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1996初秋の旅(8)ディジョン~ミラノ [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/7(土)Dijon8:53→Lausanne11:06/12:32→Brig→Milano16:45

ミラノ/グランドホテル・フェラ・ミラノ

 今日は大移動の日です。ディジョンに着いたとき駅の窓口で予約していたTGVに乗りました。国境を越える列車の旅は昨年の一人旅以来です。2泊した素敵なディジョンのホテルともお別れなのでパチリ。

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↓ロビーで

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 これが初めてのTGVだったと思います。スイスのローザンヌにはチューリヒからスーツケースを送ってありましたが、今回は無事に受け取ることができました。スイス国鉄のチッキ・システムはスキーを送るお客さんも多いので確実でした。駅の乗り換えも階段ではなくスロープになっていて、大助かりでした。ランチはホームに面したカフェで、ピッツアとコーヒー。さすがスイス、ぐっと涼しく夏姿では寒いくらいでした。

↓車窓風景

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 長い列車の旅を終えて、ミラノ中央駅からタクシーでドゥオーモの裏手にあるホテルへ。予約してあったのですが、私たちの名前がないというのです。そんなはずはありませんと、よくよく調べてもらいました。なんと!日本の旅行代理店が英文の「満室だから受けられない」というFAXを見逃していたのです。レセプションの男性があちこち電話してくれたのですが、ミラノはこの時期見本市とかでどこも満室・・・ようやく中心部からは離れたホテルがとれたのは1時間もたってから、ホトホト疲れました。最初予約したデ・ラ・ヴィルホテルはクラシックで素敵なミラノのど真ん中というホテルでしたから、がっくり・・・。タクシー代などは帰国後返金するからと平謝りでしたが、この旅行会社は二度と使いません。フェラ・ミラノホテルは大型の中級ホテルで目の前にトラムの停留所があり便利でした。チケットはホテルで購入。

夕食はタクシーでスカラ座の近くまで往復して、日本食のレストランサントリー(現在は廃店)へ。日本人のツアーで満席の中ようやくテーブルへ。「何がお望みですか?」という間違ってはいないけれど変な日本語でオーダーをとるイタリア人のサービス係でした。久しぶりの日本食で元気になれました。ホテルのトラブルで心身共に参っていましたが、気を取り直して旅を続けることにしましょう。

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タグ:ミラノ
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1996初秋の旅(7)ディジョン(ボーヌ) [1996初秋ヨーロッパ鉄道の旅]

9/6(金) Dijon→Beaune→Dijon

 そういうわけで、一晩中下痢状態でしたが、夜明けになってお腹も空っぽになり1~2時間ほどは眠れたようです。この日の予定である日帰りのボーヌ訪問はどうしょうかと迷いつつ起床。でもこの旅でコールマールの祭壇画の次に観るのを楽しみにしていたボーヌ施療院の祭壇画ですから・・・あきらめることはできませんでした。朝食抜きでディジョン駅へ。ボーヌ往復切符はユーロ・パスを使わず購入(一人37F)

 10:45発の列車は遅れて、ボーヌに到着したのは正午近くになっていました。お腹は空っぽで歩く元気はありませんから、オテル・デューまでタクシーで。

 ☆オテル・デューL'HOTEL DIEU DE BEAUNE(初)

 ボーヌはブルゴーニュ公がディジョンに都を定める前に城館のあった街です。公の宰相ニコラ・ロランによって1443~51に造営されたオテル・デュー(施療院)は創建当時の面影をとどめ、内部には「最後の審判の祭壇画」の飾られた美術館があります。

↓オテル・デューの入口で

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↓ 色瓦が華麗なフランス・ゴシック様式[フランボワイアン)の建物

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 小さな付属美術館には夢にまで見た(大げさですが)ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデンの多翼祭壇画「最後の審判」(1445頃)がありました。

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 ウェイデン Rogier van der Weyden(1399頃~1464)は初期ネーデルランド 絵画史における代表的画家です。師カンパンの影響を受け、宗教画のほかに王侯貴族の肖像画も多く、彫塑的ながら哀感に富んだ画風を確立。代表作にボーヌの祭壇画のほかには「ブラックの祭壇画」「七つの秘跡の祭壇画」など。

 ランチは近くのカフェで。まだ食欲がなく、せっかくのボーヌ訪問なのに残念でした。代わりにワイン屋さんでHospices de Beauneのラベルの赤白1本ずつ購入。次女はリュックの背に 、私は手荷物にと1本ずつ大事に持ち運びました。このとき試飲をしたのですが、私はおなかの調子が悪いので、次女にさせたところ「えっ!この子に?」みたいなこと言われて「もう21歳ですが・・・汗」

帰りはノートルダム教会をのぞいたり、街を散策しながら徒歩で駅に戻りました。駅前のカフェで汽車を待ち、ディジョンに帰りました。ホテルの部屋に荷物を置いて、徒歩数分のディジョン美術館へ。

☆ディジョン美術館 musée des beaux-arts dijon

 ブルゴーニュ公国の都として繁栄したディジョンはフィリップ豪胆公(在位 1365~1404)以降15世紀まで特に栄え、ロマネスク期から15世紀の教会、15~16世紀の裁判所など重要な建築物があります。14~18世紀のブルゴーニュ公宮殿の一部(東棟)を利用した美術館にはフランドル派などヨーロッパの中世以降の絵画、彫刻の重要なコレクションが展示されています。ここで最も注目される美術品といえば、

↓エミール・マールの『中世末期の図像学 下』の表紙を飾っているフィリップ豪胆王(または大胆王ともいう)の墓(部分)でしょう。エミール・マールによればこの作品には「教会による祈りの有効性の信仰と封建的家系に対する愛が一つに結びつけられている」そうです。

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↓カンパン「キリストの降誕」1435? 86×72 聖母の処女性を疑った助産婦が描かれている降誕図は珍しいです。背景に展開する透明な光に満ちた風景はカンパンの自然描写中最も優れた作品です。

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↓ブルーデルラムMelchor Broederlam(1350年頃 - 1409年以降)の「エジプトへの逃避」と「神殿奉献」(絵葉書)祭壇画の板絵2枚のうちの1点。フレームを含んだサイズは167cm x 125cm

国際ゴシック様式から初期フランドル絵画への橋渡しともいえる重要な作品ですが、画家についてはフィリップ公に仕えたというほかは不明。

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↓ブルゴーニュ大公宮殿前

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お腹の調子も良くなってきました。からし屋プーポンに寄ってショッピング。

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 夕食はレストランに行く気力もなく、ルーム・サービスで。アラカルトの3皿+サービスの小皿(パスタ)を二人で気兼ねなくシェア。リラックスして、ブルゴーニュ・グルメを愉しめました。お腹の調子も戻り安眠。

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