「ホルバインの妻と2人の子供」。画家はバーゼルに家族を残し、イギリスに単身赴任していました。一時帰国したときに描いた作品。ヘンリ-8世の宮廷画家をつとめ、描いた絵画は王や妃達、富裕な階級の人々の肖像画、宗教画が多いのです。そのなかで彼の妻子の絵画は異彩です。夫の留守がちな家庭は決して幸せそうに見えません。あまり裕福そうにも見えません。画家と視線を合わせないこの家族の生気のなさから連想されるのは病とか死・・・「死の舞踏」の大規模な壁画があったバーゼルの街、そしてここの美術館のもう一枚のホルバインの描いた「墓のなかの死せるキリスト」。ホルバインの作品の底に流れる精神はやはりバーゼルにあったのでしょう。
Holbein1.jpg

キリストの屍の変色しつつある手足が丁度目の前。あまりのリアリズム表現に辟易しながらも鑑賞。このとき気が付いたのはキリストの顎の部分。何故か不思議な尖り方に見えました。後日高久先生の講座で観たある写本(名前忘れ)のなかの死せるキリストがこの顎の形をしていて、ホルバインが参考にしたことは確かなようです。私の発見!と思ったけれど(笑)

wr3.jpg

↓ベックリンの「死の島」1880  111×155 画家の作品中最も人気の高いもの。全部で5点のヴァージョンがあるそうです(うち1枚は第二次大戦中に焼失)。

wr4.jpg

↓ホードラー「ニーゼン山」1910  83×105.5

wr2.jpg

クラナハ、グリューネヴァルト、ショウガウアー、パッヒャーなどドイツ系の画家たちのほかにもピサロ、ゴッホ、ゴーギャン、セガンティーニ、シャガールなどの名画に魅了されました。

それにしても物価の高いスイス・・・ブックショップでいつものように絵葉書を何十枚と購入したのですが、1枚が150円くらいで、合計額を聞いて「えっ?お金ない」と泣く泣く何枚かを戻しました。
この旅の終わりに訪れたスペインの3倍以上の値段だったと記憶しています。

 小雨の中トラムでホテルに戻り、ホテル近くのビヤレストランで夕食。メニューは上部に貼りましたが、3皿注文して分けて食べたのですが、二人でお勘定は8000円!しかも私の評価ではABCのうちの不味いのCでした。人気ブログランキングで
ブログのアクセスアップ!


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。